杞憂

 

 

「あ゛ーーー!!!」

「ぅわっ!?」

 突然耳元で出された大きな声に、七原秋也は驚いて体を震わせた。

「びっくりした!何?」

 黙って何か考えているのかと思ったのに。

 怪訝そうに、隣を歩いている新井田和志を見る。

 彼は両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、ぶすっとした顔をしていた。

「なんでもねぇよ」

「なんでもないのに大声?」

 首を傾げる秋也の仕草が、あまりに可愛くて。

 和志はその頭をぐしゃぐしゃと撫でたい衝動に駆られたが、その気持ちを押し込む。

 ここは天下の往来で、周りには下校中の生徒も何人かいるのだから。

 というか、場所がどこであろうと、そんな事は出来ない気がする。

 そんな気持ちも知らず、秋也は無邪気な顔で和志の顔を覗き込んできた。

 どきりとして、思わず顔を引く。

「ホント……犬っぽいよな、お前……」

「え?」

「いや。なんでも」

 犬っぽいと言われたせいか、2度もなんでもないと誤魔化されたせいか、秋也の顔が不機嫌そうに歪んでいく。

 これは、マズい。

 秋也を拗ねさせると、後で色々と大変な事になる事を、和志は知っていた。

「……いや、1年終わったなーと思って」

 無理矢理話を逸らそうとして、咄嗟に出た言葉。

 それはさっきまで自分が考えていた事だった。

 思わず話を元に戻してしまった事に気付いて、心の中で舌打ちする。

 しかもそれは、自分の気分を滅入らせるような事だった。

 そう。終わったのだ。1年。

 今日は修了式で、明日からは春休み。

「あっという間だったなー」

 秋也はそう言って、空を見上げた。

 1年前の事を思い出しているようだった。

「なんか良い1年だった!」

「お前に悪い1年なんてあるのかよ」

 どんなに悪い事も、ポジティブ解釈しそうなのに、と、和志は言う。

「ないかもしれないけど。

 でも、今年は良い1年だったんだよ。新井田にも会えたしさ」

 屈託のない顔で、秋也は笑う。

 可愛い。眩しい。嬉しい。でも言えない。

 和志は、「あ、そ」と呟いて、そっぽを向いた。

 どうしたって素直にはなれないのだ。

 自己嫌悪するほどに。

 けれど、秋也は気にしていないようだった。

 これが照れ隠しである事に、いい加減気付いたのかもしれない。

「あ゛ー……!」

 さっきよりも若干小さめの声を出して、和志はがしがしと頭を掻いた。

「新井田、それ、もしかして溜息みたいなもん?」

「……悪いかよ?」

 ぶすっとした顔のまま、和志は答える。

 どうにも自分は、嫌な事を振り払おうとする時に声が出てしまうらしい。

 叫びたい気分というのが、分かるだろうか。

「悪くないけど。何?なんかヤな事あった?」

「ない。けど、ある……」

「何それ」

 よく分かんない、と、秋也は笑った。

 ああ可愛い。やっぱり笑顔が一番だ。大好きだ。でも言えない。

 全く、もどかしい。

 付き合っている相手に対して、素直に好きとも言えないなんて。

「明日から春休みだし、いっぱい遊べるじゃん。先の事考えれば楽しいって」

 両手を広げて笑う秋也に、和志はつられて笑いそうになった。が。

「……先の事考えてヤな気分になってんだろーが……」

 独り言のような呟きは、秋也の耳にも届いたらしい。

「何?春休み忙しいとか?遊べない?」

 秋也の顔が、みるみる曇っていく。

 そんなに寂しいのか。自分と遊べない事が。

 そう気付いたら、ここは必死で否定しておかなければ、と和志は思った。

「や、遊べる。全然暇だし」

「じゃあ良いじゃん!」

 本当にころころ表情が変わる奴だと思いながら、和志は溜息をつく。

 今度は声を出さなかった。

「あー……」

 ……つもりだったが、やっぱり勝手に声が漏れた。

 全く全然ちっとも、考えていないんだろうな、と思う。

 不安になってるのは自分だけかと思うと、バカらしい。

「もー!新井田溜息ばっかり!何!?」

 これ以上秋也の機嫌を損ねるわけにもいかないので、和志は白状する事にした。

「……春休み、終わったらさぁ……」

「うん」

「終わったら……何があるんだっけ?」

 白状しようと思ったのに、なかなか自分からは言い出せない。

 そこが欠点である事も、自覚していたけれど。

「新学期」

「ああ」

「2年生!」

「ああ」

「修学旅行!!」

「じゃなくて」

「球技大会?」

「もっと前に」

「自己紹介?」

「もーちょい前」

「……ひょっとして、クラス替え?」

「アタリ」

 

 

 クラス替えが不安、だなんて。

 こんな気持ち、分かんないだろ?お前には。

 

 

「ヤなの?クラス替え」

 嫌だよ。そう思っても、「何で?」と訊かれるのが怖くて言い出せない。

 お前とクラスが別々になるかもしれないと思うと、不安でたまらない。

 傍にいられなくなるかもしれない事が、寂しくて仕方ない。

 そんな事を、素直に言える性格ならば、こんな苦労はしていない。

 和志は困った顔をして、頭を掻いた。

「ヤっていうか……あんま、楽しみではねぇな……」

「そっか」

 誤解すんなよ、別にお前とクラスが離れるかもしれないからだってわけじゃないからな。――そう言おうとして、和志は口を開く。

「実は、俺もヤなんだ。クラス替え」

 だが、それを言葉にする前に、秋也がしょんぼりとした顔でそう言った。

「新井田と離れるかもしれないのが、やだ……」

「っ……!」

 和志は言葉を失う。

 なんだってそう。

 なんだってそうお前って奴は。

 秋也は、自分が言えない事を平気で言う。

 和志が出来ない事を平気でする。

 そこも好きな部分ではあるけれど。

 これではあまりに情けなさ過ぎて。

「大丈夫だろ。多分。根拠はねぇけど」

 思わず、秋也を慰める言葉を口にしていた。

「そうかな」

「離れても、別に会えないわけじゃねぇしな」

 言いながら、気付く。

 そう。会えなくなるわけじゃ、ない。

 同じ教室にはいなくても、同じ学校にはいる。

 会おうと思えばいつでも会える。

 そりゃ、違う環境になって、違う友達が出来たりもするだろうけど。

 でも、心は離れない自信がある。

 口になんか出せないけど、そう、思う。

「俺、会いに行く!休み時間とか。だから平気だよな!」

 秋也は笑顔で言って、和志の腕に抱きついた。

「っ、おい……」

 人が見てるかもしれないのに。

 しがみついてくる力が、いつもより少し強い気がした。

 これは、不安の表れ?

「ちょっとは寂しくなるかもしんないから……」

「……ちょっとで済めば良いけどな……」

「ん。だからその分、春休み中にいっぱいシとこう?」

 満面の笑みで言われて、和志は思わず顔を赤らめた。

 無邪気に笑っていたかと思えば、いきなり思考がそっちへ飛ぶ。

 そんな秋也の言動に、慣れていたはずなのに。

 

 

 

 相変わらず、こいつには敵わねぇなぁ……

 

 

 

 2人の心配は、半月後、杞憂に終わる事になる。

 

 

 

END.



そういえば新七とか好きだったなーと思い、『先手』『クリスマスプレゼント』『手を繋ごう』を読み返した結果、異様に新七が書きたくなって、書いてしまいました。
こんなん書いてないでまともな37書けよって話なんですが。まぁ、気分なので(苦笑)

春ですし、クラス替えがある方もいらっしゃるでしょう。
私はクラス替えって大ッ嫌いでした。
そんな人にどんな言葉を言ってみたところで、心配や不安が消えるわけがないと、自分で分かっているんですが。
そこは愛で乗り越えて頂きたいと。
大人になると、段々ね。クラスとか学校とか職場とか変わっても、仲良い人は仲良いままだったりしますけどね。
私は高校くらいでやっと、クラス違っても平気だったなぁ。
お昼とか、自分の教室で食べなくても良かったからかもしれないですね。
中学までは、他の教室に入るって事に凄く抵抗がありましたもん。(っていうか、入っちゃいけないって言われてた気がする…)
新生活って難しいですよね…
頑張れ…!!