前までは一人でいたのは確かだったけど、いつの間にかそんなことを忘れてしまうくらい二人でいることに慣れてしまっていた。 だから一人で暮してた時はべつにウチに帰る必要なんてなかったのに…、代打ちのバイトをしながら、どうしても時計を見て時間を気にしてしまったりする。 その時計を見るクセに初めは気づいてなかったけど、一緒に卓囲んでたオジサンに恋人か女房でもウチで待ってんのかって聞かれた時にソレに気づいた。 「待ってるオンナがいるなら早く帰ってやんなよ、兄ちゃん」 「ま、帰りたいのは山々なんですけど、稼がないと帰れないモンで」 「無駄遣いの多いオンナか?」 「うーん、食い意地は張ってるかも?」 「・・・・・美人か?」 「さぁ…」 「ケチケチせずに教えやがれ」 「本人はビジンじゃなくて、カッコいいって自分で言ってましたけど?」 「ビジンじゃなくてカッコいいって…、もしかしてモデル系か?」 「いんや、男なんで」 「えっ?」 今日のバイトはちょっと長引いたから、終わったのは夜中の2時を回ってた。 だから、時任に連絡入れようと思って、コートのポケットからケータイを出してみる。 そして画面にうつった時任の名前を見ながら、通話のボタンの上に指を置いたけど…。 やっぱ時間が時間だし、眠ってると起こすことになるからかけないことにした。 ポケットにケータイを戻して、その代わりにセッタ出して火をつけると、暗がりから犬の遠吠えが響いてくるのが聞こえる。 その声を聞きながら、そういえば今日は月が出てないなぁと思って夜空を見上げた。 すると何もない暗がりだけが続く空に、一つだけぼんやりと星らしいものが見える。 けれどその星はぼんやりとしすぎてて、目の錯覚でそう見えているのかもしれなかった。 「ちょっと寒い…、かな?」 コートは着てたけど、やっぱり夜になるとかなり冷えてくる。 セッタをふかしながら襟をかき会わせて歩いてると、今度は犬の遠吠えに混じって救急車の音が聞こえてきた。 どうやら犬は月のない空じゃなくて、救急車に反応して遠吠えしてたらしい。 ただひたすら吠え続ける犬の声を聞いていると、遠吠えするのはオオカミの習性が残ってしまったからだと何かで読んだのを思い出した。 けど、それを思い出したからって何がどうってワケじゃない。 たぶん犬の方でも、救急車に向かって吠えることにイミなんかないに違いなかった。 月のない暗い空の下で、ぼんやりとセッタをふかしながら歩くと…。 こんな風にイミのないことを考えて…、それから少しだけ一人だった頃のことを思い出す。 ウチに帰る必要なんてなくて…、本当に何もなかった頃のことを…。 どんな風に自分が毎日過ごしてたかとか、そんなことはあまり覚えてなかったけど、なんとなく一人だった時のカンカクだけは残っていた。 そのカンカクは一人でいた時には、少しもカンジたりはしなかったことだけど…。 ポケットに入ってるケータイと、歩いている内に見えてきたマンションの明かりがそれをカンジさせてくれる。 もう時間は午前3時を回っていたけど、四階の部屋には明かりがついていた。 「やっぱ電話すればよかったかも…」 そんな風に独り言を言いながら、立ち止まってマンションを見上げてみる。 するとちょっとだけ…、その明かりを眺めていたくなった。 あの明かりを付けたのは、当たり前に俺じゃなくて…。 だから明かりがあの部屋についてるのは…、俺以外の誰かがそこにいる証拠だった。 冷たい暗闇の中でその明かりを眺めながら、少しだけ目を閉じて見たけど…。 次に開けた瞬間にもやっぱり明かりは消えない。 なにやってんのかなぁって自分でも思ったけど、消えない明かりが…、引かれているカーテンから漏れる光がそこにあることが愛しかった。 そしてその明かりの下にいる時任のことが…、どうしようもなく愛しくて恋しかった。 プルル・・・・、プルルルルル・・・・、ガチャッ…。 「もしもし?」 『・・久保ちゃん?』 「うん」 『もう夜中の三時じゃんっ、帰ってくんの遅せぇよっ』 「ゴメンね。バイト長引いちゃってさ…」 『もしかして、まだ雀荘?』 「違うよ」 『じゃあ、あとどれくらいで帰ってくんの?』 「うーん…、一、二分くらいかなぁ?」 『えっ?』 「窓開けてベランダに出たらわかるよ」 『…って、ちょっと待てっ』 バタバタバタバタ……、カラガラ・・・・・・。 ケータイの向こうから、時任の走る音と窓を開ける音がして…。 そしたらホントに見上げてる部屋のベランダから、ひょっこりと時任が顔を出した。 だからヒラヒラと軽く手を振ってみせると、時任は下にいる俺に向かって叫ぶ。 ご近所から苦情がきそうだなぁって思ったケド…、俺に向かって早く帰って来いって手招きしてる時任を見たら止められなかった。 「そんなトコでなにやってんだよっ!!」 「ちょっとね」 「ちょっとね…、じゃねぇっ! さっさとウチに帰ってこいっ!」 「はいはい」 「ったく、どうせかけてくんなら雀荘からかけろってのっ!」 「なんで?」 「し、心配するだろっ! ほんのちょっとだけだけどなっ!」 「ほんのちょっとだけ?」 『ほんの…、たくさん…』 時任の最後の言葉は、直接じゃなくてケータイから聞こえてくる。 その声はまるで手に持ったままになってる受話器が、偶然に拾ってしまったみたいに…。 かなり小さかったけど…、ちゃんと俺の耳に届いていた。 だから俺はほんのたくさん心配してくれてた時任のところに帰るために…、マンションの入り口に向かって歩き出す。 ほんの少しだけいつもよりも早足になりながら…。 部屋のある四階まであがって…、俺は401の表札のかかったドアのインターフォンを押した。 ピンポーン…、ピンポーン…。 チャイムの音が響くと、部屋の中からドタバタと走る音がして勢い良くドアを開く。 そこから出てきた時任は、少しだけ怒ったような顔してたけど…。 べつに怒ってるワケじゃないってことが、すぐにわかった。 だから待っててくれた時任に向かって腕を伸ばして…、その身体をゆっくりと抱きしめる。 すると時任はめずらしく、暴れたりしないでじっとしていた。 「いつから立ってたんだよ…、身体が冷てぇじゃんか…」 「そんなに立ってたつもりはなかったんだけど…」 「・・・・もしかして、なんかあったのか?」 「べつになにもないよ?」 「マジで?」 「マジで」 時任は俺がマンションの前に立ってたのは、何かあったからじゃないかって思ってるみたいだった。 でもホントに立ち止まってたのは、なにかがあったからじゃない。 なにもなかったから…、少しだけ明かりを見上げたくなっただけで…。 その時のキモチは時任を抱きしめてる今も、同じように胸の中にあった。 部屋に灯った明かりを…、暖かくカンジるココロが…。 時任はしょうがねぇなぁとかなんとか言いながら、俺の背中に腕を回してくれる。 すると時任の体温が、身体だけじゃなくてココロにまで染み込んでいく気がした。 「・・・・・ただいま」 「おかえり…、久保ちゃん」 一人でいたこと…、一人きりでいたこと…。 誰も待っていないこの部屋のカギを、自分で開けていた日のこと…。 その時には一人でいるのは平気だし、何もカンジてないなんて思ってた。 けど、おかえりと言ってくれる時任の声が、何もカンジてないワケじゃないんだって教えてくれる。 だからもう一人きりには戻れなくて…、このドアを自分の手で開けることはできないから…。 暖かな時任の身体を、離さないように抱きしめているしかない。 部屋に灯った明かりが消えないことを祈りながら…。 俺は時任を抱きしめたままベッドのある部屋まで移動すると、そのドアを後ろ手で閉じた。 |