触る、触れる…、触れられる。 ベツに何とも思ってなかった、その行為…。 それが、実は自分の感じているものを明確にする行為なんだと知ったのは、初めてヒトに触れられて鳥肌の立った日のコト。だけど、そのヒトに対して俺は、その瞬間まで何の感情も抱いていなかった。 ・・・・そのはずだった。 たとえ、血の繋がりってヤツがあったとしても関係ない。 そう思っていたし、実際そうだった。なのに、初めて触れた瞬間、背中にゾクッと何かが走って…、俺の腕には見事な鳥肌が立っていた。 自分の抱いている感情は、未だ不明。 だけど、気持ちの悪さを感じているのは明白。 思わぬ皮膚の反応に、俺はほんの少しだけ驚き…、 それから、まるで理科の実験みたいだと、ほんの少しだけ笑った。 ・・・・・こういう反応は、そう、たぶんリトマス紙に似てる。 俺の意思に関係なく、色を変える代わりに鳥肌を立てて反応して…、 だから、腕を隠すように長袖しか着なくなった。 まぁ、夏は半袖のが涼しいけど、適当にまくっとけばそーでもないし、さらしとくよりはってカンジで…。だけど、それから月日が流れて、長袖だけは未だ続けてるものの、俺はそうし始めた理由を忘れた。 アレから寒い以外の理由で、鳥肌を立てるコトがなかったからっていうのもあるけど…。さらしてないから気にならないし、反応があったトコロでどうなるモノでもない。 酸性かアルカリ性か、赤か青か…。 ソレは俺にとって、ただの化学反応みたいなモノでしかなかった。 ・・・・それは、ただの皮膚の反応。 でも、そんな俺に向かって、数年後のある日…、 秋になりかけの少し暑い日に、時任が涼を取るために床にべったりと頬をくっつけながら、夏も秋も変わらず長袖を着てる俺を見て…、ふと、その疑問を口にした。 「なぁ、なんで久保ちゃんって、長袖しか着ねぇの? 外だけじゃなくてウチん中でもそうだから、ベツに日焼けとか気にしてるってワケじゃ…、なさそうだしさ」 エアコンを付けるほどじゃないものの、程々に暑い室内。 半袖のTシャツにジーパンな時任は、長袖のシャツにジーパンな俺にそう言うと、ゴロゴロと床を転がり、テレビの前からソファーの方に移動してくる。たぶん、転がってるのは暑くて這うのもめんどいからだろうけど…、そのせいで軽くテーブルに足をぶつけた。 あーあ…、やっちゃった…。 …って、俺が思ってると、時任はぶつけた足を両手で押さえながら「いってぇぇ…っ」と叫ぶ。そんな時任の様子は妙にコミカルで面白くて、俺は自然に自分の口元が緩むのをカンジながら、読んでる本のページをめくった。 「ダイジョウブ?」 「…って、笑いながら言うセリフかよっ!」 俺の足元まで到着した時任は、痛みのせいで少し涙目になりながら、ムッとしたカオで下から俺を見上げる。そんなカオしても頭を撫でたくなるだけなんだけど、時任はわかってないみたいで、口元に浮かんだ笑みを深くするとまた怒鳴られた。 ヒトの不幸を笑うヤツは、馬に蹴られるんだぜって…、ネ。 何かと何かが混じった微妙な感じで…。 だから、ソレ誰に習ったの?って聞いたら、俺の知らない名前を言った。 「コンドウ君…?」 「ココの近くに住んでる、小学生。たまに前のコンビニで会うんだよ」 「あー・・・、小学生。なるほどね…」 「・・・・・・久保ちゃん」 「ん?」 「今、ナニ思ったか素直に言ってみろっ」 「とか言われても、ベツに何も思ってないけど」 「ウソだっ!」 「ウソじゃないよ」 「じゃあっ、なんでさっきより笑ってんだよっ!!」 そう叫んだ時任は、まるで興奮したネコみたいで、毛が逆立ってシャーッて言ってるカンジ。だから、よしよしと頭を撫でるつもりで手を伸ばしたんだけど、ソレをガシッと時任の手に掴まれてしまった俺は、前に屈み混んだ姿勢のままで固まった。 うーん…、何だかイヤな予感がするなぁ…と…、 固まった状態で思いながら、時任の次のリアクションを待つ。 けど、時任も俺と同じように固まったまま動かない。 不思議に思って時任を見ると、時任は俺の腕じゃなくて自分の右手を見てた。 だから、俺は掴まれた手はそのままにして、もう片方の手に持っていた本を閉じた後、その手で時任の頭を軽く撫でた。 「何?」 「ベツに何にも?」 そんな短いやり取りをしてる間に、自然に時任の手が俺の腕から離れる。 けど、ホントは自然に見えるだけで、意識的に離したんだろう。自分の右手を見つめる時任の目は、夏でも長袖な俺の腕を重ね合わせて見ていた。 確証はないけど、たぶん・・・、そう…、 だから、そんな気を起こしたのかもしれない。 ベツにどうでもいい、忘れた理由を思いだそうだなんて気まぐれを…。 でも、そう簡単に思い出せるはずもなく、俺は少しだけ捲り上げていたシャツを、もう少しだけ上げて、時任の目の前で肌を空気にさらしてみた。 けど、当たり前に、特に変化はない。 空気にさらしても、時任の視線の前にさらしても反応ナシ。 アレ…、何だったけ?って記憶をたどってみるけど、何も思い出せず、何も見えて来ない。だったら、時任の言うように室内くらいは半袖でもって思いかけて、袖を更に引き上げて肌をさらそうとすると、ふいに前から伸びてきた手に止められた。 「悪りぃ…。さっきのはちょっち聞いてみたかっただけっていうか、気まぐれっつーか、そういうのだから気にすんな」 「うん、それはわかってるけど、俺もお前に釣られてキマグレなだけ。そーいえば、何で夏に長袖なのかなぁって思ったし…」 「…って、自分のコトだろ?」 「でも、思い出せない」 「理由が?」 「そう、ソレがわからないから、とりあえず半袖っぽくしてみようかと思って」 「・・・って、マジでわかんねぇのに、夏でも長袖してんのか?」 「今はね、習慣みたいなカンジ。昔は何かあったはずなんだけど、忘れたってコトはたいした理由じゃなかったのかも…」 俺がそう言うと時任はうーんと唸って、小さく首をかしげる。 だから、俺も同じように首をかしげてみる。 そしたら、マネすんなって怒られた。 怒られて、笑われて…、俺も笑う。 だけど、肝心なコトは何もわからなくて、俺は自分の腕をじっと見つめた。 でも、この腕に一体何があったのか、何が起こったのか…、 ソレを知りたいと思うのは、理由を自分のコトを知りたいからじゃない。 正直に言うとベツに知りたくもないし、興味もない。 一緒に首をかしげてくれてる時任には悪いけど、ホントにそう…。 なのに、今も考えたりしてるのは、右手を見つめていた時任に何でもないと…、きっとくだらないだろう理由を言いたいだけ。くだらない理由を早く思い出して、くだらないって笑えたら、それでいい…。 右手なんて見つめないで、二人で笑って・・・・。 そんな風に思ってると、時任の右手が伸びてきて俺の腕に軽く触れる。 すると、黒い皮手袋が少しすれながら、腕の皮膚の上を滑った。 触れて滑って…、その感触が皮膚から伝わってきて…、 時任が足をぶつけた時とは違う理由で、口元に笑みが浮かぶ。 少しくすぐったい…、けれど、その感触はあたたかくて気持ちがいい…。 皮手袋をしていても、その手を誰よりもあたたかくカンジるし…、 それは…、ほんの少し熱くもある…。 だけど、もしも他の誰かが同じように俺の腕に触れたとしても、こんなあたたかさも熱もカンジないだろうコトは、実験なんてしなくてもわかっていた。 そう・・・、心臓と同じように、意外とヒトの皮膚は素直に出来てる。 ソレを俺は知ってる、今よりも前から…、知っている。 あぁ・・・、トリハダだ…。 まるで、連想ゲームのように思い出した、その理由。 覆われているはずの羽を毟られて…、あらわになる鳥肌。 お互い擦れ違っても興味がないから、カオを見るコトもない。 視線を合わせたコトも、話したコトも無い相手に抱く感情を俺は知らない。 何も抱いていないのだから、知るはずもない…。 そのはずだったのに、昔何の気まぐれか一度だけ、擦れ違いザマに腕を掴まれ、俺の腕は鳥肌を立てた。予期しない事態だったけど、心臓は正常に鳴っていたのに腕だけが反応して粟立ち…、抱いていないはずの感情を俺の前に突き付けた。 ・・・・・・・キモチワルイ。 肌を粟立たせるほどの…、嫌悪感。 やがて、何事もなかったかのように離れていく手を眺めながら、俺は自分が興味もない…、カオすら見るコトもないニンゲンのコトを嫌悪しているのを知った。 それを知ったトコロで、何がどうなるワケでもないけど、この粟立ちを見るのも見られるのもあまり良い気分じゃない。まるで、羽を毟られたような腕は、抱いた感情と同じように…、ただ気持ち悪いだけだった。 「・・・・リトマス紙みたいだから、隠したんだ」 ふいに俺がそれだけを言うと、時任は「りとますし?」って、ひらがな読みの小さなコドモみたいな口調で問いかけながら反射的に触れていた手を離す。だから、俺はあの時とは違う…、けれど同じように羽を毟られていただろう腕を長い袖の中に隠した。 鳥肌こそ立っていないものの、触れられた皮膚はやっぱり素直で…、 時任に毟られてあらわになった肌は粟立たず、鳥肌も立てずに…、 ただ、ただ…、ぬくもりを熱をカンジて…、抱きしめたくなる。 抱きしめて抱きしめて、反応し続けたくなる。 でも、ホントは皮膚じゃなくて、カンジてるのも反応してるのも、もっとベツの場所。だから、いつものように手を伸ばして触れられる距離を、触れられても抱きしめられない距離を保つために皮膚を隠した。 「リトマス紙は、学校の理科の授業とかで使ったりする細長い小さな紙切れのコト。調べたい水溶液につけると酸性なら赤、アルカリ性なら青になるってヤツ」 「何だか良くわかんねぇけど、赤とか青に色が変わったりする紙ってコトか…。でも、何でソレが、長袖の理由と関係あんの?」 「さぁ?」 「…って、おいっ。ココまで話しといて、そりゃねぇだろっ」 「うーん…、じゃヒントだけ」 「クイズかよっ」 「答えは教えないけどね」 「ヒント出したら答え言うだろっ、フツーっ」 ヒントは出しても答えを教えない俺に、時任は頬をふくらませる。 だけど、いくら時任の頬がふくらんでも、絶対に教えない。 教えるワケにはいかない…。 触れ合って反応して、一度色を変えてしまったら戻らないから…、 この反応は止まらないと知っているから、俺はやっぱりいつも頭を撫でるだけで、それ以上、触れたりしなかった。 「答えは教えないけど、ね。たぶん、このハナシは弱酸性の方が、肌にもヒトにも優しいってね…、そういうハナシだから」 そう…、それはきっと、そんなハナシ。 俺が時任に反応したら、皮膚だけじゃなくてココロまで赤く染まって…、 酸性になっちゃうだろうって…、そういう有害な予測。 反応する皮膚は、自分でも知らなかった感情を鏡のように映し…、 長袖で隠した腕は時任から離れても、まだ少し熱を持ってる。 だから、俺は前の理由をもう一度忘れ…、思い出すコトもなく…、 その日から、ベツの理由で触れ合わないように、赤く赤く染まらないように長袖を着るようになった。けど、今度はトリハダの時と違って、その理由を忘れるコトは・・・・、 ・・・・何があっても、何が起こってもなさそうだった。 |