はぁ…と、口から吐く息は白く…。
 そして、辺りを包む空気も、霧が混じり込んでいて白い。
 少しも雪など、降ってもいないのに、辺りは白いばかりで…、
 肌に感じる気温は冬らしく低く、そして、寒かった。
 けれど、それでも公園のベンチに座ったままで、マンションに帰らず外にいるのは、なぜなのか…。ベンチの横にあるブランコを漕いでいる時任なら、答えられるんだろうかと、そう思った瞬間、くしゅん…と小さなクシャミが聞こえた。

 「寒いのキライなクセに、いつまでそうやってんの?」

 俺がそう問いかけてる間も、時任はユラユラとブランコに揺られてる。
 それほど、早い速度で漕いでるワケじゃないけど、そのせいで揺られると冷たい霧混じりの風が吹くし、頬と手袋をしてない左手が赤くなっていた。
 ホントは何か考え事してるみたいだったし、すぐに飽きるだろうと思ってたから、何も言わずに放って置いたんだけど…、
 このままだとホント、風邪引いちゃいそう。
 ブランコに乗ってる時任だけじゃなくて、ベンチに座ってる俺も…。
 だけど、そう思っていながらも、俺も時任も帰ろうとは言い出さない。
 ただ、冬の朝に白い息を吐いて…、
 ただ、ただ…、ココに居た…。
 
 「久保ちゃんこそ、いつまでそうやってんだよ」

 そう言いつつ、時任はやっぱりブランコに揺られ…、

 「そうねぇ…」

 そう答えつつ、俺は相変わらずベンチに座り…、
 深く白い霧の中から、いつ顔を出すのかもわからない朝日を待ちながら、二人で冬の寒さに凍えていく。もしかして、ココは雪山だったかなぁ…とか、そんなコトを心の中で呟きながら、ひたすら迷子のように朝日が出るのを待っていた。
 だけど・・・、ホントに日が出るのを待ってるのかと問われれば、首を傾げるしかない。やがて、現われる太陽を待ち焦がれてるのかと自分自身に問いかけても、わからないから答えられなかった。
 冷たく白い朝の中で、耳に届くのは揺れるブランコの音。
 それと共に揺れる…、隣に在る気配と存在…。
 それら、聞き感じている内に…、やがてすべてが凍り付いてしまうよな、そんな錯覚に陥り…、
 せめて…、と思った。
 せめて、隣に在る…、隣に居てくれる存在だけは…、
 こんな場所で凍りつかせずに、どこか暖かい場所へ…、
 でも、そんな場所なんてあるんだろうか…と、ふと横へ向けた視界の中に黒い皮手袋を捕らえ、俺は深く長く白い息を肺の中から吐き出す。そして、視線を黒い皮手袋から自分の右手に移すと…、その手は冷たかった。
 この場所に来る前から…、そう、いつも冷たかったから…、
 俺は…、どんなに白く冷たく凍えていても…、
 誰かを抱きしめる手を持たない…、誰も抱きしめられない。

 せめて…と、そう願った細いカラダも…。

 ニコチンと硝煙と、そんなモノが染み付いた指先は、冷たい鉄のカタマリの引き金を引くコトしか知らない役立たずで、冷たいモノを生み出すばかりで…。それと違って、やめろと引き金を引く指を止めてくれる黒い皮手袋のはまった右手は、とても温かかった。
 時任の右手は俺の右手なんかよりも、ずっと温かい右手だった。
 見た目は人間に見えないけど、あれは確かに人間の手…。
 獣の手をしてるのは間違いなく…、俺の方。

 「真夜中に俺が弾いた引き金の数…知りたい? それとも…、もっと別の数?」

 ふいに問いかけた俺の声に、揺れてたブランコの音が止まる。そして、一緒に揺れてた時任のカラダも揺れるのを止め、ずっと乗っていたブランコから降りた。
 けれど、俺は麻痺したように動かなくなった思考で、あぁ、やっぱり…、あれだけ揺られれば寒いよねと思いながら、こちらに歩いてくる時任を見る。
 ただ、ただ、冬の朝にココに居るように…、
 ただ、ただ時任を見つめ、早く逃げればいいのにと…、
 麻痺したままの思考で感情で、手のひらでカラダで無意識に拒絶して…、
 気づけば、自分に向かって手を伸ばす時任を睨みつけていた。
 一番大切だったはずのモノを拒絶して、白く冷たい空気だけを両手に掴み。けれど、そんな俺を恐れもせずに、時任は俺の両目をそっと伸ばした右手で覆った。

 「そんなの聞かなくてもわかるから、いい」
 「・・・・・そう」
 「それに聞かなくてもわかるから、俺はココにいる。マンションにはまだ帰れないから…、帰らない…」
  「わかるって、何が? ベツに何がわかってもわからなくても、ウチに帰ればあったかくて、ココは居れば、ただ寒いだけなのに?」
 「・・・・・・・・・・」

 俺の両目を覆った時任は、何がわかるんだろう。
 俺が弾いた引き金の数、それともベツの何かの数なのか…、
 そして、まだ帰れないから帰らないって意味も、俺には良くわからなかった。
 だから、時任の右手に両目を覆われたままで、まるでタバコの煙を吐く時のように、ふーっと白い息を吐く。すると、覆われたままだった目が、徐々にゆっくりと右手から解放されて…、視界が元に戻り…、
 けれど、その代わりに、今度は俺のカラダが時任の両腕に包まれた。

 「・・・・・・・・あったかい」

 俺のカラダを包んだ瞬間、時任がそんなコトを言う。
 だから、俺は当たり前のように思った…。
 時任の体温はいつも高いから、いつも低い俺を抱きしめて温かいなんてあり得ない。いつだったか、やめろと時任に手首を握りしめられた時、体温の高さを感じた。
 鵠さんが診察した時も、子供並に高いって言ってたし…、
 そんな所も時任は猫みたいで、子供のようで…。
 いつものように猫みたいだと子供みたいだと、からかってやるつもりで口を開きかけたけど…。その瞬間に、俺は冷たい…と思ってしまった。
 俺よりも温かいはずの時任が…、冷たい…。
 すぐにブランコに揺られていたせいだと気づいたけど、それでも俺は驚いたように目を見開いたままだった。

 「ブランコに乗ったりするから…」
 
 俺がぼんやりとそう言うと、時任が抱きしめる腕に力を込めてくる。だけど、長い間、ブランコに乗っていた時任のカラダは、そう簡単には温かくはならなかった。
 だから、時任は俺の温かさを感じて、俺は時任の冷たさを感じている。
 まるで、逆の状態に…、俺は居心地の悪さを感じた。
 俺が冷たい…呟くと、時任はそうだろ…と言う。
 そして、俺が苦しいと言うと、時任はそうだろ…と笑う。
 そんな状態をどれだけ続けていたのか、ふと気づくと俺らの居る公園にわずかに日の光が差し始めていた。
 
 「戻って来いよ…、久保ちゃん…。いつまで、一人で寒いトコに居るつもりだよ? そんなカオしてちゃ…、ウチに帰れねぇだろ?」
 「…って、言われても自分じゃカオ見れないし、俺はちゃんとココにいるし?」
 「だったら、言うけど…。まるで、引き金を弾く時みたいな目で俺を…、すべてを見てる。だから、まだウチには帰れない」
 「・・・・・・・・・」
 「自分だけ冷たいんだって、そんな目して…。俺のコトはあったかいんだって決め付けて、そんなのせっかく二人で居るのに寒すぎだろ?」

 ・・・・・・・・俺らは二人きりのバケモノなのに。

 最後のコトバは、ナイショ話をするみたいに耳元で囁かれ…、
 そのコトバが今よりも強く、俺と時任を繋いでいくのを感じた。
 お前はバケモノなんかじゃないよ…と、そう言いかけた俺の口を塞ぐのは、時任の右手の黒皮手袋。コレさえなかったら人間になれるのにとそう思いながらも、バケモノの俺はそんな時任の右手を放せない…、抱きしめてくる腕を拒絶できない。
 そうしている内に、二人きりの世界を…、
 俺らの居る公園をゆっくりとゆっくりと日の光が照らし、光が大きくなり…、
 その光の中で凍りついた空気中の水分が、小さな結晶となってキラキラと降る。
 寒い冬、しかも朝ならではの…、そんな光景。
 そして、その光景と一緒に胸に焼きつくのは、抱きしめてくる腕とカラダの冷たさと…、あったかいと呟く穏やかな…、何よりも一番耳に馴染む声…。
 離れたい気持ちと離れたくない気持ちが、交互に波のように襲ってきて、狂いそうな気持ちと感情の波に、耐え切れなくなった俺は自分から腕を伸ばして冷たいカラダを抱きしめる。すると、さっきよりも格段に早く…、時任のカラダが温かくなっていくような気がして…。
 ふと気づけば、祈るように降り落ちる小さな結晶を見つめながら、俺達はお互いの体温を奪い合うようにではなく…、与え合うように抱きしめ合っていた。
 
 「お前もあったかいよ?」

 やがて、同じくらいになってきた体温に、俺がそう言うと…、

 「久保ちゃんもな…」

 …と、時任が言う。
 けれど、晴れていく霧が俺らの姿を隠すのを放棄し始め…、
 俺らは同時に抱きしめていたカラダを離すとバケモノに相応しく、安住の地を求め、二人きりで放浪するように歩き始めた。

                            『放浪』 2008.11.15更新

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