7月30日(火)

 今日はパリからルクセンブルグに向かう。パリを立つ前に荷物を一部日本に送ろうと思う。たとえ1キロでも荷物は減って欲しい。ここまでもらったパンフ類、ガイドブックの不要な分、みやげ等を小包で送ることにする。アパートの近くに郵便局があったのでそこへ荷物を持ち込む。郵便局員が英語話せるかなと、今回の旅行で始めて「トラベル6カ国語」を準備していく。(結局この1回だけだった。こんなことならこの本も送りかえすのであった)しかし、ちゃんと英語の話せる人だったので思ったよりスムーズにできた。しかし料金が予想より高く(255FF)お金が足りない。取りに帰るしかない。必死の思いで走る。なにしろ何もいわぬまま郵便局を飛び出したのだから、局員が不審に思わない前に帰ってこなければならない。朝から疲れた。

 さて、パリでやることは全て終わった。アパートのチェックアウトは電話で連絡するだけ。電話料金をテーブルにおいて、鍵をメールボックスに入れて出発。結構いいシステムだね、また利用したい。メトロでパリ東駅へ。いやあ、いいところだったなぁ、街は汚いが、ねえちゃんはきれいだし、食いもんは安いし、おもしろいものは多いし、ポンピドーをはじめ行けなかったところも多いのでぜひまた来たいものである。東駅では残ったフランを使いつくすために、おみやげとしてEU人形なるあやしい人形を購入。みやげとしては冒険ものである。

 10時51分、定刻に発車。ルクセンブルグに向かう列車はコンパートメントでこそなかったが、シートもゆったりしており、テーブルもあってまずまずの快適さ。となりの座席にはアメリカ人の老夫婦が乗車しており、涼梓にお菓子をくれた。お返しにと梓が折り紙を折ってやったら喜んでいた。日本人だというとどこの都市だというので、東京と答えると「It's a beautiful city」という。ロンドン、パリとみてきて、やっぱり東京はちょっとなあ、なんて思っていた私としては、なんて答えたらいいのか困ってしまう。確かに犬のフンが落ちていないという点に関してはきれいではあるが。日本には2回行ったといっている。リタイヤ後世界を旅行しまくっているのかしら。いいなあ。しかし、おばちゃん曰く、日本ではあと鹿児島にいったということだ。アメリカのガイドブックをみたことがないからなんとも言えんが、鹿児島という選択はどの様な理由なのであろうか。それほど上位にくる観光地ではないはずだ。親戚でもいるのだろか。それともパリからルクセンブルグ行きなぞという列車に乗っているとおり、単なるマイナー好きなのであろうか。(結局この老夫婦はMetzというところで降りていった。Metzに親戚でもいるのか?)

 列車はタタン、タタンと軽快なリズムをきざみ東へと進んでいく。車内はガラすき。予約料(4人で80FF)損した。途中、トイレにいって驚いた。水を流すと線路がみえる。そう、この列車はぶちまけ方式なのである。なつかしい。子供の頃は日本もそうだった。何も想像すまい。まわりは一応畑なんだし。フランスの国境の駅、Thionvilleを出発。もうすぐルクセンブルグへはいるはずだ。しかし、標識もなければ、パスポートチェックも来ない。しかし、気が付くと車窓から見える家々の形が変化してきている。なんとなくドイツ風になってきている感じがする。ルクセンブルグなのだ、と思う。若干の遅れでルクセンブルグ駅に14時45分頃到着。

 ルクセンブルグに関しては予備知識はほとんどない。みんな何語をしゃべっているのか、英語は通じるのか、お金はベルギーフランでどこでも通用するのか。そしてユースにはどうやっていくのか。とにかく両替、ルクセンブルグは金融大国と聞いていたが、駅前にはあんまり銀行がみあたらない。市街地の中心の方に行かないとダメなのか。しょうがないので駅で両替。ベルギーフランに両替できたが、レート大変悪し。あとはユースに向かうだけだが、一応地図はあるものの、わかりにくい場所のようだし、この際、市街地見物もかねて本旅行初のタクシー利用を決行する。運ちゃんは英語解せず。ユースのところを赤くぬってるルクセンブルグ市内地図を指しだし指示。直線距離では1キロ半くらいなので料金もそんなにはしないだろう、と思う。ところが車はトンネルをくぐったかと思えば、急坂を登り、一周したかと思えば、また急坂を降りるといったぐあいにえらいグルグルする。こいつ観光客だと思って遠回りしてやがるのか、とも思ったが、あとで歩いてみてわかった。ルクセンブルグの平面地図をみて判断するのは危険であることが。ここは峡谷の中の街である。地図でなにげにのびている道がとんでもない急坂だったりするのだ。タクシー料金は思いのほか高かった(たしか600LF位)が、雲助というわけではなかったようだ。

 さて、ユースは峡谷の底に立っており、石造りの鉄橋と、要塞跡に囲まれているというかっこいいロケーションである。しかしパリで電話した時(ファミリールームをお願いしてあっさり断られた)にでたねえちゃんがフロントにいたが、案の定、不愛想。しゃべりたくないタイプである。しかし、部屋はドミトリーではあったが、4人ずつ壁で仕切られているので、それほど不自由は感じない。このドミトリーは男女兼用のようで、我々の隣では中国人らしき男女がベッドの上でベタベタしていた。もちろんまだ日は高い、しかもユースのベッドでは狭かろうに。パリにいる時もいたるところでべたべたやっているのを見たが、フランス人だねぇ、と軽く思っていた。しかし、中国人(定かではない。ただモンゴロイドで、中国語っぽい言葉をしゃべっていたから。台湾、香港の可能性のほうが強いも)もなかなかがんばっている。ま、最近は日本でもそうだけどね。

 そんなことはさておき、いざ街に繰り出しませう。と、まず谷底からてっぺんまで登る必要がありそうだ。まだ日差しが強いなか、だらだら坂を登っていく。いきなり疲れる。登り切ったところが昔の要塞跡。ガイドブックにホッグの砲台となっているところだ。はっきり言って期待はほとんどしていなかった。一箇所くらいどこか書いておかねば、というだけで載っているものだとばかり思っていたが、ここからの眺めはすばらしい。切り立った崖の底に古い教会や家々が立ち並び、木々におおわれた谷の向こう岸には、近代的なビルが森の向こうから頭をのぞかせている。そして、谷を石造りの鉄橋がまたぎ、線路がトンネルへと吸い込まれていく。これまでヨーロッパの平坦さに驚いてきた目は、この落差にまだとまどっている、といった感じだ。恐らく地形的には日本にはいくらでもあると思う。しかし、このような地形のなかに街が形成され、一体となって生き残っている例は、私の知るかぎりはない。

 ホッグの砲台はいま我々が立っている下にあるらしい。ちゃんと入場券売り場もあり、チケットを買って入場。そこは網目のようにほられた洞窟であった。いわゆる地下要塞といったところか。しかし、そこはとんでもない所であった。一応パンフには地図が載っており、ところどころにランプや矢印もあるが、地図がわかりにくい上に、載っていない道や指示のしていない分岐路、暗闇に続く道(普通なら進入禁止くらい書いてあってもよさそうなのに、行こうと思えば平気でいける)延々に続いたかと思えば突然行き止まり、すごすご引き返すしかない道。どこまで続くのかと思わせる下り階段、下った分だけしっかり登ることになってしまう狭い登り階段、等々、まさにドラクエの洞窟をリアルに体験できるのである。洞窟のなかにはいった時は肌寒いなと感じていたが、そのうちに汗ダラダラ、冷汗半分、運動の汗半分といった具合で、真剣に迷宮にはまりこんで、出られないのではと思った。すれちがう他の観光客も、どこかしら不安げである。途中韓国人の女の子の二人連に出会った。「こちらは出口ですか?」ときれいな日本語で尋ねてきたので、行き止まりだ、と教えてあげた。みんな真剣に出口を探している。ようやく出口発見。まあ疲れたけれど結構おもしろかった。涼梓は大満足。

 さて、疲れたのでカフェで一休み。それから市街地の方へむかう。中心の広場はけっこう賑わっていて、メリーゴーランドが置いてある。このメリーゴーランドというのははやりなのか、この旅行中人の集まるところではいたるところで目にした。梓が乗りたそうな顔をしているが、ダメ出しをして、丘の反対側に相当する広場に向かう。そこからの眺めもよいそうである。憲法広場と呼ばれるその広場からの眺めは、谷幅が広い分先程の景色より雄大であった。その谷を大きなアーチ式の橋がまたいでいる。谷の向こうには教会らしき建物がうっそうと茂った森の中にみえる。ルクセンブルグを単なる通過地点と考えていた我々に呪いあれ!ここは、訪れるに充分価する街である。と、やっぱりみんな思っているということか、その広場からは土産物店が軒を連ねており、観光客が大勢いる。私もその一人である。土産物屋を冷やかしつつ、なんか陽気なおっちゃんのいる肉屋みたいなところで夕飯を買い込み、ユースに戻る。途中先程の韓国人二人連れに出会う。無事脱出できたようだ。

 ユースの裏に庭があり、だいぶ傾いてきた夕陽の下で夕飯。木漏れ日がきれいでした。ときおり頭の上を貨物列車が通っていく。フロントのねえちゃんさえいなければ大変よいユースである。(おどろいたことに日本人グループが他にも2組いた。我々がわかった限りでは、ここが一番多かったようだ)夕飯後、だだっぴろいアメリカの青春映画によくでてくるといった感じのシャワー室で汗を流し、涼梓は爆沈。我々は洗濯。なんと洗濯にはデポジット(洗濯室の鍵用)500LFと料金350LFが必要とのこと。暴利じゃ。泣く泣く料金を払い洗濯。しかも洗濯室の鍵は一つしかないようで我々が洗濯している間に鍵をかけていたら、洗濯希望者がかなりいたみたいだ。そこで洗濯が終わってあわてて鍵をフロントに返そうとしたら、すでにフロントはしまっていた。アングロサクソン系(おそらくアメリカ人)のにいちゃんとねえちゃん(きれい)のカップルが鍵をかしてほしいと言ってきたが、こっちはデポジットをとられている。そういったら、向こうもあきらめ、それでも閉まったフロントを寂しそうに眺めたり、ノックしたりしていたが、そのうち「グッドラック」と言い残して去っていった。また、日本人のねえちゃん(むむっ)にも聞かれたが、こちらは料金に驚きあきらめた。聞けばベルギーからついたばかりとのことで、「どこかおもしろいところありましたか?」と聞いてきたので、すかさずホッグの砲台と答えてあげました。せいぜい疲れて下さい。我々はもう寝ます。あの中国人たちは夜は二段ベッドの上で仲良く横になっていた。狭くないかい?では、おやすみ。




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