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ぽんぽこ山消防団
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ぽぽんたの震災記録 |
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これからおこるかもしれないと言う事で、東南海・南海地震のことがメディアでも頻繁(ヒンパン)にとりあげらるようになりました。免震や耐震(めんしんやたいしん)住宅のお話も話題になりますが、なによりまず自分の身を守って、数日間、都市の機能がなんとか復活するまで、生きる手立てを考えておかなければならない、それが震災を体験した、そしてこれらの地震番組を見た感想です。阪神大震災のときに経験したことから、何が必要になるんだろうかということ、そして自身や家族が障碍や病気を持つ時、どうしていけば良いのかを私なりに考えてみることにしました。
沢山の犠牲者の方達のご冥福を心から祈り、ご家族の思いを大切にするためにも、この経験が次に生かされることを願ってこのページを作りました。
経験したことの下には灰色の部分で、そこから学んだことやこれは気をつけなければと思ったことを書いています。足りないこと、気がつかないこともあると思います。メールや掲示板でお話をしてくださると、このページを広げていくことができると思います。よろしくお願いします。
ぽんぽこ山消防団宛て 掲示板へ
消防庁のホームページ に、生活密着情報 があります。
防災グッズ(最低持ち出すもの)なども掲載されています。ただ、私たちもそうですが、健康な家族がいる場合は別にして自分の身体を移動するのに必死な状態で、持ちだせるものは限られます。また、備品は家に残しておくことで火災などが起こらなければ利用できると割り切って考えることが必要だと思います。小銭や貴重品など、薬などをすぐにまとめられるなどが最低必要かと思います。ここでもかかれていますが、普段からこういう場合どうするかをお子さんや家族を含めてお話することが、いざというときに力になると思います。
余談ですが、ここにある119番のかけかたもそうですが、いざというとき、自分の住所などがとっさに言えないなどほんとうにあります。私は実家の母たちのために、ここにあるような問答形式の表をつくって電話の前に貼り付けています。いつも目にしていますし、それで何気なくみているだけでも、実際にそのとき役立ってくれました。
現在インターネットでは防災関連のぺージがたくさんあります。また、各都道府県のウェブページでも防災のページがあり、身近な地域の関連リンク集もあります。どうぞ、それらもご覧になってご自分の生活のなかで何を取り入れたらよいか、少しでもシュミレーションをなさってみてください。いざと言うときとっさにできるかできないかは、普段のシュミレーションや想像力にかかっているのではないでしょうか。
私がこれから書いていくのは自分の体験ですが、どうしてそうやって準備していたり、知っているかと思われると思います。また、あれこれ周到に準備していると思われるかもしれません。けれど、実際は必要なものを毎日の生活の中で用意しているだけですし、たまたま仕事柄知っていることも多くあったこと、実際に大きなものではありませんが、事故などにあっているのでわずかでも用意したり、考えておくことが身についていただけです。実際にそれがどれほど役立つかはその状況によると思います。けれど、それが分かれ道になることもあるとも思うのです。 |
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1995年1月17日(火)午前5時46分 阪神大震災が起こる
その日の朝いつもなら、もうお湯を沸かして早朝のテレビを横目に新聞が来るのをまっているはずの私は、たまたま寝床の中でした。畳の下から突き上げるような最初の揺れがおこって目を覚ますと、とらたぬが布団を引き上げて覆いかぶさってくれていました。真っ暗ななかで棚からおちてくる荷物や洋服からそうやって守ってくれていました。二人で“地震?”と顔を見合わせることができたのは数分経ってからです。隣の部屋から飾ってある皿やガラス製品が落ちて割れる音が続くのを耳にしながら、棚が落ちるか壁が傾いているのではないかと想像していました。それからしばらくは起き上がることもできない揺れで、収まったときにやっと、古いマンションのドアが開くかどうかを確認するためと、外の様子をみに玄関のドアを開けましたが、周りは真っ暗なままで電気もつかず、布団の中で過ごすしかありませんでした。まったく灯りがなかったのです。 |
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荷物や家具が凶器になることが震災のときは実証されたと思います。ピアノや大きなタンス類だけでなく、小さなものでも勢いをつけて空中を飛び交うのですから、まずは家具の固定をしっかりすることが必要だと思います。一時的でもよいのです。その瞬間にケガをしたり下敷きになるのを免れたら、助かる可能性ができるのですから。赤ちゃんや幼児にとって、小さな荷物でも致命傷になります。家具や荷物の配置を見直すことが必要だと思います。
ゆれる方向によって、被害があったりなかったりという状態を経験しました。たまたまトイレに立ってタンスの下敷きにならずに助かった知人もいましたが、そんな偶然(ぐうぜん)を期待することはできません。今回、突き上げて大きな揺れがくるという直下型の地震でしたが、ゆっくり長く揺れるタイプもあるそうですし、震災後に直下型を考えて建てられた建物が、他のタイプで耐震などの効果があるのかなども検証が必要ではないかなと思います。絶対安全ということは無いと思うからです。
地震が起こると、すぐに火の始末をと言います。けれど、それは大変危険な場合もあります。震災のときも早朝から出社の準備やお弁当作りでおきていた方達が、やかんの湯を浴びたり、火を消そうとして近くのものが落下してきたことで火傷やケガをしました。救急車を呼ぶことできるような災害規模なら、ケガをしてもなんとか処置をすぐ受けることはできるでしょう。けれど、全ての都市機能が止まってしまったとき、ケガをすることは処置を受けられずにその後の避難生活に大きな影響を及ぼすこと、そして命に関わることになるかもしれないことを考える必要があると思います。まず、身体を守ることを優先してください。火を消すタイミングは良く言われていますが、大きな揺れが収まってからで大丈夫なようです。
火災がおこれば、大声で知らせるなど周りの人に助けを求めることが必要になると思います。
マンションなどの集合住宅などでは多くの方がドアなどがゆがんだために閉じ込められるということになりました。私は震災以前から地震のたびに、まずドアを開けに行くように習慣にしていますが、これは実際にドアが半開きにしかならない状態になっていたのをみてまず必要だと思いました。直後は大丈夫でも、じょじょに被害をうけた建物が傾いてドアが開けられない状態になることも想定することが必要だと思います。 |
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ずっと身体に感じる余震はつづいていましたが、真っ暗なか、置いてあるはずの懐中電灯は吹き飛んでいつもの場所にはありませんでした。それを探そうとして台所へ行こうとしてはじめて、地震がどれほど大きなものだったかわかったのです。まず、この建物が崩れるかもしれないと考えて暗闇で着替えをして寒さの中震え上がりながら外へでました。他の住人の人たちも外へでていましたが、寝巻きだけの方もいてあわてて飛び出した様子がわかりました。
それからの余震でマンションの階段やベランダのパーテーション(非難時に割って逃げることができる隔壁(かくへき))が割れて、建物の上から落ちてきました。幸いガラスは割れにくいものだったので落ちてきませんでしたが、サッシの窓ガラスもひびが大きくはしっているものが多数ありました。建物に近づくのも危険なために、寒さのなかで少しでも明るくなるのを待って、揺れが小さくなるころそれぞれの部屋へ戻りました。その時、住人の間で東京や関東で大きな地震が起こってその余震でこの地震がおこったのではないか、こちらでこの状態では東京は壊滅状態(かいめつじょうたい)なのではないかと話していました。私は小型のラジオを持って出ていたので、阪神高速が倒れているなどの情報を聞いて、どうも違うようだということを伝えましたが、それでも何がどうなっているのかその時点ではわかりませんでした。 |
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懐中電灯などもそうですが、あるからと安心することは危険だと思います。電池は消耗していませんか、電池の予備はありますか?また、置いてある場所から揺れで飛び出してしまうことはありませんか。必ず、部屋ごとにおいておくなどが数も必要だと思います。電気がない夜中や早朝の地震や災害は、まず暗闇で動くことが危険になります。室内は割れた陶器やガラスで足を切るなど危険がいっぱいです。
住んでいる住宅の状態(建築年数や木造か鉄筋かなどの違い、耐震住宅か手抜き工事などがされているかなど)によって、災害があったときの最初の対処法は違ってくると思います。すぐに外へ避難が必要な家かどうか、直下型か長い揺れがくるタイプかなどによって対処が変わると思いますから、まずはご自分の住んでいる家や周りの状態をみておくことが必要になります。地震後に不用意にすぐ建物の外へでると危険があることを覚えておくこおとも必要だと思います。パーテーションの類はけって破れるような素材ですし、それが割れた状態は割れ目がとがっていて、落下してあたればケガくらいではすまないと思います。また、瓦の類がおちてきたり、割れたガラスが後から落ちてくるなどもあります。建物が倒壊したりしないかぎり、すぐに外へ出ることは危険だと思います。外へ出てブロック塀や壁が倒れてくるということも考えられます。良く安全を確認しないかぎり、すぐに外へ出ることは危ないと思います。ただ、重い瓦屋根の家がぺしゃんこにつぶれた状態をみていますから、普段から家の状態を把握しておくことで、命を守るために何をするかをいろいろ考えておくことは必要になりますよね。
私たちが東京の大地震の余波だと勘違い(かんちがい)していたように、最初に情報はまったくない状態です。携帯ラジオは大きな情報源でした。現在は乾電池がなくても手回しで充電できるものや、小さなポケットに入るものでもAM/FMのはいるものがあります。いざというとき、正確な情報を得ることは必要不可欠だと思いますから、どうぞ、小さな巨人のラジオを見直してくださいね。デマやいい加減な情報に振り回されることで、関東大震災時のような行動を避ける賢明さが必要になると思います。
報道station 憲法9条の半世紀 |
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周りがしらみはじめて、はじめて建物の周りを地割れが走っていることや、道路に面して続いている回りの一戸建ての家の屋根がつぶれたり、瓦や壁が崩れているのを目にしました。けれど、道路を隔てた目と鼻のさきの家々に異変はありません。ゆれた方向や地盤の弱さによってこうしてほんの数メートルでまったく被害が違いました。
とらたぬを部屋に戻して、いつも使っているデイバックを担いで近くのコンビニに水とお茶のパック、おにぎりを買いにいきました。台所に備品として置いている水を取り出すことがすぐにできないと判断したからです。力仕事ができないとらたぬのかわりに家具の移動を手伝ってくださっていた大家さん一家の分も含めて、もてるだけを買い込んできました。その1時間後にはコンビニの飲み物やカップ麺の棚には何もないような状態になりました。こういったときに、障碍がある家族がいるなどを近所の人が知っていることは、必要だともいます。いざというとき、遠くの親戚より近くの他人は金言だと思いました。
家にもどって、配管からの水漏れなどがないかをみて、水道の元栓を閉め、電気のブレーカーも全部おとしておきました。コンセントを抜こうにも、部屋に入ることができない状態だったからです。もし、配管から水漏れなどがあるとき電気が通電したときに漏電(ろうでん)が起こるなどが恐かったからです。感電や火災の危険があります。コンセントなどの隙間にホコリがたまっていると、そのホコリもれた水がかかったりして、水分を吸い電流が流れて発火して、そばのカーテンなどの燃えやすいものに燃え移っていきます。また、電気のコード類が家具などの下敷きになったりして傷をうけると、そこがショートして出火する原因にもなります。
【漏電(ろうでん):配線や電気機器は電気が漏れないように「絶縁」されていますが、地震などの災害で傷ついたりすると、配線や電気機器の電気の流れる部分と大地の間の絶縁が異常に低下してしまい、どちらもが電気的につながりをもち、配線や電気機器の外部の本来は電気が流れてはいけないところに電気が流れる状態です。感電や火災の危険が大変大きくなります。】
室内は寝室だけが居場所にということになりました。落ちてきた荷物をどけ、まずは一息お茶とおにぎりで食事にしました。倒れこんでいた大きな本棚をどけていただいたので、やっと台所といつもいる部屋へ入ることができました。ここから数日は靴を履いて過ごすことになりました。
当日は連れ合いの実家へ泊まりましたが、夕方ヘリコプターが捉えた神戸の町並みや火災の様子は、二度と忘れることができないものでした。以前住んでいたところも同じような状況なのかと思いながら、知人や町の人たちがなにしろ無事でいてくれるように願っていました。けれどテレビのなかで起こっていることが、自分も被災しながら、何か作り事のようにも感じていました。 |
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次の日ですが、普段どおりに通勤する人たちを横目にしながら、とても奇妙な感覚がありました。普通の日常のなかで、私たちだけが暗い穴に落ちたような気持ちでした。それは、もう少しして神戸を訪れたときにももっとはっきり感じました。局地的な地震の場合、こうして被害が偏(かたよ)っていることになるのをはじめて知りました。困っているだろうからと、私たちに食器を送ってくれたのは、神戸の山添いに住む知人でした。そこは花瓶が倒れたくらいの被害だったのです。家がある地域の地盤などの情報も必要ですね。
こうして被害があるところと無いところがあったのに、コンビニやスーパーでは、無事だった人たちも災害が人事ではなくなって、カップ麺や水などを買いに走リました。棚の商品がなくなって、実際に必要な被害をうけた人が商品を手に入れることができないということが数日ありました。私たちの地域は被害が少なかったので、それで生きていけないということはありませんでしたが、こうしたときにパニックにならずに、状況を判断することを誰もができるためにもいざというときの備えをしたり、こういったときにどう行動するかを良く理解しておくことが必要だと思います。
障碍や病気があると、それを近所の人達に伝えることは、わずらわしいことであったりします。けれど、実際に身体が不自由であったり、病気があるときに、すぐ動けるかどうかを考える必要があります。また、東海村の原発事故時も悲慘な状態に置かれた聴覚障碍のご家族や、言葉のギャップがある海外の方達がおられました。
毎日ユニバーサロン
東海村・臨界事故から1年 原子力への不信、今も
広報車などの避難勧告を知ることができずに避難できなかったのです。“あ、あそこは確か・・”そう身近な人が考えてくれることが、命をつなぐことにも繋がるのです。もちろん、行政がわのファックスやメールなどの対応が先決ですが、防災を考えるときこの人のつながりが何より必要になることを、震災は教えてくれていました。すぐにできる繋がりではないからこそ、普段から考えるべきことかもしれません。
この数年で、とらたぬも私も身体の状態は悪くなっています。現在の状態では、いざ地震が災害が起こったというとき、どこまで何をできるか、それを考えなければならないと思っています。津波がおこった場合、地震がおこった時点から即逃げることが必要になります。建物の高いところへでも移動できるように手立てを考えることが必要ですが、どこまで私たちにできるでしょうか。
災害弱者と言われる高齢者や障碍・病気を抱える人にとり、行政の対応が必要になります。
電話連絡もそうですが、友達だからと電話をかけることはこの時点でははっきり不必要です。電話をかけることが必要な人にとって、やたらにかけられる電話のために連絡が取れないということになります。こういったとき、何を優先するかを考えれば必要ない遠い友達などの安否確認は一切いらないと思います。落ち着いてからでもよいのですから。NTTなどでは地震などの災害時の注意を掲載しています。携帯などからのメールでの安否確認などにも対応していますから覗いてみてくださいね。
“災害時の電話連絡について”
NTTコミュニケーションの災害用伝言ダイヤルの紹介です。
災害伝言ダイヤルの提供開始や録音件数などはテレビ・ラジオ等でお知らせが流れます。
災害用伝言ダイヤルの使い方
とても皮肉だったのは、国内の友人などが状況がつかめなかったり電話連絡がつかない状態のときに、一番最初に地震を知って日本の家族や友人に連絡してくれたのは、海外の方達でした。インターネットで関西で大地震があったと知ってすぐに連絡をくれたのですが、ネットのもつ力も感じました。
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地震の時、ライフライン(水道、ガス、電気など)のうちで一番早く復旧したのは電気でした。しばらく携帯ガスコンロでお湯を沸かしていましたが、すぐにハロゲンなどのコンロを使うことができました。けれど、このことが神戸の震災を悲慘なものにしたと今も考えています。
消防防災博物館 出火防止
地震後数日してからの火災が多く発生しています。地震で停電した後に送電が開始されてつけたままになっていた電気ストーブなどから発火した例もあります。現在、揺れに対処したブレーカーや配線などのいろいろな工夫もあるようです。神戸国際観光コンベンション協会など主催の震災対策技術展なども行われています。新しく住宅を建てる場合も、これらにも注意することが必要になってきますよね。現在ある住宅にも対応できる配線などもこうした技術展で開発が発表されているようです。火災はガレキの下で救助を待つ人たちの命を根こそぎ奪っていきました。目前で家族を助けることができないなんて、なんて辛いことでしょうか。身動きできない自分や家族の目前にせまってくる火災を想像してみてください。すぐに消火できない状況ですから、なにより火を出さないようにすることにもっと目を向けることが必要だと思います。電気製品もそういった対応(震災などで揺れたときの安全装置など)があるものを選択して買うことも私たちにできることですよね。 |
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食器棚や壁一面の書棚、重ねた荷物の全てが、右に左に飛び交っていました。冷蔵庫の扉がひらいたところへ棚が突っ込んでいて、開いたままでしたが、片付けがすすんで数日してからしか閉じることができませんでした。1月の寒さといっても冷凍食品などは溶けてしまって、当座で食べることができるもの以外は処分しました。
食器類は安手の重く厚いものだけが助かっていて、大切にしていたものが全部割れていました。しかも、その安い食器類が棚で暴れまわって、回りの薄手のものやガラス類を破壊していました。テレビやこれは重くて動かないだろうという置物も飛び交った様子で、いつもの時間に起きてここで座っていたら、私がどうなっていたかを実感できました。今は笑い話ですが、はじめてメディアに取り上げられる記事が、このあたり唯一の死者の記事になりかねない状態でした。
実際は破壊されたものを捨てるだけでしたが、片付けだけで3週間ほどかかりました。その間、1週間目からは仕事に通いながらでしたから、先に書いたようなまったく通常の周りの人たちとのとても遠い距離を感じました。そして、わずらわしい片付けから逃げるように仕事にでて家に帰ってくれないご主人に、裏切られた思いを持ち続けることになった友人のように、家族のあり方やその後の家族の人生にも影響を与えるようなことがゆっくり、けれど確実に起こっていました。 |
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実際に家の中の状態や落ちた壁などを写真に写したのですが、それを後からみても本当の状態を伝えることはできないと思います。壊れたものを捨てるだけの作業のなかで、家の状態が悪ければ住むところの確保も必要ですし、あれこれをそのつど対処しながら、疲れだけがたまっていくという状態でした。何も解決していかないのではないかという不安だけがべったりぬぐえない疲れになっていました。家もなんとか無事で被災が軽い地域の私たちがそうだったのですから、被害の大きな地域の人たちはどれほど身体と心にな負担を感じたでしょう。それから年単位で住むということには適さない避難所やテント、仮設住宅での生活を続けることになったのですし、大切な家族を失う、二重の家のローン、職を失う、住むところを変わらざるをえないといったことは、それぞれの家族だけで負うには大きすぎるものだと思います。
私は国政に関わる人たちが、学校の体育館で冷たい食事を取り続け、トイレも思うようにできない、高齢の方や障碍者が体力を奪われていく、こういったことを長く続けなければならなかったことを恥ずかしいと思うことがないのかと、疑問に思いました。個人や家族がなんとかできることでは無いからです。最初に命をまもることはなんとか個人が備えられるとしても、それ以後は行政がすべきことが山ほどあったと思います。もっと、議論されてよいのではないでしょうか。トイレを使うことができない、トイレに行くことをためらって、水や食べ物をとらない高齢者や障碍者が多くおられました。その結果、体力を奪われ、多くのひとがすし詰めのつめたい体育館で風邪をひき、肺炎になり命を奪われたのです。障碍があってトイレを物理的に使えない人もおられます。学校はバリアだらけで多くのいろいろな状態の人達が避難生活を送れる場所ではないのです。
とらたぬが、布団で私を守ってくれたようなほんとにとっさの行動が、その後のその人に対する評価となります。相手に対する信頼や不信感やいろいろなものを生み出していきます。とっさに、思わずおこなったことが、家族の溝をつくったとき、それを埋めるのにどれほど時間も努力も必要かと思いました。 |
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