Twin's houseママのりんな日記

2001年 8月9日 超音波検査 25週0日
 いつもの産婦人科K病院で、7ヶ月以上の妊婦を対象にした検診があり、超音波にて胎児の様子を見てもらったとき、いらしてたKA病院のR先生から少し心臓に不整脈があり、KA病院にて再検査を言われました。



2001年 8月11日 再検査  KA病院にて再検査。やはり、不整脈は間違いないようです。
@私と赤ちゃんを結ぶ一番大事なへその緒も、単一齊帯動脈。
Aなんだか手も、あんまり開く様子がない。
B少し、顎も小さいみたい。
C心臓の心室も壁には穴があって、右心室と左心室に、それぞれあるはずの動脈も右心室から2本出ていて、左心室には1本もない。
 もしかして、染色体異常かも・・・。
2001年 8月14日 羊水検査 25週5日
 ドキドキしながら分娩室での羊水検査でした。
 超音波で赤ちゃんの位置を確認しながら、長い針(全長40cmくらい)をお腹に・・・。
 怖かったけど、すぐ終わりました。
 NSTをつけて、赤ちゃんの元気度を調べたりしました。
2001年 8月15日 羊水検査 退院  夕方には退院できた。お腹の中の羊水はアメリカへ送られました。
 2週間後にははっきりした結果が戻ってきます。
2001年8月24日 超音波 検査  結果が戻ってくるまでに、再度超音波で確認できることだけでもチェックしようと検査を受けた。
 やっぱり心臓が悪いのは間違いなさそうだ。
2001年8月28日 宣告の日 27週5日
 鈴奈の運命が決まってしまいました。
 アメリカから戻ってきた結果は18番目の染色体が1本多い(18番目の染色体が3本ある)18トリソミーという診断でした。
 主人と2人でKA病院に呼ばれ、説明を受けました。
 どうしていいか分からずただ涙が出るばかりでした。
 鈴奈は、予定日までお腹の中で育つことすら無理かもしれず、生まれてきてもとても短命。自分で呼吸すら出来るかどうかも分からないのです。
 生まれてすぐ挿管して、今の医学で出来ることをすべてしても、1週間から1ヶ月くらいの命。しかも鈴奈はすぐに国立小児病院に運ばれ、帝王切開の私は2週間ほとんど顔も見られない状態になる。
 そんなのは嫌だ。私のそばにいてほしい。
 それから主人と2人でいろんなことを考える毎日でした。
2001年 9月1日  主人と2人で診察に行きました。
 今からどうするか、何が出来るのか。先生と相談しました。
 結果が分かってるなら、どうなってもいいやとすごくなげやりな気持ちでした。
 でも、先生から「今赤ちゃんは、パパやママに会いたいから頑張って生きようとしているのよ。元気に動いているでしょ。」と優しく教えてくれました。
2001年9月4日 小児病院の説明  R先生の紹介で国立小児病院へ行きました。
 そこで専門の先生から現在、同じ18トリソミーの子供の様子や今までの事例について聞きました。
 @国立小児病院では出産時に異常が見られた赤ちゃんを生かそうと最新の技術を投入します。
 挿管して、点滴をして時には手術をして医療の最先端を目の当たりにするそうです。
 A一方、R先生は運命の分かっている赤ちゃんにメスを入れることなく、母子の残り少ない時間を優先してくれる説明を受けました。
 私も主人も気持ちは同じでした。
 どんなに頑張っても1ヶ月も生きられない。もしかすると、1日から2日かもしれないと言われ、生まれたばかりの我が子を他人の手に渡して、抱っこしてあげることもなくお別れなんて・・・。
 決断するまでもなく、R先生に無理言ってKA病院で見てもらうことにしました。それなら抱っこしてあげられるし、顔を見ていられる。
2001年9月9日 診察  朝から診察。赤ちゃんの状態や、大きさ等R先生が何時間もかけて見てくれました。
 頑張って動いている姿を見ていると、すごくかわいい。
そして、病気が嘘みたいに思えました。
2001年10月1日  診察に行く。体重も1800gを越えて少し小さめだけど、大きくなっている。
 少しでも大きく生まれた方が、体力もあるだろうし、がんばれる!と思えた。
2001年10月13日  診察に行く。体重2000gを越えた。
順調に大きくなっているみたい。
 毎週診察です。
2001年10月21日  診察です。今日は、よく動いていた。
かわいい写真がなかなか撮れないほど!
2001年10月31日 出産前日  明日の出産に向けて、今日から入院です。
 私の身体を検査して、あとは安静にということで、不安な1日でした。
 病気を患い、しんどそうな母も付き添ってくれて、必死で励ましてくれました。いい物食べて、お腹の赤ちゃんにあげようと言って、出前をとってくれました。母と話しているうちに、少しずつ落ち着いてきました。
2001年11月1日 出産日  いよいよ帝王切開の日、鈴奈の誕生日です。13時過ぎには、準備をして手術室へ行くよう告げられました。
 もしも生まれてすぐ亡くなってしまうという最悪のことも考えられるので不測の事態に備えて帝王切開術なのにも関わらずR先生は主人の立ち会いも許可してくれました。
 赤ちゃんの状態が危険なため、小児科医のM先生も来てくれました。
 腰に麻酔を打って、下半身は感覚が無くなりました。切っているのか引っ張っているのか分からない変な感じです。でも何か出てきた感じはありました。
 鈴奈が誕生しました。14:21でした。2616g・43.5cmです。
 が、泣いてくれないのです。
でも少ししてM先生の処置により泣きました。
 手も足も動かしてくれました。抱っこもできました。すごくかわいい。よく頑張ってくれました。せっかく親子で、頑張ったんだから、危険とは分かっていても、短い時間になるかもしれないけど、母子同室で、いっぱい触れてあげたい。そんな無理な夢も叶い、鈴奈との生活が始まりました。
 手のひらをこちょこちょすると、指をつかんでくれたり、呼びかけたら笑ってくれたように見えました。こっちを見てくれてるようにも見えました。
 夜は、ナースセンターの方で預かってもらいました。夜中何度か呼吸の状態が悪くなって怖かったので。
2001年11月 2日 喜びの1日 朝から部屋へつれてきてくれました。
一晩ですごく顔も変わった気がしました。
抱っこすると、笑ってくれるし、R先生が抱っこしてくれたら、気持ちよさそうにしていました。
呼吸がしんどそうなのが、かわいそうで仕方ないです。
今夜も何度もチアノーゼ状態になり不安だったのでナースセンターで預かってもらいました。
心配で心配で安心して寝ることが出来ず、「頑張ってくれるかな?」と不安な気持ちのまま、ウトウトしました。
2001年11月 3日 急変 出産から2日目、尿道の管を抜いてもらい、今日は朝から少しでも歩いてみようとトイレに行くことにしました。
主人と杏奈・宗一郎がきてくれたので点滴の台を杖代わりにして足を引き吊りながら部屋のトイレへ行きました。
術後の初めての歩行は苦しかった。まだまだ痛みがすごく、腰が曲がってしまい辛かった。
少し落ち着いた頃、友人夫婦が鈴奈を見に来てくれたので、一緒にナースセンターへ行くことにしました。
頑張って歩いていくと、主治医のR先生が慌ててナースセンターへ走って行ってるし、看護婦さんがバタバタしているのです。
まさか!?と不安が走りました。
案の定、うちの鈴奈の様子がおかしかったのです。
心臓マッサージや酸素吸入をしてくれました。
最善を尽くしてもらいました。知らせを受けたM先生もお忙しい中駆けつけてくれました。
R先生が「抱っこしてあげて」と言ってくれたので、点滴をつけたまま、私の腕で、ぎゅっと抱きしめてあげました。
そして、私の腕の中で鈴奈は静かに眠ってしまいました。
私たちの心に大きな足跡を残して・・・。
11:45でした。
たった2日の短い時間だったけど、いっぱい抱っこしていっぱい手を握ってあげられて良かった。
たくさんの人に愛されて、旅立った鈴奈は幸せだったと思います。
もう少し長い時間一緒にいてあげられたらよかったのに・・・と
寂しい気持ちになることもあるけど。
2001年11月 4日 昨夜はお通夜を自宅でしました。
多くの友人、近所の方、会社の方が葬儀の準備をしてくれ、参列してくれました。
遠くは愛知県から次の日が仕事なのにも関わらず夜通し車を走らせて駆けつけてくれた友人もいました。
 1時間の葬儀の後、火葬場に行きました。
ママは行きたくないと言い、行きませんでした。
 2時間後、鈴奈の骨を骨壺に入れました。
火葬場の職員さんが「この子は骨がしっかりしていたんだね。こんなに骨が残る子はめずらしい。」と言ってました。
 小さな骨壺と共にパパは帰宅しました。
2001年11月23日 仏壇を買ってあげました。爺ちゃんとなおきくん、みかちゃんも援助してくれました。四十九日まで1週間ごとに正信念仏偈を唱えました。
2003年11月1日 3回忌に併せて丸亀市の青の山墓地にお墓をつくりました。
石は中国産にせず、丸亀市広島町の瀬戸内海に浮かぶ島から産出される
青木石を選びました。パパもママも同じ所に行くから、少しの間待っててね。

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