X68000の世界

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X68000とは…!?

X68000誕生
初代X68000は1987年3月28日に産声をあげた。
発売したメーカーは、それまでX1やMZシリーズを発売してきたSHARP。
価格は36万9千円の16ビットパソコンだ。
PC98やFM-TOWNSと並ぶ当時の3大16ビットPCと言えるだろう。
(とは言え、国民機とまで言われたPC98と13万台しか売れなかった68が肩を並べていたとは言えないが・・)
 
初代X68000は、グラフィックの表現力がアピールされていたり、
人気ゲーム『グラディウス』が標準付属されるなど、
ハイエンドなホビーパソコンとしての位置付けが明確であった。
 
帝王が68を認知するようになったのは『パソコンサンデー』というテレビ番組。
この番組はシャープのパソコンを中心に話題を提供する番組だ。
その中で新製品のX68000は大々的に紹介され、
そこで動く「これまでのパソコンでは実現し切れなかった最新アーケードゲームの再現」や
スタイリッシュなマンハッタンシェイプ(縦置きの本体)に憧れを抱いていた。
とは言え、高校生だった帝王にはまだまだ16ビットパソコンは高嶺の花だった。
同じ学年でも68を持っている奴は一人しかいなかった。
 
発売されるゲームタイトルは88やMSXほど多く無いし、
そもそも学生がおいそれと買える値段でもないので
大人の高級趣味PCぐらいにしか思っていなかったわけだ。

X68000がとうとう我が家に!
1991年5月。
初代が発売してから4年あまり。
68もACE、EXPERT、PRO、EXPERT II、PRO II、SUPERと後継機が続いていた。
そして8代目のX68000XVIが登場。(動作クロック16MHzの高速化が特徴)
値段は36万8千円と初代と変わらないものだった。
これが発売された年、帝王は専門学校へ入学していた。
その学校では生徒一人ずつにX68000XVIが配備されており、
なおかつ“特別価格でX68000XVIを購入する”事も出来た。
(おそらくは大量注文で価格を下げる事が出来たのだろう)
帝王はそのチャンスを逃さなかった。
「学校の課題を家でやるためにXVI購入が必要らしい」と親に吹聴(爆)、
あとでバイトして少しずつ返すという名目でX68000XVIゲットに成功したのだった(^^;
そして長年憧れていた68が我が家にやってきたのである。

X68000の真価
68で最初に買ったゲームは何だったっけか?
アーケードゲームの移植が盛んだった68だが、
実のところ帝王はそれほど熱心にそれらを遊んだわけではない。
例えば『源平討魔伝』や『ドラゴンスピリッツ』は
PCエンジンに素晴らしい移植がされていて、
先にそちらでやり込んでしまっていたし、
68にしか移植されなかったアーケードゲームって実はそんなに多く無い気がする。
本体と同時に買ったのは『ファランクス』とか『パロディウスだ!』とかそのあたりだったかも。
(発売日に買った記憶があるから)
 
その後、他のパソコン同様にゲームを買いまくった帝王であったが、
68に触れていくうちに気づいた事がある。
68最大の特徴はアーケード完全移植ゲームでも、
グラフィック処理能力でも無かった。
68には市販ソフト同様に、多くのフリーウェアソフトが作られていた。
(当時はPDS(Public Domain Software)と呼ばれていた)
同人ソフトと類似しているが、68のそれらは即売会などで配布するだけでなく、
パソコン通信を使っての広がりが盛んだった。
帝王はパソコン通信はやっていなかったが、
68所有率が異常な学校に行っていたためにそれらの多くを入手していた。
68にはパワーユーザーが多く、
市販ソフト化されていないアーケードゲームを勝手移植したり、
市販ゲームを立体視で遊ぶ仕組みを作ってしまったり、
有名ゲームの続編を作ってしまったり、
SX-Windowを強化するパッチがユーザーサイドから公開されたり、
とにかく68ユーザーの熱量は物凄いものがあった。
「無いものは作ればいい」それが68パワーユーザーの合言葉であり、
98の独占シェアによるガラパゴス化が逆に68市場を梁山泊へと変えたのだった。
X68000の真価は有能な人間を集結させた事だったのだ。
あの環境から現代も活躍する多くのクリエイターが誕生している。
98が市場を作り、68は文化を作った・・と言ったら言い過ぎだろうか?



X68000こぼれ話

面白い構造のマウス
68に付属していたマウスは面白い構造をしていた。
通常のマウスとしても当然使えるのだが、
マウスの上蓋を取り外して裏面の切り替えスイッチを入れると、
なんとマウスがトラックボールに大変身!
エンターテイメント志向の68ならではのギミックだと思った。
これを使って『マーブルマッドネス』なんかを遊んだものである。

光るキーボード

68のキーボードには赤や緑のLEDが内蔵されており、
それのon/offをプログラムで制御する事が出来た。
本来はcapsキーのon/offを知らせたりするためのものだが、
音楽に合わせてイリュミネーションのような動きをつけたりといった遊びに流用出来た。
一番印象に残っているのは、海外ドラマ『ナイトライダー』の曲に合わせて、
68のキーボードで赤いLEDが左右に光るプログラム。(ナイト2000の車体のアレを再現)

パソコン通信

まだインターネット前夜。68はパソコン通信を使ってユーザー同士が情報やデータを交換していた。
ある日バイトの同僚が満足気に
「メルヘンメイズのデモディスクをパソコン通信で手に入れたゾ」と言ってきた。
当時の通信回線は貧弱そのもの。たかがデモディスクをダウンロードするのに3日ぐらいかかったという。
デモディスクに電話代何万かかったのだろう?
ちなみに帝王の68はずっとオフラインでした。

Far Side Moon 地球防衛軍2

まだインターネット普及前だった事から、
コンピューターウィルスも今ほど深刻化していなかった。
そんな中でアートディンクの『Far Side Moon 地球防衛軍2』というゲームが、
コンピューターウィルスが混入したまま出荷してしまうという事件が起こり騒ぎになった。
この事件のあたりからコンピューターウィルスが身近なものになっていったように思える。
時代の変化を象徴する出来事だった。

第1回全日本X68000芸術祭

68がいかにパワーユーザーに恵まれていたかを象徴するイベント。
1992年4月12日に開催されたシャープ主催のイベントである。
なんと会場は東京ドーム!
68の普及台数を考えればなんともバブリーな事か。
プロデュースしたのはスタジオベントスタッフの山下章さん。
各地区で予選を勝ち抜いた68用プログラムを審査し、優秀作品を選出するコンテストだ。
第2回が開催される事は無かったが、
ここで選ばれた優秀作品は「ザ・ワールド・オブ・X68000」というフロッピーディスク付きの書籍で配布された。
中でも『C力検査』というシンプルなパズルゲームは秀逸で、当時夢中になって遊んだなぁ。

X68000とコピープロテクトの戦い

他機種のPCソフト同様に68もコピーユーザーとの戦いは繰り広げられていた。
コピーツールは通常、各ソフトごとにプロテクトを破る「ファイラー」なるものが売られていたのだが、
「ええい面倒くさい!」と、プロテクトごと丸々複製出来る最強のコピーツールまで売られていた。
(こちらはハード的にコピーする周辺機器を68に接続するタイプだった)
そんな中でとても珍しいコピープロテクトで対抗したゲームソフトがあった。
1997年1月31日に通販のみで発売された『プリンセスメーカー』である。
なんとこのゲーム。立ち上げ直後に購入者の住所、氏名、電話番号が強制的に表示されるのだ(^^;
こうすれば購入者はそのソフトをコピーして人に渡したり、中古屋に売ったりする事は無いだろうというわけである。
通販専売ならではの対策だなw

電脳倶楽部

68の歴史を語る上では外す事が出来ないのがこの『電脳倶楽部』だ。
満開製作所が68向けに販売していたディスクマガジンで、
中身は68用プログラム、音楽プログラム、テキストなどが収録されており、
それらのほとんどは68パワーユーザー達の投稿だった。
パソコン通信がまだ普及していない中で、
多くのユーザーがこの電脳倶楽部で68パワーユーザーのコミュニティに触れる事が出来た。
創刊号は1988年5月。そこから毎月定期的に発刊され、最終的には147号を数えるまでになった。
創刊号はフロッピーディスク1枚組で1000円、途中から2枚組1500円となる。
パッケージ販売は無く、ソフトベンダーTAKERUか通販での購入だった。

68で立体視初体験!

前述した電脳倶楽部の投稿だったと思うが、
特定の68ソフトを立体視で遊ぶ事が出来るアプリケーションがあった。
そのアプリケーションを起動し、対応したソフトに入れ替えると、
錯視による画面の奥行きや飛び出しを体感する事が出来たのである。
『ドラゴンスピリッツ』『スペースハリアー』『ファンタジーゾーン』『シルフィード(海賊版)』
などがそれに対応していたと記憶している。
ただしこれを楽しむにはファミコン用の3Dメガネ『ファミコン3Dシステム』を改造する必要がある。

68の勝手移植達

X68000に勝手移植されたゲームは市販タイトルに迫る勢いだった。
しかもそこで目指されたのは完全再現であり、
ときには市販の移植タイトルのクオリティを超えるものすらあった。
ここに記憶に残る限りのタイトルを残しておこう。

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■ギャラガ
■ギャラクシアン
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