目指せ格闘王[復刻版]
このコーナーは、元祖『帝王通信(88)』で連載されていた名コーナーを
著者である砂丘座氏の許可を得て再掲載したものである。
当時の雰囲気をそのまま出すため、基本的に改稿せずに掲載しているが、
固有名詞や内輪にしかわからないような単語は編集させていただいた。
(といっても構成上カット出来ない部分は意味不明かもしれないが・・)
なお、この文章に関するご質問やご意見などは、
大帝王通信宛にメールされても対応出来ない。
『流れ者の酒場』の方に書き込んで頂ければ筆者の目に届くかもしれない。



#1『ボクシング』
#2『柔道』
#3『相撲』
#4『これでいいのか?マンガの中の格闘技、陸奥圓明流をぶったぎる!!』
#5『砂丘座の独断と偏見、イラスト講座!君の女戦士を見つめ直せ!』
#6『空手』
#7『合気道』
#8『格闘書籍入門』
#9『格闘戦における武器とその対処法』
#10『急所の科学』
#11『格闘技から見た格闘ゲーム』
#12『THE STORONGEST MAN −そして最強とは−』
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<1991年6月発刊「帝王通信21号」からの転載>
目指せ格闘王 第1回『ボクシング』

どうも始めまして、砂丘座です。
テクノポリスの同人コーナーから拾われて、このコーナーを任せられる事になりました。
このコーナーはタイトル通り、格闘技コーナーです。
毎月テーマを決め、それに基づいた話やテーマの説明、
あるいは何の役に立つかわからない実戦編などをまとめあげて、
最終的に世界最強とは何か、または誰かを決定するのが目的でもあります。
では今月のテーマは『ボクシング』です。

ここから口調を変えさせてもらう。
ですます調では調子が狂うので、礼儀を知らぬ大馬鹿者、この田舎マイノーリティーめがと、
言われるのを覚悟でこれを通させてもらう。
さて、ボクシングと言うと、まず思い出されるのは、マイク・タイソンであろう。
精神的コンディションの不調から、東京ドームでダグラスにK.O.負けという失態を演じてしまったものの、
開き直ったのか、ティルマン、スチュワートを1RK.O.。
最強の敵と言われたラドックにも勝利し、完全復活を肉体で宣言しまくっている。
おっと、忘れていた。ダグラスとも再選し、7Rで倒している。

私は東京ドームでの対ダグラス戦を、妹が入院していた市立病院の病室で観ていた。
もちろん、片手にはドラゴンクエスト4を持っていた(2月10日の事だった)。
タイソンがK.O.された時、思わず大声を出してしまったのは今でも覚えている。
彼はなぜ強いのか。これは何度も言われて来た事であるが、大型戦車ぞろいのヘビー級の中で、
彼の体格は軽戦車とでも言おうか、しかもキャリアも他選手と比べると短めである。
常識では彼に勝ち目はない。しかしもし彼が軽戦車ではなく、ナイト2000であったら?
そう、彼の強さはパンチの正確さと敏捷性である。
まあ、これは有名な話であるから、敢えて書く必要もなかったかも知れないが。

よくボクシングは最も科学的な格闘技と言われる。
長期間にわたるスケジュールは、選手の運動能力や栄養学を考慮して立てられ、
拳を打ち込むスピードや角度も力学的に研究されているのは、もちろんゲームにおけるスタミナ配分もだ。
これにはボクシングという格闘技の特徴が大きな要因としてある。
つまり、ただ一つの武器『拳(BOX)』でのみ闘うという事である。
スポーツとしての格闘技を目指すために、意図的にその技を減らしていった格闘技は数多い。
柔道は足への関節技と打撃技を捨て、テコンドーは蹴り以外の技を極端に減らした。
ボクシングも拳以外の全ての武器を自ら投げ捨てたのだ。
しかし、だからといってボクシングは弱い格闘技というのではない。
たがみよしひさの『ファイター』の中で、“ナイフを沢山抱え”のよりは
“マシンガンを持った”方が強いという意味の台詞がある。
よくプロレスとボクシングの異種格闘技戦がある。確かに技という意味ではプロレスの方が多い。
だが、レスラーが真正面から向かっていった時、マットに沈むのは大抵レスラーである。
現にトニー・ホームが橋本真也と闘った時、橋本は(得意技がキックだった事もあるが)、
正面からホームに向かい、そして見事にノックアウトさせられた。
そう、ナイフを抱えた男はマシンガンに射殺されたのだ。
ボクシングは技が少ない。とは言えボクシングは殴るという事の研究にその歴史を費やしてきた。
ジャブ、ストレート、アッパー、スマッシュ、ジョベルフックにコークスクリューと有名な物をあげていっても、
ただ握り締めた手で相手を打つ、というだけの技がこれだけあるのだ。
ボクシング、それは破壊力と連射速度を自在に変えられる、超高性能マシンガンである。

さて、お楽しみの実戦編である。
ドラマやマンガなどでよく不良なんかはボクシングをやってる設定が多い。
実際にボクシングをやっているのを知らずに絡んで、鼻を砕かれたという悲惨な話もある。
この場合、相手がボクサーかどうかというのは案外見た目では分からない。
それは減量と激しいトレーニングのために、体が細く引き締まっているからだ。
逆に一般人よりも弱々しく見える事もある。
では実際にボクサーとケンカになってしまった時どうすればいいのか。
私なりに考えた対ボクサー戦法を書こう。
先にあげた橋本戦の後、空手家青柳政志がトニー・ホームと闘った。
彼も蹴りを主武器とする格闘家であるが、その戦法は橋本とはまったくといっていいほど違っていて、
彼はマットに四つん這いになり、足を狙い、その上で大ダメージを与えられる頭を襲撃したのだ。
体格差も大きかったため、3Rで青柳はK.O.されたが、
もしも彼の体がトニー・ホームと同じ位、いや橋本程度でもあったとしたら、
おそらくK.O.されたのはトニー・ホームであったろう。
現に彼はキックで二度トニー・ホームをダウンさせている。
この対ボクサー用スタイルは、アントニオ猪木がモハメド・アリ戦で用いた物とも良く似ている。
もっとも、猪木は寝技に持ち込もうという考えからこのスタイルを取ったと言われているが、
それでもローキックを多用し、アリの両足のふくらはぎに血栓障害を起こさせている。
この事から言えるのは、ボクサーにとって腰から下は基本的に無防備な部位であると言う事だ。
よってまず先手として、腕よりもリーチの長い脚を使い、ローキックや関節蹴りで相手の足を止める。
これは相手にダメージを与え、その上で動きを止めるためだ。
この時、上半身はしっかりブロックしておくのが重要である。
蹴ろうとしたとたんカウンターという可能性もあるからだ。
こういった状況で有効なのが、関節を狙ったドロップキックである。
全日本プロレスの渕正信がJrヘビーのタイトル戦でよく菊池の膝目掛けてこれを飛ばす。
ボクシングで互いに抱き合う事をクリンチという。
これを使って呼吸を整えたり、リズムを取り戻したりするのだが、ケンカでそんな事はしていられない。
つまりボクシングの弱点は極端に接近した間合い、組み合いに弱い事である。
ボクシングに受け身というものはない。いや、必要ない。
リングで倒れるのは、負けた時だけなのだからである。
組み合いから技を仕掛ける事は容易である。
力任せに振り回したり、投げ飛ばしたり、膝蹴りをしたりと、単純なものだけにこれだけある。
問題は組み合いに入る前に、ボクシングの最も得意とする拳の届く範囲の間合いを
通過しなければならない事である。
スピードと反射神経に自信があれば、パンチをかわして入ればいいのだが、
自信がないときは体力に任せ、一発はもらう覚悟で飛び込みしかないだろう。
(スライディングという手もあるが、路上でスライディングは逆に痛いのでお薦め出来ない)
あと、ボクサーと対戦するとき、気を付けなければならないのはスタミナである。
ボクサーのスタミナは物凄い。それに1分程度のインターバルで半分以上回復させられる回復力も脅威である。
よってボクサーとは短期決戦、理想で言えば一撃必殺が望ましいのである。
まとてみよう、対ボクサー戦で必要な事は極端に遠いか近い間合いと、下半身への攻撃、
そして短時間での決着である。

今月の『目指せ格闘王!』はいかがだったであろうか。
何の役にも立たないコーナーではあるが、これからもこのノリで続けたいと思う。
では、次回のテーマは“柔道”。
来月も特徴と実戦の二本立てでいくからな。気を抜くんじゃないぞ、いーな?
よし、最後に気合いを入れて、今月の幕としたいと思う。
『燃えろぉぉぉぉぉっ!!!』



<1991年7月発刊「帝王通信22号」からの転載>
目指せ格闘王 第2回『柔道』

どうも、砂丘座である。
今月のお題は柔道。また雑談と実戦の二本構え、
延髄ラリアットからパワーボムの川田必殺バージョンでお送りしよう。

おそらく世界で最も競技者人口が多い格闘技であろうし、
日本の男性の過半数が一度はこれを経験した事があるだろう格闘技、それが柔道である。
演歌にも歌われる位ポピュラーなこの格闘技、
もちろん古くから少年マンガで親しまれ(『柔道一直線』とか『弥生の大空』とか)、
つい最近まで週刊少年マンガ3大誌全てに柔道マンガが掲載されていたぐらいである。
(ジャンプの『ひかるチャチャチャ!』、マガジンの『ビバ!JUDO愚連隊』、サンデーの『帯をギュッとね!』)
青年誌では何と言っても『柔道部物語』であろう。実際あのマンガが一番現実の柔道部に近いと私は思う。
第一だな、柔道部に美人マネージャーがいてたまるか!
(と、柔道生活6年とちょっとの私が断言する。それにYAWARA!はちょっと、ね・・・)

話が暴走しかけて来たので、元に戻そう。
さて、前回のボクシングの時に少し話した事であるが、柔道は柔術から打撃技と脚への関節技を排除したものである。
正確に言うと、講道館柔道の創始者嘉納治五郎氏が天神真楊流、起倒流の二流派の柔術の中から技を取り出し、
それに新しい技を加え、完成したのが現在の柔道である。
元々、柔術というのは戦場での戦闘技能である。であるから、原初の形に近い柔術では、
相手を倒したあと、小柄(和風コンバットナイフ)でとどめを刺す動作を残しているもの、
剣術と体術が混在しているものでは、何と鎧兜といった具足一式を身に着けた相手を投げ、
しかも、投げられた方も受け身など取らず(鎧を着たまま倒れては起き上がれないから)、
そのまま一回転して立ち上がるという、ほとんど大道芸のようなものまで存在しているのだ。
そこの読者、これは冗談ではないぞ。

さて、柔道と言うと、思い出す言葉として『柔よく剛を制す』というのがある。これを体現したのが古賀選手である。
何年か前の全日本選手権では、無差別級に出場し、
重量級の選手をその得意の背負い投げで投げ飛ばし、見事に決勝進出を決めた。
では『柔よく剛を制す』と対になる言葉は何であるか?そう『剛よく柔を断つ』である。
このとき古賀と共に決勝に進んだのは確か重量級の斎藤であった。この二人の柔道の能力はほぼ等しい。
さて、想像して欲しい。同じ戦闘力を持つなら、レッドノアとニューノーチラス、
真っ正面から向かった場合、どちらが勝つだろうか?(アニメではニューノーチラスが勝ったが)
つまり、技に入るタイミングやら試合の駆け引きといった部分が等しければ、力の強い方が勝つのは当然といえよう。
現に古賀は一本負けで、この大会準優勝に終わっている。

柔道といえば、代表的な技はやはり投げ技であろう。四肢と肉体を使いこなし、
相手の動きとバランスを崩し、そして地に倒す。
投げ技というのは与えるダメージが実はかなり大きい。というのも、投げられた時、というよりも地面に落ちた時に、
自らの体重+加速+地面からの反動が全身を襲うのである。
柔道は基本として相手を投げ捨てるのではなく、相手を手前に投げ落とすという感じである。
つまり、放り投げた相手の体から手を放さず、なおかつ相手が地面に落ちる瞬間、その手を引いてやるのだ。
これは、相手にダメージを与えないようにするためである。
現代柔道に必要なものは破壊力ではない、美しさである。それとは逆に柔道の過激な点は絞めである。
世界に格闘技数あれど、相手を死に到らしめる可能性のある、頚部動脈及び気管、
神経系の圧迫という攻撃が許されているのは柔道くらいであるからだ。
まあ、完全に決まった絞めは気持ち良いと言われているが、あまり進んで極められたくないものである。

では、そろそろ実戦編といこう。
柔道家を相手にする時、大切な事は、懐に入られないという事と、服を持たれないという事である。
まず、懐に入られたら、これは完全にお手上げである。本来投げるというのは、そう難しい事ではない。
相手を捕まえて振り回せばそれで相手は倒れるだろう。
懐に入られないということは、相手の腕が自分の体のあらゆる部位を掴む事が可能だという事を意味する。
初段程度のレベルなら、数秒のうちに自分の投げ易い部分を完全に取ってしまうことだろう。
第二の『服を持たれない』というのは懐云々とも関係ある事だが、
現代人にとって服は第二の皮膚といっても過言ではないだろう。それを掴まれるのである。
これだけで、動きはほぼ完全に止まってしまい、易々と懐への侵入を許してしまうことになる。
また、実戦で柔道が恐ろしいというのは、投げを主体とする格闘技という事である。
柔道は普通畳の上で行う。知っての通り畳というのは柔らかいものだ。
その上で手加減された投げをうつのであるから、受け身がとれさえすれば、大きなダメージを負う事もない。
ところが、畳の上ではなく固いアスファルトの路面、荒れ地などではどうだろう。
例え受け身を取ったとしても、かなりの衝撃が全身を襲う事となる。
その上、地面に横になっている相手ほどもろい者はない。顔面に蹴りの一発でももらえば、良くて歯が折れ、
悪ければ失神、あるいは死去という結果が待っている。
これらの点から柔道家と対する時に必要な事は相手に有利な間合い、
つまり相手の手の届く近距離の範囲に入れない事である。
相手が近寄ったらパンチをカウンターで入れるか、踵で膝の関節を蹴るかしてから逃げる、この繰り返しだ。
また、柔道家は打撃系の攻撃に慣れていないという事も、柔道攻略の糸口となるだろう。
あと、夏場のビーチで柔道家と闘うか、冬のスキー場で闘う
というのもダメージ減少という点から考えると有効な手である。
夏場のビーチというのは、上半身裸(男性の場合)であるという事からも有効であるし、
さらにサンオイルなどを塗っていれば言うことなしである。
ん?笑っているな?おかしいだろうが、これは事実である。

今月の『目指せ!格闘王』はいかがだったであろうか。書いた本人も自覚している無用の長物的コーナーではあるが、
この破壊力のある無意味なノリはこれから先も続くものだと覚悟してもらいたい。
来月のお題は『相撲(角力)』。男臭い格闘技が続くが、それも運命と思ってくれ。では今月はここまで。
最後に気合を入れて終わりたいと思う。ではいくぞ。
『1・2・3 ダァァァァァァァァ!!』



<1991年8月発刊「帝王通信23号」からの転載>
目指せ格闘王 第3回『相撲』

どうも、砂丘座である。今回のお題は『相撲』であるが、その前に前回の事について少々補足を。
まず全日本柔道選手権無差別級の覇者は小川であった。訂正する。
あと、柔と剛云々で帝王幻一郎氏より意見があった。
あの部分は本人も自らの理解力と表現力の無さからの文章と反省している。
なお、この件に関しては、いつか中国武術の回でまた言及したいと思うので、
納得できないと考えた諸君はそれまでその憤慨を抑えておいていただきたい。
このように付け焼き刃の知識による、半ば劣化したゴムを用いたバンジージャンプのようなコーナーだが、
見捨てずに応援して欲しい。

では、本編に入ろう。
今、世間は相撲ブームといっても過言ではない。
スポーツニュースやスポーツ新聞では花田ブラザーズや貴闘力が顔を出し、
少年青年を問わず、マンガ雑誌には大抵相撲をテーマにしたマンガが連載されていた。
有名どころというと『つっぱれ五所瓦』あたりだろうか(『おかみさん』ってこの範疇に入るのかな?)
相撲というと読者諸君はどんなイメージを持つであろうか?
『肥えた男が組んずほぐれつして豪快に相手を投げ飛ばす』
『筋肉質の小兵が巧みに巨体の肥満を放り投げる』
代表的な所でこんな物だろう。
確かに相撲の決め技は投げが多いが、実は相撲はかなり高レベルにある打撃性格闘技なのだ。
突っ張り、ガチンコ、ぶちかまし、蹴たぐりetc
と頭から脚までおよそ打撃性格闘技に必要な部位を全て用いての攻撃が行われる。
そしてその破壊力たるや、おそらく世界有数のものであろう。
全盛期の高見山がアントニオ猪木の異種格闘技戦に対し、
「あんなもの私のぶちかましと張り手で簡単に破れる」といったコメントを残しているそうだし、
一説によると、体重の乗った張り手はヘビー級ボクサーのストレート以上の力を持っていると言われている。
さらに、力士のトレーニング方法がその破壊力を倍増させている。
彼らは鉄砲の練習と張り手で太い木の柱を叩き、さらに額まで叩きつける。
これは、中国武術の外功に匹敵するトレーニングである。
洪家拳などの外功系と呼ばれる拳法に鉄砂掌というのがある。
鉄砂掌とは手、特に掌を砂や砂鉄、または鉄の小粒の入った麻袋に幾度も叩きつける事で
手自体を一撃必殺の凶器に変えてしまうというもので、中国では敵撃ちの際、これを用いたと言われている。
相撲も木の柱とはいえ、硬く目のつまった材木を打ち続けているのだ。
おそらくあの張り手を素人が食らったりしたら、頭部が変形しかねない。
筒井康隆の小説の中でエピソードとして、
空手の高位有段者がふんどしかつぎにあっさり負けたという話があった。
私が思うに、それは真実だろう。それは相撲という格闘技自体の持つ破壊力の証明に他ならない。

太った子供を『すもーとり、すもーとり』と軽くからかった覚えのある人もいるだろう。
力士の特徴はあの体格である。今でこそ千代の富士を代表格とした筋肉質力士が増えているが、
やはり主流はアンコ型体形だろう。短く太い脚に、でっぷりと脂肪のついた上半身。
確かに見た目は良くない。しかし、この体形こそが相撲のルールと性質の中で最も効率の良い体形なのだ。
知っての通り相撲には土俵がある。この勝敗を決するラインを越えさせるために多くの技が生まれた。
そして、それを防ぐために技が作られ、そして体形を改造していったのである。
そしてこの高重量低重心の肉体はもう一つの勝敗ライン、投げをも防ぎ、
全身についた脂肪は、打撃技を吸収する。
しかしこの肉の鎧は両刃の剣である。人間の骨格の設計以上の重量を身につけ、激しい肉弾戦を行う。
足腰には負担がかかり、そしてある日崩壊を迎える。
それは自分の技量も考えずに思わずロケットエンジンを買ってしまったプレーヤーのオパオパにも似ている。

蹴速相撲という武術(こういった方が感じが出る)がある。実在する武術ではない。
岡村賢二の『蹴速の闘魔神』に出て来る相撲の原形とされる古流武術で、おそらく岡村氏の創作であろう。
その由来は日本書紀中の野見宿称と当麻蹴速の闘いであり、その勝者宿称は現在の相撲の祖となったが、
敗者蹴速の相撲も時代の影で殺人技能として伝え続けられていた。
という物語設定がなされている。この劇画(これもこういった方が感じが出る)と、
日本書紀中にわずかに語られる古代相撲の技、
そして現在の相撲から古代原初の相撲とはどのようなものであったかを、想像してみたいと思う。
私はおそらく骨法に似たものであったと考える。張り手はもともと掌打掌低突きであったものが、
後世殺傷力の少ない(それでもかなりの威力が)張り手になったものであろうし、
投げも本来はもっと殺傷力のある受け身など取らせぬ技だったのだろう。
そして“かんぬき”や“とったり”といった技の中にはサブミッションの痕跡が残っている。
だが、ほぼ完璧に消滅した技もある。それは蹴り技である。
“蹴たぐり”を除くと、脚による打撃技はほとんどない。日本書紀中には前述二人の激しい蹴撃と、
踏み殺されるという壮絶な最後が記述されているというのに・・・。
それは、現代の相撲のルールから生じたのだろう。
土俵と地面に体が触れたら負けというルールが、蹴りの使用を許さないのだ。
いや、もしかしたら古代相撲の中で最強の技であった蹴りを封印するために
このルールが作られたのかもしれない。
それどころか、必殺の戦闘技能であった古代相撲と決別し、スポーツ化された相撲、
祭儀化された相撲を創造するために、このルールが作られたのではないだろうか。
寝技や蹴り、掌低や受け身の取れない投げは、殺人のための技術につながる。
そういった血生臭い影を消すために作られたルールのもとに現在の相撲がある。
そう考えると、背筋に冷たい物が走る気がする。

さて、ここで掌低と張り手の違いを書こう。
掌低というと藤原組の船木、新日のライガーなどがよく使うもので、また骨法の代表的な技でもある。
掌の下部、ちょうど手首関節の上、親指の付け根付近で殴る掌低はどちらかというとパンチに近い。
しかし、手を開いた状態であるためパンチよりも筋肉の自由度が高く、
変化に富んだ角度からの攻撃が可能であり、その上連打が出来る。つまり非常に実戦的な技である。
掌低は波紋の突きと呼ばれることもある。
これは、掌低による衝撃は、振動そして波紋となり、体内器官にダメージを与え、眠らせる。
気絶で済めばまだいい。当たり具合によっては簡単に内臓障害、脳障害、そして死へとつながる。
これに対し相撲の張り手は単発でしかも相手を押し出すための要素が強く、
殺傷力という点では掌打とは格段の差がある。
といっても、並みの格闘家のパンチと比べ物にならない力はあるが。

では実戦編に移ろう。
うーむ、実に申し訳ない話なのだが、相撲取りと喧嘩になった場合、私は逃げる事をお薦めする。
一応寝技に持ち込んで関節を極めるという方法もあるのだが、
相手を寝かせるのが大変であるし、関節蹴りを入れようにも、
その前に“ぶちかまし”や“張り手”が来たら、自分が吹っ飛ばされる。
へたなパンチ、キックは効かないし、投げがあの重心のとれた肉体に通用するとは考え難い。
という訳で、もしそんな一生に一度あるかないかという状態
(両国辺りに住んでいるならあるかもしれない)になってしまったら迷わず後ろを向き、
全力で走り去るか、素直に誠心込めて謝るか、もしくは凶器でも持ってかかっていくしかない。
どれが有効かは諸君自身で決めてくれ。
私?私なら走って逃げるか、失敗覚悟でDDTでもかけるだろう。

さて、今回の『目指せ!格闘王』いかがだったであろうか。
相撲の破壊力というものがお分かりいただけただろうか。
では次回のお題は少々格闘技の紹介から離れたいと思う。それでは何をテーマにするのかというと、
「これでいいのか?マンガの中の格闘技、陸奥圓明流をぶったぎる!!」である。
おそらく賛否両論プロレスニュースとなる内容になると思うが、
一度言及してみたかった事であるので、書かせていただく。
では暑い夏ではあるが、全身から気合をほとばしらせて突っ走ろうではないか。
では気合いに行くぞ
『1・2・3 ファイヤァァァァァァァァ!!』



<1991年9月発刊「帝王通信24号」からの転載>
目指せ格闘王 第4回『これでいいのか?マンガの中の格闘技、陸奥圓明流をぶったぎる!!』

どうも、砂丘座である。
前号にてとんでもない疑惑をかけられ、
左膝を痛めた上フライの猛襲撃を食らった前田日明のごとくマットに沈んでしまったが、
その疑惑というか誤解を振り払うために、さらに力を入れてこのコーナーを進行させたいと思う。

では、今回は陸奥圓明流をぶったぎる訳だが、
その前にまず一言、私砂丘座本人としてはこのマンガ大好きである。
私の所属している物理部の前部長は、
『修羅の門』と夢枕獏氏の『キマイラシリーズ』との相違点を指摘していたが、
そんな物抜きにしてもこのマンガは面白い。
ストーリー的にも、絵的にもしっかりしているし、誤った格闘技知識もほとんど見られない。
(シューティングとシュートボクシングを間違うなんて事をしてたら笑い飛ばす所であるがな)
最近の少年誌の格闘マンガにしてはしっかりした、骨太の作品である。
が、愛する作品にあえて一格闘技研究家としてメスを入れ、分析して見るのも、
ある意味での愛の鞭になるのではないか、と私は考えた訳である。

「陸奥圓明流千年の歴史に敗北の二文字はない。」
何とも物凄い設定である。
千年前というと、約西暦1000年、
平安時代も中頃、摂関政治が始まろうかという時であろうか。
おそらく陸奥圓明流創始者は有力貴族か、皇室を守護する武士の一人か、
またはかなり古い血筋の家を生家に持つ者であろう。
と、いうのは私は陸奥圓明流の源流にあるのは、中国武術か、またはそこから分離し、
発達した古武術と考えるからである。
縄文時代後期から弥生時代にかけ、日本に渡来した中国系の民族の中に
初期中国武術の伝承者がいたとすれば、彼は日本でもその修行を続け、
そして日本に残す自らの子孫にもその技を伝えていくだろう。
その流れの中で発達していった技が芸術的とも言える殺人技能と昇華され、
その技に陸奥圓明流の名が与えられた時にその不敗神話が始まった、というのが私の考えだ。
もっともマンガにこういった説を出しても、ようは作者である河原正敏氏が
どう思っているかでまったく無意味になってしまう訳であるが・・。

陸奥圓明流伝承者も、やはり時代の影と闇の中で生きていたのだろう。
山の奥深くに隠れ住み、鬼と恐れられていたのか、
または天皇の命でその鬼と呼ばれた旧日本民族を狩る、決して表に出る事はない狩人であったのか、
それは後日外伝である『修羅の刻』に書かれるであろう。
さて、『修羅の門』と言えば、あの独特の必殺技であろう。
今度はその特徴ある技を解剖してみよう。
まずは蔓落としなどの蔓系の関節を極めた上での投げを言及しよう。
私の友人に八極拳を独学で修行する者がいるが、
彼が友人に蔓落としをかけたら、全然決まらなかったそうだ。
つまり、絵で見る限り、少々片股で固めた股がずれてしまえば決まらない、
本当にタイミングが難しい技である。
どちらかと言えば、踵落としやニールキック的な要素を含んだ飛蒸十字蔓の方が利用価値は高いだろう。

続いて『指突』。指を鍛え、肉体を貫く。
私は南斗聖拳を連想してしまったが、これこそ外功系の中国拳法の技術に他ならない。
この利用法として、投げに持ちこまれた時に相手にダメージを与えるというのがあるが、
その投げがタイミング良く決まってしまったら、相手が倒れる前に自分の命が危ないと思うのだが。
まぁだからこそ肉体を極限まで鍛えるのだろう。
蛇破山とその裏技朔光。相手の拳の軌道を自ら突きで変え、それによって生じた隙に肘を入れる、
かなりタイミング的にきつい技であるが、この程度なら、似た技を持つ現実の格闘技もあるだろう。
主に肘技には蛇破山、裏技には朔光が使われるようだが、
私には朔光の方が状況的にも破壊力的にも利用度の高い表技だと思うのだが、
まぁ、その程度の事にいちゃもんつけても仕方がない。

『牙斬』。
打ち込まれた拳にクロスカウンター気味に突き入れた自らの拳によって、小指をえぐり破壊する。
理屈的には納得できる。(ヤ)や(暴)の自由業の皆様が小指をつめるのは、
握った拳に力が入らなくなる、つまり拳銃や武器を持っての攻撃をしずらくするという
極めて実戦的な理由からである。
これを確かめたかったら手頃な太さの棒を小指を立てて握ってみたまえ、
思いのほか力が入らないだろう。
確かに小指が砕けたりしたなら、正拳突きなどの破壊力は、通常よりは数段威力が劣るだろうし、
そこから剣を抜くにしても力が入らず、戦闘中に剣を弾き飛ばされる恐れすらある。
だが、手首から先を用いる攻撃は、拳銃だけではない。
そのことは中国拳法や骨法に多く見られる掌打やチョップを見れば一目瞭然であろう。
小指のダメージは小さい物ではないだろうが、拳による攻撃よりはそれは少ないはずである。
あれだけの技を駆使する圓明流が、そんな根本的とも言える部分を忘れているとは思えないが、
まぁ、後々出て来るだろう。

『雷』にいこう。
相手の肘を逆に極め、ちょうどアームブリーカーを逆に極めたまま逆一本背負いで投げて腕を折り、
そして落ちてくる相手の後頭部にローキックを入れる、完璧な殺人技である。
これは文句のつけようはそうない。まぁ、一言だけ言うとすれば、
ローキックよりトゥキックの方が殺傷力は高まるのではないかな。

『斗狼』。
もう一つの圓明流、不破北斗が竜造寺徹心に決めた蹴技である。
蹴りあげた脚を延髄に入るように引き、そこにもう片足を蹴り込んで首関節を極め、
ヘッドシーザース気味に投げて首を折る。これもなかなか考えられている大技、
欠点は首関節の極めが甘いと死にまでは至らないという事くらいか。

他にもいろいろ実戦的な技、つまり常人でも使用可能な技は多いが、その中で私がお薦めする、
というかお気に入りなのは訃露である。
唾や口に含んでいた固形物を目に吹き入れ、目を殺す。
かなり命中させるのが難しそうではあるが、
これ程までに勝つ事に徹した技は他のマンガには見られない。

続いて奥義的な技にいってみよう。
『虎砲』。密着した状態からの拳撃。中国拳法の寸勁という骨法に近い打ち方である。
空手の寸打やきざみ打ちの最終形といってもいいだろう。
そしてそれがさらに進化したのが無空砲である。
振動のみで相手が倒せる程激しく自らの腕を震わせ叩き込む。
その破壊力は物凄いが、極限まで自らの体を酷使する技でもある。
圓明流は古武術には珍しく気撃を否定している。陸奥真玄のじいさんは
『触れもせず人が飛び、骨を挫き、肉を断つ』事など出来はしないと言っているが、
それでは古代から近代までの中国拳法の達人達の存在の半分以上が否定されてしまう。
私は気と呼ばれる何らかの形でのエネルギーが人間や生物の体から出ていると信じている。
それを呼吸や修行により増幅、コントロールする方法を体系化したのが拳法であり、
古武術であるからだ。
ところが圓明流の奥義クラスの技は全て筋力を用いる、
いわば究極のレベルまで達した西洋的格闘技である。
(この東洋と西洋の格闘技の言及も後に計画している)

気を攻撃に用いた場合、『無空波』程度ならば通常の攻撃であの位の破壊力を出す事は可能である。
有名な所では八極拳などがその代表格である。
しかし無空波以上に常識外れなのは『龍波』であろうか。
逆立ち蹴りの脚を交差させるスピードで真空の刃、かまいたちを生み、敵を斬る。
かまいたちを生む、と簡単に言ってしまうが、それに必要なスピードは並じゃない。
自然現象で生じるかまいたちでさえ服や表皮を浅く斬る程度だというのに、
それ以上の破壊力を肉体だけで作るのは、はっきり言って不可能だろう。
もし、もし出来たとしたら、股関節は砕け、腿の筋肉は寸断、膝関節及び腱は脱白し、
裂け契れ、生殖器を始めとする内臓にも重度の負担がかかる程の筋力が必要となる、と私は考える。
これに比べたら、まだ四門の一つ『朱雀』の方が考え易い。
超高速で移動する事で自らの分身を生み、それに幻惑された相手の首関節を自らの両脚で固めて、
そのまま額に肘を当て、後頭部から落とし、額を砕き首を折る荒技である。
分身を作るスピードで動く事は、脚でかまいたちを作るよりは簡単であるが、
それでも常人には到底無理な事である。
だが、気功の存在を考えれば、それに近い動きを行う事は可能である。
軽身功という技がある。文字通り、気功を用いて身を軽く素早く動かす技であり、
達人では何の予備動作もなく、6m近く飛び上がったり、常人の走る速度、
しかも全力疾走程のスピードで息も乱さず長距離を移動し、
そして短距離であれば、まさに一陣疾風の如く走り去るという。
つまり、圓明流の奥義は気を用いる拳法ではある程度実現可能な物なのだ。
それを筋力でやろうとするから、あれだけのダメージを自らの技で負ってしまうのである。

余談ではあるが、『修羅の門』の第二部が終わった時、先に書いた拳士の友人と、
続いての展開を話し合った時、私と彼は、中国を舞台にした話にして欲しいと希望した。
現実はアメリカでのボクシング編になってしまったが
(実は私はこっちの方が第二部よりも面白いと思う)
今でも陸奥九十九と、最強の八極拳士との闘いなどを想像すると血が騒いでしまう。
最後になるが、こうマンガの中の格闘技を、まるで現実に存在するかのように考え、
批評してみるのは思ったより難しい物である。だが、現実の格闘技を解説するのとは、
また違った旨味があるのも事実である。
まだ真神流や蹴速相撲など、魅力ある空想上の格闘技が残っている。
いつかこうした物にも、砂丘座特製の歪んだメスを刺し込んでみたい。

今回の『目指せ格闘王』はいかがだったであろうか。
次回のお題は『砂丘座の独断と偏見、イラスト講座!君の女戦士を見つめ直せ!』
をお送りする予定だ。他の格闘技の資料を現在、探索中なので、
少々初期の路線から外れて来たが、
それでもうっとうしい程の気合いを放ち続けようではないか。
では行くぞ、右手の人差し指と小指を立てて、ハイ。
『ウィィィィィィィィィィィィィッ!!』



<1991年10月発刊「帝王通信25号」からの転載>
目指せ格闘王 第5回『砂丘座の独断と偏見、イラスト講座!君の女戦士を見つめ直せ!』

どうも砂丘座である。
今回で『目指せ格闘王』もはや5回を数えるわけだが、
下手すると今回で最終回という可能性もあるわけである。
もしそうなってしまったら、実に悲しい事であるので皆さん、
アンケートや投稿は忘れずに出して欲しい。砂丘座のお願いである。
では、今回の『目指せ格闘王』、
『砂丘座の独断と偏見、イラスト講座!君の女戦士を見つめ直せ!』
いってみよう。

とりあえず資料として、様々な雑誌のイラストコーナーを見てみた。
テクノポリス、ベーマガ、コンプティーク、ホビー。
こうして見ると、イラストにおける女剣士(又は女拳士)は
以下のパターンに分類される、と私は考えた。

1)普通の女の子に鎧を着せたタイプ
特徴として、ビキニ・アーマーやハイレグ・アーマーが見られ、
腕や胸の筋肉の割に重すぎる剣が共に描かれる。
女性がファンタジー系のイラストを書くとこんな少女が戦士となる。その場合鎧は軽装が多い。

2)ロリコン体形タイプ
鎧の露出度はかなり高め。ここで言うロリコン体形とは頭が大きく、
プロポーションがほぼ一直線、手足短め、ついでに目も大きい、といった共通点を持つ。
やはりロリコン系雑誌に多いが、この傾向を持ちかけているイラスト投稿者は潜在的に多数、
しかも男性に多いと私は見ている。

3)アメコミ・マッチョマンタイプ
このタイプは少ないが存在しない訳ではない。
特徴として、モデルのようなプロポーションの女性を筋肉質にしたような物に
ビキニ・アーマーを着せたイラストである。
一番近い所で「APPLE SEED」のデュナンをあげる。
いずれも、各人なりの女戦士のイメージであろうが、
人体工学的に見ると(そんな大袈裟な物ではないが)、真の女戦士とはこのタイプのどれでもない。
では、私の考える真・女戦士とは一体どんな物であるか。肉体の部位別に見てみよう。

まず上半身のさらに上部、つまり首周辺である。
もし重さ10kg以上の鉄塊を毎日振り回していたとしたら、確実に筋肉がついてくる。
首は間違いなく太くなり(胸鎖乳突筋の発達)、そこから肩に続く僧帽筋も増大する。
首は鍛えなくても、武器の重量により自然に太くなる。
武器による白兵戦は全身運動である。
一見まったく関係のない様な部分も、鍛えられ、強化されていく。
これが俗に言われるナチュラルに出来た筋肉なのである。
薬剤や集中的なトレーニングではなく、全身を動かすことで、全身を強化させるのが、
最も効率的であり、自然なのだ。
カール・ゴッチが行った自然石を持ちいるトレーニングは
まさにこの理論を具体化したもの言えよう。

腕。最も変化が目に見えやすい部位の一つである。
三角筋を始めとして上腕二等筋などが増強される。あと手首もかなり鍛えられるであろうし、
指も太く、厚くなる。
女性の描く白い手など望める物ではないのだ。

続いて胸からヒップにかけて見てみる。
イラストにおいてこの部位が重視されていないのは、
まだ格闘技がそれほど一般的ではないのかという気分にさせる一因である。
と言うのは、格闘技を体得せんと努力する女性は、
ほぼ必ずと言っていい程、男性的プロポーションとなるからである。
女性の乳房はほとんど脂肪である。あの柔らかい感触はそのためである。
さて、重い物を振り回すのであるから、
全身の筋肉の中で著しく強化されるのがこの胴体なのである。
理由は、腕を動かすのに必要な筋肉と、
上半身と下半身を接続してコントロールする関節があるためである。
胸の筋肉、すなわち大胸筋が鍛えられると、筋肉は増加し、
本来皮下脂肪が占めるはずのスペースをも占領してしまう。
これは女性の乳房にも当てはまり、女子プロレスラーを見ると、
走ったり、飛んだりしても胸が揺れない程、筋肉がバストのほとんどをなしているのだ。

ウエストも例外ではない。全身運動で最も大切な部位である腰。
この周辺の筋肉も、かなりの速度で鍛えられ、太くなる。
であるから、抱いたら折れてしまいそうな腰つきなど笑止すべき物にすぎない。
現にキューティー鈴木だって、工藤めぐみだって、井上京子だって、山田敏代だって、
豊田真奈美だって、ウエストは軽く60cmを超えているのである。
何、ブル中野やアジャ・コング?あれはもう・・・・あ、いや、
ブルのムーンサルトプレスに回転ギロチン食らいそうだからこれ以上はよしとこう。

ヒップ。これもおかしな事に小さく可愛いお尻を描く者が非常に多い。
しかし、よく考えて見ると、
腰と脚のジョイント部分にあたるこの部分がなんの変化もないのは、異常な事である。
女性のヒップの柔らかさはやはり皮下脂肪がその正体である。
つまり、鍛えられ、引き締まったヒップは、大きさは変化せずとも、手触りは硬くなるのだ。
大殿筋の発達が理由となろう。だが、こうやって書いていると、
私が女性の胸やらヒップやらを触って書いているような誤解を受けそうな気もするが、
まあそれはそれ、これはこれとゆー事で、次に行こう。

脚である。ここの部位で最も変化するのはやはり太腿であろう。上半身からの重量を支え、
さらにはその全身を移動させるこの器官、ざっと上げてみると、大腿筋膜張筋、
大腿二頭筋、縫工筋、大腿四頭筋などが存在し、強化されていく。
これを目で確かめたかったら、スピード・スケートや自転車競技の選手を見ればよい。
あのまさに筋肉塊の三文字そのものといった大腿は一個の芸術品にも等しい。
もちろん、腿だけではなく、ふくらはぎの変化も目に見えて著しいもので、
膝の裏やアキレス腱周囲も同時にパワーアップしていく。

ここで言いたい。ここで言う筋肉の鍛錬とは、いわゆるボディビルではない。
仮に鎧をまとい、剣や盾を持って戦場で実戦を行った場合、
どのように全身が変化するかを説明した物である。
ボディビルは自らの筋肉を芸術作品と変える為の運動であり、
薬物投与と食事制限だけで作った、
自然では決して作れないプロポーションと筋肉を築く事にその価値がある。
そのためボディビルダーは力こそ強いが、あまり実戦向きではない。
その理由は、あくまで人工的な筋肉であるから、打たれ弱いという事と、
筋肉と筋肉の境目に数多く存在する、人体の急所が簡単に発見できる、
という二点からである。

こう好き勝手に書いて来た訳だが、まあ表現の自由という言葉が示す通り、
人それぞれイメージというものがあり、
その表現も各人の自由にまかせるべき物であるから、
本来私がこのような文章を書く事もおこがましい、という意見もあるが、
それも私の“表現の自由”という事で勘弁して頂きたい。

今回の『目指せ格闘王』はいかがだったであろうか。
一応次回は初期路線に戻り、「空手」を予定している。
技の説明よりも、そのルーツや理論などを中心に説明と実戦を考えてみようと思っている。
では、帝王通信の明日を祈り、ラストの気合いをいってみよう。
では人差し指を高々と上げて、
『イッチバーン!!!』



<1991年11月発刊「帝王通信26号」からの転載>
目指せ格闘王 第6回『空手』

どうも砂丘座である。
前回、前々回と少々気合いの抜けた話が続いたが、今回と少なくとも来月は、
今まで通りのノリで爆走することをお約束しよう。
では今回の『目指せ格闘王』のテーマ『空手』行ってみよう。

空手という格闘技もかなりメジャーな格闘技である。
入門数という点ではボクシング人口以上であろう。では、この格闘技のルーツはどこにあるのだろうか。
空手は元々『唐手』と書かれていた。唐とは中国のこと、つまり空手の源流は中国武術なのである。
中国から海を越え、武術は沖縄へと渡った。
そしてそこで独自の進化を遂げた武術は『唐手』となったのだ。
沖縄で何故この徒手空拳の技が発達したのか。それは琉球王朝による禁武政策のためであった。
武器の携行、輸入を認めないこの政策は、支配者側にも、
それに対する被支配者側にも護身的な格闘術を生ませたのである。
つまり王朝の役人に対抗するために被支配者層が農具と自らの肉体を武器に用い、
それをさらに抑えるために王朝側の軍人等がそれと同じような武術を修める。
こうして沖縄という南国の小国において、一つの武術、いや格闘技が誕生した。
現在でも沖縄空手には、本土の空手にはない中国武術的なトレーニング法や技が残っているし、
流派によっては気功術を体得する物まであるそうだ。

日本本土に『唐手』が伝えられたのは大正時代、船越義珍なる沖縄の小学校教師によってであった。
この頃の『唐手』は、イメージとしては中国南派武術に近い物であったろうと私は想像する。
つまり、殴技、蹴撃の衝撃を吸収するために全身を打たれ強く鍛え上げ、
それに倒すために投術、関節技も存在した。もちろん、武術気功もあったかもしれない。
その当時日本にも古武道があった。
古武道というのはどちらかというと『投げる』『極める』という
柔よく剛を制すために必要な技能を発達させていた武術である。
時は大正、すでに腰に黒塗の鞘をぶらさげた武士は歴史の流れの中に消え、古武道の古武道たる証、
つまり素手で刀に立ち向かうという事態が起こる可能性がほぼ完全に消滅した時代だった。
そしてそれはより実用的な『唐手』の採用と、古武道の衰退へとつながったのであった。

『唐手』は年月を経るにつれ、その内容は単純化され、
『殴る』『蹴る』を中心とした打撃制偏向の格闘技である『空手』となった。
しかしそうなるにつれ、空手はその格闘技としての姿を消しかける物を生み出してしまった。
寸止めである。相手に拳や脚が当たる直前で止める。
相手に当てれば反則、例え実用的ではなくても形が美しければそれで良し。
「空手は一撃必殺の武芸であるから本当に当てては危険である。」
というのがその理由であった。
確かにそれは一理あるだろう。
空手に限らず打撃制格闘技の攻撃というものは一撃必殺を目的に作られたのであろうから。
だが、それはあくまでも無防備な相手に対した時のみ有効な型であり、
その状態にするためには細かなダメージの少ない、崩しのための攻撃が必要なのだ。
寸止め形式の試合において、形の美しい攻撃は身につくが、
それよりも欠点の方が多過ぎるのである。
まず一つは当てられる、ということに慣れない事。つまり痛みに耐える体が出来ないのだ。
二つ目は立体攻撃、飛び蹴りや飛び膝蹴りに対する手段を知る事が出来ないという事。
空中攻撃を当てる寸前で止められる人間などいない。
いるとしたらスーパーサイヤ人の仲間ぐらいだろう。
三つ目は連続攻撃に弱い事。
本気で当てるつもりで速く細かい攻撃を繰り出されると、それを防ぎきる事が出来ない。
その寸止めを見限り、『倒す空手』を作らんと修行した伝説の男こそ、
誰あろう極真空手の祖、大山倍達である。
片眉を剃って山にこもり、アメリカではレスラーやボクサー、軍人を相手に武者修行し、
素手で熊に向かい、牛を殺した男。
その大山倍達の作った実戦空手団体こそ極真会館である。
その技は豪にして凄、全てを砕き、全てを割る最強の空手たるべく誕生したのが
現在世界中にその愛好者を持つ『キョクシン』である。

ところがこの極真の権威に陰りが見え始めた。
一時は、「極真でなければ空手でなし」とまで言われたその立場を引きずり下ろしたのは一体何者か?
それはある空手団体であった。顔面攻撃無しのフルコンタクト・ルールの中で、
常に相手を倒す必勝戦法を作り上げた団体。
他流派の大会でも勝利を手にする力を持つ常勝団体。そしてプロ格闘家を目指す、
おそらく現在日本空手界で最強の男、佐竹雅昭が所属する団体、正道会館である。
その存在が極真に迫り、追い越さんとしているのだ。
その理論はほぼ完全に体系化され、一冊の本にそのノウハウが著される程である。
ベースボール・マガジン社刊『勝つ!ための空手』、一度話のタネにでも読んでくれ、
前述の佐竹が左のキックを出しかけている実に気合いの入った表紙が目印だ。
極真と正道会館、空手界はこの二つが熱いぞ。

『空手に先手なし』という訓戒がある。
空手の空の字は禅の精神に基づくとも言われており、
『君子の武道』とまで言われているのがその七文字の教えを築いた理由である。
だが、これはもっと基本的な部分にその言葉のもとがあると私は考える。
空手とは前述の通り、素手で武器、特に刀剣を相手に闘うのを目的に生み出された技である。
刀剣というのはとにかく当たればかなりのダメージを与える上、そのリーチは腕どころか脚よりも長い。
であるから、圧倒的に不利な状態から勝利を導かなければならないのが、初期の空手であった。
いや『唐手』というべきか。
真っ正面から刀剣に向かっていったとしても、逆に倒されるのはまず間違いなく唐手家の方だろう。
それを避けるため、唐手家は、まず相手に攻撃をさせた。
その理由は二つ。一つは相手の武器の長さを知るため、もう一つは隙を作らせるためである。
例えば日本刀と対峙したとしよう。
日本刀に限らず刀剣類は鞘に収められている間はその正確な長さは認識しづらい。
特に日本刀を選んだのは、
まず一番身近な物(といってもそう本物にお目にかかるモンでもないな)である事と、
反りが入っているためさらに長さが測りにくい事、そして居合いという技術が存在する事である。
まず、何らかの形で相手に刀を抜かせる。
そのためには刀の有効範囲内に入るという危険を犯さなければならない。
そのために完成したのが体さばきである。といっても初期の体さばきは、
とにかく致命的な一刀を避けるために直線的な動作のものではあったが。
(ちなみに現在のフル・コンタクト系はコンパクトな円運動を基本としたものが多い)
そして相手の武器をかわしたとしよう。武器を使った攻撃のモーションというのは意外に大きい。
それはイコールかわされると隙だらけという弱点となるのだ。唐手の勝機はここである。
武器をかわしたら、すかさず間合いを詰め、相手の武器の効果が発揮出来ず、
それでいて自らの肉体が最大の破壊力を生む、極近距離まで移動する。
後はどうでもいい、確実に敵を倒す、いや殺す急所に技を叩き込むだけだ。
『空手に先手なし』
この武訓は精神訓などではない。実益をもたらす基本にして重要な教えなのだ。

さて、久々の実戦編である。
空手はおそらく打撃制の格闘技としてはかなり完成された物であろう。
二本の腕と二本の脚の変化とコンビネーションが技となる。
空手はその技を研究し、磨き上げ、そして実戦めいた試合を経験し、真に技を身に付けてきたのだ。
しかしそれにも弁慶の泣き所という物はある。それが反則である。
髪を掴む、後ろから殴る、目をつぶす、股間を打つ、投げる、関節を極める・・・・・。
そういった空手の大会で反則とされている技こそが、空手に勝つ方法なのだ。
ただ問題は、そこまでどうやって近づくかである。

空手で恐いのは足技である。確かにパンチよりスピードは遅いかもしれないが、
空手の有段者の蹴りは素人にはとても何とか出来る物ではない。
何の策もなく突っ込んだら、ハイキックを顔面に一発、
又は腹に前蹴り一発で軽く御天昇である。その心配を無くすにはどうしたらいいか。
それは相手の動きを止める事である。そのためにはどうすればいいのか。
一番簡単なのは不意討ち。
相手の後ろを指差して大声で「あーっ!!」とか叫んで、その次の瞬間飛び蹴りを食らわす。
まあ、当たればもうけもん。外れたらタコ殴り確実という技能である。
そこで私が推薦するのは着衣を利用する手段である。
用いるのはジャンパーやジャケット、コートなどの脱ぎ易く、
一瞬たりとも自分の視界を妨げずに脱げる物が一番良い。
まず、相手の目をキッと睨み、威嚇しながら服を脱ぐ。
そして手にその服を広げたまま持ち、ゆっくりと間合いを詰めていく。
相手がそれに乗り、こちら側に移動して来たら、即座に持っている服を投げる。
その時、相手の顔を覆うように投げるのが一番良い。
こうして相手の目から自分の姿を消し、その隙に相手に攻撃を加えるのだ。
こういった手段は卑怯だと思われる読者もいるかもしれない。
だが私がここで述べている『実戦』とは文字通り実際に戦うための方法である。
可能性として持っている道具である着衣の使用は当然と考えている。
そこのところを御理解願いたい。
では卑怯ついでにもっと卑怯な技を教えよう。それは平謝りである。
とにかく気弱にオドオドとした態度で謝り続ける。
すると相手は見逃すか、近づいてくるはずだろう。
見逃してくれたらそれはそれ、もし近づいて来たら、
すかさず相手の両脚のなるべく末端を思いっきりすくうのだ。
その時自分もタックルで突っ込むのが良い。
受け身を知らない空手家ならばその一撃で昏倒するか、ヘタをすれば脳内出血だろう。
かなり卑怯な荒技であるな。

今月の『目指せ格闘王』いかがだったであろうか。
久しぶりの格闘技オンリーだったので、いささか分裂気味の感のある文章になり反省している。
では、来月の予告であるが、これはクイズにしよう。
別に賞品はないが、お暇な方は答えを書いて送ってくれ。
ヒントは「究極の格闘物理学・古代と近代の融和による現代古武道」。
さあ、わかるかな。分かった人もわからなかった人も、まず右手を握って上に上げてくれ。
さて、ラストの気合い、いくぞ!
『オーー!!』



<1991年12月発刊「帝王通信27号」からの転載>
目指せ格闘王 第7回『合気道』

どうも砂丘座である。
帝王通信にも着々とヤングライオンズが育ちつつある事を喜ばしく思っている今日この頃である。
気付くとこのコーナーも早7回、デビュー当時にいた人達もどこかに行ってしまい、
今まで新人とされて来た者たちが伸びて来ている。
全日本プロレスみたいだな。

では今回のお題、つまり前回の答えを行ってみよう。
『合気道』それがその答えである。
現代まで形を変えつつも古武道の古武道たる息吹を残す武術、それが合気道だ。
そのルーツとして一般的なものに大東流合気柔術から発したと言う物がある。
合気道を創り出したのは植芝盛平という人物である。
彼は大正四年から約二十年間、大東流の達人武田惣角氏に師事し、大正十一年には教授代理に、
昭和四年には大東流の奥義を学んだのである。
この植芝盛平の話が凄い。
道場の神棚のお供えを食べていたネズミを離れた奥の自室に居ながら感知し、
走って来たかと思うと木刀一閃、そのネズミの首だけを落としたのだ。
しかも時は真夜中、真の闇の中である。
また、昭和天皇に演武を求められ、一度は断るも、病をおして演武を行った時、
半ば死にかけていた体であるというのに、面に手刀を打ち込んだ弟子の腕をはじいたら、
肘が外側に折れてしまったという。
植芝の高弟である塩田剛三氏(この方は確かまだ御存命である)が、
ある日師に、先生が一番強かったのはいつかと尋ねた時、植芝氏はよく
「わしは昇天する間際が一番強い」と言っていたそうである。
肉体は死しても、その分精神は完成されていく。
植芝氏の言葉は合気道に必要なものは何なのか、
合気道の技の秘密は何なのかの一端を我々の前に示している。

その植芝盛平氏が学んだという大東流合気柔術とは、どのような武術であったのだろうか。
伝承によると、源義光を祖とし、甲斐武田家の秘伝として伝えられた大東流柔術と、
江戸城内で帯刀が許されてはいなかったがために出来た殿中武芸御式内がそれぞれ会津藩に伝わり、
合体したとされている。
この合体と大東流合気柔術の完成を果たした人物こそ前述の武田惣角である。
彼は青年時代には、日本各地を武者修行し、生命を落としかけた時も数度、
その結果、『剛力真の強者となることは出来ぬ』と悟り、
一度はあきらめた大東流の修行をやり直し、その天見武の才に目覚めたのである。
それから後の惣角は、日本中を放浪しては体得した大東流の技を伝え教えた。

彼のエピソードには、にわかに信じ難いものが多い。
例えば、警視庁や朝日新聞社の柔道の猛者を、それこそ赤児のように軽々と投げ飛ばしたり、
一度見ただけで場に居た人間全てを記憶したり、
小手を打つと宣言しておきながら、相手はそれを防ぐ事が出来なかったという剣術の指南など、
まさに神業と言う他は無い技の数々である。
晩年のエピソードにこんな物がある。
ある夏の午後、惣角はうたた寝をしていた。
真の武芸者という者は、仰向けには寝ないものであり、この時も彼はうつ伏せになっていた。
あまりに静かに寝ていたため、そのまま死んでしまったのではないかと、
息子の時宗氏が心配のあまり父の肩に手を置き、揺り起こそうとした時だった。
惣角は振り返ったかと思うと常に腹巻に納めていたドスを手にし、時宗氏の腕を刺したのだった。
半ば無意識のうちの攻撃、武芸者としての本能であった。
この武田惣角という男は、おそらく最後の、
真剣で人を斬り、体技で人を殺し続けた真の武芸者である。

現在もこの大東流合気柔術は残っている。
読者諸君が知っている合気道よりも泥臭いイメージがある。
しかし、それはより戦闘的、より古流的である証拠である。
この大東流と、武田惣角のことに興味を持った者がいるなら、
新潮文庫から出ている「鬼の冠」という小説を読んで欲しい。
津本陽氏の筆が、惣角の武の道を歩み続けた人生を活写している。
一冊400円、面白いぞ。

合気道というと女性というイメージがある。
それは合気道に護身術としての価値が強いためである。
柔よく剛を制すために必要な二つ、関節技と投げ技である。
どちらも、テコの原理やベクトルの方向の変化により、少ない力、
それこそ0に近い力で技を仕掛けられる。
例えば、とある可憐な美少女が夜道屈強なマッチョマンに襲われたとしよう。
男が真正面から服を引き裂かんとする。
しかし少女は落ち着いた様子でその腕を取ると、体を半転させる。
その瞬間、肘の関節を極められた上、勢いは止まらず、宙を飛び、
後頭部から落ちて失神した男を尻目に少女は衣服を整えると、その場を走り去った。
もちろんこの少女が“なつき”だったとか“らんま女版”だったとかいうオチではない。
ごく普通の少女の筋肉でも合気道の技術を用いれば、
自分の倍以上の筋力を持つ相手を倒す事も可能なのだ、という事を言いたいのだ。
関節のツボさえ入れば、軽く握った上で少し動かせばとんでもない激痛が走るし、
少し向かって来る相手のバランスと方向を崩せば軽く襟を引くだけで吹っ飛んでいく。
さらに達人の域に達すると、ほとんど触れる事もなく相手を倒す事も可能である。

「合気道の極意は?」と合気道の達人に尋ねたとしよう。
「それは合気だな」、「見えない力だ」などなど、様々な、しかしどこか共通した答えが返ってくる。
中国武術で気と呼ばれる力と同じ物と考える人も多いが、私はもう一つ何か特別な物が存在すると思う。
それは、極度に研ぎ澄まされた集中力であろう。
人間の限界以上の精神の集中を長い年月に養い、それを戦いの場に用いる。
相手の動きの中のほんのわずかなベクトルの狂いを発見し、それを助長させるように力を与える。
その水滴の一つが、ダムを決壊させるのだ。まさに格闘物理学である。

それでは実戦編である。
しかし今回は何か実戦編は心苦しい。
せっかく世の変質者から自らを守り抜こうと決意した青い蕾を無惨に散らす結果になりそうだからである。
(何かエッチな、この表現)
まぁ、野郎でも合気道をやっている奴はいるだろうから、
まあそういった輩を相手にするときだけに以下の技術を使って欲しい。
決して悪用して、夜道を一人歩く美少女を襲ってはいけないぞ。
この実戦編では現実に出会い、闘う事になる可能性のあるレベルの技術者への対抗策を書いている。
植芝盛平や武田惣角のレベルまで達した相手にはハッキリ言って対抗する事など空しいだけであるからだ。
ここでは、道場などでそこそこ上手くなった程度を対象としよう。

まず合気道でしてはならないのは組み合いである。
というのも合気道の関節技や投げの技術は、現在の格闘技や武術の中では有数の物であるからだ。
柔道など組み合う事の多い格闘技の高段者でもない限り、
ちょっとした隙に関節を固められ、投げ飛ばされるだろう。
また拳による攻撃も、何か他の格闘技の経験がない限り避けた方が良い。
合気道には古武道のなごりとして拳のさばきが存在するからだ。
さらに投げが発達しているから、蹴り関係も避けるべきた。
ローもミドルもハイも一度かわされるか、
さや放ち始めた時点で片足という不自然な体位になってしまい、投げ易くなってしまうからだ。
この事は前田日明の必殺技キャプチュードスープレックスが
蹴り足を捕らえた上で仕掛ける事が多い事からも明らかであろう。
もちろん関節技もパス。ではどうすればいいのか。
空中戦がただ一つ残る手段である。飛び蹴りを一発放つのだ。
この時なるべく助走で勢いをつけ、高くよりも前方へ進むように跳ぶ。
頭を狙うのではなく腹を狙うのだ。頭への攻撃はかなり有効であるが、
目標が小さく、よく動くために外し易いし、かわし易い。
腹は与えるダメージの割りに当てやすく動きも鈍い。
銃による戦闘術でも頭よりも腹を狙う方がより殺傷力が高いという。
それは命中率という点から派生した結果であろう。
飛び蹴りというのは、破壊力の割りに命中率が悪いし、かわされれば隙だらけである。
しかし不意打ち的に使えば有効であるし、
それが打撃制ではない格闘技を学んでいる者であればなおさらだ。
腹に一撃加えたら後は馬乗りになって気を失うまで殴るか、後頭部にローキック、
又は肋骨に爪先蹴りでも入れてなるべく早く失神させてあげよう。
腹への蹴りは地獄の苦痛というからな。
まあ、思いっきり素早く動きまくって相手を混乱させるという手が無い訳ではないが、
格闘技や武術の恐ろしい所は半ば自然に技が出てしまう事で、
そうした技に限って案外完璧に決まって
取り返しのつかない事になってしまうので避けた方が良いだろう。
私も柔道をしていた時、
試合の終わり近くになって頭がスパークして真っ白になる位疲れた時に限って、
驚く程奇麗に得意の払い越しが入ったものだ。

今回の『目指せ格闘王』はいかがだったであろうか。
合気道は私個人としてなかなか注目している武術である。
意外に学び易いので、興味を持ったら家の近所の道場に通ってみるのも良いだろう。
さて、来月のお題・・・と行きたいところであるが、
私はこれから一応受験生として生きねばならぬ身であるので、
28、29、30号はお題を決めている余裕がないのだ。
以下に一応予定しているお題を書いておく。
その中から来月、再来月、その次と書くつもりだが、予定は未定という言葉もある。
まあ期待して待っていてくれ。

『目指せ格闘王』お題予定リスト
・古代武術ロマン小説「鬼殺伝〜大和・象追え章〜」
・バイオレンス武術小説「クレイジー・ハンティング」
・シュートボクシング&シューティング
・サンボ
・アクチュアレスリング
・急所の科学
・格闘書籍入門〜マンガ編〜
・格闘書籍入門〜専門書編〜
・もし闘わば?〜強人伝〜

えー、忘れていた。やっぱりこれはやらんとな。気合いだ。行くぞぉ!
『俺はプロレス馬鹿だぁぁぁぁぁ!!』



<1992年1月発刊「帝王通信28号」からの転載>
目指せ格闘王 第8回『格闘書籍入門』

どうも砂丘座である。
新人も入った事で万々歳かと思ったら、又も帝通が崩壊の危機というほとんど冗談のような話である。
まぁ、超世代コンビは殺人魚雷に轟沈されるわ、天龍はホーガンに斧爆弾で首かっ切られるわ、
前田はコマンド・サンボの狼男に苦戦するわと、なかなかキている状態でもあるから、
帝通がW○NG状態にならなければそれでよい、という事で・・・。 今月は『格闘書籍入門』を行なう。

これ以降、格闘技・武術関係の本の紹介を書く。

●週刊プロレス/週刊ゴング
出版社:ベースボール・マガジン社/日本スポーツ出版社
価格:340〜400円
プロレス専門誌二誌である。この他にも“折り目の魔術師”東京スポーツやファイトなどがあるが、
定期購読していないので除外する。
砂丘座個人としては週プロはライターのアクが強いので、初心者向きではないと思う。
ゴングの方はあまり文章にクセもなく、
SWSの記事も載っているし(週プロはSWSと仲が悪いのだ)、
四コママンガも面白い(と思う)。しかし週プロの熱さは一見に値するので、死ぬ前に読んでおこう。
ちなみに編集長の顔は週プロの方がスゴいぞ。

●格闘技バイブル
著者:松浪健四郎
出版社:ベースボール・マガジン社
価格:1010円
専修大学の教授である松浪健四郎氏が日本古来より存在していた格闘技の血脈を呼び起こすべく著した一冊。
世界中の格闘技の種類と歴史が細かく書かれており、初心者にも分かり易い。
また相撲とサンボについて特に細かい記述がなされているので、参考文献としてもかなり重宝する。

●佐山聡のシューティング入門
出版社:講談社
価格:1800円
プロレス界の異端児、虎の仮面を脱いだ格闘王佐山聡が創設した新格闘技シューティング。
これはそのシューティングの基本的な技術やトレーニング方法を事細やかに記載した書である。
また写真も豊富に使用されているので文章では分かりにくい部分も一目で分かる。
さらにシューティングの選手シューターとなるためのライセンス会得の方法や、
試合のルールなども載っているので、
これからシューティングを始めようと考えている人には一読をおすすめする。
しかし5年以上前の本なので、ひょっとしたら絶版になっている可能性もあるので、
興味を持った諸君は古本屋を見てまわると良いだろう。

●実戦!サブミッション
出版社:ケイブシャ
価格:880円
サブミッション・アーツ・レスリングの代表師範麻生秀孝氏が監修を行なっている関節技の専門書。
柔道やサンボ、合気道といった関節・絞め技の専門家的な格闘技のみならず、
相撲や空手といった一見打撃制のみと思われがちな格闘技まで紹介しているのは珍しい。
また、実戦に用いるための基本的なコンビネーションやSAWの道場の連絡先も並記されており、
これもSAWの入門書としては必読である。

●中国拳法打撃法
著者:具 一寿
出版社:愛隆堂
価格:1240円
著者の具 一寿氏は、太極拳、言永拳、形意拳といった武術を学び、自ら倒極拳を創始した人物である。
これは中国拳法の常識としての打撃法を写真と図解、そして説明文で揚げた物である。
これはおそらく北派・南派共通の事項であると思われる。
また、拳法家から見た一撃必殺の技の存在など、興味深いコラムもあるので、
読みごたえは充分である。
中国拳法を学びたいと思っている人以外にも香港映画のファンなどにも読んで欲しい。

●剽穴・穿穴・練功・薬功
著者:呉 伯焔
出版社:ベースボール・マガジン社
価格:876円
中国拳法における急所や、その打ち方、外功・内功といった練功の方法、暗器(武器/特に隠し持てる物)、
毒物といった、神秘性を彩る部分を細かく解説した書。
古伝書から引用した図や連続した写真、急所(点穴とも言う)の正確な打ち方、突き方が書かれている。
また、暗器・毒物の部分はRPGの小道具や実生活上でも役に立つだろう。
悪用は絶対に避けたい一冊である。

●武術(うーしゅう)
出版社:福昌堂
価格:1000〜1200円
おそらく日本で唯一の中国武術専門誌。八極拳といった内家拳・北派拳法が占める割合がやや大きいものの、
南派拳法、器械武術の詳しい動作も毎回連載されているため、資料価値は高い。
さらに、中国の武術誌の記事や、武術小説、日本各地の拳法教室・道場などの記事も
かかさず掲載している事は実に有り難い限りである。

●勝つための空手
出版社:ベースボール・マガジン社
価格:2000円
フルコンタクト系空手集団としては日本で最強の部類に入る正道会館の館長、
石井和義氏が自らの空手ノウハウを著した本。
フルコンタクトの空手ルールの中でいかに勝つかだけを目的にして書かれた本。
もちろん初めて空手を始める人にも充分参考にはなるし、
他の打撃制格闘技でもその数学的とまで言える格闘理論の応用は可能であろう。
他団体のルールも巻末に書かれているので、空手系の資料としてはおそらく最高峰であろう。

●マンガ実戦KARATE入門
原作:格闘王編集部
作画:細倉徹
出版社:福昌堂
価格:1300円
マンガによる空手入門書。ストーリーを簡単に説明すると、いじめられっ子であった少年が、
空手家でもある私立探偵の叔父と知り合って、空手を学び、
ついにはいじめられていた相手(空手の有段者)と対等に闘うまでに至るというアクションあり、
恋愛あり、友情ありとなかなか読みごたえのある本である。
絵もトーンをほとんど使っていないのに、見易く、動くの表現も良い。
これも一度は読んで見る事をお薦めするぞ。

●ザ・古武道 〜12人の武神たち〜
著者:菊池英行
出版社:講談社
価格:1800円
歴史雑誌に連載されていた菊池英行氏とその編集者のN氏(現小説家の火坂雅志氏)の珍道中記。
とはいっても、古武道の奥深さと凄みが菊池氏の筆により、生き生きと著わされている。
もっとも菊池氏が自ら技をかけられての原稿書きなのだから、
実感がこもるのも当然と言えば当然である。
単純に読み物として読む分には申し分無いのだが、
資料としては少々物足りない部分もあるのが残念と言えば残念か。

●ザ・ファイティング
著者:拓殖久慶
出版社:原書房
価格:1300円
傭兵部隊を渡り歩き、グリンベレーにまで所属していた猛烈武装野郎こと拓殖大尉の著書である。
中ははっきり言って素人向けに書いているようには到底思えない代物てせある。
まあ、前半は軍隊格闘術(いわゆる殺人技術)の説明である。
しかし中盤の対拳銃用の戦闘方法、家庭内で武器を作る方法、
護身用の武器及びテロリストの使う傾向のある銃とその対処法など、
もう一般人が万に一つの可能性でもぶつかるとは思えない
アクシデントの解決方法が一杯になっているのは状絶だぞ。
しかしこの本、異常なまでに資料価値が高いので、見つけたら購入しておく事を強く薦める。

今月の『目指せ格闘王』いかがであったであろうか。
いささか手抜きの感もいなめないが、私が受験生である事を考えて勘弁して頂きたい。
という訳で次回のお題は『未定』である。これ又勘弁して頂きたい。
では気合いいくぞ。お手近にあるチェーンを(あるのか?)頭上で振り回して欲しい。
『オゥ!オゥ!オゥ!オゥ!!』



<1992年2月発刊「帝王通信29号」からの転載>
目指せ格闘王 第9回『格闘戦における武器とその対処法』

どうも、砂丘座である。
ついに受験まで一月を切った。今月18日が第一次の試験である。
本来ならこの原稿を書いている余裕は無いような気もするのだが、
常日頃コーナーが無いと嘆いておられる帝王閣下のためにも、私は根性を見せている訳である。
まぁ、好きだからというのも一因であるが。
今月は、少々苦しくはあるが、『格闘戦における武器とその対処法』を行なう。

ナイフ
目的:刺突・切断
入手可能性:高〜中
短い刃を持つ刀剣を一般的にナイフと言う。
ナイフもまた、サパイパルナイフ、コンバットナイフのような刃(ブレード)の
折りたたむ事の出来ないシースナイフ(シースとは鞘のこと)と、
ポケットナイフのようなフォールディングナイフと呼ばれるブレードを
柄(ハンドル)内に収納出来るナイフの二種類に分けられる。
通常の刀剣のように切る攻撃はブレードの長さが30cmを超える
超大型のブッシュナイフなど以外では、あまり利口な手段とは言い難い。
つまり対ナイフ戦闘の時に気を付けるのは、急所への刺突であるが、
喉や首筋、手首、上腕の肘内側、股関節といった動脈の存在する部分は、
比較的浅い切り傷でも致命傷になる。さらに最近のコンバットナイフ(特にアルマー社製)は、
切るという行動にも対応するべくブレードが作られているため、
それ以外の部位でもかなり深い切り傷を負わされる事となるだろう。

では対策編である。
ナイフは素人とその扱い方を知る者とでは面白い程その使い方が違う。
まずプロの方から説明しよう。
この場合のプロとは少々ナイフの使い方を覚えたチンピラやヤクザを表わす。
本当のナイフ使いなど、日本で出会う可能性は少ないし、
それに私程度が相手出来るレベルを超越しているからだ。
彼らはまず脅すようにナイフを取り出し、その刃をたっぷりとこちらに見せつけるだろう。
実はこの行為が案外と効果が高いのだ。
それはナイフの存在がこちらに恐怖心を与え、動きを鈍くするからである。
実際突然ナイフを抜かれたら、よほど場慣れした人間でもない限り、
驚きと恐れで一瞬でも動きが止まるだろう。その動きが止まった瞬間を彼らは襲う。
その目的はただ一点、腹である。
以前にも書いたが腹というのは体の中では最も大きく、動きの遅い急所である。
そこを狙い彼らは凶猛な一撃を仕掛けるであろう。
例えば出刃包丁(これも一種のシースナイフと言えなくもないが)で腹を刺した後、
ひねりながら抜くと、相手は声も立てずに死ぬという。

彼はナイフを腰だめにし、タックルをするように突っ込んでくるだろう。
もしジャンパーやコートを着ていたのなら相手がナイフを見せびらかせている間に脱いでしまおう。
もちろん敵の目を(できれば薄ら笑いなどを浮かべて)睨みつける事を忘れてはならない。
そしてその服を相手の目の前に広げる。これで敵の視線を防ぐのである。
相手が突っ込んできたら、マタドールのように体を相手がナイフを構えているのとは反対方向に移動させ、
頭にその服を被せるのだ。これで敵に恐慌状態を与える訳だ。
うまくこの状態に持っていけたのなら後はこっちの物である。
後頭部めがけて肘を落としていいし、情け容赦のないバックドロップでも仕掛けてもいい。
相手がナイフを出していたのだから、多少物凄い事をしても国家権力も大目に見てくれるだろう。
また、もう少しナイフの使える相手なら、片手に握ったナイフを素早く突き出して来るであろう。
その時はその手をコートで包むように被せる。
服の類は意外と丈夫で、ナイフの刃先の威力を無くしてしまえるのである。
では服の無い時はどうすればいいのか。まず、タックル型。
この時は自分の効き足と逆の方向に動く。
そして蹴りの射程範囲内に入ったのと同時に相手の顔面に全力で蹴りを叩き込む。
これは相手を倒す方法だが、へたをすると足を切りつけられる危険性もある。
そうした場合は顔ではなく相手の手の甲を蹴ろう。ほぼ確実に相手はナイフを落とすはずだ。
また、真っ正面から顔、膝関節に蹴りを放つのも効果が期待できる。
突いてくる相手にはその突こうとする瞬間にナイフを持った手首に蹴りを入れる。
この時出来れば膝関節を狙えればナイフを叩き落とせる。
それは難しいと判断したら下腹部に蹴りを当てる。

では素人の場合はというと、ほぼ間違いなくその手の中の物を振り回して来るだろう。
これが思いの他恐い。確かに致命傷を負わす事は出来ないが、予想出来ない方向で刃先が襲ってくる。
コート類があれば問題ない。振り回している腕に広げたコートをからめてくる。
もちろん刃を殺すように手首の方を中心に巻き付ける。何もない場合はまず相手を良く見る。
そして腕を振り切った瞬間に勢いよく間合いを詰める。これでナイフの攻撃力は減少する。
後は手近、足近な急所に攻撃をぶち込もう。

警棒
目的:殴打
入手可能性:中〜低
長さとしては30cm程、三段式の金属製折り畳み警棒から、警官の持っている木製警棒、
アメリカ特殊部隊で使われているブラックジャックという皮袋の中に砂を詰め込んだ物まで材質は様々である。
目的はただ一つ、敵を撲殺する事。であるから攻撃方法は振りかぶって敵めがけて振り下ろす。
ただそれだけだ。まず相手が狙うであろうポイントは頭である。
大きく振りかぶったらまず間違いなく敵は頭に目標を定めている。
次は腕、横向きに振ったなら、腕もしくは脇腹を狙われていると考えるべきだ。
目標になるだろう箇所はこの二ヶ所である。
というのはこれより下だとカウンターの蹴りを食らう可能性があるからだ。

では対策といこう。
警棒類を相手にする時はコート類は役には立たない。
打撃の衝撃というのは服程度の厚さでは防ぐ事は出来ない。
スピードを殺すのが関の山、当たったとしたらかなりのダメージが伝わるだろう。
もし上段から頭を狙われたら、勇気を出して相手に踏み込み、
警棒の根元の部分を×字に組んだ腕で受け止める。これは遠心力の関係からである。
そして警棒を止めたのと同時に爪先で相手の股間を蹴る。
相手が女性であったら、その少し上の膀胱に爪先を突き刺してやろう。
もちろん男性が相手でもよい。聞いた話では死ぬ程苦しいというし、
ヘタをすると毛細血管が破れ、しばらくしてから死に到るとも言う。
次に横から腕、脇を狙われた場合。
まずモーションで狙っている場所を確認すると同時に、少し頭を下げ、相手の懐に飛び込む。
タイミングと勢いが良ければ、相手の武器ではなく、それを握った腕の方が当たる。
少し遅れても根元のダメージの少ない部分が当たるだけで済む。
そうしたらお好きなように相手を料理してあげよう。

バット
目的:殴打
入手可能性:高
一時、金属バット殺人というのがあった。家庭内暴力の末、家族全員撲殺というあれである。
バットというのは(木製・金属製問わず)手軽に入手出来る割に、高い殺傷能力を持っている。
このバットも素人とプロとでは使い方に大きな違いがある。
もっともこのプロは本当の戦闘のプロという意味である。彼らは握りを上にして持つ。
戦闘のプロの彼らは銃剣だけでなく銃床をもうまく利用する。
また膝などの意表をつく部位へも効果的な攻撃を行なう。
であるから、そのような敵が武器を持ったらとにかく逃げましょう。
悪い事は言いません。とにかく全力で逃げましょう。
では相手が素人の時である。彼らはとにかくバットを振り回すだろう。
当たるを幸いという手だ。もしコート類があったらそれで受ける。
バットが止まったら即座にそれを巻き取ってしまう。では何も無い時は?
そのときはこれまでの応用である。振り切った瞬間を狙い、間合いを詰めるのだ。
うまく相手が間合い外でバットを振り始めた時がその狙い目である。
これは相手がポイントを絞ってバットを振って来ても同じである。
後は警棒と向かい合った時の技術が応用出来る。

この三種の武器に対して有効な物がある。それがベルトである。
金属部分を小さく素早く回して、相手を牽制し、スキを見て敵の武器にベルトを巻きつけるか、
手首、手の甲を打ち、武器を落とさせるのである。
金具の所でベルトを丸めておけば破壊力が増す。

今回の『目指せ格闘王』いかがだったであろうか。
本来のコーナーのテーマと外れた内容であるが、
現在日本の持つ危険性への対応策だと思って頂ければ幸いである。
日本は平和だと考えられているが、
この国にもアメリカ化(犯罪の異常・凶悪化、麻薬類の横行、道徳心の欠如)
の波が押し寄せているのは避けようのない事実であり、
こうしたセルフ・ディフェンス技術は学校の授業以上に必要な物ではないかと、私は思っている。
来月のテーマは『急所の科学』を予定している。
では気合い行くぞ。口に五寸釘をくわえて
『マキ、マキ、マキ!』



<1992年3月発刊「帝王通信30号」からの転載>
目指せ格闘王 第10回『急所の科学』

どうも、砂丘座である。
このたび、当コーナーが10回という大台に乗った。
21号の連載開始から現在までを回想するといろいろな事があった。
では、今回の目指せ格闘王、『急所の科学』行ってみよう。

中心戦という言葉を聞いた事がないだろうか?
空手や拳法で常に防御しているべき肉体の中心部の事である。
具体的に言うと脳天から眉間、鼻、そしてヘソを通り、生殖器までを結んだラインの事である。
では、何故このラインが重要視されるのか?
それはこのライン上に有効な急所が数多く存在しているからである。
それを裏付けるように人間は本能的にこの部分を防御すると言われている。
これを考えると格闘技や武術において、この中心線に痛撃を与える事は簡単ではないという事が分かるだろう。
そこで先人たちは、その他の肉体上に点在する様々な急所を発見、開発していったのである。

世界中格闘技・武術の中で最もこの急所という武器を有効的に利用しているのは中国武術であろう。
拳や掌打のみならず、指先や指関節、手刀、そして針などを用いてその急所を突き、敵を葬り去る。
その技術は一個の芸術と言っても過言ではないだろう。
格闘技の愛好家で、中国武術独特の急所を否定し、その修行者を嘲笑する者が若干名存在するが、
ではほとんど全ての中国武術の型の中にそれらを打ち、倒す事を前提とした技が多数存在し、
その技で実際に人間を死に至らしめられる事実をどう説明するのだろうか?
人間の肉体にはまだ解明されていない部分が多い。
その部分を中国人は半ば解明し、利用する術を持っていたとしても何の不思議はない。
中国の、まったく西洋からの影響を受ける事なく発展した独自の医学・武術が、
ある分野では西洋科学を超越している事は周知の事実なのであるから。

上から順に比較的知らされている、または攻撃しやすい急所を上げよう。

・脳天または百会
頭頂部の中心である。俗に“下痢ツボ”と呼ばれている(すまん、超汚い)部位であるが、
これはすぐ近くにあるツボで便秘を直すツボがいつの間にかこうした形に転じてしまった物だろう。
ところが実際このツボ、そんな平和な物ではなく、指先・指関節・肘など、
鋭角で硬い部分でここを直撃されると、軽くても昏倒、最大の効果で立ったまま死に到る。

・眉間
一般に目と目の間の事を言うが、眉の間に眉心という急所がある。
ここを直撃されると脳に直接そのインパクトが伝わり、条件によっては致命的な一撃となる。

・目
眼球は敏感な器官である。そのためあらゆる種の刺激に弱く、それを保護するために瞼がついているのだ。
しかし、瞼の上からでも強い衝撃で、眼球は一時的、あるいは永久に機能を停止する。
この部位にはほぼ全ての攻撃が有効である。

・側頭部
ボクシングでテンプルと言われている部分であるが、この部位にはとにかく強い衝撃を与える事が有効である。
ここは脳に近く、また神経が集中しているため、当てやすさの割にダメージは大きい。

・鼻
案外とここを打った記憶のある人は多いのではないか。
軽い衝撃で目に涙がにじんで来る程痛覚が集中している部位である。
そしてそれを越えるダメージ、つまり鼻骨が砕ける程のダメージを与えられると、
まるで滝のように大量の鼻血と立ち上がれない位の激痛となる。

・耳
側頭部の一種であるが、ここはさらに拳や平手などで鼓膜を破られる危険性もある。
もちろんその痛みたるや、耳たぶからの採血の痛みの数百倍である。

・人中
鼻と唇の間の溝の辺りである。
指先や指関節といった鋭角部による攻撃以外通用しにくく、また当てにくい箇所ではあるが、
充分な勢いさえあればその一撃だけで相手を昏倒させられる。

・顎
顎一帯が有効な急所である。というのもここは頭部の端であり、
ここを強く打たれる事で頭部全体に首を中心とした振り子運動が伝わるのである。
さらに脳というのは頭骨の内部で髄液に浮いている。
つまり、固定されてはいないのだ。中に水の入った密閉された容器を振り、
その容器を固定しても内部の水はしばらく振動を続ける。これは脳を浮かべた髄液にも言える。
頭部全体を揺るがせた力は、頭部がその揺ぎ運動から回復した後でもしばらく振動している。
これは巨大な神経組織塊である脳をも揺らし、体全体に大きなダメージを与えるのである。
顎先かすめたワンパンチが足の力を抜いてしまう事もあるのだ。

続いて胸・腹部と行こう。

・首
絞めるだけではなく、あらゆる強烈な打撃に弱い。
ちの中でも喉仏は突きなどの打撃点の小さい部位でも有効である。
ブッチャーの地獄突きがその例である。
また後頭部も顎骨に力が伝わるため、非常に危険な部位である。
アントニオ猪木の延髄斬りは実は直撃するととんでもない事になる攻撃なのだ。

・鎖骨
人間の骨の中で最も折れやすい骨ではあるが、ここを折られるとそれ以後の攻撃は不可能となる。
手刀の一撃でさえ折れてしまうのだ。喧嘩ではここを狙うのが一番良いだろう。

・肋骨
どの部位でも掌低の一撃や、勢いのついた膝蹴りで折れてしまうが、
その中でも一番下の小さな一本に脇から打撃を加えるのが最も有効である。
角度と威力次第では折れた骨が内臓に著しい損傷を与える。

・鳩尾(みぞおち)
水月とも呼ばれる部位。最も有名な急所ではないだろうか。あらゆる攻撃が有効で、
ここに一撃をくらうと一瞬呼吸が止まり、目の前が真っ暗になり、気を失う。
であるが、ある程度腹筋を鍛えていれば、防御しやすい箇所である。

・横隔膜
胸筋の下部にある。ここの振動がシャックリの原因である。
その事からここが肺と繋がりがあると気付くだろう。
であるからここへの衝撃はそのまま最重要機関である肺への一撃と転じるのだ。

・脇腹/肝臓
肋骨よりさらに下部の腹部側部は肋骨のカバーも無く、さらに鍛えても筋肉の付きにくい箇所である。
特に右脇腹全体が肝臓へとダイレクトに衝撃が伝わるようになっている。
正道会館ではこの脇腹、特に肝臓への攻撃を中心にコンビネーションを考えている。

・背骨
肉体の大黒柱である巨大な骨、脊髄の鞘であるが、この鞘はどういう訳か衝撃を伝え易い。
ここに硬度のある物、肉体で言えば肘や膝、拳等が背骨に用いるべき攻撃用の部位であろう。
全身を麻痺させる事が可能、当たり様では一生半身不髄という事態も招く。

・賢臓
背部の下部に左右一体ずつある臓器。ここへの一撃は強烈な痛みと衝撃を与え、
更に体内へも痛烈な一撃となり伝わっていく。
一見非常に打ち難いような気もするが、クリンチ気味に抱きつき、
駄々っ子のようにパンチを浴びせても、かなり効果が期待される。

最後に腹部以下と腕部の急所を上げよう。

・下腹部
具体的にはヘソの下から生殖器の上までの範囲。
ここには毛細血管で出来た目の細かい網と膀胱がある。
これより上や下の生殖器への攻撃は長い歴史の中で研究されているが、
この部位はそれに比べて防御の技術が発達していない。
そのため陳式太極拳(最も古い太極拳。優美にして凶猛な拳である)ではこの下腹部への打法が存在する。
強い打撃でも毛細血管が破裂し、暖慢な死を迎える事になるし、
膀胱自体への衝撃の痛みも筆舌尽くし難い物である。

・尾てい骨
はるかな過去、人間が持っていた尾の名残がこの臀部にある骨である。
よくプロレスの尾てい骨を打ちつける技、アトミックドロップを食らうと「笑いながら死ぬ」と言われている。
これはここから衝撃が脳髄に伝わり、全身の神経に影響を与え、筋肉が弛緩するためと思われている。
肥満体では効きにくい部位ではあるが、ここが骨折してしまった時の痛みは痔の比ではない。

・生殖器
ここはもう語るまでもなかろう(笑)。あらゆる衝撃に弱い。
私の体験談としては内股(YAWARA!の富士子さんのくるみ割り人形)がずれて、
相手の股間を思い切りふくらはぎで蹴り上げてしまった事がある。
声を出せず青い顔をしてうずくまった彼の姿は実に哀愁の漂う姿であった。
女性にはこの痛み、決して分からぬと思うが、実は女性器も掌打や膝といった広く硬い部分で、
男性器を打たれた時と同じようなダメージを与えられる。充分気をつけて頂きたい。

・腿
具体的には腿筋肉の付け根。
これ以降は仕留めるというより相手の動きを止めたり、
手足を動かなくするための急所の場所と有効な攻撃方法を書く。

・膝
真正面から踵蹴り、膝の皿の上下、側部にローキック。

・内股
ローキック。大腿神経・静脈が存在する。

・脛
弁慶の泣き所。踵やローキックなどによる強打。

・足首
特にくるぶし。踵やローキックといったあらゆる打撃に弱い。

・腕部
腕部にも急所はあるが、ここへの攻撃はあまり有効ではない。
というのも攻めている間にその攻めた脚や腕を取られてしまう可能性も高く、
またよく動く場所であるため目的の場所に当てづらい。
であるが、どうしてもというのならば肩口や、腕関節部が急所と言えよう。

実戦のコンビネーションとしては、当て易い脛や足首を集中的に攻撃して敵の動きを止めた後、
中心線などの致命傷を与えられる急所に一撃を与える。
これはあらゆる格闘技・武術に言える事で、ボクシングでもボディを打ってスタミナを奪い、
相手の足を止めてから、大技への連続技を始めるという裏技がある。
よくやって練習相手に嫌がられたものだ。

今月の目指せ格闘王、いかがだったであろうか。
前回の対武器戦闘同様、護身術的な感覚で覚えて欲しい。
いつか絶対(残念ながら)日本でも役に立つ事が必ず来るだろう。
来月の予定は未定。すまん、もう受験まで一週間そこそこしかないのだ。
では最後に気合いいくぞ。
『俺はお前の噛ませ犬じゃない!!』


<1992年10月発刊「帝王通信37号」からの転載>
目指せ格闘王 第11回『格闘技から見た格闘ゲーム』

どうも、砂丘座である。今回は久しぶりの格闘王本編である。
ネタ探しの間、スペースを埋めのために始めた「クレージー・ハンティング」(小説)に
妙に力が入ってしまい、未だ終わる気配を見せない。
よって、前回の締切り場外ホームラン式オーバー事件を機に、
めでたく格闘王復活となった訳なのだ。
さて、昨今「ストリート・ファイター2」を始め、格闘ゲームが流行している。
が、しかしあの名作「SF2」とは言え、格闘技オタクの私から見ればまだ納得出来ない部分がある。
よって今回のテーマは「格闘技から見た格闘ゲーム」、
ゲー○ストでも格闘ゲームの論文を募集しているが絶対に入選しそうもない砂丘座流格闘ゲーム論、
行ってみようか。

今まで発表されている格闘ゲーム、1対多数、1対1と種類こそあれ、必ず言える事がある。
それはプレイヤーが異常に強過ぎる事がある。人間離れした怪力や跳躍力、
最新兵器並みの必殺技、数え上げればきりがない。
確かにプレイを楽しくするためには圧倒的なパワーを持ったプレイヤー・キャラクターを操って
敵を倒す方が良いだろう。
だが、それは格闘技というよりも、単なるデカキャラ・アクションでしかない。
その中にはもちろんストリート・ファイター2や2’も含まれるのである。
ストリート・ファイター2(便宜上、2’も含んで2とする)は面白い。
ゲームとしてはここ数年の最高傑作と言ってもいい、少なくとも私はそう思っている。
しかし、格闘技という意味ではそのストリート・ファイター2でさえ、私は満足していないのだ。
最も格闘家らしいリュウやケンを例にしても、小技や投げ技はまだ分かる。
だが必殺技となるととたんに怪しくなる。昇竜拳はまだ分かる。
あれは実際に有り得そうな技であるし、
現実の空手家でも修行すれば似たような技を使える可能性はあるだろう。
しかし竜巻旋風脚はどうか。あれはどう見ても五回転以上している連続飛び蹴りである。
どんな強力な脚力の持ち主、どんな身軽な人間でもそんな連打は無理だろう。
その極みが波動拳である。巨大な気魂を敵に放つ技であるが、
私はそんな気撃が出来る人間を、伝説にすら聞いた事がない。
気を発する事を中国拳法において発剄と言うが、その発剄ですら、人に強大な衝撃を与える気を、
体に直接接触させる事で伝えるのにも、十年以上の修行を積まなければならないのだ。
しかも、離合い(拳や蹴りの間合い以上の距離)すら超えた距離を飛ぶ、
肉眼に見える事の出来る気など、高く考えても二十代後半でしかないリュウやケンに放てるだろうか?
ましてや彼らは空手使いに柔道やテコンドーの技を組み合わせた我流空手のような技を使う。
そんな力まかせな技が主体を占める格闘技で発気能力が得られるのだろうか?
拳や蹴りから伝わる程度には出来るかも知れない。
しかし、波動拳のような芸当は逆立ちしても無理だろう。
こうした事は他のキャラクターにも言えるだろう。
もし彼らが現実にいれば世界の格闘技は揺り動く。
強烈な気の塊やかまいたちを飛ばし、化け物じみた跳躍力で飛び回り、
電撃や炎、伸縮する手足が襲ってくるのだ。
しかもその全員が素手で一台の大型車を全壊させるだけの怪力の持ち主である。
前田日明とジャンボ鶴田が手を組み、それに闘魂三銃士がオマケについたとしても、
彼らを一人として倒す事は不可能だろう。それがダルシムであったとしても・・・。

格闘ゲームをやっているプレイヤーは大きく二つに分けられる。
格闘技を知る者と、格闘技を知らない者である。
彼らはキャラクターの能力を当たり前のように考え、プレイする。
彼らにとってキャラクターは単なるコンピューターの作り出す映像であり、
その技もゲームを面白くするための小道具の一つとしか考えないだろう。
もちろん、それが当たり前であり、格闘技を知る者の半分以上もそう考えているだろう。
だが、私は小・中の六年間柔道を学び、プロレスを通じて他の格闘技に興味を持ち、
八極拳を独習する友人を知る事で武術にも興味を持った。
その私から見て今の格闘ゲームはあまりに現実離れし過ぎているとしか思えないのだ。
もっとリアルでシビアな格闘ゲーム、それでいて娯楽性を失わない、
そんな格闘ゲームを私は求めている。
では、それはどういう物か、それを考えてみよう。

実際の格闘技では、そう軽々と大技を出さない。出すとしたら戦闘開始直後の一瞬だけだろう。
それ程格闘技というのはシビアなのだ。UWF系の団体の試合を見ると、
よほどの隙がない限り、ローキックや掌打以上の技を出さない。
そうしてスタミナを削り取り、相手の隙を自ら呼び込まないと
一発K.O.を狙えるような大技を出せないのである。
手技のみの格闘技ボクシングでもそれは言える。
ジャブの連打で体力を奪い、ストレートやアッパーを入れる隙を作るのだ。
また、例え攻撃を防御したとしても、ダメージは微少とはいえ残る。
パンチのラッシュをガードすれば足にそのダメージが残る。
それに攻撃する方もしただけスタミナが落ちる。
モハメッド・アリがジョージ・フォアマンとの再戦で用いた
ロープ・ア・ドープはまさにこの事実そのものである。
ロープ際でガードを固め、フォアマンには後のラウンドを闘い抜くスタミナは残っていなかった。
そう、ロープ際で麻薬(ドープ)中毒者のような状態になるまでスタミナを奪われたフォアマンは、
腕力こそ落ちているもののスタミナを温存し続けたアリのラッシュでマットに沈んだのである。
だが、格闘ゲームにこうはいかない。相手を追い詰め、攻撃を連打してもスタミナが減る事も、
まだガードしている側のスタミナや攻撃力の減る事もない。

まだ気にかかる事はある。それは技の破壊力である。
もし現実の格闘技の試合で、血を吐いたり、胃の内容物を吐き出す程強烈な打撃を受けていたら、
その場で崩れ落ち、気を失うだろう。
投げ技にしてもそうである。
畳やマット以外の場所で投げられたら全身打撲で失神するか死に到る事すらある。
また畳やマットであったとしても物凄い衝撃を受ける事もある。
UWFインターの最強外人ゲーリー・オブライトのジャーマン・スープレックスは、
そうした破壊力を持ち、対戦相手のほとんどを失神K.O.、
レフェリー・ストップで勝利を収めている。
比較的ストリート・ファイター2の投げ技の破壊力が高めに設定されているが、
その重要性はまだ小さいと言わねばなるまい。
さらに関節技の存在も重要である。世界のあらゆる地域に伝統的な武術、
格闘技が残されているが、そのほとんどが関節技を持っている。
だが、この格闘の最終兵器を採用した格闘ゲーム、
出来るだけ忠実に再現しようとした格闘ゲームなど皆無に等しい。プロレスゲームでも、
ただそのモデルとなったレスラーの得意技としての関節技はプログラミングされているが、
それ以外に技は無く、ただのマッチョのパワー・コンテストに成り下がっている。

抵抗出来ない、というのも問題である。
例えばストリート・ファイター2で一度攻撃を当ててから、
その防御のための一瞬の金縛りを利用して投げる、いわゆるハメ投げがあるが、
あの状態で無条件に投げられるのはどう考えても納得いかない。
もし投げに来る時、または関節を取りに来た事を気付いたならばそれに抵抗するのが常識だろう。
それをプログラムの都合であっさりと投げられ、体力を奪われてはストレスも増化するというものだ。
また組み合いから出せる技は無限と言っても良い程である。
それが数種類の投げや締めつけ、噛みつきなどにまとめられてはキャラクターも浮かばれない。

余談:
そのとばっちりを一番受けたのはサガットだろう。
ムエタイにおいて最も効果的な武器である、首を抱え込んでの膝蹴りが使えないのだから。
又、意外と思われるがガイルや春麗もその一員であるのだ。
軍隊格闘術や中国拳法には組み合いからの必殺技があるのだ。

では、これまでの意見からリアルでシビアな格闘ゲームを考えてみよう。

1)1対1の格闘を基本とする
これは1対多では1の方が相当の達人でないと互角な勝負が出来ないし、
データのチェックなども大変な事になるだろうから。

2)ヒットポイントの他にスタミナのメーターをつける
スタミナは敵の攻撃を受ける、攻撃をするなど、どんな攻撃を行なっても減少するが、
何も(移動すら)していない状態では少しずつ回復する。

3)部位ごとに攻撃力兼耐久力をつける
腕や足、肩は左右を区別する。何故兼用かと言うと、
骨にヒビが入った拳で殴ってもろくなダメージは与えられない。
又、頭に怪我をしてはヘッドバットをしても自分が痛いだけである。(相手も痛い事は痛いが)

4)スタミナの残量、部位別耐久力の残量によりキャラクターの動きに差をつける
もう倒れそうな位疲れ切った格闘家が、スタミナに満ちていた時と同じ動きが出来る訳がない。

5)ダウンからの関節技、立ち技からの関節技を採用する
空手やムエタイなど殴打のみの格闘技ならいざ知らず、
組み技のある格闘家なら何らかの関節技が存在する。相撲にすらあるのだ。

6)組み技に抵抗出来るようにする
理由は前に書いた通り。その他にも抵抗する事でダメージが減ったり、逆に増えたりしても楽しい。

7)カウンター技を使えるようにする
攻撃をかわし、その一瞬の無防備にすかさず攻撃を加える。これも格闘技の快感である。

8)技の破壊力を変化させる
ストリート・ファイター形式の6ボタンも良いが、
相手の攻撃を当てた時に相手の攻撃を食らった場所と、自分の攻撃を当てた場所によっても変化させればよい。
例えば、後頭部に強キックの膝が当たったら普通一発K.O.である。

9)常識外れな能力は必要ない
つまり、必殺技やキャラクターの基本能力は常識レベルに抑えておけ、という事である。

10)もしキャラクターを格闘技別に分けるなら、その格闘技をよく研究し再現する
そうしないと、柔道家のキャラクターが肩や足の関節を取るような
「おいおい、それは違うんじゃねえの」状態におちいるのは確実である。

11)組み技の種類を多くする
我々はサガットの悲劇を忘れてはいけない(笑)。

12)ガードを細かくする
普通しゃがんだりしたら、もろにネリチャギを食らって失神K.O.である。
それに上・中段同時ガードでは、ミドルキックと見せかけてハイキックなどの
コンビネーションが使えなくなってしまう。

・・・どうだろうか?まだ不十分ではあるが、
従来の格闘ゲームよりもリアルでシビアなゲームに仕上がったと私は考えているが。
さて、このゲームには欠点がある。それは膨大な量のデータ(それこそSLG並の)が必要な事と、
6ボタンでも制御しきれない操作、そしてその中でも最大なのは、
格闘技おたく、格闘技マニア以外は興味を持たない事だろう。
だが、格闘技とゲームの両方に強い関心を持つ私としては死ぬ前に一度やってみたいゲームである。
だれかアーケードかFM−TOWNSで作らないだろうか?
(だって、88で作れるかこんな化け物!88でオーガスタ走らせ言うとるのと同じよーなもんやっ!!)

さて、今月の『目指せ格闘王』いかがだったであろうか。
久々の格闘王で燃えてしまった訳だが、まあ、こんな物だろう。
では、これまた久々の気合いといこうか。
この気合いは誰の言葉かクイズにするので分かったら酒場にでも書いて欲しい。いくぞ。
『選ばれし者の恍惚と不安、我にあり』


<1993年9月発刊「帝王通信最終号(47、48合併号)」からの転載>
目指せ格闘王 第12回『THE STORONGEST MAN −そして最強とは−』

どうも、砂丘座である。
ついにこの連載も最終回を迎える事となった。
何回か中断もしたが十回以上もこの自分の趣味だけに走った連載を応援して下さった皆様に深く感謝する。
では今回のテーマは「中国武術」、そして最終回の為に残していたテーマ、
『THE STORONGEST MAN −そして最強とは−』である。
最後の「目指せ格闘王」、ごゆっくりお楽しみいただきたい。

中国は広い、とてつもなく広い。そして同時に中国は奥深い。とてつもなく奥深い。
千の歴史、万の国土、億の人間、その中で作り上げられた中国武術も奥深い。底知れぬ程奥深い。
中国武術の源流はインドの伝統武術カラリパヤットと考えるられている。
このカラリパヤットは言わば古代の戦場格闘術とでも言うべき格闘技で、
素手による戦闘術以外にも剣や槍、棒や鎖といった武器を用いた技法も伝えられている。
だがその基本はあくまで戦場での殺傷法であり、それ以外の何物でもない。
余談であるが数年前某栄養ドリンクのコマーシャルで「いやはや鳥人だ」のコピーで
頭上高々とぶら下げられたボールを蹴り上げるコマーシャルがあったが、
あの蹴技(つまりとてつもなく高いジャンプと柔軟な関節から生み出される飛び蹴り)がカラリパヤットの技である。
中国とインド、この両国には共通点が多い。
つまり長い歴史と広大な国土、膨大な人口である。
さらに他民族国家である事もその一つかも知れない。
そのインドは世界で最も早く文明らしき物が生まれた地ではないだろうか。
母なるガンジスの元、人が住み、人が死に、人が埋もれ、そして歴史が生まれる。
その術は他の人々の間にも伝わり、山や川、海を超える。
その一つが中国武術なのだ。

最も古い中国武術が何であるのか正確には分からない。
何故なら多くの拳法の創始者とされているのは伝説上の人物や歴史上の有名人物であり、
中には神仙の類がその祖とされている物もある。
それであるから中国武術の祖が何であるかは大きな問題ではない。
少なくとも私のような単なる格闘技好きにとってはだが。
だがそれでも最古の一つと考えられている物は存在し、それは私も興味を持っている。
それがシュアイ・ジャオである。
シュアイ・ジャオは投げ技を中心とした着衣格闘技であり、
その型式から日本の相撲や柔道の源流とも言われている。
シュアイ・ジャオは角抵などとも言われ、書物によれば約四千五百年前、神農炎帝の治世、
銅頭鉄額有角の怪物シユウが用いた武術がこの角抵であったとされる。
さてこのシュアイ・ジャオのルーツも恐らくインドの相撲であろう。
インドでは「争婚」という慣習があったとされ、その優劣を決める手段が相撲であったのだ。
インドの王族の教育の中にはもちろん相撲もあり、釈迦もまだシャカ王族の一員であった時、
他国の王子と相撲を取って勝利し、その妻を得たという。
この相撲がルーツとなってシュアイ・ジャオとなった(もしくはその逆かも知れないが)。
そのシュアイ・ジャオは中国の民族の中でもツングース系の民族に伝えられていた。
結果、ツングース系の武術となったシュアイ・ジャオは他の地域にも伝播していったのである。
例えばモンゴル相撲、例えば韓国相撲とも呼ばれるシルム。
これらの技は日本の相撲よりもシュアイ・ジャオに近い豪快な投げが見られる。

シュアイ・ジャオは組み技の格闘技であるが、中国武術でよく目立つのが打撃系の技術である。
それはやはりブルース・リーやジャッキー・チェンといったムービー・スターの影響だろう。
ブルース・リーが始めに体得したのが詠春拳という武術であった。
詠春拳は船上生活者が編み出した技法が主とされているため小さく、
不安定なスペースでの使用に適している。
ブルース・リーはこれに他の格闘技から様々な技術を輸入する事でジークンドーという彼独自の武術を作り出した。
彼等の技は豪快なモーションとスピードが特徴であるが、これはやはり映画の為に無駄な、
しかし見映えするモーションを入れた為、実用性という点ではやはり幾らか落ちる。
このほぼ表演用と言っても良い武術の中でも有名な物が長拳である。
長拳のモーションは大きく、優美であるが、それ故に実用性は低く見られる。
であるから映画でカンフー・スターを見た人々がまるで舞踊のように彼等を見、
あれが中国武術の全てであるかのように考えてしまう。
こうして中国武術が誤解されていくのだ。

そして誤解を深めるのが太極拳である。
あの独特のスローな動きと老人が集団で行う映像を見た人々はますます中国武術への誤解を深める。
「中国武術は使えないのではないか?」という誤解を。
太極拳は確かに東洋医学による一種の健康法であるが、それはやはり戦闘術の型を残している。
そうした太極拳の中でも最も初期型の物とされている陳式太極拳は戦闘的で、
勇猛な拳法とされ書かれており、達人の手によれば常に相手と一定の距離を保ち、
接近と離脱で相手の技を殺すと、自らの一撃を加える恐るべき殺人術となる。

ここで中国武術への誤解というか偏見をまたあげよう。
「中国武術の点穴、秘孔などイカサマだ。」
「武術の達人の老人が強い訳がない。」
「気など偽者、剄化など存在しない。」
これらは全て同じ理由からの偏見である。つまり西洋科学の偏重だ。
日本はアジアの一地方でありながら欧米の影響を受けまくっている。
その科学技術も教育も医学も西洋中心であり、
そのために伝統的であった東洋の技術や医学が否定されるのだ。
いわく「非科学的」と。だが西洋のそれらは絶対なのか?
違うはずだ。確かに西洋技術はある一面では東洋技術に上回る。
しかし、その他の面では未だに追いつかぬのが現実ではないか。
点穴は実際にある。
西洋技術から生まれた格闘技の中で急所とされている部分は全て点穴の中にあり、
それに加え無数の全身に点在する急所が伝えられている。
それは何百年もの経験から残されてきた物で、
経験を重視する東洋の技術体系の中ではそれは数学の公式と同じ様に当然の物だ。
だからそれを西洋の技術で解明出来ないからインチキと考えるのは愚かしい。
又、西洋と東洋では力の使い方の概念が違う。
西洋の文化圏の人間にとって力とは人間自身の筋肉と神経が作り出す物と考えられているが、
東洋文化の中の人々は力とは地球から引き出す物と考えている。
だから地球、つまり天地の法則(これも東洋独特だ)に沿った動きが力を導くという思想で中国武術は成立している。
確かに中国武術を大成させるには長い年月、何十年もの修行を必要とする。
しかしそれが単なる格闘技ではなく、武術を通じ自らと天地の関係、
生命の在り方を知る一種の哲学であるとするなら武術が時間とするのも理解出来るだろう。
武術家にとって強さは付加価値でしかないのかも知れない。
それが分からない、いや知ろうとしない人間が武術を軽視し嘲笑するのだ。
気もそうだ。確かに気が何であるか正体は分からない。
しかし人間が何かエネルギーのような物を放っているのは確かだ。
それはその人間の存在そのものの強さなのかも知れない。
で、あるから人の気を直接攻撃する武術にとって、もっと大きな生命である地球の力を用いる事は自然なのだ。
剄というのがある。発剄などというあれだ。これも一種の力の使い方で、
剄は体のねじれを一点へ集中させる事で生まれ、巨大な力の波と化す。
その力には同質の力以外対する事は出来ず、波は全てを砕く。
なら何故その力の持ち主が表に出ないのか。理由は簡単だ。武術家は同時に哲学者である。
彼等にとって強さは絶対ではない。彼等は武術を通じて真理を得ようとしているのだ。
確かに若い頃はただ強さを求めて高名な武術家の元で弟子となるだろう。
しかし自らの技が長じるにつれ思想も変わり、単なる強さの追求は終わり、
宇宙、そして地球と自らの在り方が始めはおぼろ気に、
最終的には自らの肉体同様自然な物として感じる事が出来る。
中国武術は戦闘技術であった。
しかし地球や宇宙から力を引き出す術を人間が知った時、武術はもう一つの面を持った。
私の結論、それは肉体を用いる哲学、それが武術である。
しかし我々は求めてやまない。
「最強」とは何かという答えを。
それはある武術、格闘技に与えられるのか、それとも人に与えられるのか。
答えはわからない。恐らく永遠に。
何が強いのか、誰が強いのか。
仮定すら導き出せない問い、フェルマーの法側すら超えた難問、だがあえて私は答えを出したい。
「最強とは夢」という答えを。
何をすれば最強なのか、その基準はない。
もし現在の格闘家全てが集まり、闘ったとしても答えは出ない。
だが人は最強の二文字を求め、肉体を極限まで鍛える。それは夢追い人だ。
幼い子供のように唯一つの夢を追い続ける人間の姿だ。
最強が何であれ、誰であれどうでも良い。
ただ最強という誰一人手の届かない聖宝、足を踏み入れられない聖域がある。それだけでいい。
例えどれだけ人間が進化しても「最強」が与えるロマンと憧れだけは失せる事がない。
夢もロマンも失せたと言われるこの時代、
ただ「最強」だけが輝いていても、そしてその輝きだけを求める者がいても私はいいと思う。

闘う者よ。
何を求める?
何を求め、その身を鋼と変え、その心を修羅と変える?
何を求め、その身を傷つけ、その心を飢えで満たす?
我を見る者よ。
我は求める。
我は求め、この身を鋼と変え、その心を修羅と変える。
我は求め、この身を傷つけ、この心を飢えで満たす。
闘う者よ、求めるものは遠いのか?
我を見る者よ、求めるものは遠い。
闘う者よ、求めるものは重いのか?
我を見る者よ、求めるものは重い。
ならば闘う者よ、求めるものの名を教えて欲しい。
ならば我を見る者よ、求めるものの名を教えよう。
それは?
それは・・・・・・

結局我々はわがままなのだ。
最強を求め、闘い続ける姿をただ見たい。
つまりそれだけなのだ。
だがこのわがままを許して欲しい。
闘う者よ、私は、君を見る者は、君をもう一つの名で呼ぼう。
最強を求める者と。

最後の『目指せ格闘王』いかがだったであろうか。
私にとって『目指せ格闘王』とは初めて連載したコーナーであり、初めて成功したコーナーであった。
今回の『目指せ格闘王』はかなり自分の思い込みで書いた。 だからいつにも増して読みにくかっただろうと思う。
だが、こうでなければ「武術」とそして「最強」については書けなかっただろう。
では、ここいらで筆を下ろそうと思う。長い間どうも有難う。
さらばだ。

『燃え尽きたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』


追記:
『目指せ格闘王』番外編として格闘小説が連載されていたが、
完結していないため今回は割愛させて頂いた事をご了承頂きたい。
また、本コーナーの復刻を快くOKしてくれた砂丘座氏に感謝したい。