なにかから逃げて逃げて…、暗い場所をずっと走り続けてたのはなんとなく覚えてたけど…、そのワケはいつまでたっても、いくら右手を見つめても…、
 ただ、なにかが冷たく凍り付いてしまったかのように、指先が冷たくなってくだけで、わからないし思い出せない。
 でも、それでも俺は拾われたその日から、久保ちゃんのウチにいて…、
 それから一緒にいるのが当たり前になって…、バイトしてコンビニ行って…、カレー食って…、
 まるでずっと前からそうしてたみたいに、この部屋で暮らし始めた。

 セッタの匂いの染みついた…、久保ちゃんと同じ匂いのする部屋に…。

 だから、ヒトの記憶ってヤツがいつからあるのかはわからねぇけど…、そこが俺の始まりだから…、
 俺の記憶は、久保ちゃんと暮らしてる部屋の中だけにあるのかもしれない。
 始まりの日から…、俺のコトを知ってる久保ちゃんの中に…。
 けど、バイト代と一緒に五日遅れのたんじょう日プレゼントを、モグリの野郎から久保ちゃんがもらってんのを見てたら、誰にでも生まれた日が…、
 ・・・・・始まりの日ってヤツがあるコトを思い出した。

 「今日のバイト代です。ご苦労様でした…」
 「うーん、いつもより多いみたいですけど、なんかワリ増しになるようなコトありましたっけ?」
 「割増しになるほど危険な仕事だったわけではありませんが、五日遅れの誕生日祝いということで…」
 「そいつはどーも」
 「・・・・なぜ、誕生日を知ってるのかと聞かないんですか?」
 「情報も商品、デショ?」

 「その通りです」

 ヒトの記憶がいつくらいから残ってるのかって、そんなのはわからない。
 でも、なんにも覚えてなくて記憶になくても、生まれた日があるのは事実だった。
 久保ちゃんの始まりの日は…、八月の二十四日で…、
 それがわかったから、俺も久保ちゃんにおめでとうを言おうとしたけど…、
 いつもより少し厚めのプレゼント入りの封筒を見て…、その日も久保ちゃんと一緒にいたコトを思い出したら…、

 五日遅れのおめでとうなんて、言えなかった。

 久保ちゃんと一緒にバイト代を持って店から出ると、いつの間にか空が夕焼けになってて…、目に痛いくらいまぶしい光が久保ちゃんと俺の影をアスファルトの上に作る。
 いつもなら、その影は横に並んでるはずだったけど…、なぜか今日だけは俺の影は久保ちゃんの影よりもずっと後ろにあった。
 
 「さっきから、なんで後ろ歩いてんの?」
 「なんでって…、べつに後ろを歩きたいからに決まってんだろっ」
 「ふーん」
 「なんだよ?」
 「べつになにも?」
 「なら、さっさと前へ歩けよ」
 
 「はいはい」

 先に行くように言ってわざと遅れて歩きながら…、久保ちゃんの後ろに伸びてる影を踏みながら歩く。そしたら、久保ちゃんの影は太陽が沈みかけてるせいで、さっきよりもずっと長くなってた。
 久保ちゃんと赤い夕日と…、長く長く伸びていく影と…、
 そして、どこかへ帰るために飛んでいくカラス…。
 カラスが鳴いてる声を聞きながら空を見上げたら、なぜか赤く染まった空がやけにキレイに見えて…、ちょっとだけそれが目に染みた…。
 目に染みた夕日をそれでも眺めてると、わかんねぇけどちょっとだけこんな風に夕焼けを見たことがあるような気がして…、
 なんとなく、前を歩いてる久保ちゃんの背中が…、記憶の中にある誰かの背中がダブって見えてきた。
 そしたら、目の前を歩いてるのが…、もしかしたら久保ちゃんじゃないかもしれないって気がして…、そう思ったら久保ちゃんの背中なんて見ていらなくなって…、
 気づいたら俺は、長い影を踏みながら走って…、走って…、

 爪で引っかきキズをつけたことのある背中に…、勢い良く飛びついてた。

 「時任?」
 「・・・・・なんでもねぇよ」
 「なら、いいけど」
 「でも…、でもさ…」
 「うん?」
 「夕焼けが消える前に、早くウチに帰ろうぜ」
 「もしかして、カラスが鳴くから?」
 「…って、俺は幼稚園児じゃねぇっつーのっ」
 「けど、幼稚園児じゃなくても、カラスが鳴いたら帰りたくなるかもよ?」
 「なんで?」

 「帰りたい場所が、待ってくれてるヒトがいてくれたら…、暗くて道が見えなくなる前に早く帰りたくなるから…」

 そう言いながら久保ちゃんは少しだけ立ち止まって、赤く赤く染まった空をそれと同じ色に染まった帰り道の途中で…、俺を背中に背負ったまま空を見上げる。
 けど、俺は久保ちゃんの首に腕をまわしながら、夕焼けじゃなくて久保ちゃんの頭のつむじばかりを…、

 記憶の中にあるつむじの位置と…、違う位置にあるつむじを眺めていた。

 ちょっと前まで青い空だったのに、すぐに日が暮れて一日が終わって…、
 そして始まったばかりだったはずの夏も、セミの鳴き声が聞こえなくなる頃に終わりになって…、
 一年もはじまると…、いつの間にか終わっていく…。
 だから、こんな風に久保ちゃんの背中から夕日を眺めてたことも…、いつの間にか夕焼けが消えていくように消えてしまうのかもしれない。
 胸が痛くてたまらなくなるくらい…、赤い赤い夕焼け色をココロに残しながら…、
 ただ、どうしようもなく好きだってキモチだけを…、抱きしめてた日のコトも…、
 どんなに好きだって…、大好きだって想ってたとしても…、

 なにもかもが…、夕日のように暮れていくから…。

 八月二十四日…、久保ちゃんの生まれた日…。
 そして何月かも何日かもわからない…、俺の生まれた日…。
 はじまりの日は当たり前に突然で、その日を知ってても知らなくても終わりはやってくるのかもしれない…。
 けど、はじまりの日がないなら…、終わりの日もないから…、
 はじまりの日があって良かったって…、久保ちゃんの背中にしがみつきながら想った。
 出会ったコトがこうしてるコトが運命でも奇跡でも…、偶然でも…、
 そんなのはどうでもいいから…、なんでもいいから…、
 おめでとうを言うより強く痛いくらい抱きしめたくて抱きしめられたくて…、キスしたくてキスされたい。
 触れてると夕焼けが消えてしまっても、一緒にいられる気がするから…、
 久保ちゃんと一緒にいることを…、ただひたすらカンジてたかった。
 だから、夕日に照らされて夕焼けの空の色と同じ染まりながら、久保ちゃんの肩口に額を押し付けて後ろからぎゅっと抱きつくと…、
 首にまわしてた腕に、久保ちゃんの唇の濡れた感触が降ってきた…。
 背中から降りたらもっとキスできるけど、今はまだ久保ちゃんの背中に揺られてたくて…、熱く焼けたアスファルトに長い長い二人分で一つの影を作る。
 そして、少し顔をあげてその二人分の影を見てると…、なぜか胸の奥があったかくなってきて…、
 カラスが鳴かなくても…、夕焼けに空が染まらなくても…、

 ・・・・・・・早く帰りたいってそう想った。

 「・・・・あのさ」
 「なに?」
 「なんかケーキ食いたくなったから、でっかいケーキ買って帰らねぇ?」
 「ショートケーキじゃなくて?」
 「だってさ…、ケーキがちっちゃかったら、ロウソク全部立てらんねぇじゃん…」
 「・・・・・そうだね」
 「だから…、来年の二十四日になったら、今日みたいにでっかいケーキ買おうぜ」
 「来年も?」
 「来年も、その次もずっと…」
 「・・・・・・時任」
 「な、なんだよ?」

 「好きだよ…。来年もその先も、誓えないほど遠い日も…」


 沈みかけた夕日が…、ちょっとずつ消えていくたびにさみしさを残してくけど…、
 けれど消える運命にあったとしても、また当たり前に朝日が昇る。
 だから、大好きな君の生まれた日に…、たくさんたくさんキスしたかった…。
 たとえ夕焼けが消えてしまっても、君の唇に好きだって大好きだってキモチが…、恋しさと愛しさが残るように…、
 そして、誓えないほど遠い日までも…、この想いが届くように願いながら…。










 生きるコト…、生きているコト…。
 それが始まったのは当たり前にたんじょうびの日だけど…、八月二十四日か生まれた日だったことを思い出したのは五日過ぎてからだった。でも、去年は忘れたままで思い出すこともなかった気がする。
 それはたぶん…、たんじょうびになってわかるコトが自分が何歳になったかって、それだけのコトだからかもしれなかった。
 何歳になったかは、必要になった時だけそれを思い出せばいいし…、
 それに、今のトコはホントの年齢がわかった所で得をすることは何一つない。
 タバコ吸えなくなるとか、ビール飲めなくなるとか、雀荘が出入り禁止になるとか…、たぶんそれくらいのことだから損しかしないなぁって思ったら、なんとなく自分が未成年ってヤツだったことを思い出して…、吸ってるタバコの煙を見たら、ちょっとだけ笑えてきた。
 けど、やけにキレイだった夕日の中で時任を背負って歩いてたら…、その重さと背中にカンジる鼓動が伝わってきて…、
 でっかいケーキを買おうって…、そう言って抱きしめてきた時任のあたたかさが…、

 生きているコトが…、同じ時を動き続けている鼓動が愛しかった。

 ぎゅっとしがみついてきた時任の腕にキスしながら、夕焼けの空を眺めて…、
 長い長い影をアスファルトの上に落としながら…、同じ時を生きるように歩いて…、
 近くのケーキ屋でおっきなケーキを買って、二人でそれを見てまるでなにかすごく楽しいコトがあったみたいに笑い合う。
 そして…、白いケーキの箱を二人の間に挟んだままキスしたら…、
 なぜか突然、記憶がなくてわからないって知ってるのに、時任のたんじょうびがいつなのかってコトが気になった。
 
 「ねぇ…、時任」
 「なに?」
 「俺もおっきなケーキを買いたい日があるんだけど、買ったら一緒に食べてくれる?」
 「もしかして、それって・・・・・。けど、俺のはわかんねぇし…」
 「何日がわからないってのは、ちゃんと知ってるよ」
 「・・・・・・」
 「けど、生まれた日がいつだったとしても、一緒にケーキ食べたい日だって決まってるから…」
 「だったら…、俺は久保ちゃんとおんなじ日がいい」
 「どして?」
 「おんなじ日ではじまりが同じだったら…、ぜんぶ同じかもって気ぃするじゃん…」
 「おっきなケーキが、年に一個になっても?」

 「一個でも二個でも…、一緒に食べられないなら意味ねぇから…」

 時任はそう言うと、持ってたケーキを俺に渡す。けど、全部おんなじでいいって言ってくれてる時任に、うなづいてやることができなかった。
 ずっと手をつないで行けるトコまでいけたらってそう想ってるはずなのに、白いケーキの箱と時任の笑顔を見てたら…、箱の白と時任の笑顔があまりにもまぶしすぎて…、
 握りしめた手をその身体を、自分の方に引き寄せることができない。
 けど、それは時任のためじゃなくて…、

 このあたたかな鼓動が、二人分の時を刻んでくれてるからかもしれなかった…。

 生まれてくる日が同じだからって、鼓動が同じだけの時を刻んでくれるとは限らない。そしてそれと同じように…、生まれた日が違っても鼓動が刻む時の長さはわからない。
 けど…、気休めにしかすぎなくても…、
 八月二十四日よりも後に、大きなケーキを買いたかった。
 だから…、ワケを知ったら怒るだろうなぁって想いながら、時任の生まれた日をちょっとだけ先の九月八日にする。
 そしたら、時任はじっとなにかを見透かそうとするみたいに、俺のカオを少しの間だけ見てたけど…、すぐにマンションに向かって歩き出した。

 「もしも…、置いてったりしたら許さねぇかんなっ」

 俺よりも先を歩きながらそう言うと、時任は消えかけた夕焼けに向かって走り出す。その夕焼けの方向には…、二人で暮らしてるマンションの黒い影が落ちていた。

                                                             僕らの生まれた日。《夕景》
2003.9.7   
                                                                                                                                    戻 る