「からしだね」に掲載された、踊先生からのお話です。
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2008/07 |
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「神学校週間を覚えて」
私たちの教会では今年度は6月29日(日)〜7月6日(日)までを「神学校週間」として守ります。この行事の中心的な目的は、西南学院大学神学部に学ぶ献身者を覚えて祈り、その学びのために献げることです。
現代社会は福音を必要としています。主イエスは現代に生きる私たちをご覧になって、どう思われるでしょうか。当時と同じように、否それ以上に「群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれ」(マタイ9:36)るのではないでしょうか。そしてきっとこう言われるにちがいありません。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」(マルコ1:38)。
主イエスはこの働きのために人々をお召しになります。「献身」について考える場合、いつも2つのことが真剣に問われねばなりません。1つは主が確かにお召しになったかということです。ペトロやアンデレ、ヤコブやヨハネは主イエスによって「わたしについて来なさい」(1:17)と呼びかけられ、レビは「わたしに従いなさい」(2:14)と招かれました。パウロの場合も「異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」(使徒言行録9:15)と言われました。主イエスの招きなし人は献身することはできません。人間的な決意と努力だけでは決して長続きしません。そういうもので続けられるほど生易しい働きではないのです。
問われるべきもう1つのことは、一切を捨てて従うことができるかということです。ペトロとアンデレは「すぐに網を捨てて従った」(マルコ1:18)とあり、ヤコブとヨハネも「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について言った」(同1:20)とあります。彼らはこの世の栄達を捨てて主イエスに従う道を選び取ったのです。それは決して安易な道ではない、むしろ困難な道です。しかし祝福の道でもあるのです。
そのような主の招きに信仰をもって応え、西南学院大学神学部に学んでいる献身者がいるのです。彼らを覚えて祈りましょう。安心して学びを続けることができるよう献げましょう。
しかしそれだけが神学校週間の目的ではありません。他に2つの目的があります。@新たな献身者が諸教会から起こされるよう祈りましょう。A主イエスは私たちにも呼びかけておられます。それは全生涯の献身ではなく、自分の時間と能力の一部を主に献げるという献身であるかもしれません。しかしそれも貴い献身なのです。そのような召しを受けている人は伝えてください。私は主イエスがそのために知恵と力を与えてくださるように毎日祈ります。
最後にカール・バルトの言葉をお互いの心に留めたいと思います。
なすべきことが与えられる―それが、キリスト者をキリスト者にするのです (踊)
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