「俺達……出会わなければよかったの…かなぁ……」



月を見上げながら、そう呟いていたのは誰?



「俺は……に会えてよかったよ?」



泣いている顔を見たくなくて…
そんな顔を見たら、どうしていいのか本当にわからなくて…
だから、その瞳を手で覆った。
他の誰にも見られないように…
他の誰にも奪われないように…

あの瞳に捕らわれる
あの瞳に捕らわれたい

誰にも譲らない
誰にも渡さない

たった一つの…俺の……




ZERO




何度目かになる同じ夢を見て目が覚めた。
あの日から丁度3日。
あの日を境に時任の消息が消えた。
葛西に聞いて教えてもらったマンションにも、鵠さんのところにも…
どこにも時任の姿は見当たらなくて…

心を占拠するのは行き場のない焦燥感だけで…
来る日も来る日も不安で胸が押しつぶされそうだ。
最後の日に見たあの泣き顔がちらちら目の前に浮かんでは消えて
手を伸ばして涙を拭ってやりたいのに、その手すら届かない。

葛西に聞いた俺たちのなり染めや、俺の体についている傷痕。
切り傷とかそういう可愛いものではない。
これはフツウの医者にはかかれないだろう傷痕。
さすがの葛西もこの傷痕を見た瞬間、眉を顰めていた。


「誠人、今のおまえじゃ時坊を守るどころか完全に足手まといだ。
 時坊は俺が責任を持って探してやる。だからおまえはとにかく
 一刻も早く思い出せ。
 記憶のないおまえは時坊は受け入れちゃくれねぇ。
 時坊を助けられるのもおまえしかいね〜んだからよ」


葛西はそう言い残して、時任の捜索に乗り出した。
そして、俺は今、かつての俺と時任が住んでいたマンションにいた。
いろいろと物色しているうちに、鍵のかかった引出しがひとつあって
なぜだか無償にその引出しが気になった。
鍵がどこにあるのかなんてわからない。
このマンション自体記憶にないのに、体が何かを覚えていた。
テレビの前に置かれた二人掛けのソファ。
そのテレビの前に放置されたゲーム機と飲みかけのマグカップ。
サイドテーブルの上には無造作に置かれた4日前の新聞と、
恐らくそこが定位置なのだろう灰皿が一つ。
無意識に伸びたその手は灰皿を軽く持ち上げて、そこに小さな鍵を見つけた。
なぜか、その鍵があの鍵だと本能がそう教えてくれる。
いや、本能というよりも、それは何かの前触れだったのかもしれない。
小さなカチリという音と閉ざされていた引出しが開いた。

そこには表面にヒビの入ったもう時を刻んでいない腕時計と、
丁寧に4つ折りされた紙が1枚。
たったそれだけのものが、引出しの中央の部分に大事に…仕舞われていた。
何気なくその紙を手にとって開いて目を瞠る。




『元気でな』




たった一言、それだけ書かれた紙だった。
昨日とか一昨日とかに書かれた代物ではない。
だけど、その紙を…その一文を読んだ瞬間脳裏に駆け巡る何かがあった。




『……なあ、くぼちゃん……』
『ん?』
『……俺を殺せる?』
『………え?』
『……俺を生かすことだけ考えて自分のコトあんまし守らね〜じゃん?おまえ』
『時任?』
『……俺、あの時…くぼちゃんがマジ死ぬかもって思ったら怖くて…怖くて
 どうしようもなく怖かった…あんな思いは二度とごめんだ』



「……時任……」


ところどころ蘇える記憶。
いつもいつも腕の中で綺麗な涙を流していた。
一人を嫌がって、でも、誰かを犠牲にしてまで生きていたくないと思ってて
辛いとか怖いとか不安だとか言えないくらい強情で…
なのに、俺よりもずっとずっと……強かった。


『ね、あの時計さ…』
『…なんだよ』
『もらいものっていうか、戦利品?』
『は?』
『賭け麻雀の戦利品なのよ』
『………』
『大事にしてたのは、あれの電池交換に行った帰りに時任に会えたから…。
 あれの電池換えに行かなかったら俺達出会ってなかったわけっしょ?』
『………』
『あの時計を見る度に思い出すのは時任のコト…』
『…恥ずかしいヤツ…』


この時計も…
引出しの中に入っていたもう一つのヒビの入った腕時計。
これも…不器用に言い出せなかったおまえが壊したもの。


見渡せば、そこにもあそこにも二人の気配が残っていて…
今まで忘れていられたことの方が不思議でならなかった。



『いいんだ、くぼちゃんが無事なら。俺はそれでいい』



鵠さんのところで、そう言った。
ねぇ、時任。
どういう気持ちでその台詞を言ったの?


『おっちゃん、くぼちゃんのこと宜しくなっ』


ねぇ、時任。
なんで俺に…ちゃんと説明しなかったの?
なんで…俺を葛西さんのところに連れてった?


『だから、おれのせいなんだ……全部、俺のせいなんだ……
 ごめん…ごめんな?くぼちゃん』


俺が好きでやってることだからって…
なんでわかってくれないんだろうね…おまえは。


『……早く元気になると…いいな』


なんで、そばに………一緒にいないの?
ずっと…ずっと一緒にいようって約束したのにね…
俺はもうおまえなしじゃ…


ぐしゃっと前髪を握って、カレンダーを見る。
あの日から丁度4日。
まだ…諦めるのは早い。
まだ終わりが来たわけじゃない。



『…くぼちゃん…』
『ん?』
『……一人で、逝くなよ…』
『……』
『逝くときは……二人一緒がいい……』
『うん』



そう俺に言ったのは紛れもないおまえだから…
だから…



手に握り締めた紙切れを無造作にポケットに突っ込んで
俺は思い出の詰まった我が家を後にした。
時任をもう一度この手に取り戻す為に……。






2005.5.12. 水生様

BGM『幽明』
この素敵な曲はこちらのサイト様からお借りしました。

管理人:志方あきこ様


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