殻。
時任は右手が獣化してて、俺が拾う前の記憶が無い。
右手は明らかにWAに関係していると思われるが、未だに記憶は何一つ戻らない。
ソレが俺だけじゃなく、時任を知る人間の基本的な情報。
その情報は拾った時も、今も何も変わっていない。
そう、葛西さんにも鵠さんにも言い続けてる。
俺も・・・、時任も・・・・。
だけど、時々、眠るとうなされる時任を見る限り、何も変わっていないとは言えない。眠る時任を眺めながらセッタをふかし、うなされながら口にする言葉を拾い集めては、薄暗い寝室でそれを握りつぶすように目を細め…、閉じた。
テレビを騒がせている例の事件で、注射器見てパニくった時任が叫んだ名…。時任があの名を叫ぶのを聞いたのは、実はアレが初めてじゃない。
起きてる時は初めてだったけど、俺は知っていた。
・・・・・・・アキラさん。
注射器を見て、その名が出たってコトは…、ソイツが時任にWAを射ったか、その時に近くに居た可能性が高いってコト。だから、その名を時任に言えば、うなされながら口にする言葉を拾い集め、掻き集めて目の前に出してやれば…、少しは何か思い出すかもしれない。
実際にベランダで花火して、コンクリ焦がした時も、おぼろげながらでも過去のコトを思い出してたみたいだから、その可能性は十分にあった。
だけど、俺は未だに何一つ…、時任には言ってない。
事件が終わった後も、その名を時任に言わなかった。
それどころか、その名を叫んだコトを時任が覚えていない事実に、無意識にほっと胸を撫でおろしてさえいた。
「知らないヒトを簡単に信じちゃダメだよ、時任…。たとえ、死ぬトコロを助けた恩人…とかでもね」
ギシリと音を立て狭いパイプベッドの端に座り、ゆっくりと右手を伸ばす。
そして、うなされて眉間に皺がよってる時任の髪を撫でた。
ゆるゆると見た目よりも柔らかな髪を撫でると、時任の眉と肩がピクリと動いて…、軽くうーんと唸る。それでも、ゆるゆると撫で続けてると、よっていた眉間の皺が消えた。
触られて撫でられても起きない時任を眺めつつ、俺は左手でくわえていたセッタを取り、指で軽く叩いて、いつも置いてるベッドの下の灰皿に灰を落とす。それから、撫でてた手を伸ばした時と同じようにゆっくりと引きかけ…、やめた…。
やめて…、引きかけた瞬間に伸びてきた手に自ら捕まった。
「・・・・・・くぼ、ちゃん」
まるで、赤ん坊のように俺の人差し指を握りしめて…、むにゃむにゃと寝言。
呼ばれた名前が自分の名だったコトに、パチパチと瞬きした俺は、たぶん次の瞬間に…、らしくない顔をしてしまったかもしれない。鏡を見てないからわからないけど、自分の指を握りしめる時任の手を見ながら、そんな妙な自覚があった。
胸の奥がむずかゆくて仕方なかったから…、そんな気分になった。
もしも、呼んだのが別の名だったら、こんな気分にならなかったのにって、まるで恨み言のようなコトを胸の中で呟くと、短くなってきたセッタが苦くなる。けど、それでも指を握りしめる手を振り払わずに、髪を撫でた時のように親指で…、
俺を呼ぶ時任の手の甲をゆるゆると撫でた。
すると、時任がくすぐったそうに笑って、それを見てるとなぜか…、
夢の中に居るのは時任の方なのに、まるで俺の方が夢の中に居るような気がした。
「お前はいつ…、俺のウソに気づくんだろうね…」
まるで、寝言のように呟いたソレに返事は無い。
だけど、きっと…、いつか遠くない未来に気づくだろう。
俺がお前の過去なんてどうでも良くて…、探そうなんて気を起こしたコトなんて、ただの一度も無いコトに…。そして、乗りかかった船なんて言いながら、もしかしたら、自分の過去を知りたがっている時任の一番の障害になっているのは…、
一番近くに居る…、俺かもしれないってコトに…。
短くなりすぎたセッタを左手で灰皿に押し付け、揉み消し…、
わずかに立ち昇る煙を見つめながら、俺は苦笑も自嘲もしないで微笑む。俺のしている事が誰の目から見ても愚かで非道な所業でも、それが原因でドブ泥や血溜まりの中に落ちようとも…、たぶんソレは変わらない。
ただ・・・、微笑む…。
無邪気に笑う瞳が俺を見るなら、唇が俺を呼ぶなら微笑むだけだ。
微笑むコトしかできない。
時任が・・・、お前が傍に居るなら…。
そう思った瞬間、例の事件の時に滝サンが言った言葉が聞こえた気がしたけど…、きっと空耳。カミサマなんて呼んだら、きっと罰が当たる。
なんてったって、俺サマ、時任サマだし…ね。
それに祈るよりも願うよりも、抱きしめたくなるから…、
きっと、ウソまでつきたくなるんだろう…。
だけど、俺は怖がりで痛がりだから、この感情に名前は無いし、これからも付ける気はない。なのに、罪悪感さえ抱かず微笑みながら、これからもウソを付き続けていく…。
だから、許さないでと持ち上げた時任の手の甲に、俺は唇を押し付けた。
「どこに行こうと何をしようと、お前の自由だから…、行きたい場所があるなら行けばいい…」
ウソツキな唇は、どこまでもウソをつく。
罪悪感さえ抱かずに微笑みながら、ウソをついて…、
自分のココロの奥に近づくモノになればなるほど…、ウソに染まって…、
自分にすら気づかせないくらいに、すべてを裏返す。
壊せない偽りの殻…。
握りしめられた指先から伝わったぬくもりが、その殻にまで伝わってくるような…、
そんな気がしたけど、俺はまた目を閉じることでやり過ごした。
「今なら…、まだ間に合うよ…」
むにゃむにゃと無邪気な顔をして眠る時任の髪を、今度は左手で撫でながら…、俺はそう呟く。だけど、次の瞬間には、まるで縋り付くように指を握りしめたままの時任の手を、自分の額に押し付けていた。
その仕草はどこか…、獣に似ていて…、
でも、俺はまったく逆のコトを思い…、小さく息を吐いた。
「ホント、困ったな…、まるで人間みたいだ」
もしも、獣が人間になったとしたら…、
後悔して獣に…、元に戻りたいと望むのだろうか…。
それとも、良かったと喜ぶだけだろうか…。
その答えはまだ…、今の俺にはわからなかった。
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