マンションに向かって歩いてると頬を何かがかすめて、気になって上を見上げると雪が降り始める。そしたら白い雪がメガネにパラパラと空から落ちてきて、視界が白く染まらずに黒く暗くなった…。 うーん、なんかコレってマヌケかも…とか思いながら、下を向いてメガネをはずしてコートで軽く拭くと今度は視界に白が飛び込んでくる。それは雪が今降り出したワケじゃなくて、実はつい数時間前も雪が降っていたせいだった。 めずらしく雪が積もったせいで交通渋滞や交通マヒしてても、俺は徒歩だから少し歩きづらいだけ…。けど、テレビでニュースを見てたらしい時任が、俺のケータイに電話をかけてきた。 『久保ちゃん? 今どこ?』 「ん〜、ウチまであと五分ってトコ」 『ふーん』 「もしかして、心配してくれてんの?」 『べっつにっ! け、けど…、もうちょっとだからって油断して転んで骨折とかすんなよっ』 「わかってるよ…って、あっ・・・・・」 『えっ!あ…って、おいっっ!! だ、大丈夫かっ!?』 「・・・・・・」 『く、久保ちゃんっ!?』 「・・・・・・・・犬のフン」 『はぁっ!?』 「雪の上にあると、犬のフンって目立つなぁって…」 『・・・・・っ!!』 「ねぇ?」 『な、なにがねぇ…っだっ!! 急に妙な声出すんじゃねぇっ!!!』 「心配してくれてアリガトね?」 『だーかーらっ、ぜんっぜんっ心配なんかしてねぇっつーのっ!!!』 すでに陽の落ちたアスファルトの道は、雪が凍るばかりで溶ける気配ナシ。だから、その上をザクザクと音を立てて歩きながら時任と話しながら…、白い息を吐いた…。 空から舞い落ちた白い雪と同じ色の息を…。 寒いトコで息を吐くと白くなるのは当たり前だけど、俺の口から出てると思うと少しだけ不思議な気もする。肺の中はニコチンで汚れてて真っ黒なのに、俺の口からはまるでウソをつくように白い息が出ていた…。 ・・・ウソツキ。 どこからか…、そんな声が聞こえたような気がして立ち止まる。すると、冷たい突風が雪を砂のように巻き上げながら吹き付けてきて、一瞬だけケータイからの時任の声が…、 その風にさらわれるように聞こえなくなった…。 何も聞こえなくなって…、世界が止まったように無音になる…。瞬間的に冷たい指先で強くケータイを握りしめると、吐いていた白い息が止まった。 ・・・・・・・ウソツキ。 風が止んでやがて音が聞こえるようになっても…、なぜか息ができなくて胸を押さえる。べつにパニックを起こしてるワケでもなんでもないのに、俺は冬のいつもよりも澄んだ空気が吸えなかった…。 すぐ目の前にマンションが見えてて、たどり着くまであと二分…。 そんな距離なのに、今の俺にはなぜか遠い…。 酸欠に陥って少しずつ気が遠くなってくのをカンジてると、何かがボスッと勢い良く肩に当たった。その衝撃で無意識に息を飲むと、さっきまで出せなかった白い息が俺の口からふーっと自然に出る…。 それはなんとなく呼吸停止から蘇生して生き返った…、そんなカンジだった。 「なーに、そんなトコでボーッと突っ立ってんだよっ!」 「…って、なんでそんなトコにいんの?」 「そ、それは久保ちゃんが、あと五分だって言ったからだろっ!」 「ふーん、そう…。あと五分だから、ネコ並に寒がりなのに雪玉投げに来たってワケね。時任クンに、そんなに嫌われてたなんてショックだなぁ…」 「な、なに言ってんだよっ!! べつにそんなつもりで投げたんじゃ…っ!」 「・・・・・・カラダだけじゃなくて、ココロまで寒くて死にそう」 「だからっ、違うってっ!!」 「じゃ、なんで?」 「・・・・・・・・」 「時任?」 「さっきからずっと話してんのに、生返事ばっかすっからだろっ!」 「あれ、そーだった?」 「なら、さっきなに話してたか言ってみろよ」 「ん〜…、なんだったっけ?」 「やっぱ、ぜんっぜんっ聞いてねぇじゃん…っ、見せたいモノがあるって何回も言ったのに・・・・・・」 「見せたいモノ?」 「・・・・・・・もういいっ、先に帰るっ!!」 時任はそう言うと本当に俺を置き去りにして、マンションに帰っていく。その背中を良く見るとコートも着てなくて薄着で、ホントに部屋からいきなり飛び出してきたカンジだった…。 だからもしかしたら…、俺が生返事をしてるウチに返事しなくなって…、それで心配して出てきてくれたのかもしれない。そして雪玉を投げたのは俺が何事もなく、ボーっと突っ立ってただけだったからで…、 雪玉を投げたのも…、怒って先に帰ったのも心配しててくれたから…。 そう想うとなぜか冬の空気の刺すような冷たさが穏やかに柔らかくなって…、自然に止まっていた足がマンションに向かって歩き出す。そして時任の後を追うようにマンション玄関口に立つと、そこに雪で作った小さな雪だるまが置いてあるのが目に入った…。 「タバコの灰で書いたメガネと…、木の枝のセッタ…。うーん、コレってもしかして俺?」 ネコ並に…、もしかしたらネコ以上に寒がりかもしれない時任が作ってくれたらしい雪だるまは、メガネはずれてるし木の枝は太くてセッタというよりもポッキーみたいになってる。そして、そんな雪だるまの前の雪の上には指か木の枝で書かれた消えかけた文字があって…、気になってかがみ込んでじーっと文字を眺めると…、 そこにはウチに帰ると、時任がいつも言ってくれる言葉が書いてあった…。 ・・・・・・おかえり。 時任の声が聞こえた気がして…、白い息を吐きながら雪だるまじゃなくマンションの四階を見上げると、またメガネに空から舞い落ちてきた雪で暗くなる。でも、その隙間から時任のいる四○一号室の明かりが見えた…。 暗がりの中に差し込む明かりがまぶしくて目を細めると、それを奪うように雪がまた視界を覆い尽くしていく。けれど、その瞬間に手に持ってたケータイから声が聞こえて…、外は手がこんなにも震えるくらい寒いのに…、 時任のつけてくれた明かりが灯るように、胸の奥が暖かくなっていくのをカンジた。 「さっきはゴメンね…」 『そんなのはもういいからっ、凍え死ぬ前にとっとと帰ってこいっ! バカっ!!』 「うん…、けどもうちょっとしてからね」 『…って、コンビニでも行くのか?』 「まぁ、そんなトコ」 『・・・・・・・』 「なに? どしたの?」 『コンビニに行くなら、あったかい缶コーヒー買って来い」 「うん」 『それから、晩メシのおでんっ』 「了解デス」 『それから…』 「それから?」 『早く…、ちゃんと帰って来い…』 「・・・・・・うん」 『待ってるから…』 「お前が待っててくれるなら必ず帰るよ、どこにいても…」 白い息を吐きながら言った言葉がウソになるのか、ホントになるのか…、それは俺にもわからない…。けど、俺の帰るトコも帰りたいトコも…、ココから見上げた先にある明かりのある場所しかなかった…。 だから、俺は時任の作った雪だるまの横に釣り目の雪だるまを作ると…、 その前に冷たい雪を掻き分けながら指で文字を書いた…。 ・・・・・・ただいま。 きっとすぐに白い雪に埋もれて消えてしまう、そんな文字。 立ち昇っていく白い息のように消えさてしまう、そんな言葉…。 けれど文字も言葉も、そして寄り添っている二つの雪だるまが溶けてなくなったとしても…、ここに書いた想いだけは溶け残る…。コンビニで買い物をした後に、そんな想いを抱きしめるようにもう一度だけ四○一号室の窓を見上げてから…、 俺はマンションに入って…、冷たい風をさえぎるようにドアを閉めた…。 |