心臓が、バクバクしていた。何もかもが、非現実的な事に思えたが、これは現実で、自分はこうしてここにいる。だから、するべき事はしなければならないし、他の連中が自分の事をどう思おうと、関係のない事だった。誰のためでもなく、自分のために、こうして決心したのだから。

 早川晃(男子8番)は、息を潜めてその場に座っていた。息を潜める必要など無かったかもしれないが、出来るだけ自分がここにいる事を知られたくなかったのだ。荒くなる呼吸と、早まる鼓動を無理矢理押さえつけて、晃は手に持ったデイパックに目をやる。

 渡された瞬間に感じた、重い手ごたえ。

(これで武器が鈍器だったりしたら、俺は笑うな)

 そう思いながら、静かにデイパックを開ける。物音を立ててはいけないわけではなかったし、周りには誰もいないことが分かっていたけれど、何故か静かに行動していた。これは、恐怖なのかもしれない。

 しかし、落ち着いて行動している時間はなさそうだった。晃は腕につけた時計に目をやる。親友の寺元仁(男子7番)は、デジタル時計の方が便利だと言っていたが、晃は自分で買った、このアナログ式の時計を気に入っていた。電池を買い換えるのは面倒だからネジ巻式にしたし、それを保崎直人(男子9番)などに笑われても、自分が良いんだから良いと言い張った。北村真人(男子5番)が晃は頑固だと言い、仁が昔からだと答える。そんな、いつもの生活。おそらく、もう二度と戻れはしないだろう、日常。

 晃は思い出に頭を支配されそうになったが、少し頭を振って、時計のネジを回した。それは晃が冷静に物事を考える時の、くせなのだ。時計のネジを巻く事によって、自分の頭のネジも巻かれていく気がして。

 現在、11時12分。桜井の言ったとおり、2分ごとにクラスメイトが出発しているのなら、今頃は赤坂浩太(男子1番)あたりが出発している頃だ。それならば、次は橘川あやの(女子1番)……

 晃は一瞬遠い目をして、また、少しネジを巻いた。振り返ってはいけない。自分は、冷静に行動を起こさなければならないのだ。そして、慌てず、迅速に事を進める必要がある。時間は無駄に出来ない。晃は立ち上がり、上へ進んで行った。

 

 

 

 吉田大介(男子10番)は、辺りを見回しながら外へ出た。昇降口から出て行くのは正しい判断とは言えなかったかもしれないが、前に出て行った連中を思い浮かべれば、待ち伏せなんて事はないはずだった。ただ、気になるのは早川晃(男子8番)だけ。その晃も、昇降口の真正面で待ち伏せしているなんて事はないと、大介は考えた。

 何しろこの学校の昇降口は、すぐグラウンドに繋がっていて、隠れる場所なんてありはしない。見晴らしの良いグラウンドを突っ切って進んで行くのは気が引けたが、今ならば何とかなるような気がしたのだ。

 とにかく、大介にはしなければいけない事がある。自分の身を守るにしろ、相手をやるにしろ、この武器は助かった。大介は、右手でぎゅっとオートマチック銃を握り締める。どこかで身を隠して待っていなければならないかもしれない。たしか、大介が用のある人物は、出席番号がまだ先のはずだった。

 大介が外に出ると、見慣れないものがグラウンドにあるのに気付く。

(――ヘリ?)

 桜井たちが乗ってきたものかもしれない。大介は一瞬だけ、足が止まった。このヘリを使って、脱出する事は出来ないだろうかと考えたのだ。プログラム範囲から出た瞬間に首輪が爆発してしまう事など、今は頭に無かった。逃げられるかもしれないという事が、大介の思考能力を奪っていたのだ。幸い、辺りに人影は……

 カツっ

「っ!?」

 大介は、乾いた足音に、慌てて振り返った。その際に、銃を相手に向ける事も忘れない。

 相手はそれに驚いたのか、その場に尻餅をついた。

「や……やめてっ……!!」

 恐怖の色を顔いっぱいに表して、怯えたように震えている。それは、大介よりも前に出たはずの山本祥子(女子9番)だった。目に涙をためて、大介を見上げる祥子は、逃げ出す事も出来ないようで、ただつぶやいている。

「こ、殺さないでっ……っ!」

 大介は小さく息を吐いて、銃口を下げた。こんな、何も出来ないような女に怯えている自分が嫌になる。例えばここで祥子を撃ち殺す事も出来たけれど、大介はそれをしなかった。自分が誰かを殺すなんて事、大介自身実感が沸かなかったし、そんな事よりも大切な事がある。

 銃口が下げられた事にほっとしたのか、祥子はのろのろと立ち上がった。顔の辺りに手をやって、涙を拭いている。本当に泣き虫なんだな、と大介は思った。どんなに苛めても泣かなかった戸津川麻里(女子5番)とは大違いだ。

「お前、何でこんなとこにいるんだよ?」

 先に出たはずなのに、と大介は言い、辺りを見回した。他に誰もいない事を確認して、少しだけ緊張を解く。

「わ、私……沙織を待とうと、お、思って……」

 渡辺沙織(女子10番)と祥子、そして檜山真澄(女子8番)は、確か仲の良いグループだったはずだ。その事を思い出し、大介は納得したように頷く。

「檜山は一緒じゃないのか?」

 祥子よりも前に出たはずの真澄が、何故一緒にいないのかが、少しだけ気になった。祥子が、危険を冒してまで沙織を待つという事は、3人はそれくらい仲が良いという事だろうに。真澄は祥子を待っていなかったのだろうか?

「分からないの……私が出てきた時には、いなかったから……他のとこから出て行ったのかも……」

 祥子はそう言って、悲しそうに俯いた。大介はそれを慰める気なんかはまるで無く、

「なんで俺の背後に――」

と質問しながら、祥子の足元を見た。祥子の履く革靴が、さっきの乾いた足音の正体だろうと考えた。

「あの……私、よ、吉田くんと最後に話がしたくて……あの……私、本当は、ずっと吉田くんの事――」

 大介はポカンとした顔で、祥子を見つめる。口元に手を当てて、なにやらもごもごとしている祥子。何を言っているのか、大介にはよく分からなかった。つまり祥子は、自分の事を好きだと言っているのだろうか?最後にそれだけ言いたかったと?大介の思い出す限り、祥子と自分が話した事など、ほとんど無いはずだった。いわゆる“いじめっ子”である自分を、祥子は避けているようにも見えたから。

 まだ理解出来ない大介に祥子はサッと近付き、いきなり唇を重ねてきた。そして、口の中に入ってくる異物――

「っ!?」

 大介は驚いて祥子を突き飛ばす。

「な、何をっ――!?」

 大介が口の中に残るそれを舌で探ると、何かカプセルのようなものだと気付いた。半分溶けかけているそれは、徐々に形を失っていく。

 瞬間、目の前がくらくらした。目眩と、吐き気と、それから――

「私、ずっと吉田くんの事、馬鹿だと思っていたけど。本当に馬鹿ね」

 祥子の言葉が、頭の中でぐるぐると回る。大介は必死で銃口を祥子に向けようとしたが、熱いものが込み上げて来て、血の塊を吐いてしまった。苦しさと、痛み。

「がハッ……っ」

 こんな所で死ぬわけにはいかない。まだ死ねない。だってまだ、何もしていない。しておきたかった事がある。誰にも分かってもらえなくても。だから……

 大介はガクンと膝をつき、自分を見下ろす祥子を睨みつけた。

 言いたかったのに。言っておきたかったのに……最後に一言だけでも。

「……っ……わ……」

 最後にしておきたかった事、何も出来ずに。

 大介は、その場に倒れた。

「最初に私を見たその時に、撃ち殺しておくべきだったんじゃない?」

 くすっと祥子は笑って、ハンカチで口元を拭う。一つしかない“武器”を、どうやって使うか、祥子は必死で考えていたが、すぐに銃を持った人間が出て来たのは幸運だった。

「せめてすぐに吐き出せば、助かったかもしれないのにね?」

 そうされたら、やられていたのは祥子の方かもしれなかった。いくら、自分の口の中である程度カプセルを溶かしていたとしても、限界はある。これは、賭けだったのだ。そして、祥子はその賭けに勝った。運は自分に味方している。生き残るチャンスがある。

 しかし、その場で次の獲物を待ち伏せしている余裕がない事を、祥子は分かっている。大介の銃を奪い取ると、祥子はすぐに学校から離れた。

 

 やる気だと宣言した晃が、どこに潜んでいるか分からないのだから――

 

 

【残り19人】

 



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