「笑いの大学」は、戦前の日本で、上演が迫った劇団の座付き脚本家と、「この時代に喜劇などけしからん」と上演中止に持ち込むようあれこれ難癖つける検閲官との激しくおかしなやりとりを描いている、三谷幸喜作の二人芝居の脚本だ。オリジナルでは、検察官を西村雅彦、脚本家を近藤芳正が演じていた。
これを新潟の劇団「点心舞台」が上演する、しかも潤色(=うわべや表現を(面白く)つくろい飾ること。@岩波国語辞典)されているらしいということ、さらにチラシには男性と女性がキャストとしてクレジットされている。オリジナルは上の通り、どちらも男性の役柄なので、「どう料理しているのかな」と好奇心をむくむく脹らませて見に行ってきました。
会場は点心舞台の所有するアトリエ。もとは商店か何かのようで、会場の入口はかつてこの店の通用口だったのかな?
受付で当日券を購入。黒子の格好をした受付嬢が、チケットと一緒に「かち割り氷」を手渡してくれた。受付には麦茶のサービスもあり、至れり尽くせり。っていうか、真夏の上演と言うことで、「会場内はかなり暑くなりますよ」ということでもあるらしい。
ともあれこういうサービスはありがたい。ただ、氷、開演までにすっかり水と化してしまいまして、やっぱり公演中は汗だくでした。どこかにも書いてあったけど、保冷剤ならもう少し持つのにな〜。客はわがまま気まま。場内はほぼ満員、それでも小さい会場だけに30人前後の観客。会場の大きさといい、大学時代によく公演していた学内の教室にそっくり。個人的にノスタルジーを感じる。劇場でない場所を劇場にするって、やる方は苦労もあるけど、無理を無理じゃなくする作業はなかなか楽しいことも多い。客席を階段上に作ってあってそんな客席の工夫にも「ごくろうさま」とか思ったっす。
さて、本題。暗転明けると、そこにはふたりの男女。原作のように、今度上演する芝居の脚本家(女性)が、サラリーマン風の男性に難癖つけられている。しかし戦前ではなく、どうもとある企業の催すパーティの出し物をする企業内劇団の脚本担当と、その上司、ということらしい。「ほー、なるほど、戦前で女の脚本家は無理があるから、こう変えたのか」と思いつつ話は進んでいった。と、「やっぱだめだよ〜この設定!」と、女優。「あ、ダメ?そっか〜、どうする?」と男優。ふたりとも、「笑いの大学」の設定を男女でやるにはどういうのがいいか、という話をはじめる!むむ?
やられた!この公演、『点心舞台で、男女の配役で「笑いの大学」を上演するには』がテーマだったのだ!なんと。そう来たか。
ということで、いくつかの設定をどんどんためしていく俳優たち。「北朝鮮の芸能祭で」とか、「新潟県の芸術文化助成事業の審査風景」とか、「高校の文化祭で」とかとかとかとか。まーよくも考えたり、新潟ならではのネタを含めてあれこれあれこれ。なかでも3つ目の「芸術文化助成事業の審査風景」は、そのシステム自体への彼らの疑問・批判なんかも語られたり、笑えるなかにもしっかり社会派。
要は今回の公演、「笑いの大学」を本歌取りしたものでした。しかし、ただオリジナルをそのまま持ってくるんじゃなく、新潟という地域色を織り交ぜながら、劇団のカラーに染めていっていて感心しました。「笑いの大学」に挑戦、というアマチュア劇団は全国津々浦々あると思いますが、「新潟でしか見られないもの」に仕上げてオリジナルと一線を画すのもよいね。
ただ、こうなってくるとラストは??と気になるところですが、原作では近藤芳正演じる脚本家に赤紙が来て、戦場で行くところで終わり。
点心舞台は、この脚本の潤色を担当していた人(つまり点心舞台の本当の脚本家)が転勤することになって、この公演を作りあげることをあきらめる。
最後は、原作の設定を忠実?に現代に例えてしまったと言うこと。うーん徴兵と転勤、同じか?その必然性(戦前は徴兵令に拒否などできなかったけど、現代は転勤いやならとらばーゆというのも通念上としては許される)が違うので、むむ。物語のなかでは、「個人の生活を犠牲にしてまでやるか?」という理屈になっていましたが。
この辺り、終わらせかたがむずかしかったんだろうな〜と思いました。しかし、劇団色を全面に出そうという姿勢が気に入りました。それから、女優役の「猿股失敬」が最高。