時計の針は午後じゃなくて、午前の十一時。 もうじきお昼時だけど、朝の四時まで起きてた俺にとっては今が朝で…、 目の前に湯気を立ててるコーヒーが朝食代わり。 もしも、時任が起きてたらコーヒーに食パンってメニューになるけど、性格や仕草だけじゃなくてホントにネコみたいに良く眠るから、俺にとっては朝でも時任にとってはまだ真夜中なのかもしれない…。特に今日はスゴク気持ち良さそうに眠ってたから、もしかしたら夕方まで目覚めないかもしれなかった。 そんな時任と同じベッドで目覚めると、またそのまま眠りたくなるけど…、気持ち良さそうな寝顔を眺めながら起きるのも悪くない…。でも今、コーヒーを飲みながら眺めてるのは時任の寝顔じゃなくて新聞に入ってた広告だった。 『グラコロ…、グラタン入りコロッケ…。なんかウマそう…』 昨日の夜、まだ読んでなかった朝刊読んでる俺の横でゴロゴロしながら、床に広げた広告を眺めて時任がそう呟く。けど、そんな風にボソボソ呟いてても、べつにソレは俺に向って言ったってワケじゃなかった。 それに、時任が新聞やポストに入ってる広告を眺めてるのはいつものコトで、新聞はテレビ欄しか見ないのに広告だけはとりあえず床に広げて全部見る。特に食べモノ関係をチェックするのが大好きだった…。 昨日、時任が言ってたグラコロっていうのは、冬季限定のマックのハンバーガー。 その広告には割引券がついてたから、それも気になったらしい。でも、時任はじーっと広告を眺めてたのに、買って来いとか食いたいとか俺には言わなかった。 だから、俺もなにも言わないで黙って新聞読んでたんだけど…、 コーヒーを飲み終えると忘れないように、割引券付きの広告を折りたたんでポケットに入れる。そしたら、今日のちょっとアブナイ感じのバイトのコトより、帰りに買って帰るハンバーガーを気にしてる自分のコトがなんとなく笑えてきた。 「ホント…、笑えてくるほどケナゲだねぇ…」 自分のコトなのに他人ゴトみたいに言って、バイトに行くためにイスにかけてたコートを着る。それから、リビングのドアを開けて玄関に行きかけたけど…、なんとなく途中で立ち止まって寝室のドアをゆっくり開けた…。 中にいる時任を起こさないように、眠りを乱さないように静かに…。 すると、やっぱり時任はまだ部屋の中に満ちている夜の中で眠っていた。だから、ドアを開けたままベッドに近づいて…、そっと小さな声で行ってくるからと伝えて軽くキスする。 乱れた髪を撫でて額に一つして…、頬を撫でながら離れがたくて唇にもう一つ…。 それから今度は行ってきますじゃなくておやすみを言ったら…、時任がうっすらと目を開けて俺の方を見る。でも、それでもまだ起きたってワケじゃなくて、俺の方を見てても焦点が合ってなかった…。 「くぼ…、ちゃん…?」 「うん?」 「どっか…、いく…?」 「べつに、どこにも行かないよ?」 「・・・・・ホント?」 「ホント」 「そっか…、よかっ…た・・・」 ・・・・・・・どこにも行かない。 そう言いながら下に転がってた少し大きいクッションを横に置くと、時任が再び目を閉じながらソレをぎゅーっと強く抱きしめる。そんな時任の様子を見てたらクッションごと抱きしめたくなったけど、抱きしめると腕の中にある暖かさが気持ち良すぎて離れられなくなりそうだったから…、 そうするのをやめて…、微笑みながら眠ってる時任の額に自分の額をくっつけた…。 「ずっと…、一緒にいるよ…。だからもっと…、強く抱きしめててね…」 俺の代わりに時任に抱きしめられてるクッションは、強く抱きしめられすぎて苦しそうに見える。でもきっと時任よりも俺の方が…、もっとずっと強く抱きしめすぎてるんだろうって気がした…。 コートの右のポケットに入ってるのはマックの広告…。 そして、左のポケットに入ってるのは拳銃…。 どんなに頑張ったって、ただの紙切れの広告で命なんて守れない。 でも、どんなに拳銃を握りしめても…、時任はたぶん笑ってはくれない…。 両手をポケットに突っ込むと右にカサカサした感触と、左に冷たい感触があった。 「もしも…、いつか左のポケットに拳銃じゃなくて…」 そこまで言いかけて…、やめたのはなぜなのか自分でもわからない…。 けど、左のポケットに拳銃じゃなくて、握りしめた右手を入れられる日が来たら…、 もっとずっと…、こんな風に微笑んでいてくれるのかもしれなかった…。 明日が確実に来るかどうかもわからないのに…、そんな日が来るのか来ないのかなんてわかるはずもない。けど、くっつけてた額をゆっくりと離しながらも…、このまま二人きりの暖かさの中に…、この穏やかで激しい愛しさと恋しさの中で溺れていたかった…。 「くぼ…、ちゃん…」 そう名前を呼んでくれたのにもう一度だけ重ねた唇で答えてから…、寝室を出て入ってきた時のように静かにドアを閉じる…。マックの袋を持って帰ってくるまで…、このままクッションをぎゅっと抱きしめながら眠っててくれるように願いながら…、 そうして…、バイトに行くために玄関に向って歩いて行くと…、 ・・・・・・なぜかやけに左のポケットが重かった。 『i'm lovin' you…』 私は貴方を愛しています…。 |