教育運動としての自由学校とESD
自由学校には、新しい市民の学びを広めていく教育運動という側面がある。公教育とも、カルチャーセンターとも異なる市民の学びを広げ、深めていきたいという思いがこの活動に関わっている動機の大きなものである。もちろん、自由学校という存在自体は、札幌の他に全国数ヶ所にあるとはいえ、小さな存在に過ぎない。だが、ちょっと目を周囲に広げてみれば、様々な市民活動の中で、そして学校や地域社会の中でも、「新しい学び」への要求は高まっており、実践も広がってきているように思われる。
私たちが国連の「持続可能な開発のための教育の十年(ESDの十年)」というキャンペーンに注目した理由は、それが自由学校でこれまで取り組んできた「新しい市民の学び」を広げ、深めていく手がかりになるという期待があるからに他ならない。これまでの「開発」のあり方を「持続不可能な開発」と捉え、それに代わる「持続可能な」社会づくりに向けて、広い意味での教育活動を推進していこうとしているのがESDである。それは「進歩」という名のもとに行われてきた「開発」が、世界の多数者にとって破壊的な影響をもたらしてきたことを確認したピープルズ・プラン二一世紀の取り組みをきっかけに、市民によるオルタナティブな学びの場をつくろうとはじまった「遊」のスタンスと重なり合うものである。
自由学校のESDへのアプローチ
「遊」の学習活動は、その全てがESDであると言ってもよいのであるが、あえていくつかのねらいをもって自由学校としてのESDへの取り組みを行ってきた。
その一つが「参加・体験型の学びを広めること」である。私たちがESDを掲げて行なった最初の取り組みは、二〇〇三年の夏に二回にわたって開催した合宿形式のESDファシリテーター・トレーニングであった。ESDの基盤をなしているのは、近年広がりつつある環境教育や開発教育の実践であるが、これらの中では参加型の学習スタイルがすでに前提となっている。そしてそれは、単に学習が参加型であるということにとどまらず、社会づくり(=開発)を参加型にしていくことと切り離すことのできないものである。学習を学習にとどめず、社会へのアプローチにつなげていくためのものとして参加型学習を広めていきたい。
二つ目は、「地域へのアプローチ」ということ。過去四年の間に地元のNPOや個人と協力して道内各地でESDワークショップを開催してきた。初期のワークショップは、開発・環境問題への気づきを目的としたものであったが、次第に「地域づくり」に焦点を当てたものになり、現在は、地域の課題を出し合いながら地域づくりの目標や取り組みを考えるワークショップと市民調査を組み合わせた実践を行っている。こうした取り組みをもとに、道内各地で「新しい市民の学び」を広めていくためのネットワークを少しずつつくりだしていきたいと思っている。
「地域へのアプローチ」のもう一つの柱は、北海道という地域において欠かすことのできない「アイヌ民族との共生」のための学びである。これまでに、二風谷や登別、静内・浦河、知床などを訪れる体験ツアーを行ったり、「共生への学びをつくりだす」というテーマで二日間の合宿セミナーを行ったりしてきた。「アイヌ民族との共生」は、「持続可能な開発」を根源的に捉えていく上でも必要なアプローチであると考えている。
三つ目のねらいとして、北海道におけるESDの情報発信と教材化があげられる。これは昨年から意識し始めたもので、昨年夏に行なった「シレトコ先住民族エコツアー」の映像をもとにしたDVD教材づくりや、各地で行っている市民調査の結果をホームページ上で発信し、地域の課題や実践を紹介していくための準備を現在すすめている。
今後に向けて
ESDはまだまだ一般に知られていないが、これまで様々な分野、様々な地域で行われてきた小さな学習実践をつなぎ、市民が主体となる社会をつくるための「新たな学び」を広めていくきっかけとなるものだと思う。それはまた、北海道のみならず、日本の、そして世界の各地で人々が行っている地道な取り組みと結びついていくための手がかりとなるであろう。
一方、教育のメインストリームは、教育基本法の改定に象徴されるように、より国家主義色を強めつつあると同時に、教育の市場化が進められていく方向にある。ESDという動きが市民が主導する新しい教育運動であるとするならば、こうした国家主導による「教育改革」が進められていく中で、どのような教育のオルタナティブを描き、それを確かなものとして広げていくことができるのかが今後、私たちに問われてくるだろう。