両手を合わせて…。

※注意・新木君主人公です。久保時はほぼ出ていません。




 「すいません、ちょっとレジが混んでて…」


 そう言ってコンビニから二つの熱い缶コーヒーを手に、車に乗り込んできたのは刑事の新木。そして、その新木を車の中で待っていたのは、同じ刑事で先輩の葛西…。
 ほんの数十分前まで二人は勤務中だったが、今はそれを終えて所属している警察署まで帰る途中である。後は自宅に帰るだけだが、もうすでに時計の針は夜の11時を回ってしまっていた。
 「はい、葛西さんの分。いつものブラックで良かったっすよね?」
 「あぁ…」
 差し出された缶コーヒーを受け取った葛西は、ふーっと口から煙を吐き出してからくわえていたタバコを灰皿に押し付ける。すると、新木の指が葛西よりも先に缶のプルトップを開け、その音が小気味良く車内に響いた。
 車内に充満しているのは、葛西の吸ったタバコの匂い。
 その匂いに、暖かなコーヒーの匂いが混じる。新木はゴクリと一口だけコーヒーを飲むと、はぁー…とため息にも似た息を吐いて車の天井を見上げた。
 「大晦日くらい強盗も殺人犯もおとなしく紅白とか…、見ててくれませんよねぇ。やっぱり…」
 さっきまでいた殺人現場の惨状を思い出し、軽く頭を振りながらポツリと新木がそう言うと葛西も缶コーヒーを一口飲んで軽く息を吐く。そして、疲れているせいか少し沈んでいる様子の新木のセリフに、笑みを含んだ、からかうような口調で答えた。
 「見たかったのか、紅白?」
 「お、俺は別に見たくありませんけど、年の終わりくらい静かに迎えたいなぁって思っただけっすよ。葛西さんだって、そう思うでしょう?」
 「あぁ? 俺は静かだろうとそうでなかろうと、どっちでもいいけどな。どっちも大差ねぇしよ」
 「嫁さんとか、貰ったらどうですか?」
 「彼女のいないお前にそんな心配されるようになっちゃ、俺もオシマイだな」
 「う…っ、それは言わないでください。冬の寒さがますます身に染みてくるじゃないっすかっ」
 「ははは…っ」
 今日は1年の終り、12月31日の大晦日。
 なのに、いつもと変わらない日々、いつもと変わらない会話。
 葛西の笑い声を聞きながら、新木は子供っぽく膨れた面のままでコーヒーを飲む。でも、その変わらなさが、刑事として人の欲望や恨みや色々なものに塗れた現場を見続けている新木にとっては救いなのかもしれなかった。
 現場を見るたびに吐き気を覚えながらも、こんな風に陰惨な現場から平和な日常に戻る事ができるから…、まだ刑事でいられる。
 新木は飲み終えたコーヒーを車内の缶フォルダーに置くと、まだコーヒーを飲んでいる葛西の横顔をチラリと見た。
 「あの…、実はちょっと聞きたい事があるんっすけど…」
 「なんだ?」
 「葛西さんは、刑事をやめたいって思った事は?」
 「無いな」
 「やっぱり…」
 「…と言いたい所だが、無い事もない」
 「えぇーっ、ま、マジっすか?」
 葛西の予想外の答えに、新木が素っ頓狂な声をあげる。すると、葛西は新木と同じように飲み終えた缶をフォルダーに置き、ポケットからタバコを出して火をつけた。
 「俺がやめたいと思ったのは、刑事になって今までで一度だけ…。お前が現場で吐いてんのを見た時だな」
 「も、もしかして、俺とコンビ組むのが嫌で…とか?」
 「まぁな」
 「えぇ〜〜…っ!」
 「ばーかっ、ウソに決まってんだろ」
 真面目な話を始めるのかと思えば、また新木をからかう。
 けれど、新木がさすがにムスッとした顔をすると、悪りぃ悪りぃ…とそれほど悪いと思ってなさそうな口調で言ってから、今度は真剣な顔でさっきの続きを話し始めた。
 「刑事ってのは、犯人を捕まえるのが仕事だ。だから、いちいち現場で吐いてちゃ仕事にならねぇ…。吐いてるヒマがあったら、俺は証拠を探す」
 「・・・・・・」
 「けどな、そうしてる内にマヒして何も感じなくなってんだよな…、これが…。元々、現場で吐くような神経は持ち合わせちゃいねぇが、お前が吐いてんのを見て初めて、仏の前で形だけ手を合わせてる自分に気づいた」
 「けど、日に何度も見たりとか、そういう事が続けば…」
 「それでも、感じていなきゃならねぇ事もある。絶対に忘れちゃならねぇ事もな…。人として…、いや刑事だからこそ…か…」
 葛西はそこで言葉を切ると、火をつけただけで吸わないまま、少し長くなってきた灰と立ち昇っていく煙を眺める。すると、その煙はまるで…、過ぎ去っていく年を弔っているようにも見えて、新木はじっと葛西の横顔と弔いの煙を見つめた。
 今年も色々な事があった。
 そして、色々なものを人間を見てきた…。
 そう…、今年の事を振り返り思いながら、新木がゆっくりと目を閉じながら手を上げて胸の前で手を合わせる。すると、横から伸びてきた葛西の手が、新木の頭をぐしゃぐしゃっと乱暴に撫でた。
 「なっ、何すんですかっ!」
 「もうじき年明けだ。帰るついでに、神社にでも参ってくか?」
 「けど、早く署に戻った方が…」
 「そう硬てぇコト言うなよ」
 「まったくっ、相変わらず不良刑事なんっすからっ。また署長に怒られても、俺は知りませんよ」
 「そんな必要はねぇだろ。神社で手を合わせる時間くらい、カミサマがなんとかしてくれるだろうぜ」
 「信じてもないクセに、都合のいい時だけ神頼みしないでくださいよ」
 そんな風に言い合いながらも、新木はさっきとは違う楽しそうな様子でエンジンをかけ、止めていた車を発車させる。そして、そろそろ新米を脱出しつつある刑事と、ベテランの不良刑事のコンビを乗せた車は、二人の所属する警察署ではなく近くの神社へと向かった。
 痛みと哀しみと憎しみが血に混じり染み付いた事件現場から、大勢の人々の明るく暖かい笑顔が溢れている場所へ…。
 すると、その途中で葛西がいつもの調子で独り言のようなセリフをポツリと呟き、それを聞いた新木が照れくさそうに笑った。
 「新木…。お前は…、ずっとそのままでいろよ」
 「・・・それって、俺にいつまでも新米でいろってコトっすか」
 「いや、別に無理しなくても、お前ぇは来年も再来年も新米のままだな。まぁ、彼女でもできれば、ちったぁ肝が据わってマシになるかもしれねぇが…」
 「あーっ、そのセリフっっ、奥さんも彼女もいない葛西さんに言われたくないっすよっ!」
 「女がいなくても、先輩の特権ってヤツだ」
 「くそー…っ、こうなったら神社で彼女ができるように、お賽銭に奮発して五百円入れてお願いしてやるっっ!!」
 そんな新木の叫び声と同時に車が速度を上げ、二人を乗せた車が歩道を歩く見覚えのある二人組を追い越す。それに気づいた新木が思わずスピードを緩めたが、刑事ではなく叔父の顔をした葛西に馬に蹴られるぞと止められ、新木は楽しそうに笑う二人をバックミラー越しに眺めながら…、
 彼女ができるようにではなく、世界でも横浜の平和でもなく…、
 隣にいる葛西や…、追い越した二人組の幸せを祈った。

 「幸せって遠い所じゃなくて、近くからやってくるもんなんっすよ…、きっと…」

 なんとなく呟いた新木の一言に、葛西が無言でバックミラーに視線を向ける。そして、なぜか少し間を置いてから、そうかもな…という返事が返ってきた。
 幸せがどこから来るかなんて、あんな風に言いながらも本当はわからない。
 刑事を続けていると…、暗闇ばかりを見つめている気がして…、
 何も見えなくなって、幸せも人の心もわからなくなってくる…。
 けれど、あの二人が浮かべていた笑顔を忘れずにいられるなら…、
 人は同じ人に向かって…、あんな風に笑いかけることが出来る事を忘れずにいられるなら、どんな時でも心から祈り願い手を合わせられる気がした。

 「やっぱり、奮発した五百円の願いは世界平和にしときます」

 追い越した二人よりも一足早く神社にたどり着き、神社の境内に足を踏み入れた新木がそう言うと、葛西が五百円で足りるのかと笑う。すると、新木は葛西さんが五百円入れてくれたら千円なんっすけどねと笑う。
 そうして新しい年が明け、二人は同時におめでとうを言った。



 ま、まだ、新年のお話を書いてたり(汗)
 しかも、新木君が主人公で久保時がチラリしか出てません。
 そして、ほんのちまっとだけ「酒瓶と久保ちゃん〜」とリンクしてます(-_-;)
 頭に浮かんで消えなかったお話なので、
 つ、ついつい書いてしまいました…。

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