「……本当にくぼちゃんには一切手は出してないんだろうな?」
「ふふふ、坊やさえ手に入れば外野はどうだっていいのよ」
「……大人しくついていく。だから手は出すな、絶対だ」
「わかったわ。じゃ、ついてきてもらいましょうか」




a spring breeze




「葛西サン」
「おう、誠人か」
「時任は?」
「……それが…」

バツの悪そうな顔をした葛西の胸元から煙草を1本拝借すると
慣れた手つきで火をつける。

「1本頂きマシタ」
「誠人?」
「牙龍会」
「なに?」
「牙龍会についてちょっと調べてもらえます?
 俺もちょっと知り合いに今から当たってもらいますケド」

そういって俺は胸元から携帯を取り出して、財布から取り出した名刺の
ナンバーを素早く押した。
2コールで繋がるライン。

「あ、滝さん?」
『おう、くぼっち』
「ん〜、その呼び名は微妙…そんなことより頼みがあるんだケド」
『なに?珍しいね』
「牙龍会が今どこにいるか知らない?」
『牙龍会か…わかった、調べてみる。連絡、携帯でいいか?』
「うん、よろしくネ」

電話が終わると同時に葛西が顔を覗き込んできてて、
俺は思わず苦笑いを浮かべた。

「ご迷惑、おかけしまして…」
「おまえ…記憶が…」
「ええ。バッチリ」

葛西は泣き笑いのような顔をして俺の背を一度大きくはたいた。

「遅ぇんだよっ」
「スミマセンネ」
「で?!時坊の居場所わかるのか?」
「多分…。4日前のアイツらかなって」
「アイツら?」
「ちょっとまた絡まれちゃって…」
「…………」
「ドジっちゃって…時任を逃がすので精一杯。
 ま、殺されなかっただけマシ?」
「誠人・・・」
「でも、やられっぱなしは性に合わないんだよねぇ」

そう言って遠くの空を見やった俺に、葛西さんは特大のため息をついて
胸元から出した煙草に火をつけると同じように空を見上げた。


「……殺すなよ」
「善処シマス」


ぎゅっと手で潰した煙草を空に投げて、俺は踵を返した。








窓もない。
明かりもない。
ただの部屋。

だけど、暗くて、寒くて、床に落ちた毛布だけが唯一のぬくもりだった。
あれから一体何日が過ぎて、今が何時で、自分がこれからどうなるのか
何もかも全くわからなかった…

腕には無数の注射針の痕と、採血された痕が混在してて…
紫に変色した腕は見るのも気持ち悪いな…とどこか他人事のように呟いた。

いっそのこと麻薬漬けにされたら考えるなんてことしないのになとか
気が触れてしまえばもっと楽になれるのかなとか
考えなかったわけじゃない…
こうなることを覚悟してあいつらについてきた。
だから、後悔していることがあるとしたらそれは……
それはたった一つだけ。
これはその償い。その代償なんだと思う。



俺なんか拾わなきゃよかったな…くぼちゃん。
迷惑ばっかかけて、ケガばっかさせて、ごめん。



何度も何度も謝って、
謝る言葉さえもう見つからなくて、
それでも胸に残るのはいつも「仕方ないな」って俺を甘やかしてくれる
くぼちゃんの顔で…
目を瞑っても、開いてもどこにいても、何をされていても、
俺の目の前にはちゃんと笑って「時任」って呼んでくれるくぼちゃんがいる。


俺のせいで…
俺と出会ったせいで、しなくていい苦労もケガもいっぱいあって
だから、何度も何度も離れようとした。
けど…あの腕とあの声と…久保田誠人という人間が恋しくて
狂ってしまうほど欲しくて、どうしようもなく愛しくて…離れられなかった。


それが俺の『罪』。
巻き込んでしまった俺の『罪』なんだと思う。
だから、くぼちゃんの記憶がないとわかった時…心が引き裂かれる程怖くて
胸がつぶれるかと思うほど、悲しかった。
でも、それでやっと踏ん切りがついた……離れる覚悟ができた。


いつか、俺を思い出すかもしれない…
いつか、約束を守れなかった俺を恨む時がくるのかもしれない…
だけど…
だけど、俺はおまえが生きていてくれれば…それでいいんだ。


気が付けばはらはらと流れる涙を止める術もなくて…
もう涙腺も壊れてきてるんだろうなとぼんやりと思っていると
扉の開く音が聞こえた。


「……まだ、やるのかよ……こりねぇな、おまえらも」


体はカタカタ小刻みに震えても、怖がってなんてやるものか。
最後の最後まで、自分の意思が保つところまでは屈することなんて
絶対にしてやらない。
それだけが唯一自分に残されたプライドだったから。


「……時任?」
「え?」


薄暗い部屋の中にコツコツと小さな足音をさせながら近づいてくる人影。
手を伸ばせば触れられる距離まで近くに寄った人影が方膝をついて
俺をゆっくりと抱きしめた。


「迎えにきたよ…帰ろう」


温かな胸に抱きしめられて、俺は思わず笑った。


「やっぱりもう頭にもきてるみて〜」
「何が?」
「くぼちゃんの幻影が見える」
「幻影?」
「ラリってるのかな、俺。いっぱい薬打たれたし。ま、どうでもいいや。
 くぼちゃんがいるなら…怖くないよ…」

俺はそう言ってぎゅっとくぼちゃんに抱きついた。

「温かいな…」
「時任は冷たい…いつから…」
「ん〜、もうわかんね。でも、もういいよ」
「何がいいの?」

ちょっと温度の下がったくぼちゃんの口調に俺は首を竦めた。

「怒るなよ。今すっごく気分いいんだから」
「時任」
「このまま夢なら覚めなきゃいい…」
「夢じゃないって、迎えに着たんだ」
「え?」

ゆっくりと近づくくぼちゃんの顔。
触れる唇。
戸惑いながらもゆっくりと上唇と下唇とくぼちゃんの舌が辿る。
何度も何度も角度をかえて繰り返されるキス。
息も奪われるような深いキスじゃなくて…
確かめるような、思い出させるような優しいキス。
お互いの存在をゆっくりと…でも確実に思い出させるようなキスだった。
ゆっくり離される感覚が寂しくて、
思わず追いかけて自分からキスを仕掛ける。

「……んっ」

ちゅくちゅくと濡れた音が聴こえて、
なんだか泣きたくなるような気持ちになった。

「時任…」

耳元で甘く名を呼ばれて、ゆっくり顔を上げれば
俺の好きな優しい微笑みを浮かべたくぼちゃんがいて…

「くぼちゃん…ホンモノ?」
「うん。家、帰ろう?」
「おまえ、記憶は?」
「うん」
「戻ったの?」
「みたい」
「……みたいって…でも、そっか……」

目の前のくぼちゃんがゆらゆらと揺れて、俺は胸の奥から溢れる思いに
どう応えていいのかわからなくて…
くぼちゃんの首に回した腕をぎゅっともう一度抱きしめた。
そんな俺の背に回したくぼちゃんの腕もどんどん強くなって、
お互いの胸から感じる鼓動がどくん、どくんと相手に伝わって、
本当に、本物で、本当に目の前にくぼちゃんがいて…
俺のことを抱きしめてくれているんだって…泣きたくなった。

「…嘘みて……」
「何が?」
「……もう、会えない…って思ってたから」
「許さないよ?」
「え?」

くぼちゃんの台詞に思わず顔をあげると、
そこには見たこともないくらい怖い顔をしたくぼちゃんがいて、
俺は思わず息を呑んだ。

「俺を置いてどこかへ逝くなんてことできると思ってるの?」
「く…くぼちゃん?」
「ごめんね、もう何があっても二度と離してあげれないから」

そう言って、自嘲気味に笑って額に小さなキスをくれる。

「…バカな奴…」
「ウチの子ほどじゃないと思うケド?」
「ウチの子?」
「俺が拾ったかわいい元気な猫がさ、何度も何度も言ってるのに
 わからない子みたいなんで、ちゃんとしたシツケが必要だな〜って」
「……え?」
「と、いうわけで帰るよ、時任」
「え?!お、おいちょっと」

ひょいっと俺の体を横抱きにするとそのまま俺の耳元で

「覚悟してネ?俺を侮った罪は重いから。それと……」
「………な、なんだよ」






「………」





「………うん」
「まだ何も言ってないケド?」
「でも、わかった…」
「そ?」
「うん……わかったから…」
「そっか」

嬉しそうに笑ったくぼちゃんの顔を正視できなくて、
俺はその首に自分の腕をまきつけた。

「俺も……」
「ん?」
「俺もだから……」
「うん。無事でよかった……」

俺を抱きしめる腕が強くなる。
俺もその腕に応えるように強く強く抱きついた。




くぼちゃんに抱きかかえられて外に出るとひらりひらりと
小さな白い花が舞っていた。

「あ、雪だ」
「時任、寒くない?」
「くぼちゃんが温かいから、ヘイキ」
「そっか」
「なぁ、くぼちゃん」
「ん?」
「約束…もう1回ちゃんとしようぜ」
「約束?」

小さな白い花びらが時任の手のひらで小さく消えてゆく。


「覚えてねぇ?」


空を見上げながら俺がそう言うと、小さなため息の後、





「死が二人を別ったとしても…」



「……一緒にいたいな……永遠に……」





重なる唇はどちらからかのものなのか…
頬を伝わる熱は白い花のぬくもりか、そうでないのか…


もう…わからなくていい…
お互いの思いがもう伝わったから…


ひらり・・・


ひらり・・・



頬に落ちる小さな花



空からこぼれ落ちる小さな白い花


空は灰色で


どこまでも…どこまでも灰色で


なのにこぼれ落ちる白い小さな花は


どこまでも…どこまで白くて…


小さくて…キレイだった。





END



2005.5.27. 水生様

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