海鳴り。
きっかけは、ほんの些細なことだった。
それは高校ん時のことで、俺がモクってた場所に修司が来たのが最初だった。
同じガッコだし顔は見たことがあったけど、クラス違うし名前までは知らない。俺が気が向いた時だけ遊んでる奴らとも知り合いじゃないし、その時まで接点はゼロだった。
けどさ、なんていうか授業中だったし、ここで目が合った時点でコイツはご同類みたいな…。だから、なんだよつってガン飛ばしてくる修司に、俺はポケットに入れてたモクを一本差し出した。
『今って授業中だべ?』
『それをサボってる上に、モクってるお前が言うかよ』
最初に修司とした会話は、たぶんそんな感じだったような気がする。
そっからはフツーのダチみたいに二人で噴出して笑ってモクやりながら、だりぃとか天気良すぎだろとかくだらねぇ話してだべって…。そんなのを数回繰り返してマジでダチみたくなってきた頃に、同じ感じで治が加わって三人になった。
一人になりたい気分の時に授業ぶちってたってのに、いつの間にか二人も増えちまってる。でも、まっいっかと思えるくらいには、三人で居るのは居心地が良かった。
ホントに何をするのも三人だと、バカみたいに楽しかったんだ。
『そーいえばさ、今度の日曜に祭りがあるだろ? アレ行かねぇか? 俺、射的とか金魚すくいとかマジうめぇんだぜ』
『俺はそんなものに興味はない』
『行けばぜってぇ面白いって、なぁ、三人で行こうぜ』
『・・・お前はガキか』
『俺がガキなら、お前だってガキだろー。なぁ、おちゃむ君』
『お前と一緒にするな、そして、その呼び方はやめろ』
三人でつるむようになって、どれくらいの頃だったか…。
いかにもそういうのが好きそうな修司が、近くである祭りに行きたがった。逆に治はそういうのに興味が無さそうだったけど、俺は修司が言わなくても行くつもりでいた。
その祭りには、テキ屋やってる叔父さんが店を出す。
だから、俺は毎年、叔父に会いに祭りに行っていた。
どっかの会社に勤めてへーこら上司に頭を下げたり、どこにでもいるようなあくせく働いてくたびれたオッサンとは…、俺の親父とはどこか違う、自由に生きてるみたいに見えた叔父さんは当時の俺にとってアコガレだった。
ヤクザとかそういう筋の人だってのを聞いていても、叔父さんは遊びに行くと俺に構ってくれたし、いつも優しかったし…。好きになる理由はあっても、嫌う理由はなかった。
『あ、そういや日曜の祭りって言えば、叔父さんが出てっかもしんねぇし、修司が行くってんなら俺行くし…。そしたら、ちゃむだけお留守番だっぺ?』
『〜〜〜〜〜〜っ』
『良い子でお留守番してたら、修司と二人でおみやげ買ってきてやっからな』
『…っ、わかったよ、俺も行けば良いんだろうっっ』
けど、その時は口ではそう言ってても、まさか自分が叔父さんと同じ場所に足をツッコむとは思っていなかった。少なくともダチっていうか、知り合いの女が泣きながらセンコーにヤられたって言うまで、そのセンコーをボコボコに半殺す前までは…。
あとで治になんでだって聞かれたけど、俺にも良くわからなかった。
べつに正義の味方を気取ったワケじゃねぇし、そんなつもりもなかった。
殴って半殺しても、気分が最悪になっただけだった。
ただ許せなかった…、ホントにそれだけだった。
そして、それが軽い停学処分で済んでも、親とか周囲の目ってヤツとか、俺の中とかで何かが少し変わっちまったことだけが事実だった。俺はたぷんセンコーを殴った回数分だけ、半殺した分だけ世間ってヤツからハミ出しちまったんだろう。
泣いてた知り合いの女も、こんなつもりじゃなかったのにって言いながら、まるで怖いモン見てるような目をしていた。
だから、ガッコ行かなくなった俺が叔父のつてで出雲会の仕事っていうか、使いっパシリみたいなのを始めた時、修司や治が面白そうだなって付いてきて…。前と変わらない目で俺を見て、俺らダチだろって修司がへへって笑って、治がお前一人だとドジ踏みそうだからなって笑ったのには少し驚いたっていうか…、
なんか…、マジで泣いちまいそうになった…。
それからは出雲会の仕事をしながら、また楽しい日々が続いた。しばらくして俺らが入った年少組も、俺と同じような奴らばっかで居心地も良かった。
小宮さんの事件があったりもしたけど、それでも治がいて修司がいて、三人一緒で何も変わらなかった。これからも、ずっと変わらねぇんだと思ってた。治は上へのし上がろうとして色々と考えてるみてぇだったし、修司は修司でいつも大きな仕事をしたがってたけど、俺はそんなことしなくても今で満足してた。
なのに・・・、突然、修司がいなくなって…、
その時になって、そうなって始めて俺は思った。
俺らは・・・、俺は間違ったのか?
葬儀で修司の母親の言葉を泣き声を聞きながら…、聞くたびに…、
楽しかった日々に重く、重く現実がのしかかってくる。
なんで、修司がこんな死に方しなきゃならなかったのか…、
どこで俺らは…、俺は間違っちまったのか…。
のしかかってくる現実を見つめながら、考え始めた。
けど、いくら考えたって修司は帰って来ねぇし、何も元には戻らねぇ。
だからなのか、いくら考えても答えは出なかった…、出そうとしなかった。
治には目をそらすよかマシだとか言いながら、たぶん見つめてるつもりで一番目ぇそらしてたのは俺だった。いつも…、いつだってそうだった…。
「あの…、大丈夫ですか? さっきから顔色が悪いような気がしますが…」
あの日から耳の奥にこびりついて離れない…、波の音。
今日はそれがいつもより鮮明に聞こえるのは、俺が海のそばにいるからだ。
そして、その波の音に混じって聞こえた男の声は、治でも修司でもない知らないヤツの声。昔を思い出しながら…、一人夜の横浜港の防波堤で海を見てた俺の近くには、さっきまで誰もいなかったはずなのに、いつの間に来たのか男が佇んでいた。
男は俺よりも年上で、着ているのは紺色のスーツ。
どことなくカタギじゃない雰囲気はしていても、それは俺とはまったく逆の…、たとえば刑事とかそういう類のがしてる。商売柄、こういうのには敏感で、瞬間的に警戒して周囲に目線だけで周囲を見たけど…、この男の他に人はいない様子だった。
「あぁ、スイマセン…。ちょっと、ぼーっとしてただけなんでヘーキっすよ」
当たり障りのない返事をして、あの頃と比べて皺の増えた顔に笑顔をつくる。
すると、男は良かった…とホッとしたように言った後、お人よしを顔に書いたような笑顔を浮かべた。
「なんていうか…、その、こちらこそすいません。今にも貴方が海に吸い込まれそうに見えたので…、ちょっと心配になって声をかけてしまったんです」
「・・・・・そう言うアンタは、ここへは散歩で?」
「えぇ、急に何となく海を見たくなりましてね。それで散歩がてら、フラフラと…」
「なら、俺も同じっすよ」
「そうですか。初対面なのにこう言ってはなんですが、気が合いますね」
カタギじゃない雰囲気を持ってるクセに、どこか抜けてる。
少し会話して、そんな印象を受けた男は、新木ですと自分の名を名乗った。
「今年で仕事で新人の頃から世話になってた先輩が退職で…、まぁ、定年なんでわかってた事なんですが…、ね。何となく信じられなくて、今までのことを色々と思い出していたら、つい足が海の方へ向いてたんです」
「もしかして、港に思い出か何か?」
「いや…、思い出っていいますか、夜の街の暗がりを見つめてると、何となく雑踏が波の音のように聞こえて…」
「・・・・・・・・・」
「職業柄、色々な人と関わっている内に、いつからか思うようになったんですよ。この街はビルもたくさん建ってるし、近代的だし、観光客だって山のようにいて…。だけど、そういう部分が明るければ明るいほど、暗がりが街の奥深くに潜んで澱んでる…」
「職業柄?」
「あ…、すいません。今は帰宅途中で本当に散歩してるだけなんですけど、実は俺…、公務員っていうか刑事で…」
男の職業を聞いた俺は、予想してたせいか驚かなかった。
あぁ、やっぱりと思っただけで、気を悪くしましたかと慌てる刑事…、新木サンを見て、俺は警戒するどころか、何だかおかしくなって笑っちまった。
「お、俺、何かおかしいこと言いましたか?」
「いや、ベツにそうじゃないけど、アンタの慌てっぷりが…っ、ホント、お人よしってカンジで笑っちまっただけだべ…」
「だべ?」
「あぁ、悪りぃ、俺の口グセ」
久しぶりに…、ホントにいつぶりかわかんねぇくらいぶりに腹から笑ったせいか、使わなくなっていた口グセまで口から出ていた。今日は今まで来なかった海になんとなく来ちまうし、妙な刑事に会うし、一体どうしちまったんだろう…。
ここで出会ったヤクザな俺と刑事な男の共通点は、夜の街の雑踏が波の音のように聞こえる、ただそれだけだってのに…。この新木という男と話していると、まだ暗がりに沈む前の…、三人でバカみたいに笑ってた頃に戻ったような感じがして妙に懐かしかった。
でも、それでもひとしきり笑った後で見つめた海は、やっぱり暗いまま…、そこには俺の失くした足が深く昏く沈んでいる。
沈んだままで、もう二度と戻ることは無い。
そう思いながら俺は笑われて複雑な顔をしている新木サンに、実は…と自分がその筋の人間だということを告白した。
刑事にそんな告白してどうするんだ、バカじゃないのかと言う治と修司の声が聞こえた気がしたけど、自分が刑事だと告白されたんだから、告白し返さなきゃ気が済まない…。そんな俺にあの二人はまた何か言うだろうけど、それはもう波音と吹き始めた風に紛れて掻き消されちまったのか聞こえなかった。
「新木さん…、アンタが言う暗がりは、きっとアンタが思ってる以上に深い…。一度、沈んだら二度と浮き上がれないくらいに深いんだ…」
告白した後に俺がぽつりとそう言うと新木は黙ったまま、俺と同じように深く昏い海を見つめた。あの海に沈む俺の足…、そして、海のように深い街の暗闇に沈んだ治と修司は二度と浮き上がっては来ない…。
後になって知ったことだけど、治は撃たれた銃弾では死ななかった。
久保田サンに撃たれた俺と同じように、治も死なずに生き残った。最後の最後で治に向かって撃ち込まれた銃弾は、当たりはしたものの致命傷にはならなかった。
それがどうしてかを考えると、なぜかあの化け物のアイツを止められんのは俺だけだと言い切った強い瞳が浮かぶ。
けど、俺が治に会ったのは、あの時…、船倉で話したのが最期になった。
『この失敗と不始末が、俺の命程度で贖えるとは思っていません…。ですが、すべての責任は指示した俺にあります。他の奴らは、俺の指示に従っただけです』
『だから、君は自分のこめかみに銃口を向けると言うのかね?』
『・・・・・・・龍之介を助けてやってください』
『なるほど、そういうことか…。しかし、確かにさっきの部下の報告では、今はかろうじて生きてはいるようだが虫の息だ、すぐに死ぬだろう。君が自分のこめかみを撃ち抜いたとしても、彼は助からない。無駄なことだ』
『・・・助けてやってください』
『助けるというのなら、今すぐその手に持った拳銃で彼の心臓を撃ち抜いてやったらどうかね? その方が痛みからも苦しみからも解放され、すぐに楽になれる』
『お願いします、代行』
『・・・・・・・』
『頼みます…』
『くくく…、他ならぬ君がそこまで言うならいいだろう。助からないと知りつつ君が自分のこめかみを撃ち抜くというのなら、君の友人はすぐに部下に命じて専属医の所へ運ばせよう』
『そして、もし…、一命を取り留めて助かったなら』
『悪いようにはしないと約束するよ。決して約束を違えたりはしない』
『そうですか、それを聞いて安心しました…。
どうかアイツを…、龍之介をよろしくお願いします…』
そして俺は…、治と足を代償にして生き残った…。
俺には死ぬな、頼むと言っておきながら…、
治は俺を置いて死んじまった…。
らしくないカオして、あんだけ頼んどきながら、俺が起きたらいないなんてさ…。
そんなのねぇべ…、なぁ、ちゃむ…。
・・・・・そんなのあっていいワケねぇだろ。
そうして修司が死んで、治まで死んでも…、
俺だけが今もこうして街の暗がりの中で生きてる。
ホントに生きてる…のか、時々、自分でもわからなくなるけど、それでも、もっと深く昏い場所まで沈んじまった二人の所に俺はまだ逝けないでいる。今も繰り返し繰り返し波のように聞こえる死ぬな、頼むという遺言のような治の言葉が耳の奥で響いていた。
そして、そんな俺にずっと黙り込んでいた新木サンが何かを思い出したように、あぁ、そう言えばと空を見上げる。けど、まるで海の昏さを映したように、空は月も星もなく暗闇が覆っていた。
「あいにく今日は曇りですが、明日は七夕だし晴れると良いですね。まぁ、良い年も良い年なんで短冊に願い事を書いたりはしませんけど、それでも晴れてたら夜空を見上げて願い事の一つも呟きたくはなりますよ…、実は未だたまに先輩にしっかりしろって怒鳴られてる身分なんで…」
「先輩って、退職するって言ってた?」
「えぇ、そうです。ホントにおっかない先輩で、怒ると鬼みたいなんですよ。でも、新人の頃からブツブツ言いながらも俺の面倒見てくれて、すごく頼りになる人で…。なんて、そんなのはどうでも良い話でしたね…、すいません」
「いや…、実は俺にも、まぁ、怒っても逆に可愛いくらいで怖くはねぇけど、ブツブツ言いながらも面倒見の良いダチがいて…。だから、ベツにいいっスよ…」
「はぁ、そうですか、それは一安心…ですけど、やっぱりすいません」
ベツにいいって言ったのに、また新木サンがあやまる。だから、なんでだろうって思ったけど、その答えは俺を見る新木サンの表情が教えてくれた。
笑って話したつもりの俺の顔は、きっと笑ってなんかいなかったんだろう。これ以上、こんな顔を見せたくなかった俺は、何か痛々しいものを見るような辛そうな表情をした新木サンに背を向けた。
「俺にはもう願いごとなんて一つもないし、今年の七夕は話に付き合ってくれた礼にアンタの願いが叶うように願うことにすっから…」
それじゃあな…と、風も強くなって来たしそろそろアンタも帰れよと言いながら、ほんの少しだけ名残惜しい気分で軽く背後にいる新木サンに手を振る。
そして、もう二度と会うことはないだろうと思いながら慣れた手つきで車椅子のタイヤを回し、昏く沈む横浜港を後にした。
「へい、らっしゃい」
目の前を行きかう人々…、耳に響く雑踏と楽しそうな笑い声。
明るく夜を照らすのは、たくさん軒を連ねた出店の明り。
そんな中で俺がそう声をかけたのは、昨日のどこか抜けた刑事サンじゃなく出店に来た客。横浜港に行った次の日、俺は七夕祭りで出店を出していた。
そして、記憶の中にある叔父さんのように笑顔で、自分の生活費と組に収める金を稼ぐ。あの頃はアコガレていたはずの、そんな日々を送っているはずの俺の目の前を、二人と出会った頃と同じくらいの生意気そうなガキが何人も通りかかっては通り過ぎた。
あの頃の俺らみたいに、バカみたいに楽しそうなツラして…。
そんなツラを見るたびに何かに耐えるように奥歯を噛みしめる自分に、俺はずっと気づいていた。気づいていながら、それを止めることは出来なかった。
・・・・・どこで間違えた?
そう無意識に延々と繰り返し続ける問いを、腹の底から胸の奥から出かかってる何かを、俺は奥歯を噛みしめることで何かを噛み殺していた。
けれど、そうやっていつものように噛みしめながら、顔には笑顔浮かべて商売してると、見知った顔が親しげに話しかけて来る。それはいつ頃からだったか、なぜか妙に俺に懐いてきて、祭りのたびに店に来ようになった高校生のガキだった。
ソイツはちょっと構ってやっただけで、面白いように楽しそうに笑う。
そういうガキを見てると、その姿が昔の自分とダブって見えて…。あぁ、コイツも行き場がねぇのかって、あんま構いすぎたら…とは思ってても、無邪気な笑顔を向けられると冷たくは出来なかった。
そうしたら案の定・・・・、ソイツは昔の俺と同じセリフを言いやがった。
『俺も将来、おっさんみたいな生き方したいなー…』
そのセリフを聞いた時、俺の胸も身体もすべてが芯から冷えた。
暑いからじゃなく、冷たいものが背中を額を伝い落ちた。
脳裏をまだ学ラン着てた治が、修司が通り過ぎて…。
そんな凍りつく俺に気づかないガキは、実は…と暴力沙汰起こして停学食らってるダチの話をした。そして、ちょっち切れやすいのが玉に傷だけど良いヤツなんだ、出来るならソイツと二人でやってけたら楽しいだろうなと笑った。
けど…、そっから先はあまり良く覚えていない。
身体は冷え切ってんのに頭だけには血をのぼらせたまま、バカ野郎と罵り、やめろと怒鳴ったような気がする。たぶん確実に胸ぐらは掴んでいた。
近くで店出してる若い奴らが、俺を止めるまでそれは続いた。
たいした怪我をさせずに済んだのは、身体が思うように動かないせいで…。もしも動いていたら、確実に救急車呼ぶ騒ぎで警察沙汰だった。
だから、そんな事があったのに笑顔で近づいてくるガキが信じられなくて、俺は昨日の刑事みたいなマヌケ面でそれを見つめる。すると、ガキの隣にいた連れらしい見慣れないヤツが、俺に向かってアイサツして軽くお辞儀をした。
「始めまして…っていうか、コイツがいつもお世話になってます。俺はコイツの、達也のダチで哲司っていうんっすけど…」
「…って、アイサツするよか、俺を殴りに来たんじゃねぇのかよ? 俺はお前のダチの胸ぐら掴んだ覚えはあっても、世話した覚えはねぇよ」
「いや、その件もコイツから聞いてっけど、それはコイツのことを真剣に心配してくれてのコトっすよね? そうでなきゃバカ言ってるアイツを、あんなにマジで怒っちゃくれねぇでしょ?」
「いや…、俺は…」
そうガキのダチに…、哲司ってヤツに言われて俺は何も言えなかった。違うと言いかけて、その理由に心当たりがありすぎるほどあったから、いつものように奥歯を噛みしめて何も言えなくなった。
すると、そんな俺を見てどう思ったのか、いつものように笑顔を浮かべたガキが、俺ね…、アンタに胸ぐら掴まれて良かったと言う。そして、隣に立つ哲司っていうダチの肩をポンっと軽く叩いた。
「アンタは俺の胸ぐら掴んで、そのダチと一緒に海の底の底まで沈んで二度と浮き上がれない…、そんな地獄で血とヘドロに塗れながら死ぬ覚悟は…、そんな風に沈んじまうダチを看取る覚悟はあるのかって言った。俺みたいに生きるってことは、そういう事だって…」
「・・・・・・・・」
「俺はただ…、自由に気ままに生きたかっただけで…。そんなトコに哲司と一緒に沈む覚悟なんて少しもなかった。哲司がそんな場所で死ぬのを看取るなんてイヤだよ…、そんなのたとえ俺が死んでもしたくないし、できねぇよ…」
・・・・・死ぬな、頼む。
ガキの言葉を聞く俺の耳に、今も残る治の声がする。
脳裏に焼き付いて離れない…、あの時の治の顔が見える…。すると、まるで俺の口から出たかのように、ガキの口から俺の言いたかった言葉が出てきて…、
それから次に…、俺の口からは出来なかった言葉が出てきた。
「俺はそんな哲司を看取りたくない…、そして、哲司もそんな俺を看取りたくないって言ったんだ…。そんな所に一緒に沈むより、他に一緒に出来ることはあるだろうって…。だから、俺らはアンタみたいに生きたりはしないって決めた。そして、これからどーするって二人で話してるウチに、こー見えて実はコイツ料理得意だったりするし、なら二人でバイトして金ためて一緒に料理屋でもするかってなったんだ…」
そんな言葉の後で、全部アンタのおかげだありがとうと礼を言われて…、
俺は今まで噛みしめて噛みしめて、噛みしめ続けていた何かが…、胸の奥から身体中から滲み出してくるのを感じた。
それはたぶん…、底知れぬ昏い海のような後悔。
考えたくなかった、思いたくなかった…、寄せては返す波のように繰り返した問いかけの答え。そうだ…、始めに暗がりに足をツッコんだのは俺だった。
そして、修司と治はそんな俺に引っ張られるように一緒に沈んで…、
それでも、アイツらはそこから浮き上がろうと足掻いてた。
自分だけじゃなく、今がいいなんて笑ってたバカな俺ごと、浮き上がろうと必死で足掻き続けてたんだ。そうして、アイツらは俺だけを残して…、深い深い二度と戻れない暗闇の中に消えた。
始めに沈んだ俺よりも…、深いとこに逝っちまった…。
「俺なんか…、見捨てちまえば良かったんだよ…、バカ野郎…」
修司の母親の言葉を聞いても、前は後悔しなかった。
選んじまった道を…、引き返せない道を後悔したくなかった。
けど、どんなに後悔したくねぇって思っても、アイツらを昏い底まで沈めちまったのに後悔しないなんて…、そんなのねぇだろ…。
俺はアイツらが好きだった…、何を賭けても守りたいダチだった。
なのに、俺は守るどころか守られてばっかで、その挙句にアイツらを…。
それを認めた瞬間、俺の失くした足の上に頬を伝った滴が零れ落ちた。
たぶん深くて昏い海と同じ味のする…、俺の中の海が…、
幾つも幾つも絶え間なく降り注ぐように…、まるでガキみたいな俺の声と一緒に沈み落ちていった…。
「ちゃむ…、しゅう…、ごめん…。ごめんな…」
それから三日後、俺は出雲会の事務所に足を踏み入れた。
いつものように、上納するために稼いだ金を持って…。
でも、その日の俺の用事は、それだけじゃなかった。
「・・・・・・ケジメは、きっちり付けます。だから、組…、抜けさせてください」
俺がどこまで沈んじまってるか、なんてのはわからない。
そして、たとえ小指切ったとしても、ココから浮き上がれるとも思ってねぇし。どんなに頑張ってところで身体もこんなで、真っ当に生きて来なかった俺じゃ、ほんの数ミリだろうってのもわかってる。
けど、それでも俺は組を抜けた。
ほんの数ミリでも浮き上がりたかった。
アイツらが足掻いていたように、俺も足掻きたかった。
「そうしなきゃ…、地獄でアイツらに会わせる顔がねぇべ…」
今更、足掻き始めた俺を地獄の底から治はため息付きながら飽きれたような顔で、修司は腹抱えて笑いながら見てるような気がする。そんなアイツらにうっせぇよと一言声をかけて、俺は足と小指の欠けた身体で…、アイツらの欠けた世界を車椅子の車輪を前に向かって回し始めた。
今も闇の底から響く、嗚咽のような海鳴りを聞きながら…、
それでも空を目指す…、羽の無い魚のように…。
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