たぶん、本を読んでる内に眠ったんだろうなぁと、覚醒してきた意識の中で思った。けど、あまり眠ってないような気がするのは、俺が自動的に起きたんじゃなくて、起こされたからそう感じるんだろう。
 う〜ん、昨日遅かったからまだ寝てたいんだけどなぁ。
 そんな風に思いつつ俺が寝たフリしてると、ぐいっと鼻をつままれた。
 「いい加減起きろよっ、久保ちゃん」
 あ〜、もしかして腹でもへっちゃった?
 そういう理由なら、もうちょっと待っててほしいんだけど?
 「く、ぼ、ちゃんっ」
 そう言いながら、時任が俺の顔を覗き込んでくる気配がする。
 目なんか開けなくても、くっきりと明確にその存在が感じられた。
 体温と吐息と匂い。
 時任の髪から匂ってくる花の香りは、昨日二人で買ってきた新発売のシャンプーの匂いだった。
 なかなかいいよねこの匂い、柔らかくって優しくって…。
 「えっ、なに?」
 時任の驚いた声が聞こえるのは、たぶん俺が目を閉じたまま、すぐ目の前にある時任の顔に両手を伸ばしたから…。
 俺の両手は闇の中から時任の温かな感触を捕らえていた。
 「な、なにしてんだよっ」
 いきなり頬を両手で包まれて、時任が抗議の声をあげる。
 俺はココロの中でゴメンねと時任にあやまると、神経を研ぎ澄ませて、時任の感触と体温を指と手のひらで追う。そうしている間も、やっぱり花の匂いがしていた。
 「…久保ちゃん?」
 不安そうな時任の声。
 それを聞きながらも、俺はひたすら手のひらを動かす。
 すっきりとした頬、とがった顎、柔らかい唇、意外に形のいい鼻、狭くもなく広くもない額。
 一つ一つ確認するように手を滑らせると、時任が息を詰めるのがわかる。
 俺は時任の髪を軽く撫でると、今度は時任の頬をぺロっと舐めた。
 「犬みたいなことすんなってばっ。くすぐったいじゃねぇかっ!」
 そう言いながら時任が笑ってる。
 俺はくすぐったがってる時任を自分の方に引き寄せて、今度は鼻を舐めた。
 「ったく」
 時任はあきれてるみたいだけど、それでもちゃんと俺に付き合ってくれてる。
 そういう時任の感情とか、存在とか、感触とか…。
 こうして目を閉じてる時の方が、なぜかリアルにカンジちゃうのはなぜだろう?
 姿が見えないと不安だって思うのに…。
 「久保ちゃん…、なんかあったのか? すごく、痛そうな顔してる」
 「そう?」
 俺が始めて返事すると、時任が未だ閉じたままの俺の目蓋にキスする。
 優しすぎる感触に思わず俺が目をあけると、すぐ目の前に時任の真っ直ぐな瞳があった。
 「泣きたいなら泣けよ、久保ちゃん。泣かないなら、泣かない分だけ俺が抱きしめててやるから…」
 「時任」
 「泣かないからって、自分が哀しんでないなんて思うなよ。久保ちゃん」
 時任にそう言われて始めて、俺は自分が哀しいと思ってることに気づいた。

 ほんのちょっとだけ、何を哀しんでいるのかすらもわからぬままに…。

 
                            『感触』 2002.6.4更新

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