先手

 

 

 今日の体育は、サッカー。

 ――全くもって、どうかしている。

 昨日は大雨だったというのに。

 グランドは、雨でぐちゃぐちゃになっているというのに。

 女子が体育館を使うからといって、何故男子が犠牲にならなければならないのか。

 新井田和志は、そんな事を思いながら、視線は別の所に向け、とろとろと着替えていた。

 サッカー自体はかまわない。

 何せ、自分はサッカー部員。

 他の奴等よりも上手くこなせる自信があったし、目立つのは、嫌いではなかったから。

「何やってるんだよ、新井田。もうすぐチャイム鳴るぞ?」

 男子には、女子と違い、更衣室なんてものがない。

 教室の自分の席で着替えていれば、出席番号順のこの席では、必然的に秋也を視界に入れながら、という事になる。

 その秋也が振り返り、まだ着替え途中の和志に声をかけた。

「げ。マジで?」

 慌てて着替えを再開すると、秋也が笑う声が聞こえる。

「慌てるくらいだったら、最初からさっさと着替えれば良かったのに」

 そんな声を聞きながら、和志は何も言えずにいた。

(お前に見とれてた、なんて、死んでも言えるかよ……)

 例えば、うちのクラスの三村信史なら、そんな事も簡単に言えるかもしれない。

 むしろ、楽しそうにそう答えるのだろう。

 けれど、和志には言えなかった。

 ――秋也を好きだという事は、伝えてあるのに。

 そればかりか、秋也も自分を好きだと、言ってくれているのに。

 なのに、何も無い。

 両思いだということは分かっているのに。

 “しない”のではなくて、“出来ない”。

 和志は、自分がこんなに勇気がなかった事を、初めて知った。

「だから、七原は苦手だ……」

 ボソッと、つぶやく。

 自分を狂わせる。順調だったはずの、自分の人生を。

 狂った事を困っていたりもしないから、それが一番怖い。

 自分が、どこまでこの七原秋也という人間に、狂わされていくのか。

 怖くもあり、楽しみでもあり……

 

 

「うわ、ホントにぐちゃぐちゃじゃん」

 グランドに出た瞬間、秋也はそう言って、嬉しそうに走っていく。

「おい、七原っ!」

 何がそんなに嬉しいのか。

 まるで犬のようだと、和志は思った。

(あぁぁ、あんなに泥はねて)

 本当に、放って置けなくなる。

 何度も転びそうになって、こっちはハラハラしっぱなしだというのに。

 そんな事を気にもせず、無邪気に駆け回る秋也。

 思わず、和志の頬が緩んだ。

「何を笑ってんのかな?新井田クンは」

 厭味な声は、真後ろからした。

 振り返らなくても分かる。

(この声は、間違いなく三村だ)

「七原に見とれてたわけ?」

 和志は振り返り、信史を睨みつける。

 信史は睨み返すような真似はせず、不適に笑って見せた。

「隠さなくたって良いだろ。俺は七原の友達だぜ?全部、知ってるんだからさ」

「何をだよ?」

 内心ドキドキしながら、和志は言う。

 自分と秋也の事は、誰にも秘密なはずだった。

 しかし、秋也が信史に対して、何か言ったのかもしれないとも考えた。

 和志の動揺を分かっているかのように信史は笑って、ひと言。

「――七原を泣かせたら、お前、殺すよ?」

 いつもの口調。いつもの声。いつもの態度。

 けれど、ぞっとするような、信史の視線。

 和志は息を呑んだ。本気だという事くらい、すぐに分かった。

 信史はフッと笑い、和志を置いて歩き出す。

「っ……言われなくたって……」

 その背に向かって、和志は泥を蹴り上げた。

「誰が泣かすかよっ!!」

 それで滑って転びそうになったのは、まぁ、ご愛嬌。

 

 

(だから、こんなグランド状態でサッカーなんて嫌だったんだ)

 和志はムスっとしながら、前方を歩く秋也の背を見ていた。

 よせば良いのに、本気になって。

 ボールを追い掛け回して、スライディングまでした。

 さらさらの髪も。キレイな肌も。全部泥まみれ。

 秋也本人は、そんな事、気にも留めていないようで。こっちがイライラした。

 笑いながら、弘樹達と話をしている。

「七原!」

 耐え切れなくなって、和志は声をかけた。

「何?」

 泥の跳ねた顔のまま、秋也は振り返る。

「どうすんだよ、そんなに汚れて。そのまま校内に上がったら、先生にとっ捕まるぞ」

「あぁー……大丈夫、大丈夫!何とかなるって」

 何の根拠も無い自信。

 和志はつい、秋也の腕を引っ張った。

「新井田?」

「シャワー室行くぞ。とにかく洗え!」

 次の時間も授業だと、分かっていながらそう言った。

 完全に遅刻するだろう。

 それでも、泥だらけの秋也を放って置けなかった。

「え?良いよ。シャワー室って、授業の時は使っちゃいけないはずだろ?」

「良いからっ!」

 半ば強引に、秋也を引っ張っていく。

 信史のからかうような視線を感じたけれど、そんな事はどうでも良かった。

 

 

 秋也に無理矢理シャワーを浴びせ、その間に和志は自分の部室から、タオルとジャージをとって来た。

 本当は制服があれば良いんだろうけど、教室に戻ったら、その場で先生に捕まるだろう。

「七原?まだ浴びてんのか?」

 戻ってくるまでには終わっているだろうと思っていたのに、シャワー室からはまだ水音がしていた。

「七原?」

 聞こえないのかと、近付いた瞬間に、シャワーの音は止まった。

「新井田、タオル貸してー!」

 和志がほら、と差し出すと、秋也の濡れた手が伸びて、差し出されたタオルを掴む。

 つい、ドキッとしてしまった。

 考えてはいけないと思うのに。秋也がどんな格好でいるかなど。

(ヤバっ……)

 赤くなる顔を抑えながら、和志は近くにある椅子に腰掛けた。

「サンキュ」

 そう言いながら出て来た秋也に、和志はギョッとする。

 そりゃ、今までシャワーを浴びていたわけだし。

 そんな格好も、無理はないのだろうけど。

 腰に巻いた、タオル一枚。

 それで理性を保てと言う方が、どうかしている。

「七原、そこ、着替え」

 必死で目を逸らしながら、和志は言った。

 平然とした態度を装ったつもりだけど、声が上ずってしまった事を、秋也は気付いただろうか。

 結局、何もする勇気がないからこそ、自分と秋也はこういう関係なのだ。

 想いを伝え合ったのに、何も無い。

 どうにかしたいのに、どうにも出来ない。

 秋也はさっさと和志のジャージを着て、頭にタオルをかぶせた。

 和志が、やっと秋也に目を向けると、秋也はジャージの匂いを嗅いでいた。

 まるで、犬のよう。

(あ、え?もしかして、臭かったとか……???)

 そうだとしたら、最悪だ。

 無理をしてでも、教室まで行って制服を取って来れば良かった。

 和志がドキドキしながら秋也の行動を見ていると、彼はその視線に気付き、顔をあげた。

 視線が、交わる。

「新井田の匂いがする」

 秋也はそう言って、笑った。

 一気に、上昇する体温。

「七原……っ」

 抱きしめたくなった。抱きしめようと思った。

 けれど、その前に。

「新井田、ありがとな」

 秋也がそう言って、和志に近付いた。

 頬を掠める、やわらかい唇の感触。

「――っ!!?

 和志は何が起こったのか分からず、凍りつく。

 それを見て、秋也はくすくすと笑っていた。

 

 たしか、そう。想いを伝えた時も。

 言おうと思ったのはこっちなのに、結局先に言われた。

 

 何もかも、先を越される。

 こっちがどうしようか戸惑っているうちに。

 少し悔しかったので、和志は秋也の唇にキスをした。

 そうしたら、笑って、ぎゅっと抱きつかれた。

 和志は、思わず苦笑する。

 

 

 敵わないんだよな。こいつには……

 

 

『七原っ、俺……!』

『俺、新井田のこと好きだ』

『え?あ……お、俺も……』

 

 

END.

 


1615HIT(新七キリ番)の、池捺さとし様のリク。
『新七(←基本)で、新井田がイイ思いをする体育の時間のお話』
という事でしたのですが。がっ!どこに体育が…?(汗)
明らかに、体育の時間の前と後の話になってます…
そして、やたらめったら情けない新井田…
特別待遇の三村など…
こんなんで良かったでしょうか…?
さとし様の新七を見てからというもの、新井田が可愛く見えて仕方なかったのです。
あんな感じを目指して〜…と思ったのですが(身の程知らず)
うぅ…では、こんな駄文ではありますが、さとし様に捧げます。
ありがとうございました〜!