ガウゥーー……ン・・・・・・・。 それは、まるで吼えるように辺りに鳴り響いた…、 そんな、たった一発の銃声だった。 俺に向かって吼え、放たれるはずの一個の銃弾だった。 なのに、なぜか俺にはかすりもせずにヒュンと空気を切りながら、別の場所に着弾する。俺の視界の右端で硬く冷たい弾丸は飛び、跳ね、落ちて…、くわえていたセッタと手に持っていた茶色の紙袋までがつられたように黒いアスファルトの上に落ちた。 紙袋の中には、大切なお届けモノが入ってるのに…、 唐突に、突然に・・・、何もかもが落下して・・・・、 けれど、それを知ったのは、もっとずっと後。 だから、その時、ただ俺は視界の右端に映った光景だけを見つめ続け、 そのクセ、右には走らず前に向かって走り出した。 「は…っ、ははははっ! 殺してやったぞっ!!ざまぁみろっ!!!」 なんだか、そんな言葉が聞こえた気がしたけど、どうでも良かった。 言葉は聞こえていても、頭は理解しようとしなかった。 言葉だけではなく、今の状況も何もかも理解しようとはしなかった。 放たれた銃弾が少し離れた場所で、俺のバイトが終るのを待っていた…、 これが終ったら、一緒にファミレスにでも行こうと約束していた人に当たってしまったことも…、アスファルトに赤い花が咲いていることも理解しなかった。 何も理解しないで、ただ、ただ前に走り…、 二個目の弾丸が頬をかすめて飛んでも、三個目の弾丸が肩をかすめても止まらず、硬く硬く拳を握りしめる。そして、その拳の硬さに何を込めたのかさえもわからず、知らずに叩きつけるように何度も何度も振り下ろした。 ガツ…ッ、ゴツッ、ガツッ、ガツッ!!!! 鈍い音が何度も何度も当たる骨から、肩に頭に響いてくる。 でも、それでも響いてくるだけで痛みも、何の感情も湧かない。 もしかしたら、何も見ず、何も聞いていなかったのかもしれない。 けれど、視界の端に捕らえた赤い花だけは覚えていた。 その印象だけが網膜に、脳裏に…、胸に残り咲いていた。 「いい気味だ…っ、お前も俺と同じ…ようにっ、一人残されてっ!」 ・・・・・・一人残されて? なぜか、そこだけ良く聞こえて、赤い花に目眩を起こす。 良くわからない…、けれど、目眩を起こしながらも拳は止まらなかった。 考えるコトをやめた脳は、拳を振るうコトだけを指令し続けて…、 ひたすらに振るうコトだけを繰り返し…、やがて俺の腕は勢いをつけるために大きく振り上げられた。 「・・・・・・・オタク、誰だっけ?」 まるで、独り言のように口から零れ落ちた、いつもと変わらない声と言葉。 そんな言葉に拳を振り下ろす先で、大きく目が見開かれる。 でも、だからって振り上げた拳は止まらない。 目の前にあるのは、俺の拳に壊されかけているモノで…、 ただ、それだけで…、それ以外の何ものでもなかった。 だけど、大きく振り上げた拳を降ろそうとした瞬間、聞き覚えのある声が鼓膜を震わせ、俺の脳に変わって俺の腕を止める。すると、目の前で壊れかけてたモノは、叫び声をあげて転がるように逃げ出した。 俺に殴られて落とした拳銃を拾いもせずに、尾を巻いて逃げるっていうのに遠吠えもせずに走り去り…、居なくなった。 「あぁ・・・、くそっ、マジでいってぇ…」 赤い花を咲かせたクセに、俺に向かってやめろと叫び…、 そして、今は痛がっている。 ようやく、それだけ知覚した俺は、やっと振り上げていた拳を降ろした。 それから、ゆっくりと倒れている場所に近づき、ゆっくりと膝を折る。 膝を折って屈み込んで、心臓の上に手を置いた。 「派手に見えっけど、撃たれたのは腕で貫通してっから…」 「・・・・・・うん、急所は外れてる」 「って、別んトコ見ながらいうなよ。コレでも痛ぇんだぞ」 「止血するから、今より痛いけど、少しガマンしてな」 「わりぃな、面倒かけて」 「・・・・・・それは俺のセリフ、じゃないの?」 「知り合いなのか?」 「さぁ、わからないけど、たぶん…」 「たぶん?」 「俺のせいで、一人きり残されたヒト」 俺がそう言いながら、ハンカチで腕をキツク縛ると、時任は痛みに眉をしかめながら小さく呻く。けれど、泣いたり叫んだりはしなかった。 じっと痛みに耐えて、俺の言葉にそっか…と呟いて…、 静かに…、ただ静かにそう呟いて、それ以上は何も言わなかった。 だから、そのせいなのか、俺の手と視線は行き場を失ったように少し彷徨い。 やがて、手も視線もポケットの中に入れていたケータイにたどり着く。 そうして、そうだった、止血はしたけど、早く鵠さんに診せて傷口を塞いでもらわなきゃダメだったと、マヌケな事を考えて東湖畔に電話をした。 でも、まだ思考があまり回っていないのか上手く状況を話せずにいると、鵠さんが大丈夫ですか?と俺に問いかけてくる。だけど、俺は自分が大丈夫なのか、そうじゃないのか良くわからなかったから、さぁ?と首を傾げるくらいの事しかできなかった。 「それじゃ、また後で…」 そう言って通話を終えた後、俺は思考だけじゃなくて、ケータイを握りしめた感触までおかしいコトに始めて気づき…、また首をかしげる…。殴りすぎたせいで壊れてしまったのかと思ったけど、無事に動く所を見るとそうではないらしい。 だけど、今の俺にわかるのは、何かどこかがおかしいというだけ。 なんで、おかしいのかなんて、回らない頭で考えるコトもしなかった。 ただ…、そう…、 早く東湖畔に行かなきゃならないコトだけはわかってたから、腕を伸ばして倒れたままでいる時任の上半身をゆっくりと起こす。そして、大丈夫だと歩けると嫌がる時任を、無理やり背中に背負って歩き出した。 だけど、時任に紙袋を落としたままだって言われ、俺は立ち止まり視線を下へと落とす。そうしてから、自分が武器を所持していたコトに始めて気づいて、深く長いため息をついた。 「・・・・・・ホント、どうかしてる」 「って、何が?」 「さぁ? 自分でも良くわからないから、答えられない」 「なんだソレ、なんかヘンなの」 「うん…、そうね…。確かにそうかもね」 そんな会話をした後で、落とした紙袋に二丁の拳銃を詰めて…。俺はブラブラと腕にひっかけた紙袋を揺らしながら、時任を背負って再び足を前に踏み出す。 そうして、俺は背中に時任のぬくもりと重さを感じながら、春の終わりのまだ少し肌寒い夜の道を歩いた。 ぬくもりと重さを感じながら、一歩一歩前に足を踏み出し…、 柔らかに吹き行く夜風に、時折、髪を乱されながら、二人で東湖畔を目指して…、 けれど、ふいに目の前を何かが横切り、俺はそれに気づいて足を止める。 そして、一体、なんだろうとふと落ちてきた方向を見上げると、すでに緑の葉があちこちから出始めている桜が風に吹かれ、無数の花びらを散らしていた。 空に浮かぶ満たない月の光に照らされて、薄紅色の花びらを散らし…、 それらは俺と時任に降り注ぐように舞い上がり、舞い落ちて…、 俺の視線もまるで花びらを追うように空から、月の光で出来た二人分の薄い影の映るアスファルトの上に落ちる。すると、薄いはずの影がなぜか鮮明に見えて、時任…と呼ぼうとした声が喉に詰まった…。 大丈夫?って聞こうとしたのに、喉に詰まって何も出て来なくて…、 代わりに一瞬、影を揺らした何かが頬を伝い落ちる。 時任が撃たれた時にも、何も頬を伝ったりはしなかったのに…、 無事だとわかった時にも、何も頬を伝い落ちたりはしなかったのに…、 ただ目の前に時任と俺の影があって、無数の花びらが舞い上がり、舞い落ちているだけのこの場所で何かが頬を伝い…、胸に落ちて滲んでいく。 そうして、ようやく知ったのは、今まで一人きり残されるコトなんてなかったのに、今は一人きり残されるコトもあるって…、 そんな馬鹿みたいに…、当たり前コトだった…。 『いい気味だ…っ、お前も俺と同じ…ようにっ、一人残されてっ!』 二人の上に降り落ち積もりゆくのは、花びらと罪。 頬を伝い落ちていくのは涙ではなく…、二人を溶かしていく海。 一人きりのはずだったのに、いつの間にか二人きりなってしまってたんだと気づいたから、罪のように花びらが降り、広がっていく海が二人を溶かして…、 やがて…、もしかしたら、それがすべてを覆い尽くしてしまうのかもしれない。 だから、俺は俺の罪で赤い花を咲かせてしまった時任に、吹いてくる春の終わりの風に、花びらに涙の跡の残る頬を撫でられながら、声には出さずにゴメンね…と謝罪の言葉を唇に乗せた。 ゴメンねと何度言っても、何も変わりはしないのに…、 まるで、逃げ道を作るように、そんな言葉を口にして…、 けれど、その瞬間に後ろから伸びてきた手が、ひらひらと舞う花びらを一枚捕まえる。そして、ゴメンねと口にした俺の前に、捕まえた花びらを差し出した。 「散っても花びら一枚になっても、桜は桜なんだよな…。それって当たり前のコトだけど、だから、綺麗なのかもなって気がなんとなくしてさ…」 そう言った時任の手から、桜の花びらはまた風にさらわれ…、 二人の影の上で舞い上がり舞い落ちて…、その様は時任が言うように、とても綺麗だった。そして、それは頬を伝ったものと同じように落ちても、俺の目にどんな風に映っていたとしても桜でしかない。 桜は桜…、ただそれだけのコト。 目の前の現実は、何度、ゴメンねと口にした所で変わりはしない。 俺は俺で、時任は時任で…、 なのに、俺達は一人きりじゃなく、二人きりになった。 だから・・・・、こんなにも桜が桜であるように…、 俺達は俺達であり続けて、犯した罪さえも俺達の一部で…、 俺達の一部だからこそ…、こんなにも重く重すぎてやがては歩けなくなってしまうのかもしれないけど、それでも二人きりでいるのなら、きっと罪ではなく、想いが俺の頬を伝ったりするんだろう。 二人きりだから、きっと散る花びらのように…、 罪も想いも…、降り積もっていくのかもしれないから…。 「桜は桜…。下に何が埋まっていたとしても、それに変わりはないし…、変わりようもないし…。だから、こんなにも綺麗に咲き誇っていられるのかもね…」 俺がそう答えると、時任はそうだな…と短く返事して…、 その返事を聞きながら、俺はゴメンねと口ずさむのをやめて歩き出した。 重なる二つの影を長く長く伸ばしながら、春の終わりの風に吹かれ…、 舞い落ちる花びらに降られながら、下に何が埋まっているのかわからないアスファルトを地を踏んで二人きりで…。 この下に何が埋まっていても、桜は桜であるコトをやめられない。 そう、生まれてしまったからには、桜は桜でいるしかない。 けれど、枝を伸ばし花を咲かせ、葉を茂らせるのは…、 散り逝き枯れ逝くまで、桜であり続けるのは桜の意志だと…、 目の前で花びらを掴んだ…、時任の右手を見るとそんな気がして…、 俺は片手で掴んだ時任の右手を、すでに消えてしまった涙の跡に…、 ・・・・・・・何かを誓うように寄せた。 |