「からしだね」に掲載された、踊先生からのお話です。
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2008/02 「執事を選ぶ」 |
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教会はキリストの「体」(エフェソ1:23、5:30)と言われます。「体」であるからこそ病むこともあるのです。このキリストの体がいつも健康で主のご栄光を現わすために、牧師と執事が立てられているのです。「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げていき・・・」(エフェソ4:11〜16)。
牧師と執事はバプテスト教会の大切な職務です。牧師と執事は協働者であり、両者が共に成長すれば、教会は力強く成長すると言われています。使徒言行録6:1〜7にはステファノたち七人が執事として選出された経緯が記されており、その結果「神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」(使徒6:7)と記されています。教会成長のためにどんなに執事の働きが大きかったかが分かります。
けれども「執事」は教会の支配者ではありません。むしろキリストと教会に仕える者です。ギリシャ語のディアコノスは「執事」「奉仕者」、その動詞ディアコネオーは「給仕する、仕える、奉仕する、世話をする、助ける」という意味です。執事とは、伝道・教会形成のためにキリストと兄弟姉妹に仕える者のことであり、その究極の手本は主イエス・キリスト(ヨハネ13:1〜17)なのです。
聖書は執事の資格を次のように記しています。使徒言行録6:3には「霊と知恵とに満ちた評判の良い人」、Tテモテ3:8〜12には「品位ある人・・・二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人・・・中傷せず、節制し、あらゆる点で忠実な人・・・家庭をよく治める人」とあります。
こんな厳しい条件を上げられると、私たちは誰しも自分にはそんな資格はないと思ってし
まいます。しかし使徒パウロのことを考えてみてください。「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのないものです」(Tコリント15:9)、「わたしは、その罪人の中で最たる者です」(Tテモテ1:15)とも言っています。しかしそんなパウロが主イエス・キリストの憐れみによって罪赦され、使徒とされている、その恵みの自覚こそパウロの信仰生活の原動力だったのです。私たちも同様です。主の大きな憐れみのゆえに私たちは喜んで主の召しに応え、一歩一歩成長させて頂くのです。
今日の教会総会で執事・監査選挙が行われます。使徒ペトロは「兄弟たち、あなたがたの
中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を…選びなさい。」と言いました。私も同じように言
いたいと思います、「兄弟姉妹方、福音宣教のために牧師と協働してくださるディアコノスを
選んでください」。教会はいよいよ会堂建築という大切な課題に取り組もうとしています。
会堂建築は福音宣教の一環であり、多くの人々を主のもとに導くという視点で考えると、開
拓伝道でさえあります。この働きのために主はすでに働き始めておられるのです。 (踊)
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