遊園地再生事業団、初見です。しかも、初めてのかんげきがこのユニットの最後の公演となってしまいました。
この公演をもって活動を停止する、劇作家宮沢章夫氏が率いる「遊園地再生事業団」、最後は宮沢氏おなじみの「砂漠監視隊」シリーズ。「人の行き交うことのほとんどない、なにも起こらない砂漠を監視することが仕事である人々の日常」を描いたシリーズ。
この「砂漠監視隊」シリーズの一回目の公演を高校生のときに見ています。90年、いとうせいこうやシティボーイズが率いるユニット「ラジカル・ガジベリビンバシステム」の公演、その名も「砂漠監視隊」。私の「演劇黎明期」(笑)に見た作品なので、本当に思い出深いし、その後自らユニットをたちあげた宮沢氏も定期的にこのシリーズで公演を行ったということで、おそらく思い入れのある作品群ということでしょうか。
とにかく見たい!!ということで、地元のぴあに足を運びましたがすでにソールドアウト。あきらめきれなくて今回は宮沢氏本人に直訴したんです、実は。「新潟から行きます〜」ってなもので。それに快く応じて下さり、なんと自ら制作部にチケットを手配していただきました。本当に大感謝。
今回は件の「集中力半減」で見たナイロンのあとの公演だったのでけっこうグロッキーなまま会場入りしたのですが、スズナリに足を運ぶのも7〜8年ぶりでいろいろ新鮮。このハコは変わらないという事実そのものが新鮮。
最後列からのかんげきとなりましたが、スズナリなのでかえってほどよい距離かな。まず舞台装置に大感銘。白砂色の壁に囲まれた監視隊本部の建物の内部。飾り気のなにもないそのたたずまいは、そのまま無機質な「砂漠」のイメージを喚起させます。
物語。「忙しくないのに、忙しくしているように動きたい」監視隊の面々。以前に見た「ガジベリビンバ」の時よりも登場人物のコミカル色は薄く、そんな監視隊の描き方の変化に時代の流れを感じさせるものがあります。
初回の頃はまだバブルの真っ只中。理不尽な状況の中であえぐ姿は、時代感覚的にも、当時高校生だった私にとっても「ひとごと」でしかなかった。シチュエーションの妙をただ「笑う」。それがあのころの演劇の楽しみ方だったような。
時を経て、長引く不況下での「砂漠監視隊」の姿は、観客にとって「共感できる」状況だったりもする。
私自身も「学生」から「社会人」に立場が変わり、そうした「生き方」の変化もあって。
というのは仕事をしていると、合間合間に「農閑期」みたいな時期がきっととあって、でも仕事場にいる時は自分で自分を「忙しくさせなきゃいかん」みたいななにかしか、強迫観念みたいな感情に被われることがあるからです。自分で仕事を作っちゃう。そういう気持ちの最骨頂が「砂漠監視隊」なのだと思う。
舞台上で行われるささいな出来事へのこだわりやそんなこんなにわははと笑いながらも、それらのひとつひとつを常に自分にかえしながらのかんげきでした。かんげき後の不思議な無常感と、反面生まれた安心感。うまく言葉にできないけど、とても多くのことを考えた2時間だったと思います。充実。
砂漠監視隊の日常をリアルに描ききった役者陣・演出は秀逸。最後で残念。