NO予備知識の新潟演劇ツアー、続いては「赤鬼」をかんげき。
「赤鬼」はNODAMAPの戯曲。ご本家は見逃していたので、新潟の劇団がやるらしいと知って、すごく楽しみにしていた一本です。
純粋にどういうストーリーか見て確かめたいというのと、アマチュアがどう料理するのかな?という好奇心と。
チラシ、とってもメルヘンチックなイラスト。フルカラーで気合い入ってます。何々、ダブルキャストかあ!すごいな。おっ。赤鬼役も外人さんだ。ワールドワイド新潟!ビバ!
…というようなことを思いつつ、チラシを見ていたわけでした。
そんな期待を胸に秘め、22日ソワレ、Bキャストの公演を見に行ってみました。
会場は新潟の演劇のメッカ(に違いない)、万代市民会館。タウン情報誌でもよく見かける会場名。駅にいちばん近いホールということ、同じ建物の中に青年の家という施設があって、ここを稽古場所にしている劇団が多いことなど、利便性に富んでいるのでしょう。
ともあれ、きちんとした劇場施設での公演は5月の”NO予備知識”シリーズ初。観客は50人くらい?
会場、客席可変式のホールで、今回は客席をすべて片付けて、スタジアム形式の仮設舞台が置かれている。四方の客席には、パイプ椅子を使って。なかなか意欲的な装置使い。舞台の広さは軽く10畳はあるだろうか。物語。小さな島の漁村に暮らす兄妹、トンビ(玉木美子)と「あの女」(戸田美佐子)。
二人はよそから住み着いた流れ者、閉鎖的なコミュニティで人々にさげすまれている。兄は少々頭が弱い。妹は「あれをさせる女」としか村人に扱われない。
「海の向こうがある」とふれまわり、小さな村が世界のすべての村人たちに、「うそつき」呼ばわりされている男、ミズカネ(野上大樹)。
村に住みながらも、「よそ者」「変人」扱いされている3人。そこに流れ着いた「赤鬼」(アウターソン・ディーン)。「赤鬼」を「訳の分からぬ奇声を発する人食い」と恐れる村人同様、恐れおののくトンビとミズカネ、しかし「あの女」は次第に「赤鬼」が自分たちとは違う言葉を使う人間なのだと信じるようになる。「あの女」を介して、「トンビ」「ミズカネ」と「赤鬼」との奇妙な異文化交流が始まったが…。
「よそ者」扱いされる自分たちよりも、さらに「よそ者」。ああ、こうやって社会が成立するんだなとか考えたり。「自分とどこか違う」を見つけることは「自分が何者なのか」「社会のなかでの自分の位置」を確かめること。差別廃止というけれど、「自分は何者か」を知る根源的手段である側面がそれをむずかしくさせているのよね。などと少し難しいことを考えつつ。これらのエピソードが舞台(どころか会場全体)をめいっぱい使って、一人何役にも変化しながら進んでいく。装置使いも工夫があって、黒いコンテナボックス、バーに網を渡して窓や洞窟を作ったり。それらの変換も役者がすべてを行う。
舞台を所狭しと役者が駆けめぐり、パラレルワールドを構築するのが野田流、この戯曲も多分に漏れず。ということは、役者にかかる負荷がとても大きいということ。
体、声、その他さまざまな技量がいやでも全面に現れる。そういう意味で辛い戯曲だな、と思った。
役者の流れなど、よく考えられてはいるんだけど、初日のせいもあってか、こなすのが精一杯。役者の緊張感に当てられてこちらも手に汗握ってしまいます。それから、役者は総じてセリフ回しが早い。ずっと同じテンションで演じていて、大事なセリフが聞こえづらかったり。よぼよぼの老人もなんだか威勢のあるしゃべり方。どの役も流れでやってる印象。全力投球で演じていることには好感を持ったけど、そんなに急がなくても…。と、なんだか筋を追っかけるだけで見ている方も精一杯。
緩急ある芝居って、見せる上でも大事な要素だけど、演じる側にとっても気持ちを作り込んだり、適度に体に休息を与えたり、よりよい演技を続けていく上で大切だと見ながら思った。今回は転換に力を入れすぎて、「急急ある芝居」で終わってしまっていたので。そこで思ったこと2つ。
1つは、転換や役者の切り替わりが激しい芝居で、あんなに広く舞台を取らなくても良かったのではないか、ということ。演技スペースが小さくなれば、余分な移動が減って、演技に余裕が生まれるかな、と。あの半分のスペースで充分じゃない?
2つは、公演期間が2日間しかないこと。役者の実力はあるのだから、あとは数をこなせば余裕が生まれて、もっとじっくりと取り組めるようになってくるだろうな。しかも今回ダブルキャストで、一チームたった2回の公演。もったいないなあ。場数を踏めればどんどん良くなると思うのに。と終演後パンフをめくってみると、役者が県内全域から集まっていることを知った。中には東京在住の方もあり。
長岡までワークショップに通った経験のある私、時間と距離をやりくりして稽古時間・公演時間を確保することの難しさはよくわかるので、なるほど、やっぱりみんな演じる場を求めることに苦労しているなあ。と、地方演劇の辛いところを再認識した思い。私がいうまでもなく、「もっともっと打ちたいよ!!」と、劇団員は切実に感じていることでしょう。そんな悪条件のなか、やるだけのことはやったぞ!という気概は充分伝わりました。さまざまな演出的工夫や、役者の全力疾走ぶりに刺激されたり。特に4人が海の向こうへと舟をこぎ出すシーン、舞台の真ん中がばたん!と開き舟へと変化するくだり、気持ちよかった。
いろいろ言うだけいって、実行に移すことをためらっている、やっぱり私はアマチャンだ。と反省しきり。”NO予備知識”の新潟芝居見物、徐々に追いつめられる自分がここにあり。いかんな。