雨
何度思い出しても、変わらない。
「大丈夫?」
と、典子が聞くので。秋也は笑って、手の中にあるものを強く握った。
何度見ても、変わらない。
雨が降っているという事実は。
天気予報では確か、今夜から降り始めると言っていたはずだった。これだから、予報なんて信用できない。
秋也は大きく溜息をついた。
まさに、バケツをひっくり返したような、雨。春の雨はまだ冷たく、この雨の中を走って帰ったら、風邪をひくのは目に見えていた。
「……どーしよっかな」
思わず、つぶやいてみる。そんな事をしても、打開策を考え付くわけではない事は分かっていたけれど。
このまま帰るしかないか、と心を決めかけた時、秋也はふと思いつき、教室へ引き返すことにした。
(教室になら、傘の一本くらいあるかもしれない)
他人の物を勝手に借りる事になるが、この際それは気にしない事にする。
部活の終わった放課後の校内は、やたらとひっそりしていた。少し、寒く感じたのは、雨のせいだけではないかもしれない。
教室に戻った瞬間、秋也の体が固まる。
そこには、着替え途中の信史がいた。
いつもなら、更衣室を使うはずなのに。
「ん?七原?こんな時間に何してんだ?」
信史は秋也に気付くと、着替えの手を止めずに声をかける。
「あ、部活。ちょっと集中してたらこんな時間で。三村は?」
「俺は部活後の自主練してた。天才は努力も怠らないわけよ。なのに、誰かが更衣室の鍵、返しちまったみたいでな」
「お前なら、鍵なんかなくても開けられるだろ?」
「開けられるけど。閉めるのめんどくせぇじゃん?」
秋也は納得して、信史の方に近付いた。もしかしたら、彼も傘を探しに来たのかもしれない。
「なんだったら、一緒に帰るか?」
着替えを鞄に詰め込みながら、信史は言った。
「この雨の中?」
秋也は窓の方に向かい、外を指差した。雨の勢いは弱まる気配がない。
「そうだ!傘探しに来たんだよ!」
思い出したように教室を見渡すが、目当ての物は見つからない。
がっかりしたように肩を落とす秋也を、信史はちょっと驚いたように見て、ニヤリと笑った。
「じゃあ、雨宿りでもしていくか、ここで」
その言葉に裏がありそうな事ぐらい分かりそうなものだが。秋也は気付かなかったらしい。
「……良いけど、ちゃんとやむのか?この雨。天気予報じゃ、明日まで降り続くって……」
「天気予報なんて信用できない。だろ?」
同じ事を秋也も思っていたから、「そうだな」と答えると、信史はさりげなく秋也に近付いた。
「雨、すごいな」
とりあえず、当り障りのない会話から入る。秋也に警戒心を抱かせないためだ。もちろん、秋也はそんな事には気付かない。
視線を外に向けたまま、思い出したようにつぶやいた。
「雨って……雲なんだっけ?」
「ん?」
「雲って、水蒸気なんだろ?でさ、それが固まって、雨になるんだよな?」
秋也は降り続く雨を見ながら、どこかで聞いたような記憶を引っ張り出す。
うろ覚えだし、もしかしたら違っているかもしれない、なんて思いつつ。
「だったら?」
信史には、秋也が何を言いたいのか分からない。そんな事よりも、隣にいる秋也の事の方が気になった。
早く良いムードにしてしまいたい。
「海の水が蒸発して。雲になって、雨になって。川とかを流れて、また海に戻る……」
それってさ、と秋也は続けた。
「地球上の水の量って、変わらないってことだよな?」
秋也は、信史を見ていない。ひたすら雨を見ている。それが、信史には少し気に入らなかった。だから、ちょっと子供っぽいとは思ったが、秋也の言葉に返事をしない事にする。
だが、秋也はそれすらも気付いていないようで。
「そういうのって、なんか良い」
じっと、外を見ていた。
「すげぇって、思う」
純粋にそう思っているのだろう。秋也の顔が、信史には眩しく感じられた。
「例え形が変わっても、ずっとここに、あり続けるんだよな」
「――七原」
信史が急に名前を呼んだので、秋也はフッと顔を向ける。
秋也の唇に触れる、信史の熱い唇。
一瞬で、それは離れた。
「好き」
信史の口から、一言だけ。秋也は、少し目を丸くして、信史を見た。
秋也の目に、自分が映っている。それだけで、信史はすごく幸せだった。
「七原が、好きだ」
もう一度言うと、秋也の目がわずかに潤んだ。
「何だよ……急に……」
「ん。急に言いたくなった」
信史が、秋也の少し湿った髪に触れる。秋也は少し、自分の鼓動が速くなった気がした。
「七原、ちょっと冷えてる?」
「何で?」
「唇、冷たかったから」
微笑みながら信史は言い、秋也の唇に指で触れた。やっぱり、少し冷たい。
「暖めてやろうか」
秋也の答えを待たずに、信史は秋也に口付ける。大した抵抗もなく、キスは深いものに変わった。
――雨の音が、聞こえる。
「ヤ……だ……やめ……!」
吐息交じりの声。
そんな声でやめろと言われても、無理な話だ。
「ここまできて、そりゃないぜ?」
「ンッ……!」
「七原だって、やめられたら困るだろ?ってか、やめる気なんてないし?」
信史は言いながら秋也を煽っていく。
雨のせいで冷たい空気が教室に流れていたはずなのに。
――今は、アツかった。
秋也は自分の席に座って、うつ伏せになっていた。少し、息が荒い。体も熱いし、しばらくは動きたくないほど、だるかった。
信史は教室にはいない。秋也が気付いた時にはすでにいなかった。鞄はあるから、帰ったわけではないのだろうけれど。
深く息を吸い込むと、冷たい空気が肺の中に広がった。
そうすると、少し落ち着く。
……少し、寂しい気がした。
「三村……」
思わず、つぶやいてみる。
(情けないな、俺……)
そう思うのに、信史の名前をつぶやくだけで、少し、楽になれた。
「何?」
トン、と信史は秋也の顔の前に缶ジュースを置いた。
ニヤリと笑って、秋也の顔を覗き込む。
「俺のこと、呼んだ?今」
「べ、別にっ……」
「ふぅん」
秋也は気まずくなって顔を隠した。秋也の気持ちなんて、信史は分かっているのだろう。
「喉、渇いたろ?」
信史はそう言って、缶を開ける。
「買いに行ってたんだ?」
「あれ?俺、言ったんだけど?あ、ぼーっとしてて聞こえてなかったか」
信史がニヤニヤと笑っている事ぐらい、秋也には見なくても分かった。
「ウルサイ」
「はいはい」
多分秋也は、真っ赤な顔をしているに違いない、と信史は思う。
「飲まねぇの?」
せっかく買ってきたのに、と信史が言うので、秋也はやっと顔を上げた。
「飲む」
信史が笑ったのが分かる。秋也は視線をそらして、机の上を見た。缶はない。
「俺のは?」
「一本で充分」
信史はそう言って、缶に口をつけ、ジュースを口に含む。そして、そのまま秋也の顔を掴んだ。
寄せられる、顔。
信史の口から、流し込まれる冷たい液体。
「んっ……む……」
飲みきれなかったジュースが、唇の間から零れ落ちる。
「もったいねぇな、全部飲めよ」
秋也の顎を伝うそれを綺麗に舐めとりながら、信史は言った。
体が、熱くなる。
「もっと、飲みたい?」
「自分で飲むっ」
意地悪く言った信史から缶を奪い取り、秋也は一気に飲み干した。
「俺も飲みたいんだけど?」
言うが早いか、信史は再び秋也に口付けた。
秋也の口の中に、ジュースはもう残っていなかったけれど。
「ちょ……三村っ……!」
「だって、まだ雨やんでないじゃん」
信史は雨がやむまでこんな事を続ける気だろうか。
秋也は、早くやんで欲しいと思う気持ちと、このまま降り続けば良いと思う気持ち、どちらが本心なのか分からずに、戸惑っていた。
「――俺も、そうなりてぇな」
急に信史がそんな事を言うので、秋也はきょとんとする。その顔を見て、信史は苦笑した。
「お前、その顔犯罪。俺の前以外でそんな顔すんなよ?」
「馬鹿。――で?なんだよ?何になりたいって?」
「さっきの話。俺、例え形が変わっても、七原の側にい続けたい。ここに、いたい……」
信史の顔が、寂しそうに見えた。
こんな事は、初めてのような気がした。
秋也は胸が苦しくなって、信史の胸に顔を埋める。
「俺、は。三村は、三村のまんまが良い……」
信史は秋也を優しく抱きしめた。
「そ、だな」
「さてと、そろそろ帰りますか」
いきなり信史が言うので、秋也は窓の外を見た。
雨はまだ降り続いている。
「まだ、やんでないけど?」
そう言って、信史に視線を戻すと。信史は自分の鞄の中から、傘を取り出した。
そう、いわゆる、折り畳み傘を。
「は?」
自分でも、間の抜けた声だと思った。それも仕方のない事だろう。
そんな秋也を見て、信史はニヤニヤと笑った。
「天気予報なんて信用できないからな」
「っ……!」
「お送りしますよ、姫♪」
あまりの事に、秋也は声も出なかった。
例え俺が、俺の形をしなくなっても。
お前の側で、お前を守り続けると誓うよ。
例え形が、変わっても――
「大丈夫?」
と、典子が聞くので。秋也は笑って、手の中にあるものを強く握った。
何度思い出しても、事実は変わらない。
だから。
「大丈夫だよ」
雑踏の中、秋也の手の中で、ベレッタM92Fが熱くなった気がした。
END.
キユに捧げたss第5弾(真夙さん、捧げすぎです)
分かりづらいかもですが、まぁ、あれです…結局三村はベレッタに気持ちを込めていった、と。
37にとって究極のアイテム・ベレッタ(そうなのか?)を、こんな風に使って良かったんだろうかと、今でも悩みます。
どうやら、シリアス目指して頑張ったようです…
微妙に『空』と、ネタ被ってます。ワンパターンです。
37には自然が似合う…とか思ってるのは私だけでしょうか。
ただ単に私が自然ネタを好きなだけでしょうか。
そして策士三村。どちらかと言うと、折り畳み傘とか持ってそうなのは、七原の方でしょう…
きっと良子先生などに持たされるのです。
真夙あさこにとってワンパターンな、「放課後・教室・エロあり」という構図は、どうやらここが起点なようです。
そして私は、重大なミスに気付きました。
更衣室の鍵を勝手に返された三村。それなら着替えは一体どこから…?(滝汗)
き、きっとそれも作戦のうちだったのでしょう…
昔のものは読み返すべからずですね…(2・3)