すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ヴェネツィア幻視行」 ジャネット・ウィンタースン (イギリス)  <早川書房 単行本> 【Amazon】
運命に導かれるまま、ナポレオンのもとで鶏の係として働くことになったフランス人青年アンリは、 過酷な進軍のなか、敬愛するナポレオンに失望していく。一方、ヴェネツィアで船乗りの娘として足ヒレ を持って生まれたヴィラネルは、男装してカジノで働くうちに、美しい人妻と恋に落ちる。そんな二人が 出会うとき、新たな愛が芽生えだす。
にえ 『さくらんぼの性は』ですっかり惚れこんでしまったウィンタースンの、私たちにとっては2冊めです。
すみ でも、書かれたのも和訳出版されたのも、『さくらんぼの性は』より前なのよね。
にえ 本から受ける印象も、似てる部分も多いぶん、違ってるところも多かった。
すみ 『さくらんぼの性は』は童話的というか、かなりファンタジッ クな感じだったけど、こっちは幻想的ながらも、もうちょっと現実に近い感じだったよね。
にえ 『さくらんぼの性は』の大ボラ的な著述の連続に比べれば、 こっちの足ヒレ等々は、まだおとなしいものだしね。
すみ それに、ストーリーじたいが、作り話とはいえ、ナポレオンの 生涯に沿って進んでいくから、その分の現実味もあったし。
にえ 主人公の二人も、普通の人に近い存在だったもんね。 アンリも、ヴィラネルも、等身大といっていい人たちだった。
すみ トーンもかなり落ち着いてたよね。暗いと言ってしまうのには 抵抗があるけど、かなり感傷的で、トーンダウンしてた。
にえ ストーリーの振幅も押さえ気味だったしね。『さくらんぼの性 は』だと、かなりドヒャ〜って出来事の連続だけど、こちらは軍隊生活のなかでの人間関係とか、カジノで 働くヴィラネルの言動とかが中心だったから、それほど驚かしはないの。
すみ ただ、じゃあ、ナポレオンの時代の歴史や、その当時に生きた 人たちを生々しく書いた小説かといえば、ぜんぜん違うの。そういうのを背景として利用してはいるけど、 あくまでも幻想的で、独自の雰囲気が漂う世界。
にえ そこが『さくらんぼの性は』と共通するところよね。歴史小説 のふりをして誘いこんでおいて、まったく別の幻想世界へ送りこんじゃう、みたいな愉しさ。
すみ この本のなかでは特に素敵なのが、ヴェネツィア。街は毎日姿 を変え、川には不思議な生活がある。
にえ ヴェネツィアを一回溶かして、別のもっと幻想的な都を作り出 すことで、ヴェネツィアの真の美しさを表現しようとしているようにさえ感じられたね。
すみ 舟で川をくだる赤毛のヴィラネルが、立ち上がって手を振る シーンなんて、目のなかでキラキラと輝いて見えたな。
にえ 没落して、ちょっと頭がおかしくなり、川に住んでいる婦人が 脇役としてチラッチラッと出てくるんだけど、彼女がまた幻想的な雰囲気を増させてたよね。予言めいたこ とをいうんだけど。
すみ ヴェネツィアと未来の予言って、なんかイメージが結びつく よね。ヨーロッパの魔女ってのと、またちょっと違った異国の雰囲気があるみたい。
にえ あと、やっぱり脇役でチラチラ出てくるだけなんだけど、 ナポレオン夫人のジョセフィーヌの存在も光ってたな。
すみ 結局は権力志向のダメ人間として単純に見えてくるナポレオン と違って、この本のジョセフィーヌはちょっとつかみどころがないよね。
にえ 宝石かきあつめて強欲かなと思うと、やさしかったり、忘れた 頃に花の種を送ってきたり、ちょっと不思議な女性。そういう行動を変に説明されてないところがいいよね。
すみ とにかくね、読みやすくて、スラスラッと一気に読めちゃうっ て感じではないの。読みにくいわけではないんだけど、一行ずつ噛みしめるようにして読んでいくおもしろ さのある小説。詩的なんだよね。
にえ たぎる情熱を抑えこんで書いたような、そういう静かな熱が伝 わってくるみたい。ラブ・ストーリーでも、歴史小説でもなくて、あえて言えば、「幻想叙情詩的微熱小説」 ってかんじかな(笑)
すみ アンリやヴィラネルの痛々しいまでの受難が、狂気とすれすれ の幻想世界に閉じこめられてました。好きそうな人にはオススメ。極上です。