七月七日の空に…。




 長く続いた雨が止んだ午後…。
 雲の間から照りつける日差しがアスファルトを焼くと、鳴き始めた蝉の声と一緒に七月らしい暑さが戻ってくる。すると、その暑さで降り注いだ雨が水蒸気となり、わずかに吹いてくる風も湿気を含んでいて気持ち悪かった。
 せっかく雨が止んだのに暑くて蒸し蒸ししていて、マンションから外に出てしまった時任は眉間に皺を寄せる。けれど、その横にいる久保田はいつもと変わらない様子で目を軽く右手で覆いながら指の間にできている隙間から雲の間の青い空を見上げた…。
 でも、いくら空を眺めていても天気図を見なければ、梅雨の始まりがわからなかったように梅雨の終わりもわからない。でも、今が梅雨でもそうじゃなくても暑くなれば気分的にはもう夏だった…。
 「まだ梅雨だけど…、もう夏っぽいね」
 「…っていうか、こんだけ暑けりゃカンペキ夏だっつーのっ」
 「そうねぇ」
 「うわー、マジであちぃっっ」
 そう言いながら軽く手で額の汗をぬぐった時任は、何をするかもどこに行くかもハッキリとは決まっていないのに、雨があがったからという理由だけで暑さで蒸発しかかっている水溜りを踏んで歩き始める。すると、そんな時任に一緒に出かけようと誘われた久保田もゆっくりとした歩調で歩き始めた。
 自分から外に出たのに暑いって、そればかり言ってる時任の声を聞きながら…。
 湿気を含んだ暑い空気も蝉の鳴き声も夏らしいけれど、暑いという時任の声がなんとなく一番夏らしい気がして…、そんな自分のちょっと妙な感覚を久保田が声を立てずに唇だけで笑うと、それを後ろにいる久保田を横目で見た時任は少しムッとした表情になる。でも、そんな表情も暑い日差しの中でも色あせずに生き生きとして見えた。
 「ホント、お前って夏でも元気だよねぇ…」
 「…って、どこがだよっ。マンションから出た瞬間からバテバテで、思っっいっきりメチャクチャ暑いってさっきから言ってんだろっ」
 「んー、でも暑いって言ってんにエアコン効いてる部屋に戻ろうとしないし?」
 「・・・・・・そう言う久保ちゃんは部屋に戻りてぇのかよ?」
 「べつに」
 「なら、このままでいいだろっ」
 「そうねぇ…」
 「でもさ…」
 「うん?」
 「さっきから、なんで俺の横じゃなくて後ろ歩いてんだよ?」
 「それは、俺がお前を日除けにしてるからじゃない?」
 「…ってっ!! 勝手にヒトの影で涼んでんじゃねぇっっ!! ただでさえクソ暑いのにっ、でかいヤツに後ろに立たれると余計に暑苦しいじゃねぇかっっ!!!」
 「うーん…、でも後ろを歩いてても小さくてあんまり日除けにならないなぁ…」
 
 「だあぁぁっっ!! 暑苦しい上にムカツクっっ!!!!」

 そんな風に言い合いながら前になり、後ろになって雨上がりの道を歩いて夏の暑さに滲んだ汗をぬぐう。すると、二人の目の前を浴衣を着て歩いていく女の子達が通り過ぎた。
 女の子達が着ている浴衣は朝顔や金魚の可愛い柄で、思わずじっと時任が眺めてしまったようにやはり昼間の街中では人目を引く。駅方面に歩いて行った所を見ると、これからどこかのお祭りにでも行くようだった。
 浴衣と祭りと…、暑い日差し…、
 さっきから暑いとか夏だとか、そんな事を二人で話していたけれど、本当にいつの間にかもうそんな季節になってしまっていた。
 「ねぇ、どっちが好み?」
 「はぁ? 好み何がだよ?」
 「朝顔と金魚」
 「アサガオとキンギョ…?」
 「さっきの女のコ、どっちが好みかって話」
 「そ、そんなのどっちも好みじゃねぇに決まってんだろっっ」
 「ふーん、じっと見つめてたから好みの子でもいたのかと思ったけど?」
 「ぶっ、なんで見てただけでそうなんだよっ。ただ単に浴衣がめずらしかっただけだっつーのっ」
 「・・・・・・」

 「な、なんだよっ!」

 つい浴衣を着た女の子達をじっと見てしまったばっかりに、妙な方向に話が転がり初めて時任の額に別の汗が滲む。本当になんとなく今年になって初めて見たのでめずらしかったというだけなのだが、さっき自分が女の子達を見つめていた以上に久保田にじーーっと見つめられると何もしていないのに、なぜか悪い事をした気分になった。
 別にそんな気分になる必要もないのになってしまった時任は、俺は何もしてない…っていうかっ、なんでそんなコトを思わなきゃならねぇんだっとか思わず心の中で叫ぶ。だが、久保田は時任をじーーっと見つめたままだった。
 ・・・・・・・ハッキリ言って無言で、しかも真面目な顔で見つめられるとかなり怖い。
 何か企んでいそうだし、何かされそう…。
 だが、時任が他に何かあやまらなくてはならない事でもしたかと思って、ああでもないっ、こうでもないと考え始めた頃、久保田は何かを思いついたようにポンッと右手で時任の肩を叩いた。
 「うわぁっっ!!!」
 「…って、肩叩いただけでなに叫んでんの?」
 「べ、べつになんでも…っ」
 「そう?」
 「けど、そっちこそどうしたんだよ?」
 「ん?」
 「さっきから黙ったまんまだし…、さ…」
 「あぁ、それはさっき浴衣を見てから何か忘れてる気がして、ずっと考えてたからなんだけど…」
 「けど?」
 「やっと思い出した。そうそう、今日って七夕だったんだよねぇ」
 「じゃ…、さっきから俺の方をじーっと見て黙ってたのって…っ」
 「うん、今日が何の日かって考えてたってダケ」
 「・・・・・・もしかして、さっきから考えてたのってマジでそれだけ?」
 「そう…って…。あれ、こんな暑いのに震えてるけど、もしかして熱でもある?」
 「・・・・・・・・」
 「時任?」

 「関係ないモン見て、関係ねぇコト考えてんじゃねぇっっ!!!」

 久保田は別に何かを企んでいた訳でもなんでもなく、今日が何の日だったかを思い出そうとしていただけ…。それを知った時任は久保田の頭をガツッと軽く殴ったが、そうするとますます暑くなった気がして真っ直ぐだった姿勢が少し前屈みになった。
 でも、少しだけ出来ていた晴れ間が、また雲に覆われると少し涼しくなる。けれど、こんな不安定な天気だと今日は七夕なのに、星空を眺める事はできそうもなかった…。
 そう思って時任が前を見ると近くの店の軒先に置かれた笹に、七夕の飾りや短冊が揺れていて…、
 少し暑さがマシになるのはうれしいけれど、その短冊を見ていると曇っていく空が気になってきた。
 「なぁ、久保ちゃん」
 「なに?」
 「七夕って晴れてて星が見えると織姫と彦星っていうヤツが会えて、なんでかわかんねぇけど願い事が叶うとかいうヤツだよな?」
 「正確には晴れてて星が見えるんじゃなくて、雨が降ると天の川の水量が増えるから、晴れてないと二人が会えないって話なんだけどね」
 「ふーん、それで雨が降るとダメなのか…って、そもそも二人はなんで離れ離れに暮らしてんだよ?」
 「二人で遊んでばかりいて、お仕事サボったから」
 「だったら、ちゃんと仕事してれば離れなくてすんだってコトじゃんっ」

 「まぁね…。けど、それだけ二人でいるのが楽しかったってコトじゃない?」

 そう言われた時任は一緒に歩いている久保田の方を見て、すぐにそうかもな…と言ってから笑う。七夕の二人は言い伝えで物語だけれど、それくらい一緒にいたかった気持ちは隣を見ればすぐにわかるし…、
 ずっと七月七日を待ち続ける…、そんな強い気持ちが想いがあったらどんな願いも叶うかもしれない気がした。
 でも、本当に一年に一度しか会えないと言われたら、天の川の向こう側にいるとわかっているのに待ち続ける事なんて…、たぶんできない。そう思って曇り空を見上げると、久保田も同じように空を見上げた。
 「さっきまで晴れてたのに、カンペキに曇っちまったな…」
 「また、雨降りそう」
 「暑くて夏なカンジだけど、やっぱ梅雨か…」
 「そーね」
 「あのさ…、今年の七夕は曇りか雨なカンジだけど…」
 「うん?」

 「やっぱ…、なんでもない」

 本当は七夕の二人みたいにバイト休んでまで、誰かと一緒にいた事があるのかどうか聞きたかった。でも、聞きたいと思って聞けなかったのは、自分の質問にうなづく久保田を見たくなかったから…。
 なのに、そんな事を聞きたくなってしまったのは今日が七夕だからに違いなかったが、実は七夕とは関係なく久保田が前に誰かと付き合ってたとか、そんな事が一緒にいる内に気になり始めていたのは確かだった…。
 今、一緒にいるのは自分で…、だから過去なんて関係ない。
 そう言ってしまえばそれまでだけど、自分の知らない事がたくさんあるのを感じるたびに距離を感じて苦しくなる…。すぐ近くにいるはずなのに感じる距離は、雨が降ると水量が変わって渡れなくなってしまう天の川に似ていた…。

 「早く梅雨が終わって・・・、夏にならねぇかな…」

 暑いのも寒いのも人一倍嫌いなのに、雨が降り出しそうな空の下で時任がそう言う。すると、そんな時任の言葉に久保田が何かを言いかけたが、それよりも早くポケットに入っていたケイタイが鳴った。
 二人の間に鳴り響く…、着信音…。
 けれど、久保田はケイタイをポケットから出して通話ボタンを押して、すぐに短い返事をしてプチっと切る。だから、電話が相手が誰だったのかもわからなくて、時任は不審そうな顔でケイタイを握っている久保田の手を掴んだ。
 「さっきの電話って、もしかしておっさん? なんか情報があったとかじゃねぇの?」
 「いんや…」
 「なら、誰からだよ?」
 「んー、雀荘のヒト」
 「雀荘? じゃ、電話してきたのってバイト?」
 「うん、今日のバイト休んだから明日はヘーキかって話」

 「けど…、今日は特に用事なんか…」

 久保田がバイトを休んだ事を知って、時任はそう言いかける。けれど、その時に思い浮かんだのは、今日が七夕のせいなのか織姫と彦星のことだった。
 いつバイトを休みにしたのか、それは久保田に聞かなければわからない事だったが、今こうして二人でブラブラと歩いてるという事は、他にバイトを休むような用事があったとは思えない…。それはきっと時任が雨が上がったから一緒にどこかに行こうと言って…、楽しそうにうれしそうに久保田の腕を引っ張ったせいだった。
 さっきは七夕の二人みたいに誰かと一緒にいた事があるかっ、聞きたくて聞けなくて…、けれど答えは川の向こう岸じゃなくてこんなにも近くにある。時任は近くにいる久保田にもっと近づいて肩に額をコツンと軽く当てると、握りしめていた手を離してケータイのアドレスに登録されてる雀荘の番号を押した。
 「バイト…、休まずに行けよ」
 「いいの?」
 「だってさ、俺らは七夕の二人みたいじゃなくて…、ずっと一緒だからいつだって二人で出かけたりできんだろ?」
 「だぁね…」

 「だったら、別にいいじゃん…」

 そう言うと久保田がケイタイから聞こえてくる発信音に耳を傾けながら微笑んで、肩の位置にある時任の頭を撫でる。それから電話に出た相手にバイトに出る事を告げると、久保田の代わりがいなくて困っていたらしく早く来てくれと返事があった。
 久保田が電話の返事を言葉ではなく視線で伝えると、時任はうなづいて久保田から離れる。すると、久保田は持っていたケイタイを再びポケットに仕舞い込んだ。
 「じゃ、バイト行ってくるからウチで待っててくれる?」
 「そんなの言われるまでもなく、待ってるに決まってんだろっ」
 「うん…」

 「けど、七夕のヤツみたいには待ってらんねぇから、早く帰って来ねぇと泳いで渡っちまうかもしれねぇけどなっ」

 本当に会えなくなったりしたら、絶対に一年も待っていられない。
 川の向こう岸にいるってわかっていたら、一日も一秒も待てないかもしれない。
 もしも胸の中にある想いを願いを短冊に書いたとしたら、きっとそれはすごく強いから…、夜空の星に祈る必要なんてなかった…。
 時任の言った言葉を聞いてそうだね…と、目を細めて微笑んだ久保田はバイトに出かけていく。すると、時任はその背中に向かって聞こえないくらい小さな声でサンキューな…と呟いた。
 でも、聞こえないはずの声が聞こえたみたいに、久保田が前を向いたままで後ろに向かってヒラヒラと軽く手を振ってきて…、それを見た時任は少しだけ驚いた顔をした後でうれしそうに笑う…。それから、今度は時任が久保田に背を向けて二人で歩いてきた道を一人で歩いて帰り始めたが、久保田が帰ってくるのを待つために帰る道だから歩いていてもさみしくはなかった。
 戻るのではなく帰る先にあるのは、一人じゃなくて二人で暮らすマンション…。
 だから、二人で出かける予定はなくなったけれど、気分も足も重くならなかった。
 途中で少し時間をつぶすためにゲーセンに寄ってゲームして、次にコンビニでおつまみと缶ビールを二本買って、なんとなく目に入った折り紙も買って…、
 そうして、ブラブラとしながら歩いている内にあっという間に夕方になる。
 けれど、マンションに戻ってベランダの窓を開けると、曇っているせいで夕焼けも沈む夕日も見えなかった。

 「やっぱ七夕だけど、今日は星見えないかもな…」

 久保田の分の缶ビールを冷蔵庫に入れて、そう呟きながら自分の分の缶ビールを飲みながらベランダに続く窓を開けて空を眺める。すると、すでに夏らしく買ってきて吊るしていた風鈴がチリリン…と吹いてきた風に揺られて鳴った。
 その音を聞いていると風が生暖かくて気持ち良くなんてないのに、ちょっとベランダの風に吹かれていたくなる。このまま曇って星なんて見えなくても、久保田がバイトから帰ってくるまで空を眺めながら…、
 それもやっぱり七夕だからなのかもしれないけれど、今日はいつもみたいにゲームとかしてるのじゃなくて…、ただ待っていたい気分だった。

 一人じゃなくて二人だって事を…、たくさん感じながら…。

 時任は缶ビールと一緒に買ってきた折り紙とハサミとサインペンを持って窓の前に座ると、七夕の笹なんてどこにもないのに短冊を作り始める。赤い折り紙をザクザクとハサミで切って、そこに願い事を迷わずに一つだけ書いた…。
 そして書いた短冊を持って立ち上がると、なぜか鳴っている風鈴の下で風を受けてヒラヒラしてる紙を掴んで引っ張って取って…、その紙の代わりに本当なら笹につける赤い短冊をつける。すると、願い事を一つだけ書いた短冊が、まるで誰かを呼ぶように鳴る風鈴の下で揺れた。

 チリリン…、リリン・・・・・・。

 空は曇っているけれど、まるでその向こうの星空まで願い事を届けようとしているかのように風鈴の鳴る音が時任の耳に響いて…、
 時間が過ぎて夜が近づくたびに生暖かかった風が、少しずつ涼しくなっていく。
 そんな音と風の中でビールを飲んでいた時任は飲み終わった缶をコンクリ−トの上に置くと、部屋からベランダに足だけ出すようにして床に寝転がった。そして久保田が空を見上げていた時に目の前に右手をかざして空を見る。すると、少しだけ雲の切れた部分があって…、それを発見した時任は雲の隙間のわずかな空を指の隙間から見上げた。


 『久保ちゃんが早く帰って来ますように・・・・・』


 誰かを呼ぶように鳴る風鈴の下で…、赤い短冊は揺れ続け…。
 その音に包まれるようにゆっくりと目蓋を閉じて、時任は眠りに落ちていく…。
 そして同じようにいつの間にか夜の帳の落ちた空には、時任の見つけた雲の隙間に星が一つだけ瞬いていた。
 


 遅くなりましたのですが、やっと七夕のお話を書くことができましたっ(涙)
 つたないお話なのですが、このお話は七夕企画に参加してくださった方に…、
 感謝を込めて捧げさせて頂きたいです・・・vv(*ノ-;*)
 本当に本当に七夕に参加してくださって、ありがとうございましたvv(泣)
 途中、くじけそうになったりもしてましたのですが、
 書いてくださった短冊に励まされて、お話を書く事ができましたのですvv(T-T )
 心からとてもとても感謝です。

 多謝<(_ _)>vv

 短冊の願いが空まで…、想いのある場所まで届くように…、
 星空に願いを…(;人;) vv
 書いてくださった短冊は九月の終わりまで、
 七夕部屋に大切に飾らせて頂きましたvv
 本当に本当に、ありがとうございましたvv(;-; )
 


 できたら、ちまっとだけ続き書きたかったのですが、
 書けませんでしたです・・・(ρ_;)ごめんなさいです(涙)


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