糸をつむごう
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安寿(あんじゅ)こいしや ほうやれほお  
 私の二人の祖母は、環境がそれぞれ違う以上に性格も違い、生き方もまったく違いました。
母方の祖母は歳の離れた祖父と結婚する前から、自分の好きに生きて来た人でしたし、結婚してからも目に入れても痛くないという祖父に見守られて好き放題に暮らしていました。
父方の祖母は、いつも祖父の数歩後ろから歩いてくるような人で大きな声をだして笑っているのをみたことがないような人でした。いつも土間の台所で、一人でこまねずみのように動いているそんな女性でした。
 私がそんな父方の祖母とゆっくり時間を過ごしたのは、私自身が体調を崩して仕事をやめて家で過ごしていたときに、祖母の痴呆(ちほう)が進んで、仕事を持つ伯父夫婦では見る事ができないということで、私の療養(りょうよう)もかねて田舎へ来ないかと声をかけられたのです。
父親は早くから家を出ていたのですが、兄弟のなかで一番母親のことを思っていたのだと、今は良く理解できます。兄弟の面倒をみながら、いつも祖母のそばにいたからかもしれません。“できたら、行ってみてくれんか”それは初めて父親が私に対して命令する言葉ではない願いでした。
 田舎では挨拶もそこそこに、伯父夫婦は仕事へ出かけて祖母と二人で家事やわずかですが農作業をする生活にはいりました。痴呆といっても、祖母はまるで誰にも迷惑をかけないようにしているかのように、自分のことだけでなく家族のこともこなしていましたし、記憶や言葉がわずかにずれている程度に感じました。
 朝から水まきや朝食の準備をして、夕飯用の浅漬けをつけ、部屋の掃除をはじめて食事のときにやっと座っているような生活をずっと続けていました。
 気がつくと家では誰も祖母と言葉を交わす人はいませんでしたし、家族の祖母に対する態度は、祖父がいたときと同じように家の仕事をする以外に価値を認めていないかのようなものでした。
 祖父も祖母も家を継ぐためだけに結婚して、その家を支えるためだけに過ごしてきたのですが、家の外で人格者として通っていた祖父の、祖母に対する見下したような態度は家族にも影響していました。
 私にはいろいろな話をしてくれる知識も豊富な人で、孫のなかでも目をかけてくれていたこともあって、大好きな祖父でした。けれども年齢を重ねていくうちに、それだけではないことも知ることになりました。
 父たちの話の内容や祖父母のことも理解し始めてから、何故父が母親を不憫(ふびん)でしかたないと思うのかを理解するようになりました。そして、そんな母親を思う父の気持ちも背中に田舎へやってきたのです。
 毎日の生活は祖母にあれこれ教えてもらいながら、ゆっくりゆっくり過ぎていました。川や野原やバスででかける隣町やそんな小さなころに過ごした生活を思い出させるものでした。
祖母の痴呆は、時々娘時代にもどってしまうこと以外では、ほとんど生活していて気がつかないものです。
“○○ちゃんが来るから、仕事早く終わって着替えよう。”
“○○ちゃんて、だあれ?”
“友達や、隣町に住んでいるんや。一度家に帰ったら遊びにくるというとったんや。”
“そうかあ、でもおばあちゃん、今日はもう遅いから遊びにはきはらへんと思うよ。”
“ほうかあ?ほんまやなあ、またやなあ。”
そうしてまた家事を続ける毎日でした。
 ムシロに鞘(さや)からとりだした小豆をひろげながら庭先に座り込んでいるときに、草を引き抜いてきた祖母が虫をはらうように左右にゆっくり振り始めました。
“いやあ、おばあちゃん、安寿と厨子王(ずしおう)みたいやねえ。”
“ほうかあ?めしいにならはったお母さんかいな。”
“そうそう、安寿こいしやほうやれほお、やん。”
“厨子王こいしやほうやれほお、やなあ。”
“あれは小豆やったんかなあ。”
“いや、粟(あわ)か稗(ひえ)やろなあ。すずめを追ってはったんや。”
夕飯の支度をするまで一緒に話をしながら、昔読んだ本やあったことを信じられないくらい正確に覚えていることにびっくりしました。記憶の引き出しが、古いものから引き出されるのかなと、笑顔で昔の歌を歌う横顔を眺めていました。
そんな時間を過ごしていたある日、朝から祖母は家に帰りたい家に帰りたいと繰り返すようになりました。自分の実家の家に帰りたいという祖母は、女学校に行っていた頃に戻っていました。
“お母はんが揚げ菓子をつくってくれてるから、かえらなあかん。お姉ちゃんと一緒にでかけるから、家にもどらなあかん。
家にもどしてください、お願いします。この家の人にお願いしてください、帰してください。”
家族がそれぞれ出かけて二人でいる間も、私の手をとってはお願いしますを繰り返していました。
 夕方、ちょっと目を離したときに、表の道に車が止まる音がしました。トラックがとまって、親しげに祖母が話しかけていていました。そして助手席へ乗り込むと、窓から私にきがついて、機嫌(きげん)よく手を振ってそのまま車にのって行ってしまいました。知り合いなんやろか。話してたしなあ。でも、どこ行ったんやろ。心配になって、伯母に連絡をとると祖母の実家のあった近所の方に連絡をいれておくからと言われました。
 いつも道端に立って、のせてくれる車があると、実家のあった辺りに行ってしまうということでした。そして、連絡をもらって伯父が迎えにいって戻った祖母は、いつもどおり静かに夕飯の支度を始めていました。
 祖母は何もいわずに何十年と暮らしてきたこの家から、実家に戻りたかったのだと思います。きっと、帰りたいと口にすることはできなくても心はいつもお母さんがいる、十代の自分にもどれる、姉妹がいるあの家に帰りたいと思い続けていたのでしょうね。
 痴呆がはじまったとき、祖母は一番楽しかったときに戻ることで自分を訴えたかったのではないか、そう思いました。
今はもう家もない、顔見知りもほとんどいない場所で、一人でぽつんと立っている姿を思うと、自分の胸をこぶしでたたき続けたくなるような気持ちになりました。
それから数週間で、祖母は入院し私は家に戻りました。
痴呆になって一番楽しいときにもどれたことだけでも、祖母の救いになったんだろうか、戻ってからもなんどもくりかしえて考えていました。
 父には、祖母が一番楽しいときにもどっていたと話しました。
“叔母ちゃんの話もしてはったよ。遊んだこともいっぱい話してはった。なんでも良く知ってはったし、小さい時からもっといろんなこと聞いたらよかったなあ。”
そういうと、父は背中をむけてしまいました。
安寿と厨子王の山椒大夫(さんしょうだゆう)の話では、めしいた母親がすずめから守っていたのは、粟(あわ)でした。
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