檜山真澄(女子8番)は、まっすぐに裏へ向かった。昇降口から出て行くほど愚かではなかったし、職員玄関も同じ事だ。自分の前に出て行った晃があんな宣言をしたために、他のクラスメイトも警戒しているのは一目瞭然だった。もしかしたら、あの言葉に触発されて“やる気”になっている人間もいるかもしれない。そのせいもあるが、何より真澄にはしたい事があった。そのためには、武器が必要だ。真澄のデイパックの中にあった武器は、単なる双眼鏡だったし、例え何が入っていようと、真澄はまず部室に向かう事を決めていた。

 学校から見渡せるグラウンドでも、華やかな体育館でも無い場所。学校の裏庭に、ひっそりと造られた、道場――いや、それは道場と呼ぶ事すら出来ないほどのものだった。真澄は慣れ親しんだその場所の、更に奥にある物置のような部室にそっと入り込んだ。本来ならば鍵を使わなければ開かないはずのそのドアは、こつを掴めば簡単に開いてしまうもので、それはこの部活に所属する部員の暗黙の了解でもあった。下手をすれば人を殺してしまう武器にもなる物が保管されているこの場所が、そんなに簡単な施錠で良いのかと真澄は常々思っていたが、今はそれがありがたい。

 ガタンと、少し大きめの音を立てて、ドアを開ける。誰かに聞かれたかもしれないと思ったが、まだ誰もここには来ていないと確信していたのも確かだった。つんと鼻をつくカビの匂いと、慣れ親しんだ物達。――しかし、感傷に浸っている暇はない。真澄は並んだ長い棒状の物の中から、自分の物を手にとった。それはパッと見、薙刀に似た長い棒で、長い袋に納められている。袋からそれを取り出し、真澄は弦を張った。自分が使える中で、一番の飛距離を持つ、弓。これを持って歩く事は、得策とは言えないかもしれないが、自分にとっては何よりの武器になる。真澄は、近くにあった矢筒にありったけの矢を込めて、肩にかけた。

 とにかくここから離れなければならない。行動を起こすのは、それからだった。真澄は裏山に駆け上がり、学校を見下ろした。山の中腹を削った場所に建っている上那賀中学校。もう、あそこに行く事はないのだろう。そんな事を思いながら、真澄は唾を飲んだ。暑さのせいもあり、やけに喉が渇く。

 冗談じゃないよ、ホント……

 ショートカットの髪をかきあげると、手に汗がついた。弓道をするのに邪魔だから短く切った髪。山本祥子(女子9番)や渡辺沙織(女子10番)のように、長くもないし、綺麗でも無い。女の子らしさとは、無縁の真澄。何故あの二人と一緒にいるのか、自分でも理解出来ない程、場違いで。もともと目つきがきつい為か、この歳で男の子に間違えられる事もよくあった。……別にヤだったわけじゃないけどさ。

 真澄は弓を握る手に力を込めた。あまり汗をかくと、手が滑ってしまうので、なるべく日陰を選んで進んだ。裏山の中を移動しながら、学校の方へ目を配る。

 もう皆出発した……?

 学校の大時計は11時25分を指していた。この位の時間であれば、まだ出発していない人達がいるかもしれない。真澄は、自分の支給武器である双眼鏡を手にとって、覗いてみた。多分、それは自己防衛の為だったのだと思う。“やる気”の人間が誰なのか。把握しておかなくては、危険回避も出来ない。

 真澄が双眼鏡を覗き始めてからそんなに時間が経たないうちに、人影がよぎった。時間にすれば、ほんの数分。あんなに目立つ昇降口から出て行く人影。姿形からして、男子生徒のようだった。真澄はじっとその人物を見つめる。あれは多分――

「……北村……」

 思わずつぶやいてしまってから、真澄ははっとしたように周りを見た。大丈夫。誰もいない。

 北村真人(男子5番)は、あまり目立たない男だった。クラス内で目立つといえば、誰からも人気のある原田梢(女子7番)、すましていて、馴れ合いを好まない橘川あやの(女子1番)や、内藤さやか(女子6番)、出発前にとんでもない宣言を残していった早川晃(男子8番)などが上げられるが、晃と友達である寺元仁(男子7番)や、保崎直人(男子9番)なんかは割と目立つ方なのに、一緒にいるはずの真人は何故か存在感が薄い。おそらくは口数が少ないからだろう。けれど、真澄にとっては彼が一番目立つ人物だった。

 4人一緒にいるのに、いつも冷めたような目をして、何に対しても興味を示さないような態度。誰が何を話し掛けても、大した返事もせず、一人でいる事の方が多いように感じた彼。別に他の3人と仲が悪かったわけではないだろうが、一緒にいて楽しいのかと、疑問に思った事はあった。まぁ、それは真澄の勘違いだったのだけれど。前に、どこでだったか忘れたが、二人で話した事がある。確かその時も、話し掛けたのは真澄の方だったはずだ。

 

 

「北村って、面白い事とかないわけ?」

 興味本位だった。北村真人は、いつも大口開けて笑っている赤坂浩太(男子1番)とは、全く違うタイプの人間。笑顔を見た事がないわけではないけれど、真澄が真人を思い出す時、彼はいつも無表情だった。

「別に」

 真人は真澄の方を見ようともせず、そう答える。肯定とも、否定とも取れる返事。きっと、ろくに答える気はなかったのだろう。失礼な態度ではあったが、真澄は気にしなかった。誰に対してもこうなのだ、この男は。

「早川とかと一緒にいて、楽しい?」

 何故そんな事を訊いてしまったのか、真澄自身も良く分からなかった。ただ、いつも楽しそうにしている所を見なかったから、というのが理由なのだろうが。

「楽しくないように見えるか……?」

「見える」

 真澄がそうはっきり言ったら、彼は口の端を歪めた。誰に聞いたって、真人がいつも楽しそうだと答える人はいないだろう。いや、彼の親友とも言える保崎直人(男子9番)などは別かもしれないが。彼ならば、あの特有の誰もがなごむ笑みを浮かべて、「真人はいつだって楽しそうだよ」とでも言うのかもしれない。それを聞いて、周りで笑う寺元仁と早川晃。そんな光景が、真澄の頭に浮かんだ。

「心外だな」

 真人は肩を竦めて、真澄を見た。ニヤリという感じで、彼は笑う。そう、こんな笑みは何度か見た事があった。仁達といる、あの時の真人は、こんな顔をする。

「楽しいぜ?仁はからかうと面白いし、晃は以外に古風な所があるし。それに――」

 真人の表情が、柔らかくなった気がした。注意して見ていなければ分らないほど、小さい表情の変化。

「直人は……良い奴だ」

 それは、クラス内の誰もが知っている事だった。保崎直人は誰にでも優しく、真人みたいなタイプを見ると、放って置けなくなる性分らしい。おかげで誰に恨まれることもなく(妬まれたりはするかもしれないが)、幼なじみの原田梢(女子7番)共々、上那賀中学校3年クラスの、いわばアイドルだった。

 たかが20人程度のクラスで、何がアイドルなんだか。

「――檜山は、楽しいのか?」

 思ってもみなかった質問に、真澄は目を丸くする。

 あぁ、そっか。

 そう思って、真澄は真人を見つめた。いつも、もったいないと思っていたその顔を。

「……北村、顔が綺麗なんだから、笑ってりゃモテそうなのにね」

「別にモテなくても良いし」

「女の子とかに間違われたりしなかった?」

 一瞬、真人の眉間にしわが寄る。どうやら図星らしい。「関係ないだろ」とか言って怒り出すかと思ったら、真人は何も言わなかった。考えてみれば、彼が怒った所も、真澄は見た事が無い。

「あたしはよく男に間違えられるけど」

 真澄は自嘲気味に笑った。どうしてこんな事を口にしているのか。何だかんだ言って、気にしているのかもしれない。クラス内の女子達、誰と比べたって、女として見劣りする自分。……天邪鬼な自分。

「あたし達、ひょっとして正反対?」

 だけど――と、真澄は続けた。

「……似てるのかもね、あたし達」

「どこが?」

「だって、北村、本当は何も見てない。何が気に入らないのか知らないけど、周りを全部拒絶してる。見せ掛けだけだよ」

 真人は何も言わなかった。

 

 

 ただ、二人でいるその空間が、何故か妙に安らいだのを覚えている。真澄はそんな事を思って、もう一度双眼鏡に目をつけたが、真人の姿はどこにもなかった。

 彼はこのゲームに乗る気だろうか。真澄には分からない。けれど――

 北村は、きっと乗らない。

 そんな気がした。

 

 それは、単なる真澄の想像でしかなかったけれど。

 

 

【残り19人】

 



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