九月七日…、日曜日…。

 熱すぎる空気に息苦しさをカンジて目を覚ますと、いつの間にかクーラーが切れてて…、時任が毛布もかけずに汗をかきながら俺の横で眠ってた。
 一度眠ったら電話や目覚ましが鳴っても起きないけど、暑くてもやっぱり起きないみたいで、寝言でブツブツ暑いってつぶやいてたけど、瞳は閉じたままでいる。だからクーラーをつけてやって…、それから身体を冷気から守るために毛布をかけてやったら、暑そうにしかめてた時任の表情がほっとしたように柔らかくなった。
 なんとなく、そのカオを見ながら枕元に置いてたタバコを出して口にくわえて火をつけると、なぜかいつもよりも少しだけ煙が苦い。
 タバコがこんな風に苦くなるのは、いつでもこういう穏やかな日で…、
 眠ってる時任の頭を無意識に撫でながら、ただぼんやりとタバコの灰を長くしてるような時だった。
 今日することも、今日しなくちゃならないことも、長くなった灰を見てるとどうでもよくなってきて…、そんな自分に少しあきれるけど…、
 
 このまま…、ずっとこうしてたいってキモチはホントだった。
 
 やがては暮れていく太陽を見ることもなく…、まるで時を計るように薄暗い部屋のベッドの上でタバコの吸殻だけを灰皿の中に積み上げる。そうして時任の寝息を聞いていると、毛布とあたたかい身体を抱きしめて祈るように瞳を閉じたくなった。
 祈りの言葉なんて…、知りもしないのに…。
 けど、まだ長いままのタバコを灰皿に押し付けると携帯の着信音が鳴る。
 携帯の番号を知ってる人間は限られてたけど、俺がアドレスに登録してる番号はこの部屋にある電話と…、時任の携帯だけだった。
 「はい…?」
 『おはようございます、久保田君』
 「・・・・・もう、昼だけど?」
 『時間的にはそうですが、君にとってはまだ朝でしょう?』
 「うーん、朝っていうより真夜中ってカンジかも?」
 『そんな時間にお呼びたてしてすいませんが、仕事が入りましたよ』
 「運び?」

 『東湖畔から中央公園まで、届け物をお願します』

 携帯にかかってきた電話の相手は、俺がバイトしてる東湖畔の鵠さんだった。
 鵠さんに頼まれる仕事はワリはいいけど、そんなにいつもあるワケじゃない。だから、今回もいつもと同じように、なにも聞かずに受け渡しの時間を聞いた。
 時間と場所だけを聞いて運ぶモノがなんなのかを聞かないのは、興味がないってだけじゃなくて…、なにかあった時、知らない方がシラを切りやすいってのが理由。
 それをわかってるからなのかどうかはわからないけど、時任も荷物を受け取っても、いつもなにも聞いたりしない。
 だから、いつも仕事には連れてくけど、くわしいことは言わなかった。
 横でぐっすりと眠ってる時任を起きないように少し声を落として話してると、それがわかったのか鵠さんの声が少し笑み含んでいる。
 その声を聞きながら俺がそっと頬を撫でると、時任はくすぐったそうに首を縮めた。 
 『今日は時任君は?』
 「ベッドでおやすみ中」
 『なるほど、猫は夜行性ですからね』
 「そーいうワケなんで、今日は俺一人ってコトで…」
 『置いて行かれたことを知ったら、怒るかもしれませんよ?』

 「うん、だから…、ホンモノの猫みたいに帰るまで眠ってて欲しいんだけどね」

 そう言って携帯を切ると床に落ちてるジーパンを履いてベッドから出る。
 けど、ベッドの横に立った瞬間に、右手がぐいっと後ろに引っ張られた。
 何に引っ張られたのかは見るまでもなくて、握りしめられた手から皮の手袋の感触が伝わってくる。その感触とあたたかさをカンジながら振り返って見ると、時任は眠ったままで起きた様子はなかった。
 でも、それでも俺が髪を撫でてた時と同じように無意識に伸ばされた手は、しっかりと離れないように握りしめられている。
 握りしめあった時任の手と俺の手を見てると…、この手を離したくなくなった。
 けど、バイトに行かないワケにはいかなくて、額に軽くキスしてから硬く握りしめられた指を一本ずつはずす…。
 そしたら、閉じたままだった時任の瞳が少しだけ開いた気がした。

 「ちゃんと…、明日になるまでに帰ってくるから…」

 眠ってる時任に向かってそんな風に言ったのは、明日が九月八日で…、
 リビングにあるカレンダーにも、ちゃんと時任のつけた丸がついたからだった。
 それは、時任のたんじょう日だけど生まれた日じゃないけど…、二人で大きなケーキを食べようって約束した日で…、
 生まれた日がわからないなら何月でも何日でも良かったはずなのに、わざわざ九月八日にしたのは少しだけイミがある。
 一年前の…、九月八日。

 それは…、時任が始めて俺の名前を呼んだ日だった。

 あの裏路地で拾ったのは一月の寒い日だったけど…、その日は九月なのにやけに暑い日だったから良く覚えてる。
 雀荘帰りに前に腕をやられたとかって叫んでる男がいきなり襲ってきて、ナイフがちょっとかすって、右手にケガして帰った日…。
 ナイフに切られて血を流してる手を見た時任は、思わずってカンジで俺の名前を叫んだ後…、バカって大声で怒鳴った。
 
 『く、久保ちゃんっ!!』
 『あ、コレ? 見た目は派手だけど、たいしたことないから』
 『そんなワケあるかっ、バカっ!! 玄関に突っ立ってないで、さっさとキズの手当てしろっ!!』
 『うん…』
 『…って、まだクツも脱いでねぇじゃねぇかっ!』
 『クツも脱いでちゃんと手当てもするけど…、実はちょっとだけ時任にお願いがあるんだよねぇ?』
 『お、お願いってなんだよ? 金ならねぇぞっ』
 『知ってるよ』
 『うっ…』
 『お金もなにもいらないから…、だから、もっかい呼んでくんない?』
 『呼ぶってなにを?』

 『ケガしたまま手当てしないで突っ立てる、バカの名前』

 久保田でも誠人でもなくて…、時任に久保ちゃんって呼ばれた時…、始めて自分の名前を呼ばれた気がした。
 なぜかはわからないけど…、そんな気がした…。
 けど、それはたぶん呼び名じゃなくて、呼んでくれてるのが時任だったからで…、
 俺の名前を呼んだことに気づいてあわててる時任を見てると、なぜか抱きしめたくてたまらなくなって…、両腕を前に向かって伸ばした。

 『ごめん…』
 『久保ちゃん?』
 『ごめんね、時任…』
 『なんで…。なんで、あやまんだよ?』

 『さぁ・・、なんでだろうね?』

 胸の奥にある愛しさも恋しさも…、いつ生まれたのかはわからない。
 けど…、その想いの生まれた瞬間が、この胸の鼓動が動き始めた瞬間だった。
 この世でたった一人のヒトを想い続けるために動き始めた鼓動からは、愛しさと恋しさと…、そして痛みも苦しみも生まれてくる。
 でも、この愛しさと恋しさと同じように、そこから生まれる痛みも苦しみも放せない。
 だからきっと…、強く強く手を握りしめすぎてるのは、時任じゃなくて俺の方だった。

 「おやすみ…、また夜が来るまで…」
 
 眠ったままの時任を残してマンションから出ると、熱い空気が頬と髪を撫でる。
 その熱気の中を進むと、焼けたアスファルトと排気ガスの匂いがした。
 まだ九月になっても終わらない夏と…、白く膨らんでいく雲…。
 いつ終わるかわからない…、けれど必ず終わりのある夏の熱さは…、

 どこか…、きしむベッドの上でカンジる熱さとどこか似ていた。

 







 目が覚めると空がまた赤くなってて…、それが夕焼けなのか朝焼けなのかわからなくて時計を見る。すると、朝焼けじゃなくて夕焼けだってことがわかった。
 ベッドの上から手を伸ばしてジーパンを履いてTシャツを着ると、灰皿の中に吸いかけのタバコが押し付けられてるのに気づく。
 それから、自分が寝てた場所の隣を触ると、もう完全に冷たくなっていた。
 たぶんバイトにでも行ったんだろうなぁって…、それは簡単にわかるけど…、
 一緒にモグリんトコに行くようになってから一人で留守番すんのがへってたせいで、ちょっとだけリビングで見つけた書き置きを破りたくなる。
 明日までには必ず帰るって…、そう書いてくれてて…、
 その言葉のイミもカレンダーを見ればすぐにわかったけど…、おんなじ日でいいって言ったのにたんじょう日が九月八日になったコトが気になってる。
 久保ちゃんの場合、ケーキが二個食いたかったとかあり得ねぇし…、それを考えてると待ってる時間が長くて重かった。

 「久保ちゃんのバーカ…」

 そう呟いても当たり前に返事なんかなくて、ソファーに寝転がってクッションをぎゅっと抱きしめてみたら、そこから久保ちゃんの吸ってるセッタの匂いがして…、
 その匂いをかいでると、なんかムカついてきてクッションに拳を叩きつけてみる。
 けど、クッションに拳を叩きつけながらバカって何度も言ってる内に、久保ちゃんの匂いの染み付いたクッションを抱きしめたくなった。
 キレイだった夕日はすぐに沈んで、部屋が暗くなって…、テーブルに置いたままになってる久保ちゃんの書き置きも読めなくなる。なのに、電気もつけないでクッションを抱きしめたまま…、じっとソファの上にうずくまってた。

 「帰ってこなかったら、ケーキ全部一人で食ってやるっ」

 時計の音だけがやけに大きくて…、その音よりも大きな声でそう言うと、俺はそれ以上はなにも言わないで目を閉じる。
 明日は俺のたんじょう日だけど、生まれた日じゃなくて…、
 でも、生まれた日なんかじゃなくても、久保ちゃんが決めてくれた日だから…、ちゃんと二人でケーキを食いたかった。
 けど…、なのに…、八日まであと一時間になっても、久保ちゃんは帰ってこない。
 ちゃんと帰ってくるって言ったのに、十一時を過ぎても玄関のチャイムは鳴らなかった。
 時計の針だけが一分…、また一分とすぎてって…、
 それを見てると心臓まで…、時計と同じリズムで鳴ってる気がする。
 時計と鼓動を聞きながら抱きしめたクッションの匂いをかいでると、嫌な予感がしてきてスゴク胸が苦しくてたまらなくなった…。
 久保ちゃんのたんじょう日と俺のたんじょう日は、たった二週間しか違わないけど…、
 もしも走り続けた先の行き止まりが、二週間分も違ったらなんて考えたくない。

 二週間でも三日でも…、一時間でも一分でも…。

 そんな時が過ぎていくなら時計の針を止めたくなるけど…、どんなに時計を止めても過ぎてく時は止まらないから…、
 だから、握りしめた手を離さないで、二人分の重さを背負ってでも引きずってでも…、二週間分を一緒に走り抜きたかった…。
 どこまでもどこまでも、たとえ行き止まりが目の前にあったとしても…、
 
 この手は離せないから…、二人でどこまでもどこまでも走りたかった。











 暗闇の中に…、自分の息づかいだけが聞こえてくる。
 運びのバイトが終わってマンションに帰る途中…、俺を狙って飛んできた銃弾を避けて裏路地に入り込むと、すぐにあちこちから複数の足音が追いかけてきた。
 俺を狙ってきたのはどこかの組らしいけど、カタキとかどうとか言ってるってコトは、もしかしたら東条組なのかもしれない。
 手に持ってたはずのケーキの入ってた白い箱は、最初に飛んできた一発に撃ち落されて…、アスファルトの上に落ちてしまっていた。
 たぶん…、中身はぐちゃくぢゃになってて、もうロウソクは立てられない。
 時任のたんじょう日に二人で食べるつもりだったけど、時計の針を見るともうあと十分で午前零時になってしまうから…、

 ・・・時任とした約束は守れそうもなかった。
 
 絶対に約束を破りたくなかったけど、時は残酷に過ぎていく…。
 午前零時をすぎても時任は待っててくれるだろうけど…、もしもココから行く先が行き止まりなら、ケーキを食べられないだけじゃなくて時任にゴメンってあやまることもできなくなる。行き止まりに向かって走ったつもりはなかったけど、夜の闇に包まれたこの道がどこへ続いてるのかはわからなかった。

 持ってる拳銃の中に入ってる弾は六発で…、相手は十人。

 弾の数が足りなかったけど…、逃げて逃げて、逃げ続けても帰れないから…、
 右手に拳銃を握りしめて、暗闇を切り裂くように引き金を引いた。
 けれど、またすぐに囲まれて次の路地を右へと曲る。
 午前零時すぎてちゃんとウチに帰って、ただいまとおめでとうを言いたくても…、こんなにお客を連れては帰れなかった。

 十分…、七分…、五分…。

 もしも時計を投げつけて壊せば時が止まるなら、そうしてたかもしれないけど…、
 やっぱり、どんなことをしても時が止まることはない。
 二人きりのあの部屋で過ぎてく時間は穏やかであたたかいのに…、一人きりでいる時間はすべてを凍りつかせていく。
 だから早く部屋に…、時任のいる場所に帰りたかった。
 けど、撃ち続けてる内にやっぱり弾の数が足りなくなって、弾の入ってない拳銃を握りしめて夜空を見上げる。その空は星も月もなくて、ただ暗いだけの空だったけど…、同じ空を時任が見上げてる気がして…、
 どこまでも続く空に向かって空砲を撃った。
 
 「いたぞっ、こっちだっ!!」
 「お前らは、そこから回り込め!」

 銃弾が頬をかすめて飛んで、そこにわずかに痛みが走る。
 それに構わずに路地裏に走り込むと、俺は後ろにいるあきらめの悪すぎるオジサン達に向かってゴミバケツを蹴った。
 これでなんとか逃げ切れるかと思ったけど、後ろだけじゃなくて前にも人影があって…、その影は真っ直ぐ俺の方に持っていた銃口を向ける。
 だから、俺も弾の入っていない拳銃を影に向かって構えた。
 「弾の入ってない銃で、撃てるもんなら撃ってみろよ。てめぇの銃はさっきの銃撃戦で弾切れだろ?」
 「さぁ?」
 「強がってもムダだぜ。撃ってる弾の数を、ちゃんと数えてたんだからな」
 「ふーん…。けど、実はまだ一発だけ残ってるって言ったら?」
 「そんなことはあり得ねぇ」
 「なら、試しに撃ってみなよ」
 「・・・・・・」

 「一発あれば、心臓を撃ち抜くのに十分だしね…」

 向かい合って拳銃を構えてると、周りの空気が次第に張りつめていく。
 弾の入っていない拳銃はいつもよりも少しだけ軽かったけど…、その引き金を何回引いても自分の身を守ることはできなかった。
 けど、俺に向けられた銃口は…、正確に心臓を狙ってる。
 あっちのにはちゃんと弾が入ってるだろうから、引き金を引かれたらそれで…、なにもかもが一瞬で終わってしまう。なのに、それを止める方法も見つからないまま、目の前の拳銃の引き金はゆっくりと引き絞られていっていた。
 けれど急所を狙って引き金を引くことに神経を集中してる隙をついて、俺が拳銃を蹴り落とそうとすると、その背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。その声に驚いて銃口を向けてた男が声のした方向に振り返ると、男の顔に白い何かが飛んできた。
 飛んできた何かに顔を覆われた男は、前が見えなくなってヨタヨタしている。
 男の視界をふさいでいるのは、布とかそういうものじゃなくて…、
 実はたくさん白い生クリームの乗った、俺がどこかに落としたものと同じ大きなケーキだった。

 「久保ちゃんっ!!パスッ!!」

 時任はそう叫んでケーキにやられた男の落とした拳銃を、俺の方に向かって蹴り上げる。すると、拳銃は空中でキレイな曲線を描いて、伸ばした俺の手の中に収まった。
 その拳銃でゴミバケツから復活したのをその銃でけん制すると、俺は時任と一緒に走りって…、暗い裏路地から表通りに飛び出す。
 そしたら、なんでココに時任がいたのかがすぐにわかった。
 「こんな時間に開いてるケーキ屋って、マジでココしかなさそうだよなぁ」
 「ケーキ買うついでに、見つけたから助けてくれたってコト?」
 「違う…、そうじゃなくて…」
 「なに?」

 「久保ちゃん探すついでに、ケーキ屋見つけただけだっつーのっ」

 裏路地で見つけたのも見つけられたのもホントに偶然で…、もしかしたら、すれ違って会えなかったかもしれない。
 けど…、それでもこんな風に出会えるのなら…、
 きっとどんな時も…、どんなに離れてても出会えるのかもって気がした。
 買ったケーキは二つともダメになって、おめでとうを言うはずだった午前零時はとっくに過ぎてしまってたけど…、
 走りながらぎゅっと手をにぎりしめておめでとうを言ったら、時任はくすぐったそうに笑いながら強く手を握り返してきた。
 「なぁ、久保ちゃん」
 「ん?」
 「来年から、やっぱおんなじ日にケーキ食わねぇ?」
 「なんで?」
 「なんでって…、なんとなくだよっ」
 「・・・・・なら、どうせならたんじょう日は一月にしない?」
 「一月って、なんかあったっけ?」

 「なんにもなくても…、きっとそれが俺らの生まれた日だから…」

 暗い夜の街を走って走って、笑い合いながら手をつないで…、止まらない時の中を走り抜ける。
 ただひたすら…、二人で…。
 やがては夜が明けて、朝の光になにもかもが消されてしまったとしても…、握りしめた手のひらのあたたかさも触れ合った身体の熱さも…、
 生まれた日から、時を刻み始めた鼓動がすべてを現実にする。
 だから、どこまで行こうとかそんな約束なんてしないで…、
 どこまでもどこまでも、たとえ行き止まりに行きついたとしても…、こうしてココロをつなぐように手をつないでいたい。
 もしも時任じゃなくて俺の方が裏路地に落ちてたら、拾ってくれるのかって聞きたい気がしたけど…、
 俺はそれ以上なにも言わずに、暗いだけの空を見上げながら…、

 動き続けてる鼓動と…、手のぬくもりだけをカンジていた。

                                                             僕らの生まれた日。《夜景》
2003.9.11   
                                                                                                                                    戻 る