デン吾郎一座「Fire Waltz〜雨上がりのアトリエ公演〜」(作・演出 明座秀市)

1999年7月3日(土)19:00〜20:00
長岡リリックホール第一アトリエ

 長岡の劇団、デン吾郎一座の公演を見てきた。今回はまず、自分もワークショップで何回か使用してきた長岡リリックホールの第一スタジオが会場と言うことで、あの空間をどういう風に使っていくのかという興味があって。

 スタジオは、アマチュア劇団が公演打つにはほどよい空間。客席もフラットで、観客と演技者とが一体感を持ちやすいし。
 また、舞台装置をどう置くのかということにも興味がありました。そんなこんなで今回の印象をいくつか書いていきます。

 チラシはシンプル、6種類のシンボルマークを配したような。「雨上がりのアトリエ公演」とサブタイトルが。ん〜どういう意味なのかな?本公演ではないよ、という意味かな?

 ともあれ、受付で当日券を購入。まず今回感じたのは、受付を含めたスタッフ力の充実ぶり。受付も非常にていねいだったし、会場に入ると誘導の人が5〜6人。待ちかまえたようにそれぞれが声をかけてくれて、「こちらへ、こちらへ」と案内してくれました。
 舞台はフラット。スタジオ中央に半円形に平台が置かれ、半円形の奥に古代風の石柱といった装置が左右対称に置かれている。その手前にそれぞれ椅子が置かれている。
 と、床に目をやると新聞紙が一面に敷き詰められている。ふーん、面白いね。なんだか抽象的な装置と感じる。

 客席はその半円を囲むように桟敷とパイプ椅子で組まれていて、20人前後の観客。上手下手に花道が配されている。

 ほどなく開演。暗転開けると椅子に2人の男。なんだかあれこれ、よしなしごとを話しながら、この舞台が「つぶれかけたバー(キャバレー?)」であること、彼らがこの店の従業員であること、店主が夜逃げをして途方に暮れていることなどが話されていく。
 そして、話の合間合間に、突然床に転がったり。新聞紙にくるまってしばし遊んで、また何事もなかったかのように物語がすすんでいく。

 この新聞紙にくるまるのがなんだか楽しそうで、実際役者さんも「くるまる場面」が近づいてくると表情が生き生きしてくるの。おお、私もやってみたいなとか思ったり。
 他にもこの新聞紙は大活躍で、舞台でたばこを吸うシーンが何度かあるんだけど、たばこの火を落とすの、落とさないので役者たちが大わらわ。このあたりのやりとりはなんだか不条理劇のよう。このやりとりは全編通してそこかしこに挿入される。

 不条理劇なのかな?と思いつつ、舞台ではもうひとりの登場人物。彼は「この店を建て直すためにやってきた謎のプロデューサー」といった役どころ。「こういう店には歌姫が必要だ」と女を連れてやってくる。この「歌姫」が一風変わったキャラクターで、本当は歌を歌えるのかどうかさえ怪しいとか、そんなこんな。
 この「歌姫」を連れてきたプロデューサーがどうもキーパーソンらしいんだけど、ここから先の展開はちょっとごめんなさい、整理つきませんでした。

 結局プロデューサーが「俺は神なのだ!!」みたいなことを言ってエンディング。なのだけど、「????」なんだか狐につままされた感じでありました。

 どうも、本筋のストーリーは存在すれども、途中役者の個人芸やギャグシーン、くだんの新聞紙のシーンなどがいくども割り込まれたりして、私には筋を追いかけることが難しかった、ということ。

 「不条理劇」だったのかな?うーん、むむむ。ということで、ストーリーについてはあまり深く考えないでおこう。

 新聞紙で遊ぶアイディアとかは個人的には楽しくみることができました。それらの「遊ぶ」シーンを役者さんが楽しそうにやっているのが印象的な公演でした。というか、ストーリー自体を追うことができなかったので、役者の表情とか、そういうところに目が行ってしまったところもありますが。つまり、楽しそうではあったけれど、反面、活舌とか、セリフの間合いとか、そういう細かいところが余計に気になったのも事実。ストーリーを読み解くことを放棄しちゃうと、どうしたってディティール観察に気持ちが行っちゃうもんね。そういう意味では、今後に期待と言うこと。
 長岡は大きさの割に劇団の存在自体がまだまだ希少価値のようなので、どんどん公演を打って、しかもどんどんオリジナルでやっていって欲しいなとか、長岡出身者として思いました。