通学時間は学習を制限するか

蓮見郁我


  随分昔の話になるが、七飯町出身の私が函館市内の高校に通学するのに要した時間は片道で1時間以上もかかった。同級生の多くは市内出身であり、中には高校まで徒歩で10分の人もいた。通学時間の差は歴然としており、人より朝早く起きて通学することがなんとも「おっくう」で実家が七飯町にあることをうらんだりもした。高校生にとっては無駄な時間は1秒たりともない。もちろん通学時間が100%無駄になるとは思わないが、他の人より自由に使える時間が制限されるという点で、つまり選択肢が減少するという意味で不利益が生じる。他の人と比べて長い通学時間は直接的に学習時間を制限するかもしれないし、学習意欲の低下を引きおこし間接的に学習への悪影響を生じさせるかもしれない。

  首都圏では大学キャンパスの都心回帰が進んでいる。18歳人口の減少と社会人学生の受け入れを視野に入れて、学生確保を有利にするため郊外のキャンパスを都心へ移転させる動きが目立つ。従来のようなのびのびとした郊外のキャンパスで集中して学習するというスタイルから、交通の利便性が良く就職活動にも有利な都心型のキャンパス・スタイルの方が学生にとって受け入れやすいのだろう。交通の利便性の改善は学生にとって、時間的余裕をもたらすであろうし、都心での生活は就職意欲を向上させ、その結果学習意欲の向上につながるかもしれない。「田舎の学問より京の昼寝」ではないが、社会との接点を持ちいろいろな経験をすることは、頭の中で考えるより時として人生に有効である。

  それでは実際、通学時間がどれくらい学習に影響を及ぼすのだろうか。それを調べるために道南地方在住の資格試験の専門学校生を対象にアンケート調査を実施した。公務員系(19人)と看護師系(14人)の二つのグループに対して実施したアンケートの内容は@専門学校までの通学時間、A1日の平均学習時間、B1日の平均自由時間(必要最低限の日常生活時間を除く1日のうちに利用可能な最大時間)である。アンケートの結果は以下のとうりである。

  図1−A(公務員系)と図1−B(看護師系)は通学時間と平均学習時間の関係を示したものである。どちらの図からも統計的に有意な関係は見出せない1)。どうやら通学時間の多寡が学習時間に対して、直接影響を与えることはなさそうである。これは資格試験の性質上、ある一定水準(合格水準)以上の学習は受験生にとって必要ではないからかもしれない。もしそうなら学習時間を決定するのは受験生の(他の受験生と比べた相対的な)学習能力であり、通学時間のような外生的な要因からは影響を受けないかもしれない。

  図2−A(公務員系)と図2−B(看護師系)は通学時間と平均自由時間の関係を示している。どちらの図からも統計的に有意な関係は見出せない。この結果は意外かもしれない。通常、通学時間と自由時間はトレード・オフするはずである。しかしこうならないのは、通学時間が受験生にとって無視できるくらいの時間であるか、それとも通学時間自体が受験生にとって自由に使える時間として認識されているからかもしれない。

  図3−A(公務員系)と図3−B(看護師系)は通学時間と学習実行率の関係を示したものである。ここでの学習実行率とは、1日の平均学習時間を1日の平均自由時間で割ったものである。これは1日のうちで最大限実行可能な学習時間のうち実際にどれくらい学習しているかを示している。もし勉強に対するやる気・熱意が高い人ほど可能な限り自由時間を学習時間に割くとするなら、そのような人ほど学習実行率は高くなる。もし通学時間と学習実行率に何らかの関係があれば、通学時間が受験生の学習意欲に何らかの影響を与えているといえるが、どちらの図からも統計的に有意な関係は見出せなかった。

  以上をまとめると通学時間は受験生の学習に対して何ら影響を与えていないことになる。しかしこれは驚くべき結果ではない。地方では大都会に比べて時間概念がゆっくりしている。地方では電車が3分遅れたからといって電車会社に苦情の電話をかける人はいないし、積雪が多くていつもより10分早起きしたからといって時間を損したと思う人もいないだろう。我々地方で生まれ育った人にとっては通学時間の多寡はそれほど大きな制約にはならないようだ。

 

去る研修会を踏まえて

  全世界的に見ると途上国の貧困、人口、環境破壊問題は深刻である。人類が存続するためにどのようなことをすればいいのかを考え、そして行動することはすべての地球人にとっての責任である。研修会のテーマでもある「持続可能な開発のための教育」はこのような問題に応えたものである。教育がどのようなチャネルを通じてこれらの問題を解決するかは複雑であるが、ここでは経済の発展に焦点を絞ってみることにしよう。持続的に経済が発展するメカニズムは、80年代後半以降の内生的経済成長理論によって説明される2)。その中でも、人的資本の蓄積を考慮したモデルにおいて、教育の役割が重要になる。人的資本とは労働者の能力、技能および知識などから構成されるものである。家の建築に携わる大工を例に見てみよう。彼らは物的資本としての道具(のこぎりやかんな)を利用し、労働力としての自らの肉体を駆使して家を建てる。しかし彼らが利用するのは道具だけではない。彼らは手に染み付いた技能や頭の中にある建築に関する知識を利用して家を建てる。彼らはこれら人的資本を得るために、棟梁に弟子入りしたり、専門的な職業訓練を受けなければならない3)。つまり腕のいい大工になるには、何らかの教育を受ける必要がでてくるわけだ。個々の大工の能力の上昇は一国全体で見ると労働生産性の上昇につながるだろう。もし、より高度な教育を受けることによってより高度に人的資本の蓄積が可能なら、経済は長期的に成長可能となる4)

地域での実践

    以上のように教育を通じた持続的経済発展が途上国の貧困、人口、環境破壊問題を解決することは可能かもしれない。しかし日本の一地方都市に住む我々にできることは限られている。そこで「持続可能な開発のための教育」を地域で実施することを考えてみよう。
 
先進国と途上国との差ほどではないが、日本国内における大都市と地方との所得格差が広がってきている。日本全体で見ると東京の一人勝ち、北海道で見ると札幌の一人勝ちである。このままいけば我々が暮らす道南地方の未来は暗くなるばかりだ。では、どのようにして地方経済を活性化して、どのようにして魅力的な地方都市を創っていけばいいのだろうか。

  地方経済の活性化の例としては産学官協力による「ガゴメ昆布を活用した新産業創出」が挙げられる。これは文部科学省の「都市エリア産学官連携促進事業」の一環として、2003−8年度で合計9億円の補助金が交付されるものであり、地域経済の発展に期待のかかかる一大プロジェクトだ。ガゴメ昆布は道南特有の昆布であり、その含有成分フコイダンは動物実験などでがん細胞の増殖抑制効果が確認されている。このプロジェクトにおいて、ガゴメ昆布の基礎的研究に関してはある程度の成果が出るかもしれないが、その後の新産業創出に向けた商品の開発・販売に関しては未知数なところが多い。これは研究部門においては人的資本の蓄積が生じかつそれが効率的に機能するのに対し、民間の商品開発・販売部門においてはそもそも人的資本の利用が無視されているからかもしれない。高付加価値をつけた商品を開発・販売するには研究部門以上に能力、技能、および知識に磨きをかけなければならない。しかし一般的に道南の民間企業はこの点のノウ・ハウの積み重ねに対し積極的ではないように思われる。民間部門の人的資本が蓄積しないかぎり、新産業を創出し軌道に乗せるのは難しいだろう。
  魅力的な街創りとして取り組むべき課題は、安心して快適に暮らせる環境を整えることである。そのためにはまず人口減少を食い止める必要がある。人口が減少し続け過疎化が急速に進めば、現状の都市機能を維持することさえできなくなる。特に若年世代の経済的安定性が確保されていないと若者の道南からの流出を止めることはできないし、また一時的に流出した人が道南に帰ってくることもないだろう。高度な人的資本を習得した人が地方で就職先を見つけるのは簡単ではない。安定した就職先としては公務員、看護師、教員などの専門性が高い職種はあるが、いずれも資格試験が行われ、そのハードルは低くない。若者に限ったことではないが、やりがいのある仕事に就くことができるかどうかがその街の魅力につながってくるだろう。やりがいのある仕事とはなんであろうか。一概には言えないが、少なくとも自分の能力を活かせるかどうか、そしてその能力を高く評価してもらえるかどうかが重要なポイントになるだろう。高度な人的資本を習得した人がその能力を活用できる環境を整えることがこれからの課題である。

教育が未来を開く

地方経済の活性化にしろ、魅力的な街創りにしろ重要になるのは人的資本の蓄積であり、その鍵を握るのが教育である。新産業創出のための人的資本と資格取得のための人的資本は本質的に異なるものである。前者は企業内での教育・訓練によって形成されるのに対し、後者は教育機関によって形成される5)
 企業内教育・訓練は企業業績や長期的戦略によって影響を受けるため、企業側の人的資本に対する理解と強い問題意識(どうすれば高付加価値商品を造れるのか、どうすれば売れるのか、そのために何が必要か)がなければ安定した人的資本形成は成し得ない。そして企業側の意識改革を促すためにも人的資本は欠かすことができない。例え公的機関が人材育成のための補助金を出したとしても究極的には個別企業の「やる気」に期待するしかない。地元企業が大都市圏の企業と互角に渡り合えるだけの競争力をつけるためには、地の利と人的資本を活かした少数精鋭による機動力重視の事業展開が必要だ。製品ライフ・サイクルが非常に短くなっている今、ブームに乗っかった単発の商品開発では採算がとれない。自分達でブームを創ることができず、また息の長い商品も造るることができないとするなら、なにができるというのか。答えは消費者の声に常に耳を傾けることだ。消費者が欲しがるものをいち早く造ることだ。だだし商品の品質がおろそかになってはいけない。どこよりも早く品質の良い商品を造った企業にはブランド・イメージという高付加価値の源泉が生じる。口で言うほど簡単ではないが、やる気があり、人的資本の蓄積とその活用に熱心な企業こそがブランド・イメージを確立することができ、そして強力な競争力を得ることができるのだ。

教育機関にできること

一方、資格取得のための人的資本の形成に関しては教育機関・地域社会の特性が反映される。一般に資格試験は一般教養問題と専門的知識・技能問題(実技試験も含む)から構成されている。前者は小学校から続く基礎的学力を問うものである。後者は専門学校や大学・短大6)でそれぞれ自分の専攻にあわせて習得した知識や技能を問うものである。資格試験に合格するために一番重要な事は受験者本人の努力であるが、それを支える家族や地域社会そして何より教育機関のありかたに注意しなければならない。
 一般教養問題は小学校・中学校・高校で習う基礎的な内容に対応したものであるため、この問題の合否にかんしては受験者の育った地域環境の影響を受けやすい。一般教養問題は必修性が高いので得意・不得意科目があってはならない。近年子供の理科・科学・数学離れが進んでおり、これら科目の習得レベルに相当個人差が生じているように思われる。これは本人の科目に対する好き嫌いにも影響されるが、教える側にも問題があると思う。特に地方と大都市での差が出やすい科目については教える側が積極的に習得レベルの差を是正していくような取り組みをしなければならない。そのためには地域社会全体での教育改革が必要であろう。

 これに対し、専門的知識・技能問題の合否に関して重要になるのは受験者の問題意識である。実務的に利用される専門的知識・技能の習得は単に資格試験合格のためだけでなく、自らの就職後のスキルアップにも少なからず影響する7)。そのため長期的視野に立ってみると高い専門的知識・技能を就職前に習得することは、受験者の仕事に対するやる気・熱意に強く依存する。仕事に対するやる気・熱意が資格試験勉強のモチベーションの源泉であるならば、教育機関は早い段階で受験者の仕事に対するやる気・熱意を喚起するような取り組みをしなくてはならない。専門的知識・技能は一般教養に比べると内容が複雑であり習得するにはより時間がかかるものが多い。しかし専門的知識・技能が就職後にどのように役に立つのかを具体的に教示することができれば、専門的知識・技能の習得はより効率的になり、人的資本の蓄積も進むだろう。そのためには教える側も社会・経済的経験を積んで人的資本を蓄積しなければならない。そしてそれを若年世代に還元できるように努力しなければならない。
  個々の地域住民が社会に貢献できることはたくさんある。しかしそれを地域社会全体としての大きな動きにつなげるのは難しい。住民同士のつながりが希薄になっている今だからこそより一層の協力が必要なのだ。かくいう私自身社会との接点が乏しく、反省点も多いが。



1)より高度な統計的・計量経済学的分析をすれば有意な関係を見出せるかもしれないが、私の能力の都合上簡単な図のみ表示する。
2)経済成長理論についてはJones1998)、経済成長理論を含むマクロ経済学についてはRomer1996)参照。
3)大工の人的資本蓄積と一般的な労働者の人的資本蓄積は分けて考えるべきである。前者は職業訓練的教育から形成されるが後者は基礎的学校教育から形成される。

4)Bils and Klenow2000)によれば、国際データにおいて、教育機関(教員)の質が高くないならば、学校での教育が人的資本の蓄積に与える影響はそれ程大きくないとしている。

5)就職後に追加的に取得される実務業務上の資格に関しては前者に分類される。

6)近年、商業高校や工業高校においても、就職に有利な資格取得対策が積極的に行われている。

7)公務員試験は受験生の潜在能力を見分けるためのシグナリングとしての役割が大きい。


参考文献

BilsMark  and  PeterJKlenow2000 Does Schooling Cause Growth  American Economic ReviewVol90No5Decemberpp11601183

JonesCharles I(1998 Introduction to Economic Growth  WWNorton Co.(香西泰監訳『経済成長理論入門』日本経済新聞社、1999年)

RomerDavid1996 Advanced Macroeconomics  McGrawHill(堀雅博他訳『上級マクロ経済学』日本評論社、1998年)

北海道新聞『道南・コンブのチカラ ガゴメの真価』 2007156791011121314日、番外編を含む全9回連載