好きだとか嫌いだとか…、うれしいとか哀しいとか…。
 毎日、誰もが飽きることなく何かをカンジて何かを想う。
 だからその感情や想いに何もつけられる名前がなかったとしても、曖昧でわからなくても…。
 それは確かに存在はしていたのかもしれなかった。
 
 「なぁ…」
 「ん〜?」
 「さっきからなんか不機嫌なカンジだけど、なんかあったのか?」
 「不機嫌?」
 「そんなカオしてるじゃんかっ」
 
 休みの日に二人で出かけた帰り道、時任は俺の服のそでをぐいっと引っ張ってそう言った。
 けど、不機嫌な理由なんて何もないから、そう言われてもわからない。
 鏡でカオを見れたらわかるかもしれないと言いかけてやめたのは、たぶん見てもわからないことに気づいたからだった。
 自分のカオは自分が一番見慣れてるのかもしれないけど、ただカオがうつってるのを見るだけで深く考えて見たことはない。
 鏡に映るのはカオだけで、その感情がうつり込んでいるようには見えなかった。

 「べつに不機嫌じゃないけど?」
 「そんなワケねぇだろっ」
 「言い切るね?」
 「見たらすぐわかんだよっ」

 時任はすぐわかるっていうけど、やっぱりわからない。
 だからなんでと聞かれても、答えないんじゃなくて答えられなかった。
 どうしてもわからないからじーっと時任のカオを眺めながら考えてると、今度は時任の方が不機嫌になる。
 時任はカオにも声にもどこにも…、ホントに正直に出るからいつもわかりやすかった。
 いつも一生懸命な時任らしく、その感情は真っ直ぐで屈託がない。
 こうやって不機嫌になってる時でさえ…。
 そんな風に自分もなりたいとは思わないけど、時々、不思議になってくる。
 まるであるだけの感情を全身で叫んでるみたいに生きてて…。
 なのに真っ直ぐに見つめてくる瞳が、澄んでいて汚れないことが…。
 不機嫌そうな時任の瞳を見ていると、浮かんでは消えてく感情に…、そう想ってカンジたことにさえ後悔などしていないように見えた。
 
 「今度は俺じゃなくて、時任の方が不機嫌になってるよねぇ?」
 「べっつに不機嫌じゃねぇよっ」
 「見たらすぐにわかるんだけど?」
 「マネすんなっ」
 「でもホントのことだから…」
 「俺もホントだってのっ」

 久保ちゃんは、帰る途中でちょっと寄ったゲーセンを出てからずっと不機嫌だった。
 べつに対戦で久保ちゃんが負けたとか…、そんなんじゃねぇし…。
 久保ちゃんはそれくらいじゃ不機嫌になんねぇから、なんかワケがあるような気がする。
 けど、久保ちゃんに聞いてみたら何も答えてくんなかった。
 ホントは表情はあんま変わってねぇんだけど、感情が変わると空気が変わる。
 久保ちゃんの感情が空気から伝染してくるカンジで…。
 手を握っていたら手から、キスしてたら唇からも…、伝わってきて…。
 暖かくなったり、寒くなってたりして…、手のひらで唇で抱きしめた腕で温度に変わる。
 それはたぶん…、久保ちゃんのココロの温度かもしれなかった。
 
 「…久保ちゃん」
 「なに?」
 
 久保ちゃんがポケットからセッタ出してくわえようとした瞬間に、それをジャマするために名前を呼ぶ。そして手を頬に伸ばしてカオを捕まえると、チラッと周りを見てヒトがいないことを確認してからちょっと背伸びして久保ちゃんにキスした。
 久保ちゃんはめずらしく俺からキスしたから、驚いたみたいでピクリとも動かない。
 だから手を頬から離してから腕を伸ばして…、キスをねだるみたいに首に回した。
 不機嫌になっててもそのワケすら言わない、久保ちゃんから…。
 唇からでも腕からでも何かが伝わるように…。

 「・・・・・・自分からするなんて珍しいね?」
 「しちゃ悪いか…」
 「悪くないけど、いつもしてくれたらなぁって思っただけ…」
 「しねぇっつーのっ」
 「時任君のケチ」
 「誰がケチだっ」

 ホントはキスしてわかることも…、抱きしめてわかることも…。
 こうやって感じられることも、ぜんぜん足りなくてほんの少しなのかもしれない。
 でもほんの少しでも感じられるなら…、それを少しだからってなかったことにはしたくなかった。
 抱きしめられた腕の暖かさが…、唇の温度がこうやって感じられる限り…。
 指先でも手のひらでも、どこかで久保ちゃんとつかながってたい。
 一緒にいることが当たり前でも、伝染してくる暖かさにも冷たさに鈍感にならないで…。
 誰よりも伝わってくる温度を感じてたかった。
 
 「…時任」
 「ば、バカっ、ヒトが来ただろっ」
 「さっき自分もしたくせに」
 「誰もいなかったからに決まってるじゃんかっ」
 「じゃ、続きは帰ってからね?」
 「えっ?」
 「まさか嫌だとは言わないよねぇ。自分から挑発したんだし?」
 「し、してねぇよっ」
 「そんな濡れた唇して言われても、説得力ないんだけど?」
 「そういう言い方すんなっ」
 「なんで?」
 「エッチくさいっ」
 「エッチしたいんだから、エッチくさくていいんじゃないの?」
 「真顔でいうなっ!」

 時任がいきなりキスしてきたワケはわからなかったけど…。
 真っ直ぐ見つめてくる時任の瞳が少しだけ揺れて…、頬に触れた手のひらの暖かさをカンジてると何かが伝わってきた気がした。
 触れてきた柔らかい唇にキスされてると、少しずつ流れ込んできて形になって…。
 抱きしめた腕から…、触れ合った唇から…、曖昧な感情が引き出されていくカンジがする。
 そうしたらこんな感情がどこにあったのかって…、自分で不思議に思うほど感情が明確になった。
 
 曖昧すぎてつけられる名前もなかったはずなのに…。
 
 それはたぶん始めから存在していたのに、カンジられなかった感情だった。
 キスされながら自分が不機嫌だったワケはわかったけど…。
 それを時任に言わなかったのは、一番、はっきりとわかった感情が嫉妬だったからだった。
 二人で行ったゲーセンで、俺の知らない誰かに話しかけた時任に感じた独占欲が…、俺を不機嫌にさせていたのかもしれない。
 けどもしかしたら、こんな風に時任と触れ合っていたら…、そうし続けていたら…。
 いずれはすべてが曖昧さを失って、明確になってしまうのかもしれなかった。
 それに気づいても、もう手遅れには違いなかったけど…。

 「…で、なんで不機嫌だったんだよ?」
 「今は不機嫌じゃないんだから、いいっしょ?」
 「いいワケねぇだろっ」
 
 「どうしても知りたいなら、ベッドの中で教えてあげるよ」
 
 暖かさだけをカンジていたいけど…。
 それだけをカンジてベッドの中で、毛布にくるまってたいけど…。
 たぶんココロの温度は、たくさんの想いに揺れて暖かさだけを伝えてはいられない。
 けれど、触れ合った唇から身体から感じられる想いを…、冷たさに凍えたココロを抱きしめることができるのかどうかわからなくても…。
 凍える冷たさから目をそむけずに、その想いに向かって手を腕を伸ばしたかった。
 
 誰のためでもなく…、君を好きな自分のために…。

                            『伝染』 2002.12.6更新

                        短編TOP