ピー・プロのビデオショップ
60年代後半から70年代にかけて「マグマ大使」や「スペクトルマン」など、非常に個性的な特撮作品を次々と製作していたピー・プロは、80年代にはビデオショップを経営していた。この事は当時の「宇宙船」(朝日ソノラマ)に広告が載っていたりしていたので、ご存知のファンも少なくないと思う。また、「スペクトルマンVSライオン丸」(太田出版)にはこの辺の事情を含め、ピー・プロの歴史が実に事細かに解説されている。なにしろ単なる一ファンに過ぎない私がピー・プロファンクラブの会員だったことについてまで触れており、詳しいにも程がある(笑)。まだお読みでない方には、ぜひ一読をお勧めしたいが、ここでは私自身が実際に見た”80年代のピー・プロ”について、重箱の隅をつつくような細かい話をしてみたい。
さて、私が同人誌の取材を目的に初めてピー・プロへ伺ったのは82年の2月だった。その頃、ピー・プロの事務所は世田谷にあり、一連のピー・プロ作品を作ったスタジオはそのすぐ近くにあったという。勿論、その頃はすでにスタジオはなく、お世辞にも広いとは言えないその貸事務所だけがピー・プロの事業所となっていた。静岡県の片田舎からひょっこりやって来た私のような若僧(当時)にも鷺巣社長は丁寧に対応してくださり、要領を得ない不慣れなインタビューにも快く応えて下さった。半年後には当会主催のイベントとして中野でピープロ作品のフィルム上映会を開いたが、その時もフィルムのレンタル料のみで講演をしていただいた。
事務所が荻窪に移転したのはこの翌83年の事。この時点で事務所を利用してビデオショップを開くという話を聞き、お店が開店してまもない頃に友人と一緒に押しかけた。荻窪駅西口から徒歩一分という恵まれた場所にあり、店の名前はそのまんま「ビデオショップ ピープロ」。店の中には懇談するためのソファとテーブルがあり、その横にはテレビとビデオ、そのまた上にはパイロット版のみで終わった「シルバージャガー」の巨龍戦艦の撮影用模型が置かれていた。そして当然の事ながら棚にはビデオソフトがところ狭しと並んでいる。「帰ってきた怪獣VOW」(宝島社)の誤った記事などでマニアに誤解されている向きもあるが、ビデオショップと言ってもレンタルではなく新品販売専門であった。したがって同書に書かれていたような「客がエロビデオ借りようとすると自分の会社が作ったのを勧めていた」という事実はない。エロビデオ・・・というかアダルトビデオも扱っていたのは確かだが、ピープロ作品だけでなく、当時販売されていた特撮やアニメのソフトの殆どを揃えていた。店の奥が潟sー・プロの事務所となっており、「シルバージャガー」をなんとかテレビ化しようと企画が進められていたようだ。また、この事務所のあった建物の半分には寿司屋が入っていたと記憶している。
その後も私は何度もここを訪れ、会社の出張で上京した際にも必ずと言っていいほど寄らせてもらった。そんな中で、やはりピー・プロに通っていた他のファンの方々とも知り合い、自主製作作品のビデオを鷺巣氏と一緒に見せていただいたこともある。ビデオソフトも何本か買わせてもらったが、ビデオショップ・ピープロにも購入金額に応じて割引してもらえるスタンプ帳というのがあった。ただ、これが一万円ごとにスタンプひとつという実に豪気なスタンプ帳で、スタンプを10個集めなければ割引してもらえなかった(割引してもらった人は果たして存在するのだろうか?))。ピー・プロ作品関連のスチールなども実費にて販売して下さったが、実は私がここで購入したスチールが近年、ピープロ関連の書籍やトレーディングカードなどの一部に使用されている。この頃所有していたスチールの多くをピー・プロはその後紛失してしまったのだそうだ。
そんなこんなで色々と思い出はあるのだが、89年にはこのビデオショップも閉店する事となり、ピー・プロの事務所は鷺巣社長のご自宅へ移転し現在に至っている。思えば、特撮テレビ作品の製作会社が店を開いてファンが集まる場を設け、直接ファンの声を聞くというのは実に画期的な試みであったと思う。現在ならばネット上に公式ホームページを開設するようなものだ。様々なアイディアを他社に先駆けて行ってきたピー・プロのパイオニア精神は、番組製作に携わっていなかった80年代にも生き続けていたのである。