バカ

 

 

 最初は、名前すら知らなかった。

 あいつの名前を俺は知らなかったし、俺の名前もあいつは知らない。

 そんな出会い。

 

 

「何でお前がここにいるんだよ」

 充の不機嫌そうな声に、竜平はニヤリと笑って、タバコの煙を吐いた。

 昼休みの、屋上。

 と言っても、もう授業が始まる寸前なので、他に生徒は見当たらない。

 フェンスにもたれて、何やら難しそうな本を読んでいる桐山と、その傍でタバコを吸っている充。それから、当然のようにそこにいて、充から奪ったタバコを咥え、博に火を借りてそれを吸う、竜平達の他には、誰も。

 充の顔には痣が残っているし、竜平の口元の傷も消えてはいない。

 二人が路地で殴り合いをしたのは、つい先日の事だった。それも、竜平が充に対し、一方的にケンカを売って。

 その竜平が、何故自分達――充と桐山の側にいるのか、充には分からなかった。

 まず、第一印象が最悪だ。出来る事なら顔も見たくないのに、だからと言って屋上から去るのは、逃げているみたいで嫌だった。第一、返り討ちにあったのは竜平の方なのだから、一緒に居たくないとは思わないのだろうか。

「別に?」

 特に理由はないと、竜平はタバコの煙を深く吸い込んだ。隣では博が複雑な表情でそれを見ている。

 二人を見れば、この間竜平とストリートファイトをした相手が、この沼井充だという事は一目瞭然で。

 しかも、どうやら竜平は充を気に入ってしまったようだから、タチが悪い。

 博が直接そう聞いたわけではない。けれど、分かるのだ。それなりに長い付き合いでもあるし。

「歪んだ愛情表現の仕方は、相変わらずだよなー」

 博がつぶやくと、それが聞こえたのか、竜平は思い切り蹴りを入れた。

 そんな竜平達の行動はお構い無しで、充は桐山だけを見ている。

 桐山が何も言わないから、充は竜平達に対して何もしない。

 それだけの事。

 それを横目で見ながら、竜平はイラついたようにタバコを揉み消した。

「桐山、だったよな」

 読書にふけっている桐山に声をかけ、竜平は立ち上がる。桐山は本に執着する事もなく顔を上げ、竜平の姿をその黒目がちな瞳に映した。

「ちょっと、ツラ貸せよ」

 桐山を睨みつけながら言うと、すぐに充が桐山の前に立つ。

「ボスに何の用だ」

 その目は今までとは違う目。出会った時に睨まれた、あの目とは違う目。

 自分にとって絶対の人である桐山に、誰も近付かせまいとする、忠犬のような目。

 ――その目は、違う。

「テメーには関係ねぇだろ」

 竜平の、冷ややかな目。博はそれに気付いて、竜平の腕を掴む。

「リュウ」

 少し厳しい声で、一言。博は竜平のブレーキ役。暴走しやすい竜平は、いつだって周りを考えずに突き進む。

「お前の犬はこう言ってんけど?どーすんだよ、ボス?」

 挑発するように、桐山を睨む。

 けれど流される視線。ちゃんと目を見て、睨みつけて。挑発しているはずなのに、流される。妙な感じ。

「ボス、構う事ないですよ!」

 充はそう言って桐山の方を向く。けれど、桐山は充を見ない。

 充の事も、竜平の事も。瞳に映しているだけで、見ようとしない桐山。

 気に入らなかった。

 

 

 

「ってぇ……」

 竜平は、口元の開いた傷に触れながら、顔を歪めた。

 完璧に開いてしまったそこからは血が流れ、竜平の指を赤く染める。

 そして、それをただ眺めている博の姿。

「……んだよ、その目は」

「別にー。馬鹿だなって思っただけ」

 充にやられたときよりもボコボコにされ、立ち上がる事すら出来ない竜平に向かって、博は大きく溜息をつく。

「だからあいつはヤバイんだっつってんじゃん。何いきなりケンカ売ってんだよ、バーカ」

「バカにバカって言うんじゃねーよ」

 竜平はそう言って目を閉じた。

 まぶたも切ってしまったのか、動かすだけでずきずきと痛む。

 まさかあそこまで強いとは思わなかった。桐山和雄。殺されるかもしれないと思った。恐怖を感じたわけじゃない。ただ、納得してしまっただけ。

 彼は強く、そして充はそれに従う犬。充にとって、桐山だけが唯一絶対の存在。

 そう。ただ納得してしまっただけ。

 それが、異様に悔しくて。

 悔しくて……

「リュウ、何考えてんの」

「……別に何も考えてねーっつの」

 頭に焼き付いて離れない。

 ぞくぞくする、あの目。

 

 

「バカだから考えらんねーんだよ」

 

 

To be continued…



そんなわけで、笹沼シリーズ第2話です。
充も馬鹿だと思うんだけど、私の中で一番の馬鹿は竜平かな、と。
悪い意味じゃなくて(悪い意味以外に何がある?)
そして、桐山とのケンカシーンカット(笑)
思わずカットしてしまうくらい苦手らしい…(汗)
だって、書けないじゃないですかっ!眼球飛び出すほど何したんだ、ボス!(漫画1巻より)