『・・・・・どうして、どうしてなのよ』 そんな声が聞こえて、読んでいた新聞から顔を上げる。 すると、リビングのカーペットの上に、うつ伏せに寝転がり、足をブラブラさせながらテレビを見ている時任の姿が目に映った。 けど、さっき聞こえてきたセリフは時任ではなく、テレビに映っている女優が言ったセリフ。そんなのは顔を上げるまでもなく、わかってたワケだけど…、反射的に顔を上げてしまったのは、なぜなのか自分でも良くわからなかった。 うーん…、なんだかねぇ…。 そう心の中で呟きながら、軽く頭を掻いてアクビをする。それから、机に投げてあったセッタを取って、一本くわえてライターで火をつけた。 『なぜ…、殺したりしたの? 確かに私は脅されてたけど、誰も殺して欲しいなんて言ってないし頼んで無いわ。私には…、貴方の事がわからない…』 テレビから流れる音…、声をなんとはなしに聞きながら、煙を肺の奥に吸い込んで、ふー……と吐き出す。すると、煙が消えるまでの間だけ視界が悪くなり、テレビに映る女優もソレを見てる時任も、どこかぼやけて見えた。 ぼんやりとした俺の視界の中で、相変わらず時任は足をブラブラさせて…。しかも、足をブラブラさせつつも、結構、真剣にドラマを見ているらしい。 コレが推理モノとか、そーいうのならわかるけど…、 昼ドラっぽいのを、時任が真剣に見てるのは珍しかった。 珍しいだけでヘンじゃないけど…、ん〜…、 気になると言えば、気になるような気もするし…、 気にならないと言えば…、別にどうでもいいような気もする。 別に時任がどんなドラマを見てても、問題無いしねぇ? けど、見たいのがないから、適当なのをダラダラ見てるカンジでもないし、何考えながら見てんだか・・・・て、時任じゃなくて俺が考えてるってコトは、やっぱり気になってるってコトなのかなぁ…。 なーんて言いながら…、実はヒマなだけだったりして? ドラマを夢中で見ている時任を眺めながら、また、ふー…っと口から煙を吐き出す。すると、また視界がぼんやりとしたカンジになり、俺はそのぼんやりとした昼下がりの午後のリビングで二度目のアクビをした。 ・・・・・・・ヒマつぶしに、コンビニにでも行くかな。 セッタも切れかかってるし、時任の牛乳もなくなりかけてるし…、 アクビをしながら、そんな風に考えてると時任の見てるドラマの主人公が…、愛しているはずの女の背中を刺す。男を愛していた女の背中を、女を愛している男が刺して、そんな二人には何が…と、考えかけてやめた。 他人なんて理解できるばすもないし、押し付け合う感情の行方なんて知りたくもないし…、ね。目の前でブラブラ揺れている時任の足を眺めながら、俺はそんな事を想い、なくとなく俺らの間にある距離を目測で測りながら…、 テレビ画面に映る赤く流れていく血に、過去あった出来事の一つを思い出していた。 時任の目の前で、初めて引き金を引いた日のコトを…。 でも、その日よりも前から、俺は時任との距離を測りかねている。 いつもなら、これくらいって大体の見当をつけて、それで終りなのに…。 誰よりも一緒にいる時間の多い時任に限って、迷い続けて未だに隣に座る時も、手を伸ばし肩に触れる時も迷う事が時々あった。 時任と俺の間にある…、傷つけ合うコトのない距離を…。 そんなコトを考えてる内に、時任の見てるドラマは話が進み…、 また、ドラマの続きをなんとなく聞きながら、吐き出した煙でぼんやりとした視界に映る時任との距離を目測で測ってみる。けど、ぼんやりとした視界の中にあるリビングの風景は、どこか現実味を欠いていて…、やっぱり測った距離も当てにはならないカンジ…。 なのにつねドラマの中で流された血の赤だけ、やけに鮮やかに見えて…、その色に染まった男の嘲笑が耳を打った。 ナイフで刺されたのは女、ナイフで刺したのは男…。 救いのないストーリーは最後まで狂気…、いや狂喜かもしれないけど、そういうのに満ちていて、わずかな希望の光すら見えない。さすがに、そろそろチャンネルを変える頃だろうと予測して、俺は視線を床に置かれているリモコンに向けた。 このストーリー展開だと、そろそろ限界かも…、 うーん、ドラマがああだったから、今度は何か明るめのヤツかな…。 そう考えつつ、時任を眺めるのではなく…、観察する…。 別に日記をつける気はないけどね。 すると…、時任はリモコンを・・・・・・・、 ・・・・・・・取らなかった。 俺の予想に反して、このままドラマを見続けるつもりらしい。 もしかして、途中まで見たからラストが気になるとか…、 それとも、このドラマを面白いとか、そんな風に感じてるとか…、 うーん…、わからないなぁ…。 そんなコトを思ってると、ドラマの女の言葉が脳裏を過ぎる。 ・・・・貴方の事がわからない。 けど、その言葉について、あまり思うコトはない。 他人を理解なんて、できるはずないしね…。 ほんの少しわかった気になって予測なんてした所で、それは100%の確立で当たるワケじゃないし、理解したと思った部分も変わらないとは限らないし…、理解しようとするだけムダ。 だから…、当然のように予測だってハズレる。 正確に測ったはずの距離で、予想もしない時に伸ばした手のひらに…、 抱きしめた胸に、拒絶の針が突き刺さるように…。 そんな風に時任を観察しているつもりが、自分の思考の海に沈み込み…、 気づけば、俺の目の前に寝転がっていたばすの時任が立っていた。 俺の予想を見事外し、目測で測ろうとしていた距離を縮め…、 やけに近い距離から、俺の顔をじーっと見ている…。 そんな予想していなかった、いきなりの展開に…、俺の吸ってたセッタの先端から灰がポトリと落ちた。 「…何? どうかした?」 口から出た声は、いつもよりも少し低くて…、わずかにかすれてる。 そして、それはたぶん、灰の落ちたセッタの先端の揺れに比例していた。 いきなり近づいた距離に、無意識にカラダが反応して…、 伸びてきた時任の手を…、突き離そうとする…。 これ以上、近づくなと警告するように、微笑みで拒絶する。 でも、そんな風に威嚇してるクセに、心のどこかで時任の手が触れてくるのを待っている自分を…、自分のズルさを俺は感じていた。 どんなに胸に痛みが走っても、抱きしめてしまいそうな…、 そんな自分の衝動と想いと一緒に感じて…、いつも怖がってた…。 失った時の痛みを・・・・、 触れたくても触れられない…、そんなジレンマを…。 けれど、俺の額に触れた時任の手は、少しも痛くなくて…、 触れた部分から、時任のぬくもりがゆっくりと伝わってくる。 伝わってくる時任のぬくもりは、優しくて暖かくて…、 なのに、やっぱり俺の胸を、時任の小さな針が突き刺した。 時任の手のぬくもりが、温かければ温かいほど…、 なぜか、いつも今までカンジた事のない痛みが胸を刺して…、 その痛みに…、ようやく測りかねている距離の意味がわかった気がした。 「なんか、ぼーっとしてっから熱でもあんのかと思ったけど、大丈夫みたいだな。でも、具合とか悪いなら無理せずに寝てろよ。今日の晩メシは俺様が作ってやっからさ」 いつもと違って、頭上から降ってくる時任の声…。 見上げてみると、心配そうに見つめてくる時任の目と目が合って…、 俺はその澄んだ瞳に…、真っ直ぐな視線に吸い寄せられるように手を伸ばしながらも、触れる寸前で止めて引く。触れそうで触れない距離で止まる手は、セッタの先端のように揺れはしないけど、別の何かが胸の奥で揺れてるカンジがした。 この痛みとぬくもりを、ずっとカンジていたい気持ちと…、 この痛みもぬくもりも突き放して…、自分の想いからも現実からも瞳をそらしたい気持ちと…、その二つが胸の奥で揺れて迷い戸惑い…、 自分自身に問いかけながら、止まった手を元の位置に戻そうとする。 けれど、その手は素早く伸びてきた時任の手に捕らえられ、額にも手じゃない何かが軽くコツンとぶつかった。 「・・・・痛いよ」 俺がそう苦情を言うと、時任が「ボケた顔したヤツには、コレくらいが丁度いいんだ」って言いながら笑う。そして、「でも、実は俺もちょっち痛かった」って告白してから、自分の手じゃなくて掴んだ俺の手で自分の額を撫でた。 だから、ジョウダン交じりに「痛いの、痛いの飛んでけ」って言ったら、時任がさっきよりも笑みを深くして、楽しそうに声を立てて笑いながら…、 今度は俺の額を撫でながら、同じコトを言った。 「痛いの、痛いの飛んでいけー」 すると、完全に無くなったワケじゃないけど…、 額だけじゃなくて、胸の痛みが少し引いた気がした。 うーん…、もしかして俺って結構現金? そんなコトを思いながら、「ガキみてぇ」と言う時任の頭をよしよしと撫でる。 そしたら、時任はまた俺の予想に反して、起こらずにニヤニヤしながら俺の頭を同じようによしよしと言いながら撫でた。 「お前って…、ホント見てて飽きないよね」 「そーいう久保ちゃんも、見てて飽きねぇよ」 「そう?」 「机に灰落としたり、なんかマヌケだし…。こないだとか、寝ぼけて敷居で頭打ってただろ?」 「俺的にはそういうトコばっか見てないで、ちょっとはカッコいいトコとかも見てて欲しいんだけど?」 「って、久保ちゃんのカッコイイとこってドコ?」 「・・・・・・実家に帰らせてイタダキマス」 「あーっ、ウソっ、ウソだってっ! 久保ちゃんカッコイイっ、すっげカッコ良いけど…、俺の次な」 「えー」 「カッコ良さで俺様に勝とうなんざ、百年早ぇに決まってんだろっ。オヤジ臭さなら、久保ちゃんのが断然上だけどなっ」 「・・・・・・やっぱり、実家に」 「うわーっ、久保ちゃーんっっ!」 いつもの日常…、変わらない日々…。 未だに俺は二人の距離を測りかねて…、戸惑い迷い…、 けれど、時任に触れるたびに痛みを感じながらも…、 その痛みと一緒に時任を抱きしめて、握りしめた拳銃の引き金を引く日が来る事を予感してた。もう…、距離を測る必要がないコトを感じていた。 痛いの、痛いの飛んでいけ…。 無くならない痛みは、無くならない想いの証。 この痛みはもう…、無くなるコトはないのだとカンジ始めた日…。 けれど、いつもと変わらない…、そんな日。 時任が真剣にドラマを見ていた理由が、女を刺した男が俺に似てたからだと知った俺はなぜか、とても可笑しくてたまらなくて腹を抱えて笑った。 |