イルカ

 

 

 声が、聞こえた気がした。

 

 

(そろそろかな)

 秋也は時計を見ながら、そんな事を考える。その瞬間。

「なっなはっらくーん、あっそびっましょー♪」

 慈恵館で子供達と遊んでいる秋也の耳に、声が届いた。この浮かれた馬鹿な声にはよーく聞き覚えがある。

 秋也は、思わず笑ってしまった。

(すげ―、タイミングの良さ)

 毎週日曜日の朝、大体同じ時間に、彼はここに来る。

 そして、もしかしたらそれを待っているのかもしれない自分に気付く。

「秋也、お客さん」

 慶時の声に、秋也は「分かってる」と答え、外に出た。

(さあ、今日はどんな誘いをしてくる気だ?)

 この間の日曜は、「泳ぎに行こう」と海に誘われた。

 その前の日曜は、「デートしよう」と映画に誘われた。

 その前の日曜は、「泊まりに来いよ」と誰もいない信史の家に誘われた。

 その前は――思い出すのもおぞましい。とにかく、ここ数週間、毎週日曜日になると、この男はやってきて秋也を連れ出そうとするのだ。もちろん、何だかんだと理由をつけて、秋也は誘いを断っている。

 それなのに、彼はめげる様子がない。何度断っても、こうして毎週やって来る。そういうところが、“らしい”と言えばそうなのだが。

(さて、今日はどんな断り方をしようかな)

 秋也の中には、信史の誘いを受けるという選択肢はなかった。誘われる前に、断り方を考えてしまう。

「三村ぁー……あのさ……」

「水族館に行こう」

 秋也が断る前に、信史はにっこり笑って言った。

「?――水族館?」

 珍しくまともな場所だった。いや、いつもまともな場所かもしれないが、彼の場合、常に下心があるのだ。

 海に行きたいのは、「七原の水着が見たいから」だったし、映画は「暗闇に二人きりでいたいから」だったし、誰もいない家に誘うのは……まァ、言うまでもない。

 今回は下心もなさそうだ。水族館なんかでめったな事は出来ないだろうから。

 秋也の心が揺れる。

(なんだ、三村の奴、やっと分かってきたんじゃないのか?ひょっとしてこの間の時、しばらく無視してやったのが効いたのかな)

 もちろん、そんなはずはない。信史の深い企みは、秋也には想像もつかないものだった。

 信史なら、「企みだなんてとんでもない。考えすぎだぜ、ベイビ」などと言ってごまかすだろうが。

 何より、秋也は水族館が結構好きだったりするのだ(それも企みのひとつ)。

「水族館かぁ……まァ、それなら、いい、かな」

 そう言ってしまったが為に、秋也は信史に腕を引かれ、引きずられるように歩かされた。

「よし、決まり!さー、行こう!」

「ちょっ……待てよ、三村っ!俺、金持ってこないと!」

 何せ断るつもりだったのだから、秋也は何も持ってきていない。

「何言ってんの、七原クンたら。俺におごらせてほしいなぁ、そのくらい」

「えぇ!?そんなの、悪いだろ?」

「いいからいいから」

 秋也の言葉に聞く耳を貸さず、信史はさっさと歩き出す。

(そうそう、いいんだって。七原にはちゃぁんと“御礼”してもらうんだからな♪)

 前を歩く信史の顔が妙にニヤニヤしている事に、秋也が気付くはずはなかった。

 ――合掌。

 

 

 

 薄暗い通路の両側には、天井まで届く水槽が所狭しと並べられていた。

 揺らめく水に反射する光が体に映って、まるで海の底にいるかのような錯覚に陥る。

 彼女と二人で訪れたなら(もちろん、そんなものがいればの話だが)、ロマンチックなムードになる事間違い無しのこの空間。実際、何組ものカップルがうっとりとした表情で名前すら知らない(興味のない?)魚達を眺めている。

(あんた達の目に映っているのは魚じゃなくて隣にいる人間だろ?)

と、信史は思った。

「三村、三村っ!」

 そんな信史も、はしゃいでいる秋也しか目に入ってはいないのだが。秋也はぺたっと水槽に手をついて、信史を呼んでいた。

「何?」

 頬の筋肉が緩むのを信史は感じていたけれど、なるべく顔には出さないようにして秋也に近付く。秋也は水槽に視線を注いだまま、「すげー」だの「おお!」だのと歓声を上げていた。

(今、呼ばれなかったっけ?俺)

「……七原クン、そんなに魚ばっかり見つめてると、さすがに妬けるんですけど」

 信史の声に秋也は振り返り、笑いながら言う。

「連れて来たのお前じゃん」

 また「馬鹿」とか言われると思っていた信史は、予想外の反応に一瞬言葉を失った。

 こんな風に笑ってくれるのなら、ここを選んだのはやはり間違いではなかったらしい。

 信史は情報提供をしてくれた友人を思い出した。

『七原は魚とか見るのが好きらしいぞ。前に言っていたな、確か。

 お前も、馬鹿な誘いばかりしてないで、ちゃんとした所に遊びに誘えばいいんだ。七原だって――』

 その後の言葉は、濁されてしまったけれど。

(『七原だって』?何なんだよ?――ま、いっか。杉村に感謝だな、これは)

 あとで土産でも買っていってやろうと思いつつ、信史は腕時計に目を落とした。

「あ、もうこんな時間か。七原、行くぞ」

「え?何?」

 まだ見足りないらしく、自分の手を引く信史を不満げな顔で見ながら、秋也は歩き出した(歩かされた、とも言う)。

「いいから。すっごいもん見してやる」

 信史は楽しそうに言うと、ずんずん前に進んでいく。初めて来た秋也と違って、信史は道を良く知っているようだった。

(来た事、あんのかな……)

 こんな所に来る相手なんて、信史には腐るほどいるだろう。そう思ったら、秋也の胸が小さく痛んだ。

 信史が秋也の為に必死で下調べをした事など知る由もなく。

 

 

 眩しさに、目を奪われる。薄暗い通路から、光の中へ。突然外に出たらしく、秋也は目を細めた。信史の手をキュッと握ると、信史もちょっと力を入れて握り返してくれた。

「眩しいか?」

「ちょっと」

 秋也が素直に答えると、信史はそこで足を止めた。秋也の視力が戻るまで待っていようと思ったのだ。

 しばらくしてからちゃんと目を開けると、秋也は思わず大声を上げていた。

「イルカっ!!」

 中庭のように、空が突き抜けている所にある巨大なプール。周りを囲むたくさんの席と、中央の小さなステージ。

 秋也の見ている前で、イルカがはねた。水しぶきが太陽の光を反射して、きらきらと輝いている。

「うわぁー!」

 何を言ったら良いのかも分からない、ただの歓声。秋也の喜ぶ顔を間近で見ながら、信史は抱きしめたい衝動に駆られていた。

(来て良かった……!!)

 そんな信史に気付かず、秋也は無邪気な顔で信史を見た。

「三村っ、知ってたか?」

「ん?何を?」

 秋也は笑顔のまま、得意そうに続ける。

「イルカってさ、人間には聞こえない声で会話するんだって。イルカ同士にしか分からない声。超音波ってやつ」

 そういうのが何か好きなんだ、と、秋也は言った。もちろんそんな事、信史は知っていた。だが、あえてそれは口にしない。

 そのかわり、自分も得意そうに言ってみた。

「じゃあ、知ってたか?イルカって、水の中にいるだけで、心を通わせる事が出来るんだってさ」

「嘘、マジ!?すげぇー!」

 素直に感動する秋也に、信史はちょっと真面目な顔をして、聞こえるか聞こえないかというくらい小さな声でつぶやいた。

「……俺達は?」

「え?」

 秋也が聞き返すと、信史は少しだけ寂しそうに笑う。

「なんでもない」

 信史は視線をイルカの方に向けた。秋也はまた、キュッと信史の手を握る。

「何?」

 優しく信史が微笑むと、秋也は慌てて手を離した。

「あ、いや……なんだか今……」

(三村が、消えてしまいそうな気がして……)

 そう思ったが、そんな事は口に出せない。

 信史は秋也の手を取り、笑う。

「前の方に行こう。七原、ちゃんと見たいだろ?」

 

 

 

「あのさ、三村、今日は、ありがと、な」

 帰り道、二人で並んで歩きながら、秋也は言う。少し照れながら。

「どういたしまして」

 信史は答えて笑って見せる。結局信史の期待していた事(いわゆる“御礼”)はなかったけれど、秋也の笑顔が見れたから良いか、と思ってしまった。

「七原、あーいうのならまた付き合ってくれる?」

「え?ああ、うん。喜んで。あ、金、返すからさ」

 結局、入館料ばかりか、昼ご飯のお金まで出してもらい、秋也は悪い気がしていたのだ。

「いいって。そのくらいかっこつけさせろよ」

「お前はいつもかっこいいんだから、いいじゃん。――そういう、かっこつけたがるトコ、好きだけど」

 するっと言ってしまってから、秋也は口を抑えた。

(しまった!)

 恐る恐る信史を見ると、何を言われたのか分かっていない表情で秋也を見ている。その信史の顔が、だんだん意識を取り戻したようになった。

「あ、いや、だから、深い意味はなく……」

「あの。七原、俺、今なんかすげー事を聞いた気がするんですけど?」

「え、あの、だから」

 こんな事を言うはずじゃなかった。いや、ここで秋也が慌てたりしなければ、何の意味もない言葉ですんだはずなのだ。

「これ、勘違い?俺、勘違いしてる?」

 信史の顔が、より真剣なものへと変わっていく。

「あ、その、えーと……」

 秋也は何を言って良いのか分からず、視線を泳がせた。

 勘違いだとも、言葉どおりの意味だとも言えず。

 しばらくの沈黙の後、信史は秋也から視線を外した。

「――いい、分かった。無理に言わなくていい」

 何が分かったのか、信史はそれ以上何も言わず歩き出す。こうなると困るのは秋也だ。

(何?何が分かったんだよ?――ちょっと待てよ、待てったら)

「三村!」

 縋るように声をかけ、秋也は信史の後を追った。信史は振り返り、いつものように笑う。

「だぁいじょーぶ。七原の気持ちはちゃんと伝わったから」

 信史はそう言うと、秋也の耳元に口を寄せた。

「俺の聞こえない声、届いてる?」

 

 

 聞こえればいい。

 届けばいい。

 声に出さなくても。

 どんなに離れていても。

 

 俺は、君が好きです――

 

 

END.



キユに捧げたss第3弾(まだあるのか)
私、実は水族館って、行った事ないんです…
あっても、かなり昔だから、良く覚えてないし…
なので、これは私の想像の水族館なのです。こんな感じかな、と。
それから、イルカの話は、嘘かもしれません(爆)
友達に聞いた話なのですが、さらっと流した記憶があるので…
何度断られてもめげない三村って、なんか好きです。

これも修正済み(2・3)