劇団・五十嵐劇場「消えなさいローラ」(作・別役実 演出・伊藤裕一)

1999年6月12日(土)
新潟市五十嵐町劇団・五十嵐劇場アトリエ

 6月になりました。じめじめと、嫌になりますね。全く。
 じめじめの上に、掃除嫌いのわたしの部屋の散らかり具合がイライラに拍車をかけてます。だってー。嫌いなものは仕方がない。人を呼ばなきゃいいんだ、うちに。
 と、開き直ってる場合ではないのですが。

 奇しくも今回のかんげきは、散らかり放題の部屋に住む女の話でした。

 NO予備知識新潟かんげきツアー、今回は五十嵐劇場の「消えなさいローラ」。

 パンフレットによると、五十嵐劇場は新潟大学の演劇研究会のOBによって結成された劇団。結成は96年、今回が第6回公演とのこと。うーん、だいたい私と同世代ですね。(少しサバ読んだ)
 
 チラシ、昔風の鉛筆デッサン画を配したシンプルなもの。なんだか硬派なデザインだなと思ったり。内輪な雰囲気の少ないチラシ(つまり遊びがない。本来当然なんだけど、交通機関などの情報がきちんと網羅されている)で、これまで数回足を運んだ公演のなかには、関係者以外かんげき禁止、みたいなものも多かったので、純かんきゃく的立場としてこういう硬派は心が動かされます。はい。行きましょうと素直に思える。

 会場は、この劇団のホームグラウンド?と言っていいでしょう、新潟大学のすぐ近く。かなり古びた倉庫をアトリエとして、これまでも公演してきたそうです。
 新潟大学の近くですから、当然のように自動車でなければ不便なところでした。地図を見ながらなんとか到着。郊外で不便なことも多い反面、郊外故に駐車場完備。ありがたいっす。
 おどろいたのは、敷地内の手前と奥に2つ建物が建っていて。奥がアトリエなんだけど、手前はなんだか宗教関係の集会所。道路沿いからやって来てみると、この宗教の看板がばばんと建っているので、一見さんは見逃してしまいそうでした。しかもなんだか敷居が高いような感じがしますね。宗教の看板ですから。

 この日は初日で、開場後も人影はまばら(10人ほどの観客。20代多し。)。
 アトリエの入口もひっそりしていて、ほんとに入っていいのかな、な感じ。秘密集会に潜入するようなドキドキ感あり。

 受付で当日料金1,200円を支払い、パイプ椅子の並んだ客席に。見渡すと、なるほど、パンフに「廃墟のような」倉庫とあったけど、そのまんま。天井は建材がむき出しになっていて、たる木が渡してあったり。壁はトタン貼りのみで、夕方の日差しがところどころピンホールに差し込んでました。壁には前回の公演のもの?舞台装置らしきベニヤが立てかけてあったり。倉庫の雰囲気そのままをねらっているのかな?味のある建物だなあ。
 
 物語は「ガラスの動物園」の後日談を描いた別役実の戯曲。3年前に家を出た弟トムを待つ女、ローラ。3年間ずっと待ち続けている間、部屋は悪臭を帯びるほどに散らかってしまっている。そこにやって来た葬儀屋を名乗る男。そのやりとり、といったような。

 ローラは、初めにこの葬儀屋が来たときは「自分の母親」になりきって対応する。「ローラだけど、ローラじゃない」ローラは自分の名前を自分で呼び続けないと、自分が本当に「ローラ」なのかが確認できない。

 物語の柱は、ローラが演じ続けている「母親」が本当は死んでいるのではないか、という疑惑。

 この疑惑を解明するためにやって来たのが葬儀屋の男なのだが、この男も実は「探偵」。つまり、最初の二人のやりとりは、互いに「自分ではないもの」になりすまして行われているということ。そう考えると、「実在すると思われている人が、本当は実在しないのではないか」「生きているのか、死んでいるのか」の謎解き自体が滑稽な感じがしてきます。これが不条理劇っちゅうこと?

 最後に探偵の男が「トムがすでに亡くなったこと」を明かすんだけど、ローラにとって、「トム」がいるのか、いないのかなんてもうどうでもいいんだろうな。
 「トムを待つこと」自体が大切で、「トムが帰ってくること」は実は目的じゃないと。んー深いっす。

 今回の演出を見る限りは、不条理というよりなにやらミステリーな感じでした。なんだかかっちり、作り込んだんだなという感じ。どうしてそう思ったかというと、会話のやりとりに常に緊迫感を感じたこと。手に汗握る感じというか。

 ンで、私が一番いいな、と思ったのは舞台美術。アパートの一室をていねいに作ってあります。ディティールも細かい。ところどころはげ落ちた床板とか。インテリアの家具とかも、いい雰囲気。
 なのに、むき出しの倉庫の壁が見えちゃったりするのが残念でした。ステージの上も、側面の壁は倉庫そのまま。それ見ていると、急に現実に戻ってしまいそう。

 さらに、上手におかれた砂の入った木箱がオブジェのようで、なかなか私好みなんだけど、これも残念なことに、地灯りの光量が足りなくて。
 この世界を象徴するオブジェと思うのだが、とにかく暗くて最初なんだかわからない。よーくみると、あ、砂なんだ、木箱かあ。という感じで。

 すごく気合いを入れて作ったものをないがしろにしているような気がして、もったいないなあと思いました。これは役者さんの表情が見えづらいという意味でも非常にもったいなかったっす。

 倉庫を改造したアトリエということで、電気の容量とか、いろいろ制限があるんでしょうが、この公演に関しては「このアトリエにこだわる意味があったのか」がちょっとわからない。舞台作りに真摯な姿勢を感じただけに、「せっかく作ったものが見劣りしてしまっている」のがもったいない。

 この芝居自体はすごく好きです。(好き故にもっとこうだといいなと思うのだ)楽日にも足を運んだ私でした。

 2回見て、役者の実力はかなりのもんだなと再認識。特にローラ役の安達修子さんが存在感あり◎。