青年団「東京ノート」(作・演出 平田オリザ)

2000年11月25日(土)19:00〜20:30
長岡リリックホール・シアター

(このレビューは斎藤陽一研究室の「演劇会議室」に投稿したものを一部加筆修正しています。)


よーいち先生との誓い通り、書き込みさせていただきます。
一緒に○○したOさんこと、「オコネギのミネムラ」です。
(伏せ字にすると、なんだかすごいことをしたみたいですね)

一緒に○○した時に「最近会議室がさみしいよー」とか、そんな話になったのですが、最近私ももっぱらここをよむだけで過ごしていました。

それはやっぱり、住環境の変化によって現在のところほんの少し演劇から遠ざかっていること、観劇の量も減ってきていることとか、そんなところが原因かなと思います。言い訳ですけど。

今年になってからは自分のHPの観劇レポートも棚上げ。いかんなーと思うんですけどね。

ともあれ、昨日今日と久しぶりにいろいろなひとと演劇談義をして、やっぱり楽しいなあ、いろいろ考えるのはと思いました。
というわけで、さっそく青年団のレポートをば。

青年団を見るのは今回が2度目です。一度めは今年の利賀フェスの「ソウル市民1919」、それから、平田オリザさんがいうところの「静かな演劇」を見るのは2月見附市で行われた弘前劇場の「家には高い木があった」が最初で、今回が3回め。

それでですね、うまくいえないんですけど、「高い木があった」と「ソウル市民」と今回の「東京ノート」を見た時の自分の心境、っていうか、置かれた状況と、公演を見ながら感じたことが非常に密接に関係してるかなあーと思ったんです。

●「高い木」の時は異動先が決まる直前のすごく不安な時期と、仕事での失敗が重なってかなり落ち込んでいた時でした。

仕事の不安とか、そういうのを両親に聞いてもらったり、励ましを受けたりして、家族のありがたさを再認識していた時期。
「高い木」は、離れ離れに暮らしていた兄弟たちが、祖父の葬儀で久しぶりに集まったというところから始まる物語で、なにげない会話から伝わる家族のありように、ぐぐっと引きつけられた。

●「1919」の時はこれまで縁のなかった土地に渡って、文化の違いとか、「たびのもの」として扱われることにすごく戸惑っていました。

「1919」は、戦時中に朝鮮移民として渡った日本人家族の物語。その境遇と自分を重ね合わせた、ということはないんだけど、ずっとそこにあった人々と、そこに渡ってきた人のどうしたって埋められない温度差、とか、そんなところがその時の自分にはぐっとくるものもあったり。
家族のある一日を淡々と描きながらも、痛い芝居。

●一方「東京ノート」を見た昨今は、不慣れながらも仕事も暮らしの様子も見えてきて、一段落していたり。それは、仕事も下手なりに、今後の見通しが立ったとか、まあ、先が見えてきたことの安心感とかね。

何がいいたいのかというと、結局、日常の断片を切りとってみせるという手法は、見る側の心情と深くかかわっているのでは、ということ。

「高い木」と「1919」はすごく、興味深く芝居が見られた。
それは個人的な状況と重ね合わせて芝居が見られたということもあって、私にとって切実なテーマ、ドラマ的状況がそこにあったから。
「東京ノート」の今は、なんとなく安定してきた自分がそこにあって、「自分に照らし合わせる」という観点がなかった。

3作とも「日常の断片をドラマとしてみせる」ことにかわりはないんだけど、そこに「照らし合わせ」がない状態だと、ただ「客観的」に見ることで終わってしまった気がします。

なにかしか、描かれていることが自分の生活に響くと、すごく深く感じることが多かった。

もちろん、これは「静かな演劇」に限らず、小説や映画なんかでも、自分にとって切実なものがそこに描かれていればぐぐっと引きつけられることがあるわけで。

3作ともすごくよく練り上げられた芝居なのに、自分の心のありようで感じ方がすごく違っていたことが、ある意味興味深かったのです。

なんだかまとまらないなあ。要するに、「東京ノート」はちょっとだるかったということなんですけど。それは、ひょっとすると、すごく個人的な事情が関係してるんではと。

自分勝手なことをいってしまえば、私って、悩みがなくなると「超おもしれー」とか、「超サスペンス〜」とか、陽一先生と同じく「脂っこいもの」が欲しくなるということなのかな。新感線を求めていた時期だったかも?

でも、そういうのって自分だけじゃないかも、ということでこんなコメントなのでした。

舞台美術に関して思ったこと。今回は広いシアターを前3分の1あたりを仮設パネルでしきり、客席をステージと同じ高さに持ってきている、というスタイル。ええとつまり、シアターのなかに小劇場を作ってしまったと言うような印象。このときに一緒にお芝居をみていた一発屋の方に聞いたところ、せんだってのシアターゴーイング(ミネムラはフェリー欠航で行けず)で、やはりあまり広すぎるシアターへの対応策としてステージ上に客席をつくったとか。その時は今回のように客席後方にパネルがなかったのでやけに声が響いてやりずらかったとか。今回の仮設パネルを見て「ああっこんなのあったのかー。苦労したのにッ」と地団駄踏んでました。しかしリリックのシアターって使いづらさには定評がありますな・・・プロでさえ仕切りを作っちまうんだからなあ。

 デザイン的には非常にすっきりと「美術館のロビー」がそこにあって、とても気持ちのいい空間でした。シアターの「音、響き過ぎ」が、舞台設定に効果的にはたらいていたなあ。静寂の美術館、足音だけが響く、そこにいる人の気配が反響音で感じられる。美術館の気持ちよくてなんだか切ない感じがそこにありました。かなり好きな舞台です。