1981年12月。
PC−8001の上位機種としてPC−8801がこの世に生まれた。
その頃まだ俺様はパソコンに興味を持っていなかった。
その理由は簡単である。高価だったから。
PC−8801は定価22万8千円。専用ディスプレイやデータレコーダーも必要だったから、
一式揃えると40万円に達する勢いだった。
そんなものを小学生がポンと買って貰えるわけもない。




俺様の視線にパソコンが下りて来たのは、それから2年後、1983年。
低価格パソコンPC−6001mkIIが発売されてからであった。
PC−6001mkIIでも定価は84800円。
しばらくは『こんにちはマイコン』に付属されていた紙製のキーボードを叩いてパソコンユーザー気分を味わっていたのだった。(笑)
それと同じ頃にPC−8801mkIIという機種が発売されている。
大きな変化としてはフロッピーディスクドライブが搭載された事だ。
ドライブが2基内蔵されたmodel30で定価27万5千円となっている。

それからさらに2年が経過した1985年。
ホビー志向が強くなったパソコンPC−8801mkIISRが登場する。
アナログRGB対応で発色数が強化され、さらに高速処理化も図られた。
この拡張モードをV2モードと呼び、従来のV1モードとスイッチで切り替えられるようになった。
(V1モードには完全互換のV1Sと高速化されたV1Hがあった)
また、BEEP音のピーピーした音しか出なかった従来機から、FM音源3音+PSG3音のサウンド機能が搭載された。
これにより88はゲーム機として遜色の無いスペックとなったのである。
それを証明したのがSR発売と時期を合わせるように登場したSR専用ソフト『テグザー』であった。
これ以降、88ゲームの歴史を作っていくのはこのSRスペックなのである。
それから次々と魅力的なゲームが登場するSR。
俺様のマシンPC−6001mkIIはその活躍を見守りながら、市場から少しずつ消えていった。





SRが登場してすぐにPC−8801mkIIFR、PC−8801mkIIMR、PC−8801mkIITRが発売された。
FRはSRの廉価版である。SRmodel30が25万8千円だったのに対してFRは17万8千円と抑えられていた。
当時、学校内で88を購入した人が増えたのもこの時期で、ほとんどの友人がFRを買っていたように思う。
MRは2HDドライブが搭載された。また、128KBの増設RAMが搭載されていたり、第二水準漢字ROMが搭載されていたりした。
いわばシリーズのハイスペックモデルだったが、それでも23万8千円と、SRよりは安価だった。
俺様が買ったのはこのPC−8801mkIIMRである。細々と貯めてきた貯金を全て投げ打った。
その日から、バラ色の88生活が始まるのである。
あの頃は学校から家へ帰るのが待ち遠しくてたまらなかったなァ。
ゲームをプレイするのはもちろんのこと、雑誌のプログラムをかたっぱしから入力したり、音楽プログラムを作ってみたり・・・。
ああいう充実した日々は今はなかなか味わえていない事に気づく。
何でもあり過ぎて手に負えなくなってるのかも知れない。森が大き過ぎると一本一本の木にまで意識がいかなくなるものだ。
さて、話を戻そう。
2HDドライブを搭載したMRだが、実際俺様が2HDディスクを活用できた事はほとんど無かった。
確かに2Dディスクの2倍の容量を書き込めるが、市販ソフトはほとんど2Dでの供給だったし、
まわりに2HDドライブを持っている友人もいなかったから、運用にも使えず。あまり意味が無かったように思える。
TRはモデムが搭載されたモデルだったが、これは実験的な意味合いが強かったようだ。
88でパソコン通信をやっているという人を俺様のまわりでは聞いた事が無い。





1986年にはPC−8801FH、PC−8801MHが登場する。
大きな特徴としては、駆動周波数を4MHzと8MHzのいずれかに切り替え可能になった事で、
さらなる処理速度の向上が見られた。
これにより、『V1S/V1H/V2』と『4MHzと8MHz』の組み合わせで新旧様々なソフトが動作した。
特にアクションゲームなどは、「このゲーム難しいから4MHzにしてスピードを遅くしよう」なんて事も出来た。
逆にV1モードで作られたゲームをV2の8MHzで動作させると、サイヤ人並のスピードになったりとかな。(^^;
FHは本体色をこれまでのクリーム色から黒へと変えたPC−8801FH Blackも発売された。
結構かっこよかったので、今考えると値段が落ちたときに(観賞用に)買っておけば良かったなぁと思う。
この頃にはイメージタレントとして斉藤由貴を起用したり、NECが一般層普及マシンとして88に力を入れていた事が伺える。





1987年にPC−8801FA/PC−8801MAが登場。
ここでの特徴は“サウンドボードII”が搭載されたこと。
これはステレオFM音源6音+リズム6音+SSG3音+ADPCM音源1音を備えており、
クリアで美しいサウンドが俺様の耳を魅了したものだ。
正直言ってゲームのBGMを美しいと思ったのはこの頃が頂点であった。
“サウンドボードII”の音色は一生俺様の耳から離れないであろう。
ちなみに俺様のマシンMRは、ディスクを読み込ませるとディスクの磁性面に傷をつけるという奇病に冒された。
修理に出す手も考えたが、当時の俺様は帝王通信の制作などによりパソコンとは切っても切れない生活を送っていた。
そのため、身銭を切ってPC−8801MAを購入したのである。
まぁそのおかげで8MHzという駆動周波数と“サウンドボードII”という素晴らしい音源を手に入れた事になり、
さらに充実したパソコンライフを送れるようになったわけだ。
ちなみにMAは定価19万8千円だった。

1988年にはテレビに接続できるPC−8801FEが登場。
拡張スロットが廃止されたり、BASICやサウンドボードIIが内蔵されていなかったりと、徹底的な廉価版として登場したのだった。
本体の大きさも小さくなっており、FM−TOWNSで言うところのMARTY的な感じを受けた。
よりゲーム機に近いFEは俺様にも俺様のまわりでも不評で、持ってる人は見かけた事が無い。
店頭で画面を確認した事はあるが、そもそもRGB出力を想定したソフトをテレビ出力で見る事に無理があった。
また、同じ頃にPC−8801MA2も登場している。こちらはこれまでの機能が活かされたモデルで、正統後継機と言える。
ちなみにFEが12万9千円。MA2が16万8千円。
FEは案外高い。

1989年になると88時代にも陰りが見え始めた。
時代は8ビットから16ビットへと移行していったのである。
88も1987年に16ビットマシンであるPC88VAをリリースしていたが、
同社のPC98シリーズとの差別化がはかれない機種になってしまった。
ホビーパソコンとしてはこれまでの88で十分だったし、16ビットマシンとしては98シリーズが台頭。
さらにはシャープのX68000ほどのインパクトは無いという中途半端な位置。値段もそれなりに高い。
そんなVAだったので、88年に登場したPC88VA2、PC88VA3でシリーズを終えている。
専用ソフトも少なかったしな。
そういった過程を経て、戦艦大和のごとく時代の幕をしめくくる最強の88が登場する。
PC−8801MCである。
当時にしてマルチメディアの最先端をイメージさせるメディアCD−ROMドライブを搭載したのである。
とはいえ、すでに消えていく運命が見えていた8ビットパソコンでなぜそれをする必要があったのか?
多くの人が疑問を投げ掛けた。
専用ソフトも数本しか出なかった。
このMCにはV2HモードというV2を高速化したモードがつけられており、さらに快適にソフトを楽しむ事ができた。
(同時期に発売されたPC−8801FE2にも搭載)





VAシリーズによる88シリーズの16ビット化に失敗したNECは、次なる手を考えた。
98シリーズに88シリーズの資産を取り込もうとしたコンパチブルマシンPC−98DOの誕生である。
PC98DOはモードスイッチの切り替えにより88と98の両方のソフトが使える夢のマシンだったのだ!
88シリーズはこれまで上位互換にこだわって継続されてきた。
PC−8001時代からの資産は一部を除いて利用する事ができる。
それが約10年にも及ぶ88時代の強味であった。
この98DOもそのコンセプトを引き継いだマシンであったと言えるだろう。
だが、88モードはMH相当のスペックでサウンドボードIIが内蔵されてなかったりとイマイチ。
98モードもVM21相当のスペックで98としても中途半端。結果、受けがとても悪い機種になってしまった。
さらに1990年には、DOの問題点を解消したPC−98DO+が登場するが、
すでにこのとき88ユーザーは98やX68000に乗り換えており、88を顧みる人はほとんどいなかった。

こうして88の時代。いや、8ビットパソコンの時代は幕を下ろした。
その後、パソコンはスペック的にも普及規模も爆発的に広がりを見せていくのだが、
ことパソコンゲーム市場が最も盛り上がっていたのは(アダルトを除いては)あの時代では無かったかと思う。
ああいう時代に88という素晴らしいマシンを体感出来た事は感謝の意を示したい。
高価なパソコンを買ってくれた親に。
シリーズを盛り上げてくれたNECに。
そして当時のパソコン業界の多くの人々に。