劇団THE風・FOUは柏崎の劇団。新潟県柏崎市というのは、実はとても演劇の盛んなお土地柄。人口のわりには多くの劇団があり、またワークショップなども盛んなようです。そのなかでもこの劇団は結成10年、公演数は30回を迎えようかという劇団。メンバーのなかには98年、99年と参加した長岡市の安田雅弘ワークショップの開始当初より4年間、毎年参加しているという強者もいます。
今回の公演は「教育」がテーマのオリジナル脚本ということで、本業が教育関係のミネムラとしてはかなり食指が動きました。
物語。不登校に陥ってしまった少女。その原因を互いに家庭だ、いや学校だとなすりつけあうだけの母親と担任教師。本当の少女の気持ちを置き去りにしたまま、むなしく言い争う。
「雑誌の投稿」で少女の存在を知り、突然少女の家にやってきた「不登校を治す」ことが売りであるという「家庭教師のレッツ」を名乗る謎の男。「不登校を治すことができたときに報酬をいただければいい」と不審がる母親に告げ、少女の部屋に入った男は、たった30分で少女を学校に行く気にさせてしまった…。しかし。
かなり硬派なストーリー展開で、不登校の少女を取り巻く母親・教師・そして家庭教師のやりとりが行われていく。そこには、「保護されるべき」子どもに対する現代の大人のかかわりかた、そのみたいなものがよく現れているように思う。
本来なら不登校に陥った少女自身の想いを最も大切にして行くべきところを、私たちは「悪者さがし」に終始してしまう−学校のシステムが悪いのだ、いや、家庭でのフォローがなにより大切なのだと。
そのどちらもある側面では正しいのかもしれないけど、少女が求めているのは、そんな状態にある自分をあるがまま受け入れてくれる存在。
少女にとってそんな存在となったのは母でも担任教師でもなく、会ってまもない家庭教師だった、ということの皮肉。
最も身近な人は意外と子どもへの期待とか、体裁とかで子どもをくくろうとしてしまう。「こんな子にそだってもらいたい」「こう生きたほうが幸せになるだろう」その想いが深いほど、当の本人と深い距離ができてしまう、そんなこと。
「あるがままを受け入れるとはなんなのだろう」と、そんなことを考えた。「あるがまま」をよしとするなら、教育なんて必要ないと極論をいうこともできるから。
このお芝居のなかでは最終的に、家庭教師である男がなぜ不登校専門となったのかとか、そんなエピソードを交えつつ、やはり少女の「もっと私をみてほしい」という痛切な叫びのなかで、終っていった。
とても重いテーマで、本当にまとめあげることのむずかしい問題。
そのテーマの取り上げ方ゆえに、結論の出しにくい話ゆえに、芝居としてみた時にはなんとなく消化しきれずに終ったような気がした。
個人的には物語の序盤で謎めいたように語られた家庭教師のキャラクターづくりに重きを置かず教師や母親などの関係性を焼き直すことでもっと深みの出てくる脚本だなあと思った。もっともっと広がりのでる(しかしやはり終らせ方の難しい)作品ではないかなあと思う。