ポタリ・・・・、ポタリポタリ・・・・・。

 つい五分前か十分前に降り出した雨に、住んでるマンションもベランダも濡れて、さっきから雨音が俺の耳を打ってる。そして、口にはセッタ、食事用のテーブルには肘をついて、手元にある灰皿を引寄せてみれば、いつの間にか吸殻が増えていた。
 そんなに吸った覚えはないけど、目の前の吸殻が動かぬ証拠。
 それを見て小さく息を吐き、視線をさっきから見てたモノに戻すと、雨が降り出したっていうのに、ベランダに出たまま戻らない濡れた背中が見えた。
 ベランダにはコンクリの屋根があるけど、時任はわざわざ濡れる位置にいる。
 あー…、あのままじゃ確実にカゼひきそう…。
 そう思いながらも、俺は声をかけるコトもベランダに行くコトもせずにいた。
 今日は雨が降りそうだなって、そう言ってベランダに出た時任は、本当に降り出した雨に驚きの声をあげるコトもなく…、じっと空を見上げていて…、

 「なに…、考えてんだかねぇ…」

 そんな俺の呟きは時任に届くコトなく、ただ雨が時任を濡らしていく…。
 決して激しくなく、しとしとと…、しとしとと降る雨は音を立てながらも、なぜかこの部屋とベランダに静寂を作り出していた。
 静かな静かな…、雨…。
 その音を聞いてるとココロの奥まで静寂が満ちていくようで、俺はその静けさの中に…、一瞬だけ色あせた過去を見て、ふー…っと灰色の煙を吐き出す。脳裏に蘇る過去は雨音のように、しとしとと…、しとしとと降り注いでは、わずかな波紋だけを描いて消え…、
 それを懐かしむ感情はないけど、そっと…、何かを手向けたくはなる。
 葬るのではなく、そこに在ったモノのカタチを示すために…、
 そっと手向けて言葉はなく、ただ、しとしとと降る雨に描いた波紋を煙に乗せて吐き出して、うん…と一つだけうなづいた…。

 しとしとと降る静寂を壊さないように…、ゆっくりと…。

 そして、座っていたイスから立ち上がり、玄関に向かうとカサ立てに置いてあった2本のカサを取りリビングに戻る。でも、出かけるワケじゃなくて、そのままベランダに出ると2本のカサを開きかけたけど…、
 結局、2本の内の一本…、時任が良く使ってる透明なビニールガサだけ…、
まだ空を見上げ続けてる時任に近づくと、濡れた頭の上に差しかけた。 
 すると、カサの上で跳ねる雨粒が、時任に見つめてた空に模様を描く。
 描かれた雨粒の模様は、まるで頬に落ちた涙のようにカサをすべり落ち…、
 跳ねる音が、静寂をわずかに壊した。

 「なに…、見てるの?」

 雨粒とカサが作った静寂のほころびに乗じて、俺は時任に話しかける。
 空を見てるんだと知っていながら、そう尋ねて首をかしげ…、
 濡れた背中をそこにある肩甲骨を、ゆっくりと手を這わせるようして撫でた。

 「・・・・・・・いくら上を見ても、ただの錯覚だから」

 落ちてくる雨を見上げてると、自分が上へ上へと昇っていくような錯覚を覚える。
 そのコトを思い出して俺がそう言うと、時任は人差し指を上に伸ばして透明なカサを軽くパンッと弾き、そんなの知ってる…と答える。そう答えた時任に俺はふーんと返事しながら、時任を真似て人差し指でカサを軽くパンッと弾く。
 すると、時任もまた軽くパンッとカサを弾いた。
 
 「別にそういうのが面白くて、上見てたワケじゃない。ただ、こういう雨の時って…、雲の間に太陽出ると虹が見えたりするだろ?」
 「でも、今日の雲は厚そうよ?」
 「うん…、まぁ、そうだけど」
 「虹見たいんだ?」
 「見れたらいいなって、それだけ」
 「ふーん…」
 「なに?」
 「別に何も?」

 虹が出るまで…、なんて気の遠い話…。
 それで雨に濡れてる…とは思わないけど…、
 そういうコトにしておいてあげるよと、呟くようにふーっと煙を口から吐き出す。
 しとしとと…、しとしとと雨が降るたびに、しけていくセッタはいつもより苦く…、
 視界の片隅に捕らえた時任の右手は、わずかに震えを帯びて…、
 差しかけたカサの上で、涙のような雨がパラパラと跳ねる。
 こんな時にたとえば、本当に虹が出たとしたら…、
 右手の震えが止まったり、君が笑ったりするんだろうかと…、
 ぼんやりと思い始めると、厚い雲にらしくなく恨み言を言いたくなった。
 けれど、俺が濡れて額に張り付いた髪を取ってやりながら、この雨が止んだら…、二人で虹を探しにでも行こうかと冗談交じりに言うと…、
 相変わらず雲は厚くて、しとしとと雨が降ってるのに、時任は空じゃなく俺を見て雲一つない青空のように、鮮やかに綺麗に笑った。

 「待ってるよか、その方が早そうだよな…つか、待ってるの性に合わねぇし」
 「お前ってガムシャラに突っ込んで、自爆するタイプだもんね」
 「うわっ、ひでぇ言いグサ! けど、久保ちゃんだって似たようなモンだろ?」
 「ん〜…、俺はどっちかっていうと石橋を叩いて渡るタイプ?」
 「…と見せかけて、石橋を壊して渡るタイプだったり?」
 「さぁ、どうだかねぇ?」
 「俺は自爆とみせかけて、完全勝利を収めるタイプ!」
 「何ソレ、ワケわかんない」
 「いいのっ、ワケわかんなくても最後に勝つのは俺様だ!」
 「いいね、そのムチャクチャな理屈。お前らしくてさ…」
 「バカにしてんのか?」
 「いんや、褒めてんの。お前なら、ホントに最後に勝っちゃうだろうって…」
 「ふん、当然だ。俺様に勝利以外の二文字はないっ!」
 「だぁね」
 
 相変わらず雲が厚くて、しとしとと雨は降っていても…、
 パラパラとカサで雨を弾きながら、時任のワケのわからない勝利宣言を聞いてると、なぜか、もうじき空が晴れてくるような気がしてくる。青空が出て日が差して、虹まで出るかもしれないって…、思えるから不思議だった。
 静かな静かな雨は、いつの間にか時任の声に掻き消され…、
 手向けたカタチは、しとしとと降る鎮魂の雨に洗われていく。
 雨粒が描く斑紋は過去ではなく今を描き…、未来を映して…、
 俺は吸ってたセッタをベランダのコンクリに押し付けて消し、横に立つ時任の前に手を出す。そして、同じように差し出された時任の右手に、それを重ねた。

 「…というワケで、久保時ファイトー」
 「お、おーっ?!って、クボトキって何だっ、クボトキって!」
 「ん〜、久保時は、お前と俺の名前の略?」
 「なんで、俺がリーダーなのに、久保ちゃんの名前が前なんだよっ!」
 「ひ・み・つ…っていうか、お前ってリーダーだったの?」
 「無敵で天才の俺様以外の誰がリーダーだってんだ。それよか、何で二人で円陣なんか組んでんだっ」
 「気分?」
 「気分で組むなっ」
 「試合は…、ドコの組としよっか?」
 「・・って、チームじゃなくて組とかよっ!!!」
 「負けそう?」
 「ぜっってぇっ、勝つ!」
 「そうこなくっちゃ」

 さぁ…、虹を探しに行こうよ…。
 
 そう心の中で呟きながら、時任の作り出した青空の下、カサを手を放した俺は…、
 その手で時任の右手で握りしめながら、左手で触り心地の良い肩甲骨に触れる。
 そして、しとしとと降る雨に描かれた新しい波紋を、その手に乗せるように動かして…、ホントは優しく頭を撫でるつもりだったのに…、
 その瞬間、新しい波紋に過去からの波紋がぶつかり…、波を作って…、
 なぜか気づけば、俺は付いてもいない白い羽を…、

 飛び立つための大事な…、時任の白い羽を毟っていた。

                            『波紋』 2008.10.24更新

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