後遺症。
「それじゃ、行ってくるから」
「あぁ、うん…」
久保ちゃんは、今からバイトに行く。
昨日だって、バイトとか他にもあるかもしんねぇけど、どっか出かけてった。
でも、それはいつものコトだ。
いつも通りで、普段通りってヤツで何も変わらない。
だけど、・・・気になる。
視線はゲームしてるテレビに向けてても行ってくるって言った後、こっちに向けられた背中が妙に気になって、つい見ちまうんだ。ぜんぜん気にしてないってフリしながら、横目でちょっとだけ背中を…。
始めは無意識だったけど、自分で気づいちまってからもやめられない。
見たって見なくったって、何も変わんねぇのに、さ。
そう思って、ため息ついて持ってたコントローラー投げて寝転んでみても、やってたゲームがゲームオーバーになっちまっただけだった。
「もう終わったっつってんだろ、バカ」
・・・・・原因に、まったく心当たりがないってワケじゃない。
だから、そんな風に思わず呟いちまったりしてる。
だけど、あの事件は犯人捕まって解決して、マンションの近くとか警察がうろついてたりもしてない。久保ちゃんも帰ってきたし、追われたりもしてない。
だから、もう心配なんかいらないし、大丈夫だ。
コレしか心当たりねぇけど…、大丈夫なんだ。
なのに、なんで背中を見ちまうんだろう。
あーあ、わっかんねぇって頭の上で両手を組んだけど、なんか落ち着かなくてカーペットの上をゴロゴロと転がってみる。そしたら、ソファーの背もたれのトコにかけたままになってた上着が目に入った。
確か・・・、アレってあん時に・・・。
そう思いながら起き上がって上着を手に取ってみると、やっぱりポケットの中に滝さんの名刺が入ってる。久保ちゃんがパクられた時、コレがなかったらマジでどーにもなんなかったかもしれなかった。
「そーいや、あれから会ってねぇし、ちゃんと礼言ってなかった…」
あん時も思ったけど、滝さんて見た目によらずイイ人なんだよな。
泊めてもらって、メシも食わせてもらった上に、犯人捜すの手伝ってもらったし。
そーだっ、今、特にするコトねぇし、銀たこでも持って行ってみっか…。
思い立ったが吉日ってヤツで、俺は名刺をポケットに戻して上着を着ると、今朝、久保ちゃんが読んでた新聞の広告の裏に簡単に行先を書いて置いた。
ココでわかんねぇコト考えて、ウダウダしてるよかマシだし、世話になったら礼を言わなきゃだよな。そう思ったら、ちょっち気分が上向いた。
・・・・上向いたってコトは、落ち込んでたんかな、俺。
けど、落ちこむ理由なんか、どっこにもねぇのにさーって玄関を出る。そして、ドアを閉めて、名刺と同じくポケットに入れっぱなしになってる鍵をかけた。
「戸締りカンペキ、いってきまーすっと」
俺はこれから、滝さんちに行く。
マンションを出てコンビニの前を通って、公園を横切って、あの日と同じ道をたどる。ちょっとだけ違うのは、途中で銀たこを買いに行くトコだけ。
ポケットには入ってるけど、名刺なんて見なくっても迷ったりしない。
でも・・・と、俺は銀たこを手に道の途中で立ち止まった。
あの後、あの事件が終わった後、リビングでコーヒーを飲みながら、久保ちゃんにポツリと呟くように聞かれたコトがある。
部屋に帰れない間、葛西のオッサンかヤブ医者んトコにいたのかって…。
その時、俺は首を横に振って、滝さんトコだって答えた。
そしたら、久保ちゃんはそう…って言って、他には何も聞かなかった。
うん、ホント、それだけだった。
でもさ…、それだけなのに妙に気になった。
なんでかなんてのは、背中を見ちまうのと同じくらいわからない。
けど、妙に気になって、その時の久保ちゃんの横顔が頭から離れなくなっちまった。それと、あと…、ケータイ越しに聞いた帰って来るなって言った声も。
「・・・ぜんぶ、もう終わったコトじゃんか」
終わった、終わった、ぜんぶ終わった。
だから、俺は無罪放免な久保ちゃんとマンションに帰った。
帰って来るなって言った意味も、今はちゃんとわかってる。
ケータイがすぐに切れたのだって、ケーサツにしょっ引かれる前だったとか、たぶんそんなんだろうし。とにかく、二人でウチに帰ってきたんだから、それで問題なんか一個も無いはずだ…、そんなモンあってたまるかってんだ。
うん、そうだ。
今日も寒いし、やっぱ鍋モンにしよっ。
そんで、あったかい部屋で鍋食ったら、きっとこんな気分なんか消えて無くなる。だけど、そう思えば思うほど、なぜか…、あの日のコトが脳裏に浮かんだ。
あの日…、ひらひらと白い雪が空から降ってきて…、
それから、肩にも温かいモノが落ちてきて…、
だけど、俺は動けなかった。
あの日、あの時…、動けなかったんだ。
空を見上げて、ヒラヒラと降る雪を見ながら…、
久保ちゃんの体温と重さを肩に感じながら、おかえりって言った。
外で待ってたからってんじゃなくて、そうじゃなくて、ずっと寒くて…。だから、久保ちゃんも同じだったってわかって…、やっと帰って来た気がした。
二人で帰れるって思った。
でも、俺は雪の降る空を見上げてただけだった。
俺の手も腕もカラダも、もう寒くないのにあったかいのに動かなかった。
久保ちゃんの額が俺の肩に触れて…、俺は久保ちゃんに触れなかった。
なんで動かなかったんだろうって、今になって思う。
だけど、俺はやっぱり空を見上げるだけだった。
「・・・せっかく買ったのに、冷めちまったじゃねぇかよ」
せっかく銀たこ買ったのに、ぼんやり歩いて公園に戻って…、
ホント、なにやってんだかって、ため息ついてブランコに座る。
あの時と同じ公園…、ブランコ…。
だけど、今の俺は帰るトコだってあるし、一人だけど一人じゃない。
一人じゃ…、ないんだ。
そう思うと肩に感じた体温と一緒に重さがよみがえってきて、久保ちゃんが触れてた場所を見ると、そこに自分の吐いた白い息がかかった。
「あれ、やっぱトッキー…?」
長い長い白い息…、大きなため息のような息…。
それを吐き終わる頃、そのタイミングを待ってたように知ってる声が近くでした。
見るまでもなく、俺をトッキーなんて呼ぶヤツは一人しかいない。なんで、こんなトコにいるのかわからなくて視線を上げると、横でキィッとブランコの揺れる音がした。
「こんなトコで、何やってんの? もしかして、夫婦ゲンカでプチ家出?」
「誰が家出で、誰が誰と夫婦ゲンカだっっていうか、なんで滝さんが、んなトコにいんだよ!」
「それは、こっちのセリフなんだけどねェ。ちなみに俺は取材から帰る途中…で、ブランコ乗って黄昏ちゃってるオタクを発見〜てなワケなんだけどさ」
「・・・・・」
「とりあえず、お茶でも飲む?」
そう言って横から差し出されたお茶缶を受け取ると、それはすごく温かい。滝さんも持ってっから、たぶん俺が居るの見つけて自販機で買ってきてくれたんだ。
「ホント、見かけによらずイイ人だよな」
「どーゆー意味よ、ソレ…って前にも同じこと言ったような?」
プシッとお茶缶のプルトップを開けながら、滝さんは軽く肩をすくめる。
それをチラリと見た後で、俺は膝の上に置いてた銀たこを見た。
滝さんに渡すために買ったんだけど…、すっかり冷えちまってる。でも、どうしようかって思ってたら、タイミング良く滝さんの腹がぐ〜って鳴った。
だから、ちょっち迷った後で、お茶をもらった時みたいに横に差し出す。
冷えちまってるけどって言いながら…。
すると、滝さんの手が伸びてきて、冷えた銀たこを受け取ってくれた。
「朝、寝坊して、それからずっと食いっぱぐれちゃっててさ。助かるよ、ありがとな」
・・・ありがとう。
ホントは滝さんじゃなくて、俺がそう言うはずだった。
こんな冷めたのじゃなく、あったかいのを持ってさ。
ありがとうって言いたかったのに…、タイミング悪すぎ。
お茶缶もらった時も、なんか、ちょっち意識しすぎっつーか、そんなカンジで言いそびれちまった。言うつもりが言われて、なんとなく居心地悪くて、お茶缶握りしめたまま、軽く地を蹴り少しブランコを揺らす。
そしたら、地面も空も何もかもが同じように揺れた。
「・・・・実はソレ持って、滝さんちに行く途中だったんだ」
「俺んちに? もしかして、また、くぼっちが帰って来るなって?」
「今度、んなコト言いやがったらブッ飛ばす」
「こりゃ、うっかり浮気もできないねぇ、ご愁傷サマ」
「…って、そのセリフ、だーれに向かって言ってんだよ!」
「おっ、冷めてても銀たこはやっぱウマいね」
「銀たこで誤魔化してんなっていうか、俺にも一個」
揺れたブランコを止めて銀たこを一個だけ、もーらいって口に入れる。
そしたら、あったかいのと比べるとやっぱ落ちるけど、ウマかった。
滝さんほどじゃないけど、俺もちょっち腹減ってきてたし…。
けど、あったかいお茶飲んで銀たこ食っても、滝さんと話してても、あの日のことばかりが頭についた。
「なんか更に冷えてきたし、コレ食ったら、俺、ウチに帰るわ。だから、トッキーも風邪引かない内に、真っ直ぐウチに帰んな。くぼっちも心配するしさ」
滝さんがそう言うのに、そうだなって返事する。
なのに、俺はブランコから立ち上がろうとはしなかった。
帰りたいけど、帰りたいのに、どこか重い…。
どこが? 足が? 胸が?
・・・それとも肩が?
違う、重くなんかない、どこも重くなんかない。
ワケの分からない自問自答をココロの中で繰り返してると、右手に鈍い痛みが走って、反射的に眉間に皺を寄せる。右手をぎゅっと…、強く強く握りしめる…。
そしたら…、ホントは何がどこが重いのかわかったような気がしたけど…、
俺はソレを振り払うように軽く首を振って、ブランコから降りて立ち上がった。
「・・・・・ありがとな。色々と手伝ってくれたり、泊めてもらったりさ…、あん時、ホント助かった。滝さんがいてくんなかったら、俺、今もウチに帰れなかったかもだし…」
お茶もサンキューって…、タイミング悪すぎで言えなくて…、
でも、右手を握りしめたら言いたかった言葉が、自然に口から出た。
自然に眉間の皺もなくなって、口元に笑みが浮かんでるのが自分でもわかる。
すると、滝さんの口元にも笑みが浮かんで、律儀だねェと笑った。
「犯人捕まえたの、トッキーだし。俺はほんの少し手ぇ貸しただけ、泊めたのだって礼を言わるほど、世話なんか焼いてないしさ。銀たこで釣りがくるよ」
「冷めてんのに?」
「冷めてても銀たこは銀たこ。そこにこもってるモンがあるなら、冷めてても温かい…、なーんてネ。ちょっち臭すぎ?」
「・・・・ホント、見かけによらずイイ人だよな」
「どーゆー意味…って、また同じコト言ってるし」
「そのアゴヒゲどうにかしたら、ちょっとはイイ人に見えるかも?」
「とかって、どんだけ悪人面よ、俺」
「んー、悪人ってんじゃなくて、胡散臭い?」
「・・・・ソレって、喜んでいいの?」
滝さんがそう言った次の瞬間、二人してさむっ!と呟いてブルっと震える。
コートは着てても、やっぱ冬の公園は当たり前に寒いっ。
そろそろ帰らねぇと、マジ風邪引いちまう。
だけど、たぶん…、まだ久保ちゃんはウチに帰ってない。
・・・・・・・今日のバイト、モグリんトコだったよな。
そう思いながら手の中の空き缶を握りしめてると、滝さんの手が伸びてきて缶を取り自分のと一緒にゴミ箱に投げて見事なストライクを決める。そして、その手で俺の肩を元気づけるように軽くポンっと叩いた。
「なんだったら、ウチ来る? ま、相変わらず散らかっちゃいるけど、ココに居るよかマシだしさ」
俺とトッキーの仲で遠慮は無用って言われて、どういう仲だよ…なんて笑いながら、自分の中で気持ちが揺れてるのに気づく。帰るためにブランコから立ち上がったのに、脳裏でちらつく久保ちゃんの背中に胸の奥が冷たい風が吹き込んだように小さく震えた。
何もかも終わった今になって、なんでって思うソレは、まるで後遺症のようだった。
トンッと押された胸が、後になって痛み出す…、そんなカンカク。
だけど、寒い場所で肩にカンジた重さとぬくもりを想い続けてるうちに、それが帰って来るなって関係ないって、そのコトバを何度も何度も耳鳴りのように繰り返し聞きながら、必死で久保ちゃんが巻き込まれたっていう事件の証拠探して犯人捜した…、その時の痛みじゃないって気づいた。
突然、糸を切られたみたいに、プツリと置き去りにされてワケわかんなくて…、
久保ちゃんのコトがわかんなくなって…、
それはどんなコトバを並べても、合わないピースを無理やり合わせてるみたいに、俺の胸ん中にササクレを作ってぐちゃぐちゃにしたけど、そうじゃない。無意識に震えた胸の上に右手を置くと、そこは肩に感じた重さとぬくもりで埋まってた。
ただいま・・・、おかえり・・・。
帰るトコロも、帰って来るヒトもいる。
俺は一人じゃない…。
でも、だから背中を見つめちまう、胸が痛むコトもあるんだって知った瞬間、俺は右手を抱えてなんでだろう、どうしてだろうって悩むコトさえできなかった。
「俺…、ずっと思ってたんだ。とんでもなく、重いモンを背負わせしまってるって…、背負わせちまったって、そればっか思ってたんだ」
「・・・・・・・」
「だけど、違った、そうじゃなかった…。背負わせた時に背負ってたんだ…、俺も…。だから、俺はあの時・・・・」
「トッキー?」
・・・・・右手が鉛みたいに重い。
まるで自分の手じゃないみたいに重くて…、痛くて…。
でも、力を入れれば動く指先が、コレが俺の手なんだって現実を目の前に突き付ける。現実を今を…、やがて来る逃れられない明日や未来までも一緒に…。
だけど、それでも俺は帰りたかった。
逃げ場所でも逃げ道でもなく…、そこだけしか無いからでもなく…、
ただ帰りたい、今もあの時も変わらない。
ウチに帰りたい…、久保ちゃんの居る、あの部屋に帰りたい。
だから、俺は首を横に振りながら、まるでココには居ない誰かに向かって言うように、帰るよ…と言った。そして、あの日みたいに降り出した雪を、差し出した両手で包み込んで肩に押し当てられた、久保ちゃんの重さとぬくもりを想った。
・・・関係なんざ、最初っから大アリなんだよ、バカ野郎。
こんなとんでもなく重いモン背負わせといて、関係無いなんてあるはずねぇし。
こんなあったかくて重いモン背負ってて、関係無いなんて言わせない。
たとえ、両手で触れられなくても、うれしいだけじゃなくても…、
背負ったモンを降ろしたりしないって、そう決めた足はもう迷わない。はーっと白い息をたくさん吐き出した俺は、左手でビシリと気合いを入れるように自分の頬を打った。
「・・・・帰る。実は今日の晩メシ当番、俺だしさ」
「そっか」
「うん…、色々サンキューな、マジで」
「そう思うなら、今度、なんか情報くれるとうれしいんだけどネ」
「前言撤回、イイ人度も半減っ」
「せ、せめて半減じゃなくて、30%ダウンくらいにしてくんない?」
そう言いながらも公園に居た理由とか、何も聞かないでいてくれる滝さんは、やっぱ見かけによらずイイ人なのかもしれない。ブン屋のクセにそれ以上は何も言わずに、気を付けて帰れよって軽く手を振って歩き出して…。ソレを見た俺は、おうっと軽く返事をして手を振り返した。
「さてと、俺もスーパーにでも寄って帰っかな」
晩メシのオカズ考えながら、手を振り前に歩き出しても…、
右手は重いままで、雪みたいに溶けて消えてはくれない。
同じように忘れちまってる過去も…、たとえ思い出せなくても消えちゃくれない。
だけど、そんな俺の肩に久保ちゃんは額を…、重さとぬくもりを乗せた。
乗せてくれた…。
痛いのは嫌いだって、いつも言ってんのに…。
だから、俺は帰る。
久保ちゃんが帰るなって言っても、他に帰る場所も帰りたい場所も無い。
それだけわかってたら、それだけ知ってたら十分だ。
だってさ・・・、何があっても、どんなコトが起こっても俺が帰る場所に久保ちゃんが居るみたいに、久保ちゃんが帰る場所には俺が居るんだから…。
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