かさぶた

 

 

「痛っ……」

 思わず声を上げた秋也は、自分に向けられた視線に気付く。

 どうした?という表情で。

 信史が見ていた。

「あ、いや、なんでも……」

 慌ててそう言うと、手に持ったパンにかじりついた。

 ちょっと遅めの昼食を、2人で食べている。

 屋上で。

 原因は、4時間目の体育。

 次が昼休みという事ではしゃぎすぎたのか、教室に戻るのが遅れた。

 

 いや、だって、それは仕方ない。

 体育の授業が、バスケだったのだから。

 

 信史は追求せずに、ジュースを一口。

 運動した後だからか。

 信史らしい、スポーツドリンク。

 それを見て、秋也は思わずふっと笑ってしまった。

「……何」

 目だけを秋也に向けて、信史が一言呟く。

「や、なんでもないっ……」

 わざとらしく視線を逸らして。

 そっと信史の顔を覗き見る。

 すでに、秋也からは視線が外されている、その顔を。

 じっと見つめて、なんだかもどかしい気持ちになったり。

「七原」

 今度は、秋也の顔を見ずに一言。

「言いたい事があるなら、言え」

 少しだけ、イラついたような声。

 怒らせたかな、と思いつつ、秋也は口の中のパンをゆっくり噛んで、飲み込む。

「……カッコ良いなぁと、思って」

 信史は、自分のパンを食べながら、小さく溜息をついた。

「そういう事、言うなって、言っただろ」

「あっ、違う違う、そーいう意味じゃなくて。

 ただ、うん、カッコ良いって、綺麗だなって、思って……」

「そういう意味じゃなくても。

 お前が言うと、洒落にならない」

 信史に目を伏せてそう言われると。

 何も言い返せなくなった。

「……ごめん」

 謝るような、事ではないのかもしれない。

 普通の関係なら。

 普通の、友達、なら。

 

 

 もどかしいなぁ、と、思う。

 中途半端な、この距離が。

 一時期は、あんなにも。

 

 

「っつ……」

 小さく上げた、苦痛の声に。

 信史は今度こそ、秋也の顔をちゃんと見て。

「どうした?」

 もう誤魔化せないか、と、観念した秋也は、捲くっていた袖口から、腕を見せた。

 少量の血が、そこから出ている。

「怪我し……」

「かさぶた。剥がしただけ」

 それを聞いて、信史は深く溜息をついた。

「あのな」

 言いたい事は、分かる。

「何で、治りきる前に剥がすんだよ」

 ガキじゃあるまいし、とでも、言いたげに。

 秋也は苦笑しながら、答えた。

「かさぶたって、剥がしたくなるだろ?」

 

 

 放って置けば、いずれは治る、その傷を。

 わざといじって、出血させる、行為。

 

 

「マゾか、お前は」

 呆れたように信史が言って、ポケットを探った。

「ほら、絆創膏」

 差し出されたそれを、秋也は不思議そうな顔で見る。

 何でそんなものが、彼のポケットに入っているのか。

「前に怪我した時」

 これな、と、腕を見せながら。

 秋也の疑問に答えるように、信史は口にする。

「彼女に貰った」

 信史の彼女。

 秋也も知っている。

 どんな子かまでは知らないけれど。

 付き合っている人がいるという事は知っていて。

「じゃあ、いらない」

 秋也は笑顔で断った。

「七原」

「三村、それ、俺に対する嫌がらせ?俺が」

「それ以上、言うな」

 

 

「俺が三村の事好きだって、知ってるくせに」

 

 

 信史は目を伏せる。

 差し出した絆創膏の、行き場所がない。

「……言わないって、言っただろ」

「言わないなんて、言ってない」

「俺が頼んだ」

「約束したわけじゃない」

「七原」

「何で。何で好きだって、言っちゃいけないんだよ」

 溢れそうになる。

 怒りに似た、悲しみという感情。

「俺は、お前の事そういう風には見れない」

「だからって!」

 

 

 だからって、俺の気持ちまで、否定すると言うの?

 

 

 苦しそうな、信史の顔。

 おどける事も、冷たくする事も出来ない。

 相手は真剣なのだから。

「……その話は、散々した。どうにもならないって、ケリついただろ。諦める努力するって、言っただろ?」

「してる。してるさ!してるけど!!」

 だけどどうしようもないって、それも分かっているのに。

「あの時はっ……!!」

 はっとして、自分の口を抑える。

 

 言ってはいけない約束を、した。これだけは。

 

「……ごめん」

 秋也は謝って、パンを口に運んだ。

 食べている間は、何もしゃべらなくて済むから。

 信史は、少し迷ってから、秋也の手の届く所に絆創膏を置いた。

「もう、剥がすなよ」

「だって、剥がしたら治ってるかもしれないじゃないか」

「自然に剥がれるもんなんだよ。そういうのは」

「早く治したかったんだ。早く、前と同じになりたかったんだよ」

「傷付けば、跡が残るんだ。全く同じになんて、戻らない」

 

「戻らない、のかよ……?もう……」

 

「……ああ」

 視線を逸らして、そう答えた。

 慰めたくなる気持ちを、押し込んで。

「なかった事になんて出来ない。する必要もない。

 お前は、お前自身を否定しなくて良い」

 だけど、と、続けた。

 

「傷を抉るような真似は、するな」

 

「傷跡が深くなるだけだ」

 

「じゃあ、どうしたら」

 泣きそうになりながら、それでも笑顔を作って。

 自分を見てくれない信史に向かって、問う。

 

 

「どうしたら、忘れられる?」

 

 

 一度つけてしまった傷を、完全に癒す事が出来ないのなら。

「ここに傷がある事を、どうやったら忘れられる?」

 見る度に思い出せと、そう言うのか。

「忘れたいなら、もう、見ない事だ」

 信史はそう言って、立ち上がる。

 座ったままの彼に視線を送る事もなく、屋上を後にした。

 残された秋也は、じっと、コンクリートの床を見つめて。

 涙を零した。

 どうして。

 どうして。

 傷付くと分かっているのに、触れてしまうのだろう。

 自分の傷は、まだこんなにも癒されていないのに。

「それでも俺はっ……三村が好き、なんだよっ……」

 

 

 

 信史は、屋上への扉の前で、天井を見上げた。

 思い出したように、自分の傷に触れ、かさぶたを引っ掻く。

 治りきっていないそれは、皮膚の下から赤い液体を溢れさせた。

 いっそ共に堕ちて行けたなら、どれだけ幸せか。

 けれど出来ない。

 出来ない。

 自分さえ彼を傷付け続けていれば。

 自分が、彼を受け入れさえしなければ。

 彼はまだ、まともでいられるのだから。

 どれだけ傷が疼き、熱を持って膿を出そうとも。

 傷付ける事を、やめてはいけない。

 

 

 それが、一度でも彼を受け入れ、抱いてしまった自分への罰。

 

 

 自嘲気味な笑みを浮かべ、額に手を当てる。

 ああ、好きだった。

 好きだったさ。

 俺も。

 だから受け入れた。

 欲に流されて。

 けれどそれが、失敗だった事に気付いた。

 何もしなければ、身近な同性に対する憧れで済んだかもしれないのに。

 まともでいられたかもしれないのに。

 

 

 

 傷は跡になり、いつまでもそこに傷があった事を示すのだろう。

 けれど。

 けれどそれは、時が経つにつれ、少しずつでも薄くなっていく。

 だから七原。

 どうかその傷に、もう触れないで。

 

 

 

 代わりに俺が。

 このかさぶたを、いつまでも剥がし続ける、から。

 

 

END.



すっごく久しぶりに、まともに37を書こうと思ったら、七原の片思い話になってしまって。
いかーん!37にしなきゃー!と、軌道修正したらこんな話に。
ちょっと分かりにくいかもしれないな、と、反省しております。
簡単に説明するなら…(あとがきで解説入れなければ分からないような話を書くな)
七が三に告白→三が受け入れる→やっぱりこんな関係はマズいと思い、七をフる→友達に戻りましょう、となる→三、彼女を作る→冒頭。
こんな感じでしょーか。長編に、しようと思えば出来る話…でも、泥沼化するから嫌…

彼らの性格が、どんどん分からなくなってきた今日この頃。
いい加減に原作を読み直そうかと考え中です。

それでも37が、好きだと思う。