異常


 

 残念、だったのかな、やっぱり。

 秋也は、自分の前を歩く男の頭を見つめながら思った。部活中だったはずのその男は、何故か今、制服姿で秋也の前を歩いている。何事もなかったかのように。

 ――実際、何もなかったのだが。

 唇が……触れ合う寸前で、折れたポッキー。
 秋也は少しだけほっとして、それから、なんだか物足りない気がしていた。

 当然、折れたのは偶然ではない。この、秋也の前で、何食わぬ顔をして歩いている三村信史本人が、わざと折ったのだ。そんな事を、秋也は知らない。

「七原ぁ」

 信史が、思い出したように言って、振り返る。秋也の拗ねたような顔が目に入って、思わず笑いそうになった。

(おいおい、何だよ、その残念そうな顔は。俺は気を遣ってやったんだぜ?だってさ、お前、ファーストキスじゃんか)

 もしかしたら違うかもしれないなんて、信史は考えなかった。

 だって、反応が。

 顔を近付けただけで、過剰反応を示した秋也。あれで、「キス?そんなの毎日してるぜ」なんて言われたら、多分笑う。「どんなキスしてるんだよ、お前」と。

「何拗ねてんだよ」

 知らないふりをして、一言。秋也の顔が、わずかに歪んだ。もちろん、そんな変化も信史は見逃さない。

(三村、今、なんて言った?「何拗ねてんだよ」だと?こいつ、よくもそんな事っ。

 人の気持ちを無理矢理表に引っ張り出したくせに、あんな中途半端な事になって、お前は何も感じないのか……って、これじゃ、期待してたみたいだな。

 あー、もう、いいよ。そうだよ、期待してた。勇気出したんだぞ?)

「拗ねてなんかない。何だよ、なんか言いたい事があるんだろ?」

(まったく、無理しちゃって。顔に出てるぜ?)

 そんな秋也を可愛いなんて思いつつ、信史は答えた。

「ほら、今日宿題出ただろ?数学の」

「え?そうだったっけ?」

 秋也は今日一日ずっと授業なんて上の空だったのだから、宿題が出ていたなんて知らなかった。そういえば、聞いたような気がしない事もないけれど。

(しかも数学?ちょっと待ってくれよ……)

 頼みの慶時も、数学だけは秋也と似たようなものだし……

 いつもなら、朝、誰か(杉村弘樹あたり)に見せてもらうのだが……

「やるか?一緒に」

「え?三村と?宿題を!?」

 信史が自力で宿題をやってきたところなんて、秋也は見た事がない。

 数学が得意なのは知っているが、宿題をするのは嫌いらしい。と言うか、家で勉強するのが嫌いなのだろう。

 やれば簡単に出来るはずなのに、それよりも人のノートを写す事を選ぶ。

(いつも一緒になって杉村のノートを写してるのはどこの誰だよ?)

「他に何をやるって言うんだ?」

(そりゃ、まあ、イロイロ“やる”コトはあるけど)

 なんて、健全な男子中学生の考えるような事も、信史の頭には浮かんでいたが、ここは秋也の思考回路に合わせて、まともな事を言ってみる。

「ま、それもそうか……でも、なんでだ?」

 また、杉村に見せてもらえばいいのにと、秋也は思っていた。

 頼めば、きっと杉村は苦笑しながらも見せてくれるだろう。「七原らしいな」なんて言いつつ。

 そして、それを千草貴子が見ていたりするのだ。「弘樹って、ホント、甘いわ。最初からやる気のない奴に見せてやる必要なんてないのに」と言いたげな目で。

「明日、大会なんだよなぁ」

「杉村が?」

 帰宅部のはずの杉村に、何の大会があると言うのだろう。

 多分何も考えないで言った秋也の言葉に、信史は苦笑した。

「じゃなくて。千草貴子。だから校欠だって言ってた。あいつ、どうせ応援に行くんだろうし」

「あぁ……」

(なるほど、それなら納得。そういう事なら、杉村の分まで真面目に授業でも受けるか)

と、まあうまく言いくるめて、信史は秋也を家に誘った。

(下心?ないわけないだろ。俺を誰だと思ってる?“ザ・サード・マン”三村信史だぜ?)

 

「――お帰り」

(まぁ、多少の期待を持っていなかったと言えば嘘になるけど……)

 秋也はそう思いながら、それでも、帰りたい気持ちになった。三村家に着いたとたん、二人を迎えたのは不機嫌そうな信史の妹、三村郁美だったのだから。

(睨まれている気がする……)

 秋也は心の中で溜息をつき、思わず郁美から目をそらす。

「ただいま……」

 信史も、秋也と似たような事を考えながら、力が抜けていくのを感じていた。

(郁美……お前はなんだってそう、七原を毛嫌いするんだよ?

 兄ちゃんはそんな風に育てた覚えはないぞ?それとも、七原が何かしたのか?

 郁美としては、大好きなお兄ちゃんの心を奪った男を、そう簡単に認められるわけがないんだろうけどさ。つい意地悪してやりたくなるのも、まあ、無理はない……のか?)

「ふーん、シューヤくんも一緒なのね。豊くんは?何でいないの?」

「何でそこで豊が出て来るんだよ」

 信史は早く部屋に行きたかった。妹と秋也の喧嘩など(喧嘩にはならないことを知っていても)見たくない。それに、秋也に嫌な気分になって欲しくなかった。

(ごめんな、七原。郁美は普段、もっと可愛い奴なんだよ)

「何で?いつもは豊くんなのに」

(いつもって……いつの話だ?小学校時代じゃないのか?豊を最近家に呼んだ覚えはないぞ?)

 信史はそう思いながら、チラッと秋也の顔を見た。

(あー……気にしてる、多分。ってか、気にしてくれたら俺は嬉しい)

「七原、上に……」

「おにいちゃんっ」

 先に秋也を部屋に向かわせようとした信史だが、あっさりと郁美に阻まれる。

「あ、俺……」

 帰るよ。

 秋也がそう言おうとした時だった。ぎゅっと、信史に腕を掴まれる。少し、痛いくらいに。

「え?」

(三村……お前、なんて顔してるんだよ……)

 捨てられた子犬のような目。いくら鈍感な秋也にだって分かる。「帰らないで」そう言っているのだ。

「みむ……」

「……送る」

 信史は少し不機嫌そうにそう言って、鞄を投げた。その言葉を断れるほど、秋也は信史の事を想っていないわけじゃない。

 郁美の視線が気になったものの、秋也は小さく頷いた。

 

 信史は、秋也の腕を掴んだまま歩いていた。

(おいおい何とも色気のない話じゃないか。手ぐらいつないだらどうだ?なぁ、信史。簡単だろ?ほら、さりげなく七原の手を……)

 相手が女の子だったら、そんな事も出来たかもしれない。けれど、信史には出来なかった。それは、秋也だから。

「……ごめんな」

 それが、郁美の事を言ってるんだと秋也は分かって、「気にしてない」と、答えた。秋也が気にしているのは、もっと別の――

(瀬戸と、仲、良いんだもんな。そんな事、知ってたけど。そんなの……分かってたけど。でも……)

「瀬戸……を、家に誘ったりも、するんだ?」

 驚いたように、信史が秋也を見る。秋也の顔が、少し赤いのは、夕日のせいだけではないはずだった。

 信史の胸にあるのは、嬉しさと、罪悪感。

 気にしてくれたんだ?

 気にさせちまった……

「まぁ……親友だし……」

 この答え方は失敗だった。秋也の顔が曇っていくのが分かる。

「そう……だよな……」

 親友。

 なんて重い言葉なのだろう。信史と豊、二人と自分の間に、厚い壁のようなものを感じた。

「……お前は、違うだろ」

 ずん、と、心に響く。

(違う?あぁ、そうか。俺は親友じゃないんだな。瀬戸の方が大切って事だろ?いや、気にしてないね。あぁ、気にしてない)

「……」

「あ、ちがっ……!悪い意味じゃなくて、俺はっ」

 秋也の考えている事が分かったのか、信史は慌てて訂正し、秋也の体を引き寄せた。

 とん。

 二人の体がぶつかり、秋也は信史の腕の中に収められる。

「三村……っ?」

 抱きしめられた。

 そう秋也が感じたのは、少し時間がたった後だった。

「……聞けよ。俺の心臓の音」

 それは無理な話だ。秋也と信史の背は、そう変わらないのだから(普段なら信史は「俺のほうが高いぜ、ベイビ」などと言うだろう)。秋也の耳は信史の顔のすぐ側にある。だから、感じる事にした。

 どくどくどく

「……速い」

 秋也は思った事をそのまま言う。

(なんだってこんなに速いんだ?短距離を全速力で走った後のような……)

「……お前が側にいるからさ」

「え!?」

「“違う”から。他の奴と七原は――」

 それだけで充分だった。秋也は信史の背に腕を回し、目を閉じる。

「な、七原!?」

 信史が、珍しく慌てたように声を出した。

(誘われてるのか?これは。良いのか?良いのか?おい、七原――)

「俺の心臓の音、感じる?」

(ああ、心臓ね。俺はてっきり……)

「あぁ、感じる」

 信史は、力を込めようとしていた腕からふっと力を抜いて、優しく秋也を抱きしめた。

(感じる。七原の心臓の音、七原の体温、七原の……あぁ、クソ、何でお前ってこんな良い匂いするんだよ。どの女の子とも違う、甘い香りの――

 ……ヤバイ)

「七原、ちょっと、離れて。頼むから」

 本気で懇願する信史の声に秋也は、悲しそうな顔をしながらゆっくり体を離していく。

「三村?」

 秋也は驚きの声をあげた。信史が、妙に泣きそうな顔をしていたからだ。
 そんな顔を見るのは初めてかもしれなかった。

「どうしたんだよ!?」

(あぁ、七原……お前って何でそんなに可愛いんだ?これって、蛇の生殺しだろ?こんな道の真ん中じゃ、何も出来やしない。男相手に欲情するなんて、俺ってやっぱり――)

「異常、なのかな」

 言ったのは秋也だった。悲しそうな目をしている。

(そうだよ、異常だよ。だからってお前、そんなはっきり言わなくても)

「俺、三村と、もっと一緒にいたいって思ってる」

「え?」

「こんなの、異常だよな。俺達、男同士だし。でも――」

(分かるから。もういいって、七原。それ以上言うなよ。俺の理性にも限度が(すごく低いところに)あるんだから)

「ま、異常ってコトは、特別って事だからな」

 信史はそう言って、歩き出した。秋也も、その後に続く。

 

 相手がお前じゃなかったら、こんな事、思ったりしない。

 異常だって、いいじゃないか。

 幸せ、なら。

 

 

To be continued.

 

 


『FIRST』シリーズ、第4弾。本気で一体、いつまで続くんでしょうか。
いい加減に、誰か止めてやってください。
郁美ちゃん登場。彼女は、シンユタ推奨派…?
良いのか、私よ…(汗)
それにしても三村…情けない…
どうやらあさこは、七原を男の子に見せたいらしいです(え?)
やっと抱き合ったって…進展遅いぞ…
うぅん…