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感情 何かを、期待していたわけじゃない。 こんなのは異常だって、おかしいんだって、何度も思った。 それじゃ、自分は想いを伝える事さえ出来ないと。 ただ、今の関係が壊れる事を恐れていた。自分の気持ちに嘘をついてでも、今のままでいたかった。側にいたかったから。大切だったから。 離れる事が、出来なくなっていた。いつのまにか、大切な、自分の中の一部となっていたのかもしれない。想う事だけで満足は出来なかったけれど。 神様、教えてください。 誰かを愛する事は、罪なのでしょうか―― 「七原、何か良い事あった?」 休んでいた分のノートを見せてもらいながら、杉村弘樹が言った。秋也がまともにノートをとっていた事は意外だったが、そこにはあえて触れないようにする。 「え?何で?」 (何でって、そりゃあ……) 弘樹はチラッと秋也の顔を見た。この間のボーっとした顔じゃない、明るい顔。それはそれで弘樹には気になった。 (まあ、理由は大体分かるけど) 「いや、楽しそうだからな」 「そうか?変な事言うな、杉村って」 可笑しそうに笑いながら、秋也は一瞬、視線を別のところに向けた。もちろん、弘樹がそれに気付かないわけはない。 (分かるって。その先に誰がいるのかも、ばっちりと) 「なんだ?七原、楽しそうだな」 秋也の視線を受けた男が、何食わぬ顔で近付いてくる。秋也はちょっと顔を赤らめて、男を見上げる。 (あのなぁ……) 弘樹は頭を抱えたくなった。自分が休んでいた間に何があったのかは知らないが(知りたくない気もする)、その反応を見れば一目瞭然だ。 「なんだよ、杉村、七原のノートなんか写してるのか?」 信史はそう言って、近くの席に座る。秋也はそんな信史を感心したように見ていた。 (何でこいつ、こんなに普通に出来るんだろう?三村って、やっぱ、慣れてるんだよな、ああいう事。だからか?あんまり普通だと、昨日の事が嘘だったように思えてくるなぁ) 昨日、そう、昨日は、秋也と信史にとって特別な日だった。あの後も、秋也は目がさえてしまって、眠れなかったというのに。(それは信史も同じなのだが) 信史は秋也の気持ちに気付いたのか、にやっと笑って片目を閉じた。 (ああ、やっぱり、夢じゃなかったんだな) 秋也がほっとしたように笑うのを見て、信史は抱きしめたくなってしまった。 (ホント、七原って可愛いよな。ここが教室じゃなく、他に誰もいなかったら、間違いなく抱きしめてるんだけど) 当然、弘樹はそんな二人のやり取りに気付いている。 (お前ら、いい加減にしろよ……?) ずいぶん前から気付いていた。お互い、“好き”なんだろうなという事は。それが、友情ではないだろうという事も。それが、どうやら通じ合ってしまったらしい。 (まぁ良いけどな、別に。お前らが友達である事に、変わりはないんだから) いらいらいらいらいらいらいらいら (まったく、信じられないっ!) 気持ちが興奮するにつれて、足取りが速くなる。家には帰りたくないし、かと言って行く所もない。さっきから何度もこの公園の前を通った。 (おにいちゃんたら、節操ないんだからっ!!) 三村郁美はそう思いながら、学校帰りを遠回りして歩いていた。 兄の信史が昨日帰ってきたのはいつもよりかなり遅れた時間だった。 帰って来た時のあの機嫌の良さ。 郁美には分かる。ずっと兄を見てきたのだ。あれは間違いなく何かあった。しかも、郁美にとって、とても気に喰わない、何かが。 (豊くんの方が、絶対おにいちゃんに合ってるのに!) 初めて秋也を見た時から分かっていた。 その時の信史は、まだ秋也に恋心を抱いてはいなかったかもしれないけれど、郁美には分かったのだ。 「あぁ、おにいちゃんはこの人を好きになる」と。 それが、友情よりも深い感情であるだろう事も、郁美には分かっていた。女の直感というやつだろうか。 (何で?何で、シューヤくんなの?) このまま帰らなかったら、信史はきっと心配するだろう。郁美はそれでも、歩き続けた。 (心配すればいいんだわ、おにいちゃんなんか!) そして、見つけてしまった。今、一番会いたくない人の姿を。 (何で!?) 神様は自分に対して意地悪なのだと、郁美は思った。 「あれ?郁美ちゃん?」 それは、買い物のために信史よりも先に学校を出た、七原秋也だった。目当ての物はあったらしく、手に袋をぶら下げている。 「……シューヤくん」 郁美が嫌そうな顔をしたのを、秋也は気付いたけれど、知らないふりをした。 あたりはもう陽が落ち始めていて、暗くなってきていたから、このまま郁美を放っておく事は出来なかったのだ。例えそれを郁美が望んでいなかったとしても。 「こんな時間に何してるんだい?」 努めて明るく尋ねたつもりだが、郁美はフンと秋也から目をそらした。 「シューヤくんには関係ないでしょ」 (嫌われたものだなぁ……) 秋也は、郁美が自分を嫌う理由が分からなかった。それでも、このままハイそうですか、とは言えない。 「でも、もう遅いし……みむ……お兄ちゃん、心配すると思うけど」 恐らく、三村家で一番郁美の事を心配するであろう信史の事を言うと、郁美は少しだけ肩を震わせた。 信史も今ごろは部活が終わり、帰るところだろう。家に帰って郁美がまだ帰っていない事を知ったら、きっと心配する。 「ばっかじゃないの」 郁美は言った。 「心配なんてするわけないじゃない。私はもう子供じゃないのよ」 秋也には何故だか、それが嘘である事が分かってしまった。普段はこれでもかというくらい鈍感なのにもかかわらず。 (心配して欲しいんだな。そんな事しなくても、三村は大丈夫なのに) 「するよ。心配」 絶対に、と秋也は言って、郁美は彼の考えを変える事は不可能なのだと知った。 公園のベンチに無言で座りながら、二人は時間をつぶしていた。 「ねぇ」 沈黙に耐え切れなくなったのか、郁美は秋也の方は見ずに声をかける。 あたりはいつのまにか真っ暗になってしまい、ひょっとしたら慶時も、秋也を心配しているかもしれなかった。 「何でシューヤくん、ここにいるの?」 「郁美ちゃんがここにいるからかな」 秋也は当たり前のように答え、「寒い?」と、郁美に尋ねた。郁美は首を振り、また黙り込む。 (お人好しなのよね、つまり。それとも、私に取り入っておにいちゃんともっと仲良くなる気かしら) 実際、いたのだ。そういう女は。郁美は相手にもしなかったし、信史だってそういう女は嫌だったようだけど。 (だから、そんなの無駄なのよ?私はおにいちゃんとの仲を取り持ったりはしないから。それとも、他に何か?ううん、あるわけない。だって――) 「シューヤくん、賭けをしようか?」 郁美が突然そんな事を言い出したので、秋也は郁美の方を見た。郁美は笑っていた。やはり兄妹なのか、信史の笑い方に似ていた。 何か良い事を思いついた時、信史はこんな笑い方をする。 「賭けって?」 (突然こんな事を言い出すところまでそっくりだな) 秋也はそう思いながら首をかしげた。 「おにいちゃんが心配して探しに来るかどうか」 「そんなの、賭けにならないだろ。それとも、郁美ちゃんは来ないほうに賭けるの?」 「違うわよ」 郁美は言った。 「おにいちゃんは、どっちを探しに来るか。私?それとも、シューヤくん?」 挑発的な目だった。とても小学校六年生だとは思えない。こういうのをませているというのだろうか。 「どう?」 「いいよ」 秋也は、笑って頷いた。 (それでも、賭けにはならないと思うけど) 「まだ帰ってない!?」 妹が帰っていない事を知り、信史は思わず大声を上げた。時計はすでに九時を回っている。 信史は帰りに豊の所に寄って来たため、こんな時間になってしまったのだ。 考えるまでもなかった。探しに行くに決まっている。 そこで、電話が鳴った。玄関先にある電話は、音が良く響く。 「もしもしっ!?」 もしかしたら郁美かも知れないと思いつつ、信史は受話器をとった。 『もしもし、三村?』 声で分かる。これは国信慶時の声だ。 「何だ?ちょっと、俺今忙しいんだけど」 少し苛々しながら、信史は言う。 『あ、ごめんな。あのさ、秋也、そっちに行ってないか?』 「七原?帰ってないのか!?」 今日はたしか買いたい物があるからと、信史を置いて先に帰ったはずだった。 (なのに、まだ帰っていないだと?) 「分かった。ついでに探してやる」 信史はそう言うと、乱暴に受話器を置いた。 (まったく、どいつもこいつもっ!) 空気が、どんどん冷たくなっていった。 「寒くない?」 秋也がまた尋ねると、郁美は「平気よ」と、強がって見せる。体が震えているのは確かだった。 (こんな事をしても、郁美ちゃんは嫌がるかもしれないけど) 秋也はそう思いつつ、学ランを郁美の肩にかけた。 「平気だってば」 「でも、もし風邪でもひいたら、三村は心配すると思うけど」 郁美はしばらく考えていたようだが、結局好意に甘える事にしたようだ。すごく小さい声で、「ありがとう」と言っていた。 (分かってるのよね。シューヤくんが、こういう人だって事は。うん、分かってた。私って、嫌なコなのかしら) 「シューヤくん……」 郁美が何かを言いかけた時だった。 「郁美っ!!」 声が、響いた。人気のない公園で。それは、木々のざわめきなどではないはずだった。 聞き慣れた、その声は。 「おにいちゃんっ!!」 自分でも、驚くほど泣きそうな声だった。 信史は今までずっと走り回っていたのだろう、汗を流しながら、郁美に駆け寄って来る。 「馬鹿やろうっ……心配させやがって……!」 郁美を抱きしめて、信史は想いを吐き出す。 信史の身体が、凄く熱くて。 乱れた息が、どんなに自分を心配していたかを、如実に語っていて。 「ごめんなさい……ごめんなさい、おにいちゃんっ……」 郁美は、泣いていた。涙が次々に溢れてきた。 泣いていると自覚したら、余計に止められなくなった。信史はそんな郁美の背中をなでてやり、落ち着くまでそうしていた。 「七原……」 しばらくしてから信史がそうつぶやくと、郁美はフッと顔を上げる。涙はいくらか止まったようだった。 「私の勝ちだね、シューヤくん。おにいちゃんが探してたのは、シューヤくんじゃなくて、私だったのよ」 悔しそうな秋也の顔が見える……はずだった。 秋也は、笑っていた。 (何?何なの?その笑顔は。もっと悔しがってよ。悔しいでしょう!?悲しいでしょう!?) 郁美には、その笑顔の意味が、分からなかった。 「いいんだ。妹を放っておいて俺に駆け寄るような奴、好きになった覚え、ないから」 秋也は平然とそんな事を言う。 (……かなわない……) 郁美はまた、泣いていた。 だって、分かってたわ。最初から。 シューヤくんは、おにいちゃんしか見ていないんだもの…… 敵わないわよ、おにいちゃんには。 叶わないの、私の想いは―― 貴方達の想いは、異常なのに…… 『FIRST』シリーズ第6弾。 |