聖夜。




 夜の闇の中でも吐く息は白く、空気は指先の感覚が鈍くなるほど、冷たい。
 だけど、空を覆い尽くした雲からは、まだ雪は落ちては来なくて…、
 俺と時任の見上げた先には、なぜか十字架があった。
 高い建物の上、空を突くように掲げられた十字架を見て、一瞬だけ顔を見合わせたけど、今の俺らに迷ってる余裕はない。それに追われて飛び込む先としては、これ以上、似合いの場所は無いだろうと…、
 そう思うと同時に、これ以上、俺らに不似合いな場所は無いかもと心の中で呟きながら、重い鉄の塊を懐に入れたまま、重い扉を開き中に足を踏み入れた。
 すると、中に入る前から聞こえていた賛美歌とパイプオルガンの音が大きくなり、それを歌う人々の後ろ姿が目に入る。俺と時任は特に何も話すコトも合図するコトもなく、一番後ろの目立たない席に座り、ロウソクの柔らかな明かりに照らし出されたステンドグラスと中央のにある像を見つめた…。
 そうして始めて、あぁ、そういえばクリスマスだったと…、
 今日は24日だから、イブだったんだと思い出す。
 だけど、そんなコトを思い出してみたトコロで何も変わりはしない。
 時任の右手には黒い皮手袋がはめられていて、俺の右手には拳銃がある。
 弾切れ息切れで、たどり着いた先が教会なのは偶然なのか、カミサマのお導きってヤツなのか…、どちらにしても冷えたカラダを少しでも温められる場所で休憩できるのは有り難かった。
 
 「ココは禁煙…つか、久保ちゃんの場合、弾切れよりソレ切れた方が一大事ってカンジだもんな。ほんっと、しょーがねぇヤツ」
 
 教会が禁煙ってのは、貼られた注意書きを読まなくてもわかってる。
 だけど、無意識に手がポケットへと伸びて、それに気づいてチラリと横目で俺を見た時任に、そんなコトを小声で言われた俺は軽く肩をすくめた。

 「コレって、俺の食糧みたいなモンだし?」
 「煙で腹がふくれるかよ」
 「まぁ、確かにね。カスミ食って生きてる仙人じゃないし、今だって腹鳴りそうだし?」
 「う〜…、腹減った」
 「ソレ、教会のミサで言うセリフ?」
 「セリフじゃなくて、いつでもどこでも生きてりゃ腹は減るってハナシ」
 
 机に置かれた聖書をカタチだけ開き、それに周囲に習って目を落としながらも…、
 そんなオハナシをしてた時任と俺は溶け込まずに浮いている。
 始まった朗読も口ずさまれる言葉も、ちゃんと耳に入ってはいても…、ただ胸をココロをすり抜けていくだけ。懐に冷たい鉄のカタマリを忍ばせながらも、懺悔しない俺に許しは必要ないから、今日も明日も罰がくだる日だけを待てばいい。
 だけど、その日ができるだけ遠ければいいと願うコトは、それ自体が罪なのか…。
 どんなに聖なる夜のロウソクの炎が、世界を柔らかく優しく照らし出しても、時任の右手から黒い皮手袋がなくなる日は来ない。それを時任も知っているのか、自分の失われた過去を探してはいても、右手を治す方法を探したりはしていなかった。
 最初から・・・、一度も右手を治せないのかと俺にも鵠さんにも聞かなかった。あきらめというのではなく、ただ…、その事実を受け入れていた…。
 痛みに背中を肩を震わせながらも、視線を上げて今日を明日を見て…、
 それが哀しいコトなのか、苦しいコトなのか…、
 時任じゃないから、俺にはわからないけど…、
 聖書を読み終え、祈る人々の中に居る時任の横顔を見た瞬間、右手だけ連れていけたらいいのにと思わず願い…、懐の冷たいカタマリを右手の指先で撫でた。

 罪人の願いなんて…、叶うはずもないのに…。

 始まった神父の説法の響く中、引寄せ握りしめた右手は時任の右手。
 でも、俺はこの右手が欲しいのかもしれない。
 時任の右手だから欲しくて…、連れ去りたくなる。
 教会のステンドグラスをじっと見つめる時任の瞳は、ロウソクの柔らかな光だけを映して綺麗で…、綺麗すぎて…。俺が手を伸ばして触れられるのは、今、握りしめてる右手だけだった。
 
 「いつか・・・・、右手だけ連れていくから…」

 そんな言葉が胸の奥からゆっくりと、何かを犯すように漏れ出て…、
 ステンドグラスに向けられていた澄んだ綺麗な瞳が、俺を捕らえる。
 だけど、俺は握りしめた右手に視線を落とし、次に目を閉じた。
 何も祈らず…、目を閉じて再び始まった賛美歌に耳を傾ける。
 すると、握りしめた右手を軽く引かれ、時任の声が聞こえる賛美歌を打ち消すようにではなく、混じり響き、まるで歌のように俺の耳に届いた。

 「右手だけなら、どこへもいかせない。右手だけじゃなくても、どこへもいかせない。どこへもいくなよ、久保ちゃん…。だって、ココは俺らの街だろ?」

 俺は街から出て行くなんて言ってない。
 だけど、逝くと言うなら、それは出て行くのと同じコトになるのかもしれない。
 時任が言ったみたいに、俺らが住んでるマンションからも街からも離れて…、
 すべてが遠く遠く…、思い出に成り果てて…、
 右手だけを連れてたどり着き、膝を付くのは血溜まりか地獄の門か…。
 再び暗闇と冬の冷気が侵食し始めた指先に、からめられた時任の指先が、歌うような声と一緒にぬくもりを伝えてくるのを感じて…、俺は閉じていた目を開き正面にある祈りの場所を…、祈る人々の姿を見つめた。

 「・・・・・・お前は祈らないの?」

 どこへもいかないと首を縦に振るコトはしないで…、俺がそう尋ねると時任も視線を祈る人々に向ける。だけど、俺の手に指をからめたまま、祈るために両手を組もうとはしなかった…。
 祈らずに俺の手に指をからめ、握りしめ握り返し…、
 辺りを優しく柔らかく照らすロウソクの炎のように…、ふわりと…、
 そんなコトはありえないのに…、そんなはずないのに…、
 まるで幸せ…みたいなカオして微笑んだ。

 「雨風しのげるトコがあって食うモノがあって、そんでもって久保ちゃんが居たら…、後はそういう日がずっと続いたらって…さ。でも、そういうのはカミサマに祈るんじゃなくて、こうしてた方が・・・、いいだろ?」

 祈るなら、もっと別のコトを…、
 願うなら…、もっともっと違うコトを祈り願って欲しかった。
 幸せそうに微笑む時任の穏やかな声を聞きながら、とっさに言葉が浮かばなくて、声が出なくて何も言えなくて…、なぜか胸に走る痛みが目の奥を熱くさせる。
 何もかも知ってるクセに…、
 右手から皮手袋を外せる日なんて来ないコトも、懐に入れてるモノで俺が何をしてきたかも…、そして今の状況もわかってるクセに…、
 なぜ、こんな風に微笑んだりできるのか、少しもわからなかった。
 わからないし、理解もできなかった…。
 なのに、胸の痛みだけは治まらず強くなるばかりで…、
 クリスマスのミサが終り、出口へと向かう人々の群れに混じり損ねた。

 「・・・・・俺と居たら、天国へは逝けないよ」
 
 やがて、信者の居なくなった教会で俺がそう呟く。
 すると、時任が笑って「そんなトコにいけなくても、コンビニに行けりゃ十分」…て言う。それから、握りしめたままの俺の手を引き、また走り出すために重いドアの前へと立った。
 けど、ドアを開けた次の瞬間、何が起こるかはわからない。たぶん、追っ手は巻けてると思うけど、外で待ち構えてる可能性も捨て切れなかった。
 なのに、微笑む時任を見てたら、どうしても帰りたくなって…、
 だから、「帰ろう」…と、思うままにそう言ってみたら、時任は楽しそうにうれしそうに勢い良く、外へと続くドアを開いた。

 「帰ろう、久保ちゃん…。俺らのウチに…」

 たとえ、ソコがどんなに地獄に近くても…、
 時任の足も、俺の足も迷わず止まらず歩き出し…、
 何日だったか、もう忘れたくらい帰っていないマンションに向かう。
 そうしながら、店のウィンドウに映る時任と自分の姿を見た俺は、未だ胸に痛みを覚えながらも…、時任に負けず劣らず幸せそうに微笑んだ。

 「まるで、クリスマスで浮かれてるバカップルみたいだぁねぇ」
 「…って、誰と誰のコトだよっ」
 「ん〜? もちろん、お前と俺だけど?」
 「ばっ、バカっ! そーいうのは、あーいうのを言うんだっ!」
 「あ、もしかして、腕組みたかったとか?」
 「んなワケねぇだろっ! バカップルじゃあるまいしっ!」
 「じゃ、フツーのカップルで」

 「なら、いっか…って、そんなワケあるかーっ!」

 マンションに向かって近づくたびに、ゆっくりとゆっくりと戻って来る日常。
 今はもう…、遠くなってしまったのかもしれない日々の思い出と記憶…。
 それをたどり歩き、脳裏に蘇らせ、懐に収めた鉄のカタマリの重さを感じながら…、
 俺はたった一つだけ願いを込めて、右手で作った拳銃を時任の胸に押し当てた。

 「どこへもいかせない。どこへもいかないで、時任…。もしも、どこかへ逝ったら、この手がお前を殺すから…」

 胸に押し当てた指の拳銃の引き金を引くタイミングで、どこからか鐘の音が聞こえてくる。それはまるで鎮魂のようで、祝福のようで…、
 俺は撃ち終えた右手と、コートのポケットに入れていた左手で…、
 あたたかく…、そして冷たく時任の首に手を回しながら…、
 真っ直ぐに見つめてくる澄んだ瞳に、反射的に閉じられた目蓋に誓いのキスを贈った。
 


 。∠(*゜∇゜*)☆メリークリスマス☆└*・ェ・*┘

 うう、明るいお話にするつもりが…(涙)
 リベンジできないかもしれませんのですが、
 で、できたらしたいです…っっ。



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